194:神教の者達
四隻の船がピル=ピラを出航し、西へと向かう。
ピル=ピラが面するファルネット貿易連合国の北に面するラダル湾は大陸で最も大きい湾で大陸有数の穏やかな海。
その為、船の往来も多く、交易が盛んだ。
ファルネット貿易連合国のラダル湾に面する領は西の大陸との貿易も盛んだが、ラダル湾での貿易が最も重要な位置付けを担っている。
ラダル湾の北東部の沿岸は非常に険しく、陸路での往来が難しい。
それに加えて大陸の北部を隔てる様に広がるエルフ達が治める大森林。
この二つが障害となって大陸北東部と陸路での往来がほとんど無い。
ファルネット貿易連合国の北に位置するバークリュール公国を抜け、エルフが治める大森林のあるキルナラ森林都市連合を通っていく行商がいない事も無いが、非常に稀である。
更に大陸北東部はファルネット貿易連合国やカーネラル王国がある大陸中央部では採掘量が少ない極硬鋼が多く採掘されている事も大きい。
極硬鋼は非常に強度が高い金属で武器や防具等に使われる。
その強度は神至宝鉱に次ぐ硬さだ。
ただ欠点もある。
極硬鋼非常に重く、魔力との親和性も低く、その硬さから加工も難しい。
なので一般的には強度は下がるが、|魔力との親和性が高く軽い精霊銀を混ぜて合金にして使われる事が多い。
その合金は鮮やかな深紅の色をしている事から赫靂鋼と呼ばれる。
大陸の中央部で流通している極硬鋼のほとんどはファルネット貿易連合国経由で入ってくる物だ。
極硬鋼以外の鉱石も豊富に採れる事もあって、非常に重要な貿易となっている。
そんな貿易が盛んなラダル湾を進む船は隊列を組み一隻の船を守る様に航行していた。
守られている一隻の船の一室で一人の男が難しげな表情で書類と睨み合っていた。
法衣に身を包んでおり、神教の者と直ぐに分かる。
見る者が見れば彼がそれなりの地位にある事が伺える。
法衣に刺繍されているラインは金と赤。
つまり大司教の地位にある自分と言う事だ。
彼が親善大使としてテルエレンシアへ派遣されたフランク・タウアー大司教である。
彼は神教内で外事担当の長として周辺諸国で行われる神教に関わる行事に関する運営や各種調整を行っていた。
神教に関わる行事と言っても神教普及が進んでいないファルネット貿易連合国にそう言う行事は無い。
外事担当は国で言えば外交的な側面も持っている。
今回の訪問はその役割が大きく、前教皇であるアナスタシアの時代からファルネット貿易連合国との交渉はフランクが行ってきた。
「私の担当とは言え、厄介な仕事だ……」
フランクは手に持った書類を読みながら薄くなった頭を気にする様に触る。
彼の頭頂部は仕事に来るストレスからかなり寂しくなっていた。
「全く……アナスタシア猊下が健在であればこの様な事態にはならなかっただろうに……」
フランクの手にした書類はファルネット貿易連合国から上がってくる神教に対する苦情をまとめた物だ。
内容の半分は神官達による不正に対する糾弾だ。
これはハデルが起こした合成獣事件を受けて行われた教会だけでなく神教に関連した全施設に対する監査の結果でもあった。
神教の内の腐敗は前教皇アナスタシアの時から大きな問題として挙がっていた。
アナスタシアはそれを正すべく改革を進めており、神官の不正や汚職はかなり減っていた。
しかし、ボーデンが教皇になってから監視の目が緩んだ。
これは一つの懐柔施策で、カナリス派に付く神官の一部はアナスタシアが行う改革の反対派だからだ。
不正に対する監視の目が緩んだ事に気が付いた愚かな神官達がまた不正を始めたのである。
「これは言い訳も苦しいな……」
苦情をまとめを見ながらフランクは気が重くなる。
「こっちは……厄介だ……」
次に目に入ってきたのは神教の布教に対する認可の取り消しを求める声が議会から挙がっている事についてまとめられていた。
「あの様な事があれば当然か……」
フランクも合成獣事件の概要については当然把握している。
ハデルと言う神父の暴走となっており、この様な事件が起これば当然の訴えとも言える。
フランク自身は身内の暴走とは言えどう謝罪したものかと頭を抱える。
「これ程の不祥事であれば教皇が謝罪に出向くのが筋だろうが……」
これだけ大きな不祥事であれば大司教と言う立場であるとは言え、トップの謝罪で無ければ許しを得られないとフランクは考えていた。
実際の所、ファルネット貿易連合国の首長陣は教皇の謝罪等求めていない。
布教活動を許可したものの神教関係者の不正は多く、神教を追い出す口実を探していた。
そう言う意味ではこの不祥事は都合が良かった。
フランクは書類をテーブルの上に置き、客室の扉に目を向ける。
寝泊りしている船内の客室の前には騎士が二名、護衛として立っている。
「護衛と言う名の監視か……」
護衛と言いつつボーデンの命令に忠実な第四騎士隊の騎士をフランクは信用していない。
フランク自身、前教皇アナスタシアの殺害はボーデンの命令で第四騎士隊がやったのでは無いかと思っているからだ。
彼は教皇殺害犯がアリアでは無いと思っている人物の一人でもあった。
フランクもアリアの冤罪を信じて影で色々と調べまわっていたが、冤罪である確たる証拠は見付けられなかった。
深淵の寝床からアリアが逃げたと言う話を聞いた時は表には出さないが、喜んだ。
「さて、向こうで何事も無ければ良いが……」
一抹の不安を覚えながらフランクを乗せた船は進む。
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その頃、聖地ヴェニスの神殿では法衣に身を包んだ妙齢の女性が書類を見て深い溜息を吐く。
その書類を他の書類とは別にして他の書類へサインしていく。
「どうしてこうなったのかしら……」
筆を机に置いて天を仰ぐ。
神教の枢機卿の一人であるマイリア・ベルデン、前教皇アナスタシアの側近であり、種族融和派の筆頭である彼女は書類仕事に忙殺されていた。
ボーデンが教皇になってからマイリアはこれまで担ってきていた権限の半分以上を取り上げられ、直属の部下であった内務や出納を管理する大司教、司教をカナリス派の者へ変えられ、マイリアの側近であった部下達は閑職へと追いやられていた。
それなら忙殺される事なんて無いと思うかもしれないが、神教に関連した不祥事の後始末を押し付けられており、その対応に四苦八苦しているのだ。
「アナスタシア様の代わりは私には務まらないわ……」
マイリアは種族融和派の筆頭ではあるが、アナスタシア程の求心力は持っていない。
それが前回の教皇選で痛い程、理解していた。
アナスタシアは教皇でもあるが、神教にとって大悪魔である煉獄のアスモフィリスを封印したと言う大きな偉業を成し遂げた英雄でもあり、マイリアにはそう言う箔が無かった。
教皇選は選挙の投票権を持つ神官の割合で言えば人間至上主義のカナリス派が過半数に届く勢いで残りの半数が種族融和と中立派となっており、種族融和派にとっては非常に不利な戦いだ。
アナスタシアはそれを覆した。
それ程までにアナスタシアの影響力が大きかった。
マイリアは机に向き直り別の書類を手に取る。
それはアリア達の動向を密偵に調べさせた物だ。
「ヒルデガルドはアリアと一緒なのね……。そう言えばあの二人は仲が良かったわね。それよりもこれはどう言う事かしら?」
マイリアは報告内容を見てどう理解するべきか迷う。
それはピル=ピラでのアリアの義母であるリアーナについてだ。
「青白い炎を操る……青白い炎……」
マイリアはその報告を見て思い出す。
「それって、あの煉獄の大悪魔じゃ……」
浮かび上がるのは大陸で猛威を振るった大悪魔である煉獄のアスモフィリスの姿だった。
彼女はアスモフィリス討伐隊に参加しており、その力を直に見ていた。
「あれはアナスタシア様が封印した筈……」
マイリアはアスモフィリス封印に関する真実は知らない為、深淵の寝床に封印されていると思っている。
アスモフィリスの封印に関してはアナスタシアとアスモフィリス本人しか知らない。
ただ一つ、思い当たる事があった。
「アリアと共に逃げた悪魔がアスモフィリスだった……?」
実際はカタストロフの力を使ってアリアが封印を破壊した訳だが、そんな事を知る由も無い。
ただ悪魔が封印されている魔剣が三本紛失している事は知っていた。
「そうするとアリアは悪魔と一緒に逃亡して悪魔の力を得ている可能性があると言う事?」
マイリアは何故、その可能性を考えなかったのか?
力の無いアリアが封印を破るには悪魔を頼るのが一番の近道であろう事は明白だ。
そして深淵の寝床には百を超える悪魔が封印されているのだ。
でも解せない事があった。
「リアーナ・ベルンノットは経歴がはっきりした人物で悪魔との契約者とは考えにくいわ。もしそうだとしたらアナスタシア様が養子の許可なんて出す筈が無いわ」
アスモフィリスが使う獄炎の能力の使用はアリアではなくリアーナなのだ。
悪魔狩りの筆頭だったアナスタシアが見極められない筈が無いのだから。
マイリアの頭の中に中途半端に見つかるパズルのピースが並べられる。
「ダメだわ……。全く意味が分からないわ。アリアの母親が悪魔の契約者なんて有り得ないわ」
現実はマイリアの想像とは逆でリアーナとアスモフィリスが融合しかけている。
まとまらない頭で別の報告書を見る。
「でも悪魔がアリアに絡んでいるのは間違い無さそうね」
マイリアが手にした報告書にはピル=ピラで目撃されたバジールの事について書かれていた。
運悪くハンナとスラムの住民の避難誘導している時に密偵に目撃されていたのだ。
神教にとってバジールは何としても封印したい悪魔の一人。
「砂塵のバジール……悪魔王カタストロフ配下の悪魔でメッセラント中心に目撃情報が挙がってはいたけれど……何故、アリアと一緒に行動を?」
不可解な事ばかりで思考がまとまらない。
「それにカーネラル王国の騎士が密偵として接触しているのも気になるわね。それに道中あの放浪の魔王が同行していたと言うのが謎ね。アリア達には接触はしていない様だから目的が読めないわ」
マイリアは何らかの意図があって接触したと考えているがミレル達とカトリーヌの遭遇は完全な偶然である。
「アリアの目的は復讐……よね……」
マイリアは手にしていた書類を置き、別の書類を手に取る。
その手にはピル=ピラで起きた神父ハデルが起こしたとされる合成獣事件の報告書があった。
そこには無惨な状態で発見されたアリアと同じ孤児院出身の神官サリーンの事が書かれていた。
マイリアは神父ハデルがサリーンを殺害したとしてもこの様な無惨な殺し方をする様には思えなかった。
報告書にはハデルが行った実験の詳細が書かれているが、それを見る限りは非常に賢く、無駄な事はしない人物に見えたのだ。
嬲りながら殺すよりも実験に回す方が始末方法としてはしっくり来る。
そして何よりもサリーンに恨みを持つ人物がハデル達と相対しており、同じ街に滞在していた事だ。
アリアが拘束された状況はマイリアもよく知っている。
アリアがサリーンに憎悪を抱いていたとしても不思議では無い。
「あんな事をする様な子じゃ無かったのに……」
マイリアの目には少なからずサリーンがアリアを嵌める様な人物には思えなかった。
同じ孤児院出身でまるで姉妹の様な二人だった。
ただマイリアにはサリーンの心の奥底に潜む暗い感情に気付く事が出来なかった。
そしてマイリアの中ではアリアは無邪気で可愛い存在のままだった。
だからこそアリアが相手を甚振る様な殺し方をするとは到底思えなかったのだ。
マイリアの窓から遠くを見る。
その表情には疲れ以外に深い悲しみを帯びていた。




