192:ミレルの憂鬱
「はぁ……」
ミレルは馬車の中で重い溜息を吐いた。
貴族が乗る様な馬車によく知っている顔の使用人と一緒に乗っていた。
シルヴァラは大きさ的に乗れなかったので馬車の後ろを付いていく形になっている。
「ミレル様、溜息ばかり吐いてますと幸せがお逃げになりますよ」
溜息を吐くミレルに身形の整った使用人の女性、エマが窘める。
ミレルが溜息が出る原因はいくつもあった。
ヴィクトルへの報告が終わりグラーヴァと分かれた後、マグダレーナに捕まったりしながら第五騎士隊の詰所へ顔を出し、騎士隊の宿舎へ戻ると豪華な馬車が一台停まっており、エマがミレルを出迎える様に待っていたのだ。
エマは既にミレルの部屋の荷物を空間収納のカバンへ仕舞い込み、引越しの準備を終えていたのだ。
これはヴィクトルが手を回していたと言うのが大きい。
それに加えて第五騎士隊の詰所で足止めを食らったと言うのもある。
実はヴィクトルがミレルが第五騎士隊の詰所へ戻る前に第五騎士隊の面々にグラーヴァの素性は言わなかったが、求婚している人物がいる事を教えたのだ。
女性の集まりである第五騎士隊の面々がそんな面白い情報を聞いてミレルに何も聞かない事など有り得ない。
ミレルが足止めされている内にベルンノット侯爵へと話を通し、使用人達が来てあっと言う間に荷造りをしてしまったのだ。
「分かってます。それにしても準備良すぎですよ……。殿下も人が悪い……」
ミレルでも下手人は容易に想像出来た。
寧ろヴィクトル以外にいない。
「ミレル様の想い人のグラーヴァ様はお先に案内しておりますので、戻ったらご夕食の準備が直ぐに出来ると思います。部屋にあるお召し物をご自由にお召しになって下さい。ドレス等はアレクシア様からのプレゼントだそうです」
ミレルはエマの言葉に頭を押さえる。
どうしてこんな事になっているのかと。
ミレルが着るドレスは元々、アレクシアやルクレツィアがミレルをお茶会に呼ぶ為に作らせた物だった。
ミレルが持っているドレスではベルンノット侯爵家ならまだしも王宮のお茶会へ出向くには不足だからだ。
名義はアレクシアだが、王妃や側室も噛んでいるのでミレルが想像している以上に品の良いドレスが送られていたりする。
「平民の私の胃をボロボロにしたいのかしら?アリアちゃんが屋敷に来た時の気持ちがよく分かるわ……」
きっとアリアも同じ事を感じたのでは無いかと思うミレル。
「でもこれから大変ですよ。リアーナ様やアリア様の様子を知っているのはミレル様ぐらいなので暫くは質問攻めになるのは覚悟して下さい」
ミレルはエマの言葉に肩を落とす。
王都にはアリアとリアーナの近況を知りたくてミレルを心待ちにしている者がたくさんいるのだ。
「私が把握しているだけでもマグダレーナ様に当主様、クラウディア様、アイリア侯爵夫人、アイブリンガー伯爵……」
「ちょ、ちょっと待って!?私が知らない方がいたわよ!!」
ミレルはエマが挙げていく名前に面識の無い貴族の名前が挙がり声を上げる。
「マグダレーナ様、当主様、クラウディア様は招待状をヴィクトル殿下からお受けになっていると聞いておりますから他の方々ですね。アイリア侯爵夫人はリアーナ様の学友でして、元々はエペルレーズ家のお方です」
ミレルはエペルレーズ伯爵家の人間とは全く繋がりは無いが、カーネラル一の脳筋貴族と言う噂を聞いた事があった。
そしてアイリア侯爵夫人であるコルネリアはディートリント、つまりベリスティアの実の姉でもある。
だがミレルはベリスティアの正体は知らない。
「アイブリンガー伯爵もリアーナ様の学友です。ミレル様お一人では大変だと思いますので、マグダレーナ様以外の貴族の方々のお茶会へ参加される時は私が侍女としてお供します。それとアレクシア様かクラウディア様のどちらかが同行して下さいます。お茶会と言っても貴族同士の陰険な物では無く、リアーナ様とアリア様のご様子をお聞きするだけなので特別な気を張る必要はございません」
エマに加えてアレクシアかクラウディアが付き添ってくれる事に安堵したが、気を張るなと言われても無理があった。
ミレルはふと気が付いた。
「マグダレーナ様のお茶会って、同僚の騎士に囲まれながらじゃ……」
「それはさもありなんですね。そもそもミレル様の所属を考えれば当然なのでは?」
第五騎士隊にはリアーナを慕う者が非常に多い。
強さに憧れる者からその凛々しさに惚れる者まで様々ではあるが。
側室であるマグダレーナに招待されているお茶会の護衛を決めるのはかなりの波乱を呼んでいたりする。
誰が護衛するかで大揉めだったのだ。
それだけリアーナやアリアの事を心配しており、近況が気になっているのである。
ミレルは知らないがそこに王妃であるルクレツィア、もう一人の側室であるグレース、王女であるアイリスも参加するので当日はミレルの胃が無事かどうか怪しい物である。
「リアーナ様はモテるからな~。アリアちゃんもリアーナ様が可愛くなるから人気があるし……」
第五騎士隊の面々は何かしらの用事でリアーナの屋敷に出向く時がある。
その時にリアーナがアリアと一緒にいると、普段は凛々しいリアーナがデレッデレにアリアを可愛がる姿が見られるのだ。
第五騎士隊の面々はその光景にギャップ萌えでやられてしまうのだ。
「アリア様といると普段見られない表情をしますから」
エマは小さい時からリアーナを知っているし、それ以上に過去の辛い出来事も知っているのでアリアを可愛がる姿は見ていて微笑ましかった。
「本当よね。でもアリアちゃんに会って少し不安な所があったのよ……」
表情を暗くするミレルにエマは何があったのか気になった。
「アリア様に何かあったのですか?」
「向こうで事件があった時、リアーナ様が大怪我をされて……一応、無事で今は元気なんだけどその時のアリアちゃんが昔より情緒不安定な感じで……」
ミレルが気にしているのは必要以上にリアーナの傍にいたり、些細な事で感情を露にする姿に心配を覚えたのだ。
屋敷に住んでいた頃はこんなに感情の起伏が激しく無かったからだ。
元々明るい性格と言う印象が有り、割とはっきりと感情を表しているが、負の感情が顕著に表に出て来ているのが気に掛かったのだ。
ミレルの印象では昔より精神的には幼くなっている感じを受けていた。
それはまるで昔の自分を見ている様な錯覚を覚えるぐらいに。
「……やはり幽閉されていた時の所為では無いでしょうか?」
エマは原因がそれしか思い当たらなかった。
アリアが深淵の寝床へ封印されている時の状況はアスモフィリスから多少なりとも聞いていた。
「私もそう思うわ……。元々、神教を信仰していた訳じゃないけど……教会を見ると怪しい事をしているんじゃないかって、猜疑の目で見てしまうわ……」
「分かります……。聖地であるヴェニス周辺はあれですが、王都ではアリア様の冤罪を信じている者が多く、神教離れが徐々に進んでいますし……。でもミレルさんはミルマット出身と言う事はリネティスの民に近いのでは無いですか?」
ミレルは首を横に振る。
「ミルマットはリネティスに近い地域だけど、ファルネットに近いし、神教にどっぷりと言う人は意外と少ないのよ」
元々カーネラル王国の北東部であるヴェニスの一帯はリネティス神教国と言うアルスメリア神教を国教とする宗教国家だった。
そう、単なる隣国でしか無かったのだ。
だからアルスメリア神教の聖地があるにも関わらず、カーネラル王国は国教をどの宗教にも指定していない。
今から二百年程前、リネティスを治めるアルスメリア神教の教皇が私利私欲に走り、国家が財政難に陥った。
破産寸前だったリネティス神教国はカーネラル王国へ泣き付いたのだ。
最初は資金援助を申し入れたのだが、当時の教皇の散財、放蕩ぶりはカーネラル王国も知っており、首を縦に振らなかった。
資金援助をしても教皇が私腹を肥やすだけだと思ったからだ。
無理にカーネラル王国へ頼らず、神教の身近な支援国家であるガル=リナリア帝国かランデール王国に支援を求めれば良いと誰しもが思うが、この財政難の時、ガル=リナリア帝国では帝都の近くの川が大氾濫を起こし、帝都だけでは無く多数の街の復興の為、支援が出来なかった。
ランデール王国も未曾有の不作に見舞われ、それ所では無かった。
そんな状況下で国庫に余裕がありそうに思えたのがカーネラル王国だった。
実際の所、カーネラル王国はランデール王国に近い北西部では不作に見舞われ、リナティス神教側が思っている程、余裕がある訳では無かった。
当時のカーネラル国王はリナティス神教国の財政状況を把握しており、国家としてはいつ崩壊してもおかしくない状況と言うのを知っていた。。
それを盾に吸収を要求した。
現教皇の辞任、政治への不干渉等の取り決めを前提に神教のみで運営出来る様に資金援助をする事にしたのだ。
こうしてヴェニス一帯がカーネラル王国へと吸収されたのである。
「そう言えば最近の王都はどう?」
ミレルは一月以上も離れていたので何か変わった事が無いか気になった。
「特に大きな事件も無く平穏ですよ。そう言えばアイリア侯爵夫人の実妹であるディートリント様が行方不明になったと噂で耳にしました」
ミレルは聞いた事が無い名前だったので首を傾げる。
エペルレーズ家の噂は知っていてもエペルレーズ家の人間と会った事は無い。
「ディートリント様もリアーナ様との交友があった方でミレル様の二つ下で騎士隊に入られておられたとか。双剣の使い手で滅法、お強く、流石、エペルレーズの方です」
ミレルは双剣と聞いたパッと顔に浮かんだのはピル=ピラで一緒に戦ったベリスティアだった。
長剣とソードブレイカーを使った技は非常に印象深かった。
「リアーナ様と一緒にいたベリスティアって言う魔族の人は双剣使いだったわね」
今思えば立ち振る舞いも冒険者とは思えない程、礼儀を知っており、アリアやリアーナの傍にいる時はいつも一歩下がって付き従う姿はまるで騎士の様だった。
それに加えてDランクでは有り得ない実力を有している所も怪しく思える。
しかし、ミレルにはベリスティアが魔族と思っていたので貴族であるとは考えなかった。
「エペルレーズ家は混血とは聞いた事がありませんね」
魔族が貴族になれない事は無いが、ヴェニスに近い領を預かるエペルレーズ家の人間が魔族と言う事は有り得ないと思ったからだ。
神教の地位のある者に亜人はなれない。
長年続いた慣習みたいな物だ。
神教を信仰する貴族が魔族と言うのは考えにくいのである。
「リアーナ様と一緒に何度かお会いした事がありますが、くすんだブロンドヘアーなので別人だと思いますよ。魔族の方だと白髪赤眼が特徴ですから」
「そうよね。微妙に特徴が似ていたからつい……」
「でもリアーナ様が信頼されてお傍に置かれると言う事は以前にお付き合いのあった方なのでしょうか?」
エマはそのベリスティアと言う女性がどの様な繋がりを持つ者なのか気に掛かった。
「言われてみればそうね。リアーナ様も冒険者の知り合いは何気にいるし、立場もあったからその繋がりじゃないかしら?」
言われみればミレルの言う可能性は高い。
「アリア様と一緒で、となるとかなり信頼が厚いと感じます。その様な方をミレル様も私も知らないと言うのがどうも気になります」
リアーナのアリアの溺愛ぶりを知っているとそこら辺の冒険者では無いのは明白だ。
「もしかして……」
エマは別の可能性に思い当たった。
アスモフィリスとバジールと言う二人の悪魔の存在だ。
ベリスティアが悪魔であれば説明が付くのでは無いかと考えたのだ。
例えばアスモフィリスの眷属の様な存在だったらと。
「エマさん、何かあった?」
考え込むエマにミレルは何か気付いた事でもあったのかと思った。
「いえ……何も」
エマは悪魔の事は当然、知っているがこの事を知られる訳には行かないので知らない振りを装う。
「リアーナ様はお顔が広いですから信頼出来る方がいたのかもしれませんね。私が知らなくても守って頂ける方が多いのは嬉しい事です」
エマはさっと話を逸らす。
「それは私も同感ね。彼女、普通に強かったし」
ミレルの見立てではAランク上位からSランクと言った所だと感じていた。
「それなら尚安心です。おや、そろそろお屋敷に着きそうですね」
馬車の中で話し込んでいたら既に屋敷の近くまで来ていた。
「本当に早いわね。この屋敷で生活なんて大丈夫かしら?」
途中から話に集中していて忘れていたミレル。
「大丈夫です。アリア様だって普通に過ごされたのですから」
気休めにしかならないが、アリアが大丈夫なら自分も大丈夫だと信じるしか無いだろう。
こうしてミレルは新たな家に引っ越した。




