174:男達の会話
それはミレルやベリスティアが部屋で飲み明かしている頃、グラーヴァとブレンも街の酒場でのんびり飲んでいた。
ここはギルドの酒場とはまた違い、冒険者の様な者は少なく地元の者が多い店だ。
ブレンがちまちま冒険者の仕事している内に仲良くなった冒険者から教えて貰ったのだ。
値段も手頃で味も美味い。
欠点は街に不慣れな者には場所が分かりにくい事ぐらいだ。
「すまんな。付き合ってもらって」
ブレンはグラーヴァのジョッキに酒を注ぐ。
「気にするな。我もお前には助かっている。人間同士の細かい事はよく分からんからな」
グラーヴァが言っているのは先日の事件の後処理の事だ。
「それこそ気にすんな、って所だ。俺としたらお前さんの存在が明るみになる方が面倒だ。悲しいかなお偉いさんは変にちょっかいと出したがるからな」
ブレンはグラーヴァの存在が明るみになる事を恐れていた。
自分から何かをする気は無いし、自分の主が何かするとも思っていない。
だが情報は碌でも無い輩の耳にも入る。
そうなった時にグラーヴァの機嫌を損ねる様な事をして貰うのは困るのだ。
自分の安全の為に。
ブレンはグラーヴァの本当の姿を見た事がある為、余計に思うのだ。
「愚かな者はいつの時代も変わらずいる物だ。我も諍いを起こしたい訳では無い。この街を潰すぐらいなら造作も無いだろう」
「そらそうだろ。それより食えよ。これ美味いんだ」
ブレンは皿に盛られたイカのフライを一つ、口の中に放り込む。
「海の物は余り馴染みは無いが悪くない」
グラーヴァもひょいひょいっと摘まんで食べながら舌鼓を打つ。
「お前から話があるとは何かあったのか?」
今日の飲みはブレンがグラーヴァを誘ったのだ。
「あぁ、ちょっとミレルの事を話しておこうと思ってな」
ブレンの言葉にグラーヴァが真剣な面持ちに変わる。
「そんなに気を張る必要も無いさ。ただ俺達みたいな脛に傷がある連中について知っておいて欲しいと思ったもんでな」
「ミレルに特別な事情があると言う事か?」
「特別と言えば特別かもしれないし、人によっては当たり前って思うかもな」
煮え切らない言葉にグラーヴァは僅かばかり眉を顰める。
「お前らしくない物言いだな」
「ま。酔っ払いの話だと思って聞いてくれ」
ブレンは気楽な口調で言い、徐に自分の背中を指差した。
「お前さんはここにマークが付いている人間が何を意味するか知っているか?」
ブレンは自分の腰の辺りを指す。
「我にはそんな所に印を付ける意味が分からん」
グラーヴァはそんな所に印を付けて何の意味があるか分からなかった。
「まぁ、知らないのは当然だ。ここに円に斜めに直線を引いた様なマークの事なんだが、意味は二つある。マークと言っても焼印なんだが円はそいつが罪人と言う事を示す。普通の丸なら軽犯罪、主に窃盗だな。二重丸は重犯罪で殺人とかだな」
カーネラル王国では犯罪歴が分かる様にする為に犯罪者に焼印を施す。
それが腰の位置となっている。
「斜めの直線は更生した証だ。犯罪者は罪の重さに応じて奉仕活動をする事で罪から解放される」
グラーヴァは顎に手を当て、人間の社会の仕組みに興味深く聞き入る。
「その奉仕活動がまた大変なんだが、このマークは俺とミレルにもある」
ブレンの告白にグラーヴァは表情を崩さない。
「生い立ちを話せばあれだが、俺なんかは元々は親が薬のやり過ぎで小さい頃に亡くなって王都のスラムで育ったんだ。あんな綺麗な街だが掃き溜めみたいな場所は何処にでもあるモンだ。そんな掃き溜めにいる子供は何かしらの犯罪に関わっている事が多い。子共だと大抵は盗みだな」
カーネラル王国の王都ドルナードはこの大陸では非常に治安の良い都市として有名だが、それでもスラムは存在する。
そんな所に住む子供達は物乞いをしたり、盗み等の犯罪で犯したり、時には幼いにも関わらず売春をしながら生計を立てていた。
「俺は盗みで日銭を稼いでいたんだが、仲間に嵌められて捕まっちまったんだ。一度、犯罪を犯して捕まると罪が重くなる。どう生きようか必死に悩んだな。仲間に裏切られた俺は帰る場所が無いから別の地区に逃げ込んだ」
ブレンは非常に盗みが上手く日銭には困っていなかった。
だから周りに妬まれていた。
一度、裏切られればそこへ戻るのが危険な為、違う地区へ移動せざるを得なかった。
「しかし、ここら辺は冬は寒くてな。冬なんかは汚いが寒さを凌げる下水で一夜を明かすんだ。凍死するよりはマシだからな」
下水道が暖かいのは汚水が発酵している為だ。
その衛生環境は劣悪で病気に掛かる者も少なくない。
「だがカーネラル王国は他の国に比べたら貧民には優しい。俺はあぶれたがここいら周辺国の中では孤児院の数が多い。意外と孤児院で無難に幼少期を過ごせる奴は多い。それに軽度の犯罪者までなら成り上がれるチャンスもある」
社会制度に関してはカーネラル王国は充実しているとまでは行かなくても周辺国より遥かに高い水準を誇っている。
「あの国は騎士に関しては非常に門戸が広いんだ。俺の様な脛に傷のある奴は色々と厳しい審査があったりはするが、それなりに頑張れば普通の生活が送れる様にはなる。まぁ、騎士の仕事は大変だがな」
カーネラル王国の騎士の採用については幅広く行われている。
理由は周辺国に対する防衛力の強化だ。
特に北のランデール王国とは小競り合いが多く、人員の確保は急務だった。
貧民にとってはこの騎士の採用は貧困脱出の抜け道の一つなのだ。
見習いの騎士でも一般の平民より多い給料なので危険でも非常に魅力的な仕事だった。
「それでミレルはどうなのだ?」
グラーヴァはやはりミレルの事が気になっていた。
「ミレルの昔の詳細は俺も知らないが、俺と一緒でスラムで育った人間だ。アイツは盗みでヘマして捕まったらしい」
ミレルの生みの親はおらず親戚に育てられていた。
「アイツの親は早くに亡くなったらしいが、直ぐに親戚に引き取られたらしい。だが折り合いが悪かったんだろうな。アイツは小さい時に家を出てスラムで過ごす様になったと聞いた。どんな家庭だったか知らんが、アイツにとっては辛い場所だったみたいで気が付けば俺みたいなっていた様だ」
グラーヴァはブレンの話に静かに耳を傾ける。
「アイツの姓は本当の家の姓じゃない。捕まった後、アイツを育ててくれた人の姓だ。お前さんとあった街のギルドの職員らしい」
彼は元々縁があってミレルを引き取ったのだ。
「それ以前はかなり荒れていたらしいが、そこからは心を入れ替えて真面目に生きている。ちゃんと学校も行っていたみたいだから俺よりはちゃんとした生活をしていたんじゃないか?俺は騎士なるまでスラムで生活していたけど、アイツは確か十三歳までと言っていたな」
ミレルは引き取ってくれた両親、血は繋がっていないが、ミレルにとっては実の両親より大切な家族に少しでも恩を返す為、必死に頑張ったのだ。
「こんな事を聞いて態度を変える様な奴じゃないが、知っておいた方が良いと思ってな」
ブレンはミレルとは大切な友人だからこそ、グラーヴァには知っておいて欲しかった。
良い部分だけでは無く暗い過去も。
それを含めてミレルを受け入れて欲しいと願っていた。
「意外な話ではあったが、我には関係無い。それにミレルが自ら清算して罪であろう?」
「そうだ。アイツも奉仕活動終えてるから更生している。それで無かったら騎士にはなれないからな。アイツ自身も昔の事はかなり後悔しているみたいだしな」
これはミレルと飲んだ時に溢した事だった。
「それなら我から言う事は無い。誰だった人には言えぬ事の一つや二つはあるだろう。人の身からすれば我なぞ過去に滅ぼした国は一つや二つで済まん。それにその程度、受け入れられない程、器量が狭いつもりは無い」
「おいおい……マジかよ……。まぁ、お前さんなら有り得るのか?」
ブレンはグラーヴァの言葉に信じられない様な思いが過ぎったが、グラーヴァの真の姿を思い出して全く否定が出来なかった。
「再度、聞くがお前はミレルに気があるのでは無いのか?」
「無い無い」
ブレンは軽い口調で手を横に振って否定する。
「アイツとは友人と言う方が正しいだろうな。まぁ、元彼女と言うのは否定しないが……」
ブレンは少し気まずそうに目を逸らす。
「ハッハッハッ!なるほど、そう言う関係であったか!それはスマン事を聞いた。仲は悪い様に見えんが、不思議だな」
グラーヴァはブレンとミレルなら結婚まで充分辿り着けたのでは無いかと思ったのだ。
「妙に生き方が近い所為でお互いに落ち着かないんだ。性格的な問題じゃない。お互いの心の持ち様なんだろうけど、それが俺達は上手く行かなかったんだ。だからアイツが嫌いな訳じゃない。寧ろ好きだ。だからこそアイツには幸せになって欲しいんだ」
ブレンは今でもミレルの事を愛していた。
自分では彼女を幸せに出来ない。
それが分かっているからこそグラーヴァにちゃんと話しておきたかったのだ。
「ふむ、でもお前はミレルが我に持っていかれるのを悔しいと思わぬのか?それに我は人間では無いのだぞ?」
「悔しくない、と言ったら嘘だな。それでもお前さんなら良いかな、って思ったんだ。スケールが違いすぎて差が分からんからな。別に獣人と一緒になったと思えば良いレベルじゃないか?」
ブレンは余り種族の違いに関しては気にした事は無かった。
貧困層は亜人が身近な為、貴族みたいに偏見は少ない。
「その様な物か。もし我とミレルが結ばれたら礼として里へ招待してやろう」
「里って、キングベヒーモスの集落の事か?」
「そうだ」
グラーヴァはいつになく機嫌が良かった。
ミレルの事を聞けた事もそうだが、思いの外、ブレンの事を気に入ったのだ。
「そんな所、人間が行けるのか?」
ブレンの疑問は最もだ。
カーネラル王国からキングベヒーモスの里へ行くには腐海を抜けなければならない。
「大丈夫だ。我の背中に乗せれば良いだけの話だ」
「確かに……それなら大丈夫なのか?それに人間が行っても良いのか?」
「それは問題無い。我の客人とあれば礼を尽くしてもてなすだろう。今まで人間が里に踏み入れた事は無いがな」
キングベヒーモスの里は秘境中の秘境の為、人間が足を踏み入れた事はおろか、存在すら知られていない。
「そんな所に俺が行っても良いのか?」
「どちらにせよ番が決まれば宴は欠かせぬだろう?まぁ、呼べる者は限られるがな」
人間で呼ばれるのは今の所、ブレンだけだろう。
ブレンが知っている者であれば後は悪魔数名と言った所だ。
「ま、楽しみにして待っておくか。安全に行けるなら楽しそうだしな。親父―、酒追加だ!」
ブレンは一気に酒を飲み干して、グラーヴァの分も含めて酒を頼む。
「偶にはこう言うのも悪くは無いだろう」
グラーヴァも静かに酒のジョッキを明ける。
こう見えてしっかり楽しんでいるのだ。
男達は夜遅くまで語り、飲み明かした。




