163:噴き出す憎悪と怒り
アリアは今も戦いが続く、激しい轟音の発生源へ全力で向かっていた。
何故だか分からないが嫌な胸騒ぎが止まらない。
何か大切な物を失うかもしれない予感。
『連絡は取れた!?』
『無理みたいだ。全然反応が無い』
カタストロフは念話でアスモフィリスに声を掛けるが全く反応が返ってこない。
バジールとは連絡が取れてリアーナが戦闘中と言う事は報告を受けていた。
今回の暗殺者の始末に関してはアリアは完全に蚊帳の外だった為、どうしてこんな状況になっているのか分からなかった。
ただリアーナが化け物と戦っている事は明白だ。
天に昇る程の青い火柱、これはリアーナの獄炎しか考えられない。
方向を間違えれば街へ甚大な被害を齎しかねない威力を放っている。
これはどう見ても異常な事態だ。
リアーナが全力で戦わなければならない相手がいる事に他ならない。
『魔力が反応が大きい。それにしても何で彼女が反応しないんだ?』
カタストロフはリアーナが戦闘中ならば何かしらの反応があってもおかしく無いのに、全く反応が無い事が不思議だった。
実はカタストロフもリアーナとアスモフィリスの詳細な状況は知らない。
相性が良いと言う事は知っているが、日々融合が進んでいる事は誰にも話していないのだ。
リアーナの意識の中に沈んだアスモフィリスは念話での会話も間々ならない。
『リアーナさんは大丈夫なんだよね!?』
『戦闘中の大きい反応はリアーナで間違い無いよ。でも消耗が激しそうだね』
カタストロフは周囲の魔力を検知しながら状況を伝える。
リアーナの消耗が激しいのは当然である。
全力で力を開放しながら戦っているのだ。
『そんなに力を使っているの?急がないと……』
アリアは胸に渦巻く不安を拭う様にひたすら走る。
スラムに入ってから暫く進むと、アリアの目の前に轟音と共に砂煙が舞う。
そして、何かが瓦礫とぶつかる様な音がした。
その音の先には力無く地面に倒れようとしているリアーナの姿だった。
顔面血だらけで満身創痍のその姿を見たアリアは血の気が一気に引いた。
そしてリアーナが飛ばされた先には憤怒を纏いし真紅の蠍の姿があった。
その怪物は躊躇う事無く腕を振り上げる。
地面に臥して体を動かそうとしているリアーナに対して無慈悲に腕が振り下ろされる。
その光景はまるでスローモーションの様だった。
自分の大切な人がこのまま殺されてしまう。
それは絶対に嫌だった。
家族がいなかったアリアにとって唯一の家族。
今まで知らなかった母親の温もりを教えてくれた存在。
それがリアーナだった。
今、目の前で叩き潰されようとしている。
距離が離れていて間に合わない。
咄嗟の判断だった。
アリアは漆黒の大剣を手に取る。
魔力を全力で込めて投げ付ける。
「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
それはもう剣では無く、破壊を撒き散らす弾丸である。
禍々しいオーラを纏った大剣は空気を裂いて憤怒を纏いし真紅の蠍の振り下ろされる腕に目掛けて一直線に飛んでいく。
大剣はリアーナを叩き潰そうと迫る腕の鋏を吹き飛ばす。
大切な者を傷付けられたアリアの心がこれ以上に無い程の怒りと憎悪が渦巻く。
『アリア、落ち着いて!!』
カタストロフはアリアの感情が負の感情で満たされていくのを感じて慌てて声を掛けるが、既にカタストロフの言葉に耳を傾けられる状態では無かった。
アリアの目は真っ直ぐ怒りを憎悪を携え、憤怒を纏いし真紅の蠍しか捉えていなかった。
「うるさい!!血棘の宴花!災禍の顎門!」
前置きも無く心象魔法を発動させる。
普段は事前に心象のイメージを確定させる為に呪文を唱えるのだが、それらを全て省略した。
心象魔法の発動は呪文が必ずしも必要では無い。
アリアが毎回呪文を唱えるのは心象魔法を使っていた聖女アメリアが呪文を口ずさんでいた光景をカタストロフの記憶の断片で見たからだ。
術者のイメージさえしっかりしていれば呪文は必要としない。
アリアは無意識に心象を投影させる。
無数の茨が憤怒を纏いし真紅の蠍に絡みつき無数の棘が体を貫き、地獄から這い出てきた獣が喰らいつく。
どちらの魔法も普段と違い、黒い魔力を放っていた。
無意識ではあるが、破壊の魔力を纏わせていた。
憤怒を纏いし真紅の蠍は体を揺すりながら茨を剥がそうと踠く。
破壊の魔力は容赦無く憤怒を纏いし真紅の蠍の体を破壊する。
アリアは更に追い討ちを掛ける。
「天罰を!!雷鎚!!」
天高く空の上から一条の光が憤怒を纏いし真紅の蠍を包み込む。
それと同時に圧縮したプラズマが光の中を縦横無尽に駆け巡る。
光の九級に属する魔法である。
どんな強固な甲殻も超高熱に晒され脆くなる。
「|雄牛の叫びは火刑の嘆き《ファラリス・アフィリツィオーネ》!!」
唸る様な低い雄牛の様な咆哮と共に憤怒を纏いし真紅の蠍を炎が包み込み、体の中へと入っていく。
入り込んだ炎は体の内側から焼いていく。
再生し、焼かれる。
それが無限に続く。
正に地獄の業火とも言えよう。
アリアは投げた大剣を呼び戻し、力強く握りしめる。
「あぁぁぁぁぁぁ!!」
それを技も何も関係無く、力任せで憤怒を纏いし真紅の蠍を斬り付ける。
破壊の魔力が弾けた。
甲殻を破壊し、中身も一緒に破壊していく。
最強の矛と言われる破壊の力で破壊された部分は再生しなかった。
ただただ怒りに任せて大剣を叩き付ける。
「よくも!!よくも!!よくもぉぉぉぉぉぉ!!!」
周りなど一切に目に入らない。
大事な人を傷付けた目の前の敵が憎い。
アリアの持つ破壊の魔力がどす黒く変化していく。
まるで憎悪、怨念と言った負の感情が滲み出したかの様である。
その魔力は憤怒を纏いし真紅の蠍に深刻なダメージを与える事になる。
憤怒を纏いし真紅の蠍もアリアの攻撃に応戦するが、最強の矛を前にただただ破壊されていく。
「死ね!死ね!!死ねぇぇぇっっ!!!!」
アリアの一撃は容赦無く憤怒を纏いし真紅の蠍の体を破壊する。
だがここで異変が起きた。
再生する筈が破壊した周辺が崩れ落ちたのだ。
これはアリアの放つ破壊の魔力が徐々に憤怒を纏いし真紅の蠍の浸透し、魔力供給源である核にダメージを与えていたのだ。
完全な核であれば表面からのダメージ程度では破壊の魔力に侵される事は無い。
しかし、核はリアーナの一撃で僅かながら皹が入っており、そこから破壊の魔力が侵入し、核を侵したのだ。
アリアが圧倒出来るのはリアーナが核にダメージを与えていたからだ。
怒りと憎悪に任せて暴れ狂うアリアにカタストロフは必死に精神が壊れてしまわない様にしていた。
心のから出る負の感情がオーバーフローしない様に適度に逃がしながら、傷口が広がらない様にケアをする。
一つ間違えれば負の感情がオーバーフローし、小さな亀裂から溢れ出して精神を破壊してしまう。
そのぐらい危険な状態だった。
カタストロフのやっている事は単なる応急処置に過ぎない。
いや、応急処置にもなっていない。
単に負の感情の流れを一部、自分の魔力に変えながら流れを一時的に弱めているだけなのでカタストロフがそれを止めた時点でオーバーフローしてしまう。
一緒にいるメンバーは既に気付いているが、アリアの精神年齢は十六歳にも関わらず低い。
特に日常での言動、行動は良くも悪くも無邪気と言えるが、十六歳の女性の言動では無い。
更に大人として必要な落ち着きや感情に抑えが効かない。
これはアリア自身が無意識的にリアーナに対して甘えたい、守ってもらいたいと言う意識の表れでもあった。
復讐と言う思いはあるが、何よりも家族を失う事が怖いのだ。
深淵の寝床で一人暗い地の底での恐怖はアリアの心の奥底に根付いている。
そこで一人で朽ちていく恐怖は何よりも耐え難い物だった。
幼い自分を見せる事で少しでも一緒にいる事が出来ると思っての無意識的な行動なのだ。
これは一因でしかない。
他にも一度、壊れた精神をカタストロフが組み直した事も要因の一つだ。
何故ならアリアの記憶の中で一番、精神状態が良い時期を選んだからだ。
それはリアーナの屋敷を出る前の神殿行きが決定する前だ。
まだ子供と言って差し支えない時の精神に合わせているのだ。
大きくはこの二つが原因でアリアの精神状態が年齢に対して幼くなってしまっているのである。
その幼い精神では強い負の感情を制御する事が出来ない。
止め処無く溢れ出る負の感情は悪魔にとって苦では無い。
寧ろ、栄養とも言える。
だが人間とは言えず、悪魔にも成りきれていないアリアにとっては有害以外の何物でも無い。
カタストロフは負の感情を魔力に変えてアリアに戻しながら焦っていた。
アリアには言葉が届かず憤怒を纏いし真紅の蠍を倒してしまった場合、その怒りの矛先が何処に向かうのかが心配だった。
憤怒を纏いし真紅の蠍を倒して怒りが収まれば良いが、それは些か楽観的な考えとしか思えなかった。
この止め処なく溢れ出る負の感情がそれで止まる様に思えないのだ。
今のアリアを止められるのは一人しかいない。
それは力無く倒れているリアーナだ。
辛うじて息があるが、ダメージが非常に大きく早く治療をしないと危うい状態なのだが、この場にリアーナを回復させる手段を持った者は誰もいない。
唯一、治療を可能なアリアは怒りと憎悪で周りの声が聞こえないのは致命的だ。
バジールに言ってハンナを急いでこっちに戻って来る様に伝えはしたが、間に合うか不透明だった。
一度、ギルドまで戻っていたのも有り、距離が離れているのだ。
念の為、ベリスティアにも連絡はしてある。
ただベリスティアは治癒魔法が使えないのでどのぐらい役に立つかは分からない。
カタストロフは以前の会話でハンナが貴重な治療薬を持っている事を耳にした覚えがあった。
カタストロフはリアーナが息を吹き返してアリアに声を届かせる様になるのを切に願った。




