176:ミレルの過去
静かな夜。
ミレルは一人ギルドの宿舎の一室でゆっくりと椅子にもたれ掛かって寛ぐ。
昼間はお仕置きと称した羞恥プレイで精神的にガッツリと疲労していた。
それが自業自得だと言う事は痛い程理解しているからこそ余計に疲れているのだ。
最初はリアーナとアリアが早々に床に就いてベリスティアと一緒に色々と愚痴りながら飲んでいた。
貴族の元ご令嬢と平民と言う出身の違いがあるとは言っても元は同じ騎士。
お互いの愚痴に共感出来る部分が多く、話が盛り上がれば当然、酒も進む。
そんな二人におつまみを作ったり、空いた皿を下げたり世話をしていたのがハンナだ。
ミレルとベリスティアは酔いが回ってきて変な気を回してしまった。
ハンナも侍女として日頃から苦労していると思い愚痴を聞こうとしたのだ。
だがハンナは特に不満に思っている事は無いと言って、酔っ払いに絡まれまいと逃げようとした。
しかし、酔っ払い二人はそんな事は無いと言って二人でハンナを捕まえて酒を無理矢理飲ませたのだ。
酒が入れば少しは愚痴りやすくなろうだろうと言う軽い気持ちで。
ここで一番の問題はハンナが下戸だと言う事だ。
実はミレルもベリスティアもこの事を知らなかったのだ。
ミレルは単純に使用人としてのハンナしか知らないので一緒に食事をした事が無かった。
稀にリアーナがミレルや他の騎士隊の人間を連れて屋敷で食事をする事はあったが、ハンナは使用人なので共にする事は無い。
ベリスティアはプレゼで合流するまでは別行動だったのでハンナと親しく話す機会が無かった。
それに加えてプレゼでアリアとリアーナが派手に飲んでこってり絞られたのもあって二人が禁酒していたのもある。
アリアとリアーナがお酒を飲まないと何となくだが飲みにくいのだ。
これは元々の立場と関係による物だ。
元々の身分はリアーナが一番高く、悪魔達とヒルデガルド以外はリアーナを優先しなければいけない立場だった者が多い。
ミレルは一人で淹れたお茶を飲みながら溜息を吐いた。
「流石にあの格好で一日過ごすなんて思わなかったわ……。それにグラーヴァも褒めまくるし……」
昼の事を思い出しミレルは顔を赤くする。
お仕置きとして一日ハンナの侍女として過ごすと言う何とも言えないお仕置きだった。
リアーナの屋敷の女性の使用人が着ているメイド服を着たのだが、これが思いの外グラーヴァに好評だった。
これは普段、冒険者の様な格好をしているミレルが女性らしい装いにした事によるギャップ萌えに近い。
ミレル自身、私服は余り女性っぽくは無く、ラフに上はシャツに下はズボンと言った感じだ。
それでもシャツもズボンもそこそこ洒落た物を選んでいるのでそこまで野暮ったくは無い。
スカートを穿かないのは仕事で着る騎士服がズボンなので落ち着かないからだ。
そんなミレルだが小物は非常に女性らしい。
婚活を始めてから女子力アップを狙って小物で少しでもお洒落をしようと涙ぐましい努力を始めたからだ。
幸いミレルのいる第五騎士隊はお洒落に詳しい女性には事欠かない。
そう、第五騎士隊の人間の半分以上が貴族の令嬢が夫人なのだから。
貴族の令嬢や夫人は騎士とは言えお洒落の流行には非常に敏感だ。
平民のミレルはある意味、非常に恵まれた環境で女子力を上げていた。
だがそんな努力も虚しく未だに独身だ。
平民向けの婚活パーティーに参加しているのだが、中々良縁に恵まれず相手が出来る事は無かった。
そもそも平民の騎士は基本的に少ない。
第五騎士隊以外の騎士隊だとブレンが所属する王都の警護を担当する第二騎士隊だと総勢、四百名にも及ぶ大所帯だが、その中の女性騎士となると一割の四十名弱程しかいない。
それでも増えた方で昔は女性が騎士になる事は出来なかった。
男が外で働き、女性は家庭を支えると言う考え方が非常に強かった。
女性の社会進出が進んだのはここ百年程の話だ。
昔よりは風当たりは弱くなったが、男性の中には昔同様の考え方を持っている者も少なくない。
その為、職業を騎士と答えると手を引いてしまう男性が多いのだ。
「はぁ……でもどうしよう……」
ミレルは椅子に更に深く座って深い溜息を吐く。
考えるのはグラーヴァの事だった。
今までミレル自身、誰かから好きだと告白された事が無かった。
求婚なんて尚の事。
魔物とは言え、グラーヴァは人の生活に溶け込もうとミレルに合わせる努力をしていて、真っ直ぐ自分を見てくれている事を本心では快く思っていた。
表面上は恥ずかしがって否定しているが、自らが口にしているより遥かに好ましく想っている。
過去にブレンと付き合っていたが、グラーヴァ程熱くは無かった。
ミレル自身、グラーヴァの事は嫌いでは無い。
寧ろ人格的に好ましい人物で、婚活で見てきた男性陣より魅力的だった。
「……」
ミレルは左手の手袋を外してその手をじっと見つめる。
その手は女性に似つかわしく無い傷だらけの手だった。
何をしたらそこまで跡に残るのか不思議に思える程の傷の量だ。
ミレルは自らの左手を見る度に己の過ちを思い出す。
これは彼女自身の過去の過ちの証。
背中に近い腰の部分にも烙印があるが、ミレルにとってはこの左手の方が重かった。
ミレルは十代の頃、盗みを働いて捕まった事があった。
両方ともその時に付いた物だった。
ミレル自身は普通の平民の家庭に生まれたが、幼くして家を出てスラムで過ごしていた。
ミルマットは辺境とは言え、国境の街として栄えており、隣国から流入してくる人々もおり、スラムもそれなりに大きい。
街全体とし見れば治安が悪いとは言えないレベルだが、スラムともなれば治安は決して良くない。
そんな所で生活する子供がまともに生活出来る訳が無いのだ。
ミレルはスラムの一つの地域のストリートチルドレンのまとめ役だった。
スラムは幾つかの縦社会になっており、一番上にマフィアがおり、その下にギャング、更にその下にストリートチルドレンがいると言う構造になっている。
そんな構造になっているので当然、みかじめ料を納める必要がある。
それを払っておけば守ってもらえるからだ。
みかじめ料は凄い多い金額では無いが、スラムにいる子共が払える金額では無い。
どうやって手に入れるかと言えば盗むのだ。
ミレルは盗みで生計を立てていた。
だがそんな生活は長くは続かない。
まとめ役として上手くやっていたミレルだが、そんなミレルを良く思ってない者達がいた。
それは別の地区のストリートチルドレンのグループの者だ。
ミレルは仲間を上手くまとめて毎月、まとめ役のギャングに取り入る様に多めのみかじめ料を渡していた。
相手はそれが気に食わなかった。
ミレルを尾行し、盗みを働く所を確認し、警備兵に通報したのだ。
やってきた警備兵によってミレルは抵抗も虚しく逮捕された。
だがミレルを嵌めた者達も無事には済まなかった。
スラムの情報網は非常に優秀でミレル達のグループと仲が良かったギャングに警備兵にミレルを通報した事を知られてしまったのだ。
極々、普通のスラムの住人と見せかけて監視目的に潜伏しているギャングが複数いて、通報の場面を見られていたのである。
それに加えて仕返しを恐れて密告した者もいたのも大きい。
そしてギャングによって通報した者達は二度と陽の目を見る事は無かった。
捕まったミレルも戻る場所が無くなっていた。
一度、逮捕されてスラムに戻ると警備兵にマークされる為、誰も受け入れたがらないのだ。
ミレルは自分の身の振り方をどうするか考えながら牢屋で過ごし、犯罪者への罰である奉仕活動を行った。
奉仕活動は犯罪者更生の一つだ。
今回は初犯と言う事もあり、比較的楽な物だった。
内容は罪の重さで変わり、カーネラルで一番重い奉仕活動はアリアの育った孤児院があるソージャック領内にある魔石鉱山の最奥での魔石発掘作業だ。
ミレルは三ヶ月で解放される程度なので奉仕活動の中ではかなり軽い方だ。
とは言え、ミレルの左手の傷はその時に付いた物で軽い方とは言え、それなり厳しい作業だったのが見て取れる。
傷跡は無数にあるが、特に痛みがある訳では無いので不自由は無かった。
「ふぅ……」
ミレルは少し昔を思い出しながらポーチから一つの瓶を取り出す。
蓋を開けると中にはクリーム状の物が入っており、指で少量掬い、左手に馴染ませる。
これは肌荒れ用のクリームだ。
これを塗っておくと余り傷跡が引き攣る事が無いからだ。
不自由は無いが、何も影響が無いわけでは無かった。
「これ……見たらがっかりするかな……」
ミレルが気にしていたのは、この手をグラーヴァが見て嫌な顔をしないかが不安だった。
過去にお見合いで良い雰囲気になった男性にこの手を見せたら、それ以降連絡が無くなった事があったのだ。
手がここまで傷だらけの女性は少ない。
お世辞にも綺麗とは言えない醜い手。
過去の過ちがミレルを臆病にさせていた。
「自業自得なのにね……」
自嘲めいた様子で漏らす。
ミレル自身、過去の過ちを大きく悔いていた。
だからこそ当時のミレルを担当した騎士採用の試験官は合格を出した。
そして配属も異例の第五騎士隊となったのだ。
一人沈んでいると部屋の扉がノックされた。




