閑話02:ヒルデガルド・オーデンス②
「ヒルデガルド様、この書類の確認をお願いします」
私は部下の神官から書類を受け取り、さっと目を通す。
マイリア様の補佐をしていた私は少しでも母の力になりたいと思い、色々な成果を上げ二十二歳と言う年齢で司教となりました。
司教になった私はマイリア様の補佐を外れ、神教の予算部門の長を務める事になりました。
平たく言えばお金の管理をする部署です。
母がここに私を置いた理由は充分理解していました。
神教内では腐敗が蔓延っており不正な会計が多いからです。
今、部下から受け取った書類も不自然な点があります。
「この教会の修繕費、報告に聞いていた内容に比べて金額が大きいです。相場と比較して差の理由が分かる様に調査し、報告して下さい」
不自然に高い支払いが多い、実際の目録と数が合わない等は珍しくありません。
そんな怪しい報告は全て調査し、不正と確定した場合はマイリア様に報告に上げる事になっています。
因みにマイリア様は腐敗是正を自ら先頭に立ち、指揮しておられます。
私は部下から上がる報告の確認だけではなく神教の帳簿のチェック作業もあります。
司教とは名ばかりの事務員です。
ここに来てから忙しくていつも夜遅くまで作業をしています。
「少し休憩してきます。皆さんも無理せず休憩を取って下さい」
私の部下は私が休憩を取らないと休憩せずに作業を続けるので、私の方から休憩を取る様にしています。
休憩する時は神殿裏の一角を使っています。
便利な場所ではありませんが、誰も来ないので落ち着きます。
いつも食堂で紅茶を準備してここで一服するのが心がやすらぐ大事な時間です。
その日もいつも通り芝生の上に布を引き、そこに腰を下ろしてのんびりしていました。
ふと目の前の茂みがガサガサと何かがいる様な音が聞こえてきたのです。
「?」
私は兎かな?と一瞬、思いました。
茂みから現れたのは私の想像と全く違うものでした。
目の前に現れたのは長い蒼い髪の少女でした。
まだ十代前半と思しき少女は神教の法衣を着ていました。
一瞬、神官見習いの子かな、と思ったのですが、法衣のラインが見た事が無い二本の青いラインで装飾が豪華だったのです。
神教の位階は法衣のラインで分かります。
例えば私は司教なのですが、司教だと一本の金のラインになります。
これが大司教になると金と赤のラインが一本ずつ、枢機卿だと金と銀のラインが一本ずつ、そして教皇だと金と銀と赤の三本のラインが入ります。
因みに神官見習いはラインがありません。
「あ」
少女も私を見てしまったと言う顔をしました。
どうしましょうか?
取り敢えず、話しかけてみましょうか。
「あら、兎さんよりも可愛い方が出てこられましたね。そんな所で立ってるならこちらに座りませんか?」
少女は私をじっと見つめてます。
警戒されているのですかね?
「あ、座る前に頭に付いている木の葉は払った方が良いですよ」
少女はハッとなり、慌てながら頭や法衣に付いている木の葉を一生懸命に払い落としています。
何だか可愛い子ですね。
その少女を見ている私の顔は自然と緩んできます。
「私、何か変?」
「いいえ、お茶でも飲みますか?」
少女はいそいそと私の横に腰を下ろす。
私の持ってきた茶器のセットにもう一つカップが入っているのでそれに持ってきたお茶を注ぐ。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます……」
少女はおずおずとお茶を受け取る。
私は少女に皿に盛ったクッキーも出す。
「これはクッキーでお茶請けですので、食べても良いですよ。私はヒルデガルド・オーデンスと申します。あなたは?」
「……アリア。アリア・ベルンノット……」
アリア・ベルンノット……何処かで聞いた名前ですね。
あ、確か去年、神殿に来た聖女様でしたか。
仕事柄、絡む機会が全く無かったのでお顔を拝見した事がありませんでした。
この少女が聖女様だとどうしてこんな所にいるのでしょうか?
「オーデンス?教皇様と一緒の姓?」
おや、母の事は知っている様ですね。
「はい。アナスタシア・オーデンスが私の母になります」
聖女様は私の顔をまじまじと見て、法衣を見て驚いた顔をしました。
「し、司教様だ……たのですか。ごめんなさい」
聖女様はいきなり私に頭を下げられました。
特に悪い事はしていないと思ったのですが。
「聖女様、お顔を上げて下さい。何かされたのですか?」
聖女様はふい、と目を逸らして口を尖らす。
何かやったのですかね?
「ハゲじじいに悪戯して逃げてきた」
ハゲじじいとは誰の事でしょうか?
神教の偉い男性の年配の方達は頭の砂漠化が深刻な方が多いですから特定が難しいですね。
でも聖女様に関わり合いがありそうな方だとボーデン枢機卿辺りですか?
「もしかしてボーデン枢機卿の事ですか?」
聖女様はこっちを見ず、脚を抱えたまま首を縦に振った。
それにしても悪戯とは何をしたのでしょうか?
「因みにどんな悪戯をしたのですか?」
「……今日は頭にゴキブリをたくさん投げつけた」
は?
ゴキブリを頭に向って投げつけるとか悪戯のレベルじゃないと思うのですが……。
それに今日はと言う事は何回もやってると言う事ですよね、これ。
最近、機嫌が悪いとは聞いていましたが原因は聖女様でしたか。
私がやられたら絶対泣く自信があります。
そもそもゴキブリをどうやって確保しているのでしょうか?
まさか自ら捕まえていたりしませんよね?
まぁ、私としてはあの方がやられる分には困りませんからいくらでも悪戯して頂いても構いませんけど。
「それでここに逃げてきたのですか?」
「うん。あのハゲじじいは私のお世話をしてくれるハンナさんをいつも馬鹿にするから」
あの方が馬鹿にするとなると亜人の方なのですかね。
確か南部の貧しい村の孤児院から来たと言ってましたね。
南部は獣人の方が割りと多い地域ですから人間至上主義の方とは合わないのかもしれませんね。
「今日はしつこく追ってきたから気付いたらここに出てきた」
「聖女様はお転婆さんなのですね」
「そう言われるの何か嫌。それと聖女様じゃなくてアリアでいい。聖女なんかなりたくてなった訳じゃないし」
彼女からしたらいきなり神殿に連れてこられて窮屈な生活を強いられてストレスが溜まってるんですかね。
「アリアちゃんはここでの生活は嫌ですか?」
「嫌。貧しくはないけど居心地が悪い。人を見下してる人ばかり。何でもそれが当然だみたいな言い方でムカつく。それに部屋からは勝手に出ると怒られるし……」
これはかなりあれですね。
あの方達は手懐けたいのでしょうが完全に逆効果になってますね。
クッキーを一個取って彼女の口まで持っていく。
「折角の可愛い顔が台無しですよ。クッキー美味しいですよ」
アリアちゃんはクッキーを手に取り、まるでリスの様に少しずる齧る様に食べる。
何と可愛いのでしょうか。
これを見てるだけで癒されます。
「司教様はここにいても大丈夫なの?」
「私は仕事の休憩です。私の部下は私が休憩を取らないと休憩を取らないんですよ。それだと身体を壊してしまうので、適当なタイミング休憩を取ってるんです。私の事はヒルダで良いですよ」
「……ヒルダさん?」
「よく出来ました」
私はアリアちゃんの頭を撫でる。
「ん……」
少し照れているのですかね。
本当に可愛いです。
「もし辛い事があったら私の所までお茶でも飲みに来て下さい」
「何か……教皇様みたい……」
「母……ですか?」
「うん、教皇様も同じ事を言ってた。でも忙しいから行くと迷惑になりそうだから……」
優しい良い子ですね。
「私の所は気軽に来て貰って大丈夫ですよ。部下もアリアちゃんが来るなら喜びますから」
確実に仕事の手は止まるのは確実ですが、こんな幼気な少女を放っておく訳には行きませんから。
「いいの?」
「えぇ、いつでも来て下さい。でも悪戯はダメですよ」
私が悪戯を優しく窘めると口を尖らせた。
「一緒にボーデン枢機卿に謝りに行きましょう?流石にその悪戯はやりすぎです」
アリアちゃんは私の法衣の袖をギュッと握る。
私は茶器を片付けると彼女も一緒に立ち上がった。
これなら謝りに行ってくれそうですね。
私としては謝らなくても良いのですが、教育上は悪い事をした後は嫌いな相手でも謝る必要があるでしょう。
取り敢えず、彼女を連れて謝りに行きましょう。
アリアちゃんと一緒にボーデン枢機卿に謝りに行ったら思いの外、向こうはあっさり許してくれました。
てっきり私に嫌味の一言や二言は言われると思ったのですがね。
寧ろアリアちゃんが大人しく言う事を聞いている事に安心している素振りでした。
不思議ですね。




