187:カヤとフルフル
夜の帳が下りて闇に隠れて動く影が一つ。
リゾートビーチがある場所とは正反対の位置にする一角。
繁華街から離れた地元民が住む場所。
正確に言うなら貧しい者が住まう場所だ。
コルドバーナの繁華街は不夜城と呼ばれるぐらいに賑わいがあるが、ここは静寂が支配している。
影は通りを静かに進んでいく。
警戒をしながらも周囲から不自然に思われない様に。
とある一軒屋の前で足を止める。
玄関の扉を一定のリズムと回数で叩く。
そうすると玄関の扉が開いて中から冴えない感じのやつれた男が出てくる。
「入んな」
男は静かに告げる。
家の明かりで影が明らかになる。
黒目黒髪で独特の反りを持つ刀を指した女の顔が露になる。
男に促され家へ入る。
出迎えた男は玄関の扉を閉めて鍵を掛け、手近な椅子に腰を掛けて、彼女の事など気に留めていない様子。
彼女は男の事を気にせず奥の部屋へと進む。
「どうぞ。入って下さい」
彼女が扉の前に来たと同時にあたかもその目で彼女が来るのを見ていたかの様に入室を許可する声が聞こえてきた。
彼女は躊躇う事無く扉を開けて部屋の中で寛ぐ人物を強く睨んだ。
「カヤさん、どうしましたか?遠い所からご苦労様です。と言っても私もなのですが」
カヤの視線を意に介さない声に少し苛立ちを覚える。
手近な椅子に座り、言葉をぶつける。
「フルフル、監視対象に接触したのは何で?」
フルフルは隠れてアリア達と一緒な船に乗っていたのだ。
その時に監視対象であるアリアと一緒にいた所を見ていた。
カヤは気付かれない様にそれを監視していた。
「その事ですか……」
フルフルは如何にも面倒そうな雰囲気を隠そうとしなかった。
「偶然です。偶然。船酔いで気持ち悪くて吐こうとしたら偶々、鉢合わせただけです」
「それにしては仲が良い」
カヤの言葉に心底面倒な顔をした。
「だからどうだと言うのですか?揉めるより良いでしょう?あなたはあそこで私とアリアが争う事を望んでいたのですか?」
「そうは言ってない。フルフルらしくない。敵ではないけど、心から楽しそうに話しているなんて変」
カヤの言葉にフルフルは不快になった。
まるで見透かされているみたいで。
しかし、カヤは違和感を感じているだけでフルフルの内情は全く知らない。
「あなたの仕事の邪魔はしてないでしょう?それに百年も生きていないあなたが私の事を知っている様に言うのは不快です」
フルフルはいつもの柔和な表情から鋭い物へと変わる。
「違和感を感じただけ。邪魔をしなければそれで良い」
カヤも流石に怒らせるのは拙いと感じて引き下がる。
イリダルからはフルフルに関しては扱いを注意する様に言われていたのを思い出した。
「あなたの仕事の邪魔はしませんよ。ただその仕事の意味を理解していないのは少し滑稽ですが」
フルフルは仕返しと言わんばかりに零す。
「何を言っているの?」
カヤは含みのある言い方に問い返した。
「まぁ、あなたは知らなくても困りませんから。それに私から話す事でもありませんし」
フルフルの言葉でカヤは聞くべき相手が違うと言う事が分かった。
そして答える気が無いのは明らかなので無駄な事はしない。
カヤは戸棚から適当なグラスを持ってきてテーブルに置いてあるワインを注いで飲む。
酒を飲みなれていないカヤは少し顔を顰める。
「あら、お酒の経験が少ない様ですね。それならこっちのお酒にしなさい」
フルフルはそう言って後ろの戸棚から取り出したのは白ワインだった。
テーブルに置いてあったのは赤ワインだ。
カヤは慣れない赤ワインの渋みがダメだったのだ。
「貰う」
カヤは新しいグラスにフルフルが出してきた白ワインを注いで一口。
「飲みやすい」
「白ワインは葡萄の実だけしか使ってません。赤ワインは皮も一緒ですから。慣れるとこの渋みも良いのですが、子供のあなたには早かった様ですね」
カヤはフルフルの言葉に歯噛みするが、実年齢で言えば十八歳なので否定しにくかった。
「それよりもあなたに注意しておく事があります」
フルフルが改まって言うとカヤは何の事だろうか、と思い当たる事を探るが思い当たる事は浮かばなかった。
「何?」
「アリア達についてです」
フルフルはカヤに事前に教えておくべき事があった。
「接触して分かりましたが、アリアとハンナにヒルデガルドは悪魔との契約者です」
カヤは予想外のフルフルの言葉に驚きを露にした。
「聖女なのに?」
「そんなの関係ありません。リアーナとベリスティアは悪魔です」
淡々と告げるフルフルの言葉に驚きを隠せないカヤ。
「それはおかしい。リアーナ・ベルンノットは経歴がはっきりしていて裏付けが取れている。悪魔と言うのは有り得ない。それにフルフル、何故分かる?」
知らない者からすれば素性が不明なベリスティアはまだしもリアーナは歴としたベルンノット侯爵家で生まれ育った人間だ。
悪魔と断定する材料が無い。
素性に関してはイリダルが調査しているので間違いがある様に思えなかった。
「それは秘密です。ただ悪魔なのは間違いありません。情報として受け取っておけば良いだけです。あなたも人間を越えた彼女の実力を見たでしょう?」
カヤはフルフルの言葉にリアーナの異常な強さを思い出す。
人としてあの境地に辿り着けるとは思えない強さだった。
あの規格外の強さが悪魔であれば納得出来てしまう。
釈然としなかったが、フルフルの言葉は強ち的外れとは言い難かった。
「くれぐれも用心して下さい。何処かのタイミングで接触するのでしょうから」
「分かった。フルフルはこれからどうするの?」
「私は少ししたら先にテルエレンシアに向かいます。向こうでの下準備も必要でしょう」
フルフルは暗に移動先での下調べとセーフハウスの確保をすると言ったのだ。
しかし、カヤにはどうも違和感が拭えなかった。
だが聞いた所で話す様な相手では無いと分かったので飲み込む事にした。
「分かった。私は向こうが移動するまでは簡単な依頼をやって過ごすから。これが宿の場所」
カヤはフルフルに宿の場所と名前を書いた紙を渡す。
「あら。意外とお高めの宿なのですね。ここは冒険者ギルドの宿が微妙ですから仕方がありませんか……」
コルドバーナにも当然、冒険者ギルドは存在する。
だが併設されている宿は部屋数が少なく常時一杯なのだ。
理由は単純に冒険者ギルド近くの場所の確保が難しいと言う事。
それに加えて観光者の護衛依頼が多い事もあり、雇い主と同じ宿に泊まる事も多いので需要が物凄く多い訳では無いのだ。
更にコルドバーナがリゾート都市と言う事もあり、多数の宿がひしめく街だ。
冒険者ギルド併設の宿が空いていなければ代わりの宿がいくらでも見付かる。
そんな訳で足りている訳では無いが、どうしても増やさなければ行けない程の理由も無いのだ。
「行ったけど全部埋まってた。どうせだから一日ぐらいは海で遊ぶつもり」
カヤの言葉にフルフルは何処か意外だった様に笑った。
「ふふっ。それも良いと思いますよ。ここへ来て遊ばないのは勿体無いですから。私も多少は遊んでますから」
カヤは目聡く赤くなったフルフルの手を見て思った。
あぁ、日焼けする程遊んだのかと。
「私もそう思う。話はもう終わり。私はもう行くから」
フルフルはグラスに残ったワインを飲み干す。
「あら、別に泊まって行っても良いのですよ?」
「誰が見ているか分からないから暗い内に帰る」
「そう。何かあったら連絡します」
フルフルはカヤの反応に詰まらなさそうに肩を竦める。
「分かった」
カヤは短い言葉を返して、部屋を出る。
家の出口の扉がある部屋には男が座っているが、特にカヤの事を気にする素振りを見せない。
カヤは勝手に鍵を開けて宿へと戻った。
カヤを見送ったフルフルはソファーに沈めながら赤ワインを一口。
「それにしてもあの子を監視に使われると面倒だなぁ……」
フルフルは投げやりな口調でぼやく。
人がいない所では丁寧な言葉遣いはしない。
そもそもこちらが彼女の素である。
「意外と勘が鋭いから面倒……。イリダルも私に子守を押し付けんなっての……」
子守とはカヤの事だ。
カヤには特殊な事情があり、危険な仕事は極力、回さない様にイリダルが配慮しているのだ。
カヤ本人は非常に戦いが好きな性分だが、それを危うく感じているイリダルがそれとなく危険から遠ざけており、フルフルはその事を本人には内緒と言う事で教えられていた。
「面倒とは言ってもイリダルのお陰でこれの出所が分かったから文句は言えないんだけど」
そう言って懐からアンプルを取り出す。
ラースが変貌した薬が入ったアンプルだ。
フルフルの目が険しくなる。
思わずアンプルを持つ手に力が入る。
「あー、やめやめ。事態はまだ動かないんだし焦ってもダメダメ」
フルフルは入っていた力を抜いて、忘れる様に頭を振る。
成し遂げねばならない事はあるが、焦りは禁物。
自らにそう言い聞かせる。
「明日は気晴らしにショッピングにでも行こう」
ここで特にやる事が無いフルフルは頭を切り替えて観光に思考を巡らす。




