180:朝食での出来事
この日は久しぶりに全員が揃って朝食を摂っていた。
それまではヒルデガルドがグラーヴァから頼まれていたミレルの剣を打つ為に工房へ泊り込んでいたり、マイリーンはガルドに行っており、一週間程の間ではあったが、何度かガルドの家に泊まっていたりと中々、全員が揃うタイミングが無かった。
マイリーンに関しては誰も茶化す事無く温かい目で見守られていた。
実際に子共っぽい揶揄いをしようとしたのは一人いたが、保護者によってしっかり阻止されていた。
それはアリアなのだが、ちょっと最近構って貰えてない寂しさからそう言う言動に出たのだ。
マイリーンの事情はあったが、いつも独り占めしていたので自分の所にいない時間が増えると何となく寂しさが生まれたのである。
だがアリア自身、マイリーンがガルドと一緒にいる事を嫌がっている訳では無い。
寧ろ好ましいと思っている。
合成獣となってしまったマイリーンの姿を嫌がる素振りを見せる所か物凄く大切にしているのは見ているだけで分かり、マイリーンが結婚するならガルドが一番言いと思っているのだが、自分の所から離れてしまうのは寂しくて嫌なのだ。
それでも揶揄う程度で我儘を言っていないだけマシとも言える。
そんなアリアは甘味多めの朝食を黙々と食べている。
ただその食べ方は少し行儀が悪い。
今日の朝食は野菜サラダ、スクランブルエッグ、炒めたスライスベーコン、それにパンケーキと牛乳なのだが、食べ方に問題があった。
初めにベーコンをナイフで細かく刻んでスクランブエッグと一緒にドレッシングの掛かった野菜サラダと混ぜて食べるのだ。
野菜サラダだけだと味気無いので試しにやってみたら美味しくて偶にやるのだ。
「アリア、その食べ方はよく無いぞ」
リアーナがやんわりと注意をする。
基本的に出てくる料理を混ぜ合わせるのは一般的にマナー違反だ。
「……だって……こっちの方が美味しいんだもん……」
何度も繰り返されてきたやり取りだ。
リアーナは貴族としてしっかりマナーを叩き込まれているのでアリアがしている様な食べ方に抵抗感が強かった。
アリアの食べ方はどうしても混ぜる時にカシャカシャと音が鳴ってしまう。
それがはしたなく感じるのだ。
「私もその食べ方は擁護出来ませんね。その食べ方は作って頂いた方に失礼ですよ」
マイリーンも食事のマナーには五月蝿い方だ。
平民ではあるが、食堂の娘として料理を混ぜ合わせる行為には拒否感があるのだ。
この状況でアリアの味方はいない。
「アリアちゃん、周りに人がいる所ではダメですよ」
「そうですね。外では他の人の眼があるので……」
リアーナを援護するのはヒルデガルドとベリスティアだ。
どちらもマナーをしっかり躾けられて育ったのでアリアの食べ方には抵抗が強い。
アリアはじっとハンナに助けを求める。
黙々とメイプルシロップを掛けたホットケーキを頬張って朝の至福の一時に浸っており、アリアの視線に気が付かなかった。
ハンナが気付いたとしても味方をしてくれるかと言うのは微妙な所だ。
「……美味しいんだもん……」
アリアは小さい声で心ばかりの抵抗をする。
マナーが悪い食べ方だと言うのはアリア自身も分かっている。
これでもベルンノット侯爵家の教育を受けた身である。
でもアリアにとってこの食べ方は一つの楽しみだったりする。
特別な高級な味がする訳では無い。
本当にシンプルな料理を混ぜただけなのだが、これがアリアにとって美味しいのだ。
もそもそと出来上がった物を口に運ぶと安心の美味しさが口に広がる。
それと同時に皆からこの事で責められる事が納得が行かず、器用に食べながら口を膨らませる。
そして食べ方も雑になる。
乱暴にフォークを刺して口へ運ぶ。
その様子にリアーナは困った表情を浮かべた。
同じ様にマイリーンも同じ様な顔をすする。
アリアの様子からしてこれ以上言えば完全に拗ねてしまうのを知っているからだ。
昔は注意された事は割と素直に聞いていたが、神殿から脱出してからは我慢が効かない。
ある意味、今のアリアは十六歳にも関わらず十歳の時より精神的に子共だ。
昔のアリアでもここまで聞かん坊では無かった。
今が異常なのだ。
リアーナも余り甘やかしすぎてはいけないと思いつつも何処まで叱っていいのか加減が分からない。
こんな時はマイリーンが、と思うかもしれないが、本当にやってはいけない事で無い限りはキツく叱る事は無い。
それに加えてアリアの様子を見て叱っても大丈夫かをしっかり見ている。
今のアリアは迂闊なタイミングで叱れば余計に聞かなくなる。
それどころかマイリーンに食って掛かる事もあるぐらいだ。
沈黙が続く中、アリアは器を掴んでフォークでがっつく様に掻き込む。
態度が悪化しているアリアに困り果てる面々だった。
アリアからすればマナーは悪いかもしれないが、そのぐらい良いじゃないかと思っているのだ。
お屋敷にいる訳でも無いのにそこまで気にする必要は無いと考えているからだ。
「ア、アリア、せめて落ち着いて食べよう。な?」
この状態のアリアに注意するのは非常に危うい。
リアーナもそれを分かっていて注意するのをやめて優しく宥める。
これでもアリアは感情を抑えているのだ。
リアーナ達に当たらない様に別の物に当たっているのである。
アリア自身、自分の感情をコントロール出来ていないのは全く分かっていない訳では無いのだ。
だがどうしうても湧き上がってくる感情が抑えきれない。
「アリア様」
甘味に夢中になっていたハンナが呼び掛けるとアリアのがっつく手が止まった。
「ふぁひ?」
アリアは機嫌悪そうに口に食べ物を入れながら聞き返す。
ハンナはそっと自分の皿の片隅からあある物をそっとアリアの目の前へと置く。
アリアは一瞬、怪訝な目で差し出された物を見たが、それの正体が分かると目が釘付けになる。
「良いの?」
アリアの機嫌の悪さは鳴りを潜め、本当に貰って良いのか聞き返す。
「はい。まだ二皿確保しておりますので大丈夫です」
アリアの表情は一気に明るくなり皿の物を口に含むと一気に幸せそうな表情を浮かべた。
リアーナがハンナに目線で感謝を伝える。
アリアの機嫌を直したのは朝食限定の特製パンケーキだった。
普通のパンケーキはペタンとした物だが、特製パンケーキは厚みがあってふわふわとした触感で大人気の一品なのだ。
因みにハンナはこれを食べる為に早起きして食堂に行って確保していたりする。
早起きが苦手なハンナが頑張るぐらい美味しいのだが、アリアは中々食べる事が出来なかった。
それが数量限定と言うのもあったが、甘味に関してはハンナはそう簡単に分けてくれない事もあった。
食べようと思えばアリアも早めに食堂に行って確保すれば良いのだが、ここ最近は夢見が良くない事もあり、起きるのが比較的遅かった。
ハンナはご機嫌斜めのアリアのご機嫌取りにここぞとばかりに差し出したのだ。
その結果は見ての通り効果覿面である。
「それにしても甘い物だけで大丈夫ですか?」
少し心配そうに声を掛けたのはヒルデガルドだった。
一緒にいる様になってからハンナの朝食は常に甘味ばかりでバランスが悪く無いかと気になっていたのだ。
「それなら心配に及びません。昼と夜でバランスを取っておりますので。それにちゃんと脂肪にならない様に消費しておりますから」
ハンナは一日のバランスは一応、考えているのだ。
適度な運動も欠かさない。
それでも糖分の摂取量が多いのは否定出来ないが。
「私から見るとヒルダ様は少し足りないのでは無いでしょうか?」
ハンナはヒルデガルドの朝食が少ない事を指摘する。
ヒルデガルドの朝食はトースト一枚にフルーツ盛りと簡単な物だ。
「そうでしょうか?恐らく、私の場合は日頃の仕事が動く仕事では無かったからかもしれませんね」
ヒルデガルドは予算部門で仕事をしていたので監査で各部署を見回る時期以外は自部署の部屋に留まっている事が多かった。
「確かにヒルダ様はずっと同じ部屋におられましたね」
ハンナはアリアと一緒に何度もヒルデガルドのいる部署に行った事があるので、その様子を思い出していた。
「ヒルダ殿は予算部門だから部屋から離れると都合が悪いだろう」
リアーナも父親が財務大臣をやっているので似た様な仕事と思えば何となくだが分かるのだ。
実際にヒルデガルドがいないとお金関係の決裁が滞るので迂闊に離れられない。
監査がある時は決裁が遅れる事を事前通達している。
「そうですね。神官と言ってもやっている事は王宮にいる文官の方と変わりませんから」
神官と言っても大きな組織になればやる事は多岐に渡る。
「そう言う意味だとマイリーンさんが一番、大変だったと思いますよ」
「地方の教会での取り纏め役は骨が折れますね。はっきり言って何でも屋みたいな物なので……」
地方の、特に布教が余り進んでいない地域の取り纏め役は本部への報告から現地の人間とのあらゆる交渉等も行わなければならない。
神教の奉仕活動だけでは済まないのだ。
「そうなの?」
地方の教会事情は全く知らないアリアはマイリーンに聞き返す。
「はい。神教関連の施設……代表的なのは孤児院や小さな教会からの各種決裁、予算申請や活動報告の確認、領主への報告等やる事は多いんですよ。神官となれば礼拝や治療活動もしなければ行けません。今、思えば過酷な労働環境でしたね……」
マイリーンはその忙しい時を思い出し遠い目をする。
「だ、大丈夫だよ。今はのんびり冒険者だから!」
冒険者稼業がのんびりやれるかはまた別問題だが、マイリーンの嘗ての仕事よりはのんびり出来るのは違い無かった。
「冒険者をやっていると王宮にいる時よりのんびり出来るのはあるなぁ……」
リアーナも自分の仕事を思い出しながら漏らす。
リアーナも騎士隊の隊長職だったので書類仕事もそれなりに多かったのだ。
それらを処理するのに夜遅くまで詰め所に残る事もあった。
それを聞いたアリアは早く帰って来て欲しいと毎日強請っていたのが少し恥かしくなった。
ちょうどあの頃は一番、リアーナに甘えていた時期だった。
「そろそろ食事が終わりそうなら私から少し良いでしょうか?」
朝ののんびりとした会話からベリスティアが真面目な表情で間に入る。
それを察して全員、ベリスティアに注目した。




