156:ラース・ベッカー
黒い玉が放っていたオーラは形を変えて四方八方へ鋭い刃となって襲い掛かる。
リアーナ達は咄嗟にそれを避けるが、黒い玉を持っている男以外の暗殺者達はその黒いオーラの刃に胸を貫かれていた。
更に部屋に転がっている死体にもその刃は伸びていた。
暗殺者の男は黒い玉を床に転がすと黒いオーラは死体を引き寄せる様に収束していく。
リアーナ達は警戒を怠らず様子を見守る。
あの黒い玉に手を出して良いのか判断しかねているのだ。
「くっくっくっ……お前のそんな顔が見れるとは面白いな……」
暗殺者の男は何処か愉快気に笑った。
「貴様は誰だ?」
リアーナの問い掛けに男は顔に巻いていた布を取る。
「この顔に見覚えがあるだろう?」
リアーナは男の顔を見て直ぐに思い出した。
「貴様は……ランデール王国の指揮官……確かラース・ベッカー……」
「元だがな。よく覚えていたな」
顔には覚えはあったが、ラースが暗殺者になってリアーナ自身を狙う理由が分からなかった。
ラースとは第一次ランデール戦役で剣を交え、第二次ランデール戦役では姿を見かけなかったので不思議には思っていたが持ち回りが変わった程度の認識しか無かった。
ラースの事は撤退の判断は英断で指揮官として見習うべきと思っていた。
そんな優秀な指揮官であるラースが暗殺者に身を窶す理由が分からなかった。
「何故、暗殺者なんかに……まさか、身代わり!?」
一つだけ思い当たるの可能性があった。
「カーネラルの英雄様は頭もよく回るんだな。俺は敗戦の責任を取らされて爵位剥奪の上に国外追放さ。貴様の所為でな」
自分に恨みを持つ者の手の可能性は考えていたが、元ランデール王国の指揮官であるラースが狙っていたとは想像だにしなかった。
「母国は当然、恨んでいるし、私もその対象か……。アリアは何故狙う?」
「子供を狙えば母親は当然出で来るだろう?簡単な理屈だ」
アリアが狙われたのは完全にとばっちりである。
自分の所為でアリアが狙われてしまった事はリアーナの取っては悔やみきれない。
「ま、本国の連中は片手間に大分処理した。そしてちょうど良い所に依頼が入った、と言う訳だ」
ラースは自国で積極的に責任を取ろうとしなかった重鎮をランデールでの依頼がある度に暗殺していた。
自らを嵌めた者を放置しておく事など出来なかった。
「私から聞きたい事があります」
ハンナが横から入り込む。
「ゼルキンは何故、掴まったのですか?」
ハンナにはゼルキンがそう簡単に掴まる様には思えなかったからだ。
そんなに簡単に掴まる様であれば当の昔に処刑されていてもおかしくはないのだ。
「あぁ……確か仲介に入った奴に嵌められた感じだな。その時は俺も一緒にいたが逃げるので手一杯だった。帽子屋フルフルとか言うふざけた名前だったな」
リアーナ達はラースが言う帽子屋フルフルと言う名前に全く聞き覚えが無かった。
「あの男がいなくなったら烏は無理だ。あの男と言う看板が命だったからな。一応、適当にまとめてはいたがそろそろ限界だ」
ラースは足元にある黒い玉を踏み砕いた。
「これはその帽子屋から貰ったモンだが、出来れば使いたくは無かったが、お前を殺せるなら仕方が無い」
黒い玉は捕まえた死体を取り込んでいく。
肉を咀嚼する嫌な音が部屋に響く。
「お前を殺すのに街を一つは消えるが、仕方が無い。帽子屋曰く、とんでもない魔獣らしいからな」
リアーナは咄嗟に魔力を全力で解放し獄炎をラースと黒い玉に向かった放つ。
しかし、黒い玉に当たった瞬間、獄炎は綺麗に掻き消される。
「何だと!?」
リアーナは自らの獄炎があんなにあっさり弾き返されるとは思いも寄らなかった。
『ちょ、ちょっと、どうなってるの!?』
アスモフィリスが慌ててリアーナへ問い掛ける。
実は彼女は普段、外の状況は余り把握していない。
リアーナとの融合が進んでいる関係で魔力を使おうとするとリアーナに魂が引っ張られそうになるからだ。
念話程度であれば中継基地的な役割をするだけなので負荷は掛からないが、顕現していない状態で周囲を把握しようすると、どうしてもリアーナを介さなければならない。
混ざり合いつつあるアスモフィリスがそれを行うと今以上に融合が進んでしまうのだ。
その為、普段は静かに何もせずに過ごしているのだ。
周囲の状況は何となく伝わるリアーナの感情で判断しているぐらいである。
今回はラースの事が大きく心の中を占めており、真紅の死を象徴する蠍の事は意識から離れており、アスモフィリスには伝わっていなかった。
そして獄炎を使う事によってアスモフィリスとリアーナの魔力パスが繋がる事で周囲の状況を把握したのだ
『厄介だ、獄炎が弾かれた』
慌てるアスモフィリスとは裏腹に冷静に状況を伝えるリアーナ。
『真紅の死を象徴する蠍って、本当なの!?』
『ラースは確かにそう言っていたな』
『拙いわね。それが本当なら私の獄炎を弾き返しても不思議では無いわ』
『あれが何か知っているのか?』
あの黒い玉の正体を知っている様に言うアスモフィリスに尋ねる。
『あれは原初の魔王が生み出した四獣と言う化け物よ』
アスモフィリスが化け物と言う言葉を使った事にリアーナは驚きを隠せなかった。
『あなた達が神話の時代と呼ぶ時代に創世の女神アルスメリアと原初の魔王リナリールが戦ったと言うのは御伽噺で知っているでしょう?』
最初の魔王、それは御伽噺で語られる原初の魔王リナリール。
この大陸のみならず世界に伝わる神話である。
『アルスメリアが倒す事が出来ず封印したのが四獣と呼ばれる化け物よ。世界の各地に封印されていて簡単に封印が解けるとは思えないんだけどね。私の見立てではあれは本体では無く子供ね』
『子供だと?』
『真紅の死を象徴する蠍の厄介なのは次々と子供を生んで群れを作るのよ。あの黒い玉は奴の卵よ。魔力でも何でも食べるわ』
魔力を食べると言う言葉に獄炎は弾かれたのでは無く、食べられたのでは無いかとリアーナは思った。
『あなたの想像通りよ。奴の卵は孵化するまで破壊する事は出来ないわ。あの状態になったら孵化するまで手を出せない』
『孵化すれば獄炎は効くのか?』
『えぇ、大丈夫よ。それは問題無いわ。でも奴の強さは子供とは言え下手なSランクの魔物なんか比べ物にならないわ。それにここで暴れられのは非常に拙いわね。上はスラムでしょ?』
リアーナは自分がいる場所を失念していた。
こんな所で強力な魔物を解き放てば被害は甚大になる事は想像に難くは無かった。
『ハンナとバジールの二人に周辺の人間の避難をさせよう。私が食い止める』
『はぁ、全く困った子ね。そんなに簡単に倒せる相手では無いわよ』
リアーナはアスモフィリスが倒せないとは言わなかった事に僅かだが勝機が存在する事を確信する。
『私は人間なんて放っておいて全員で倒す方が確実だと思うけどね』
アスモフィリスの言っている事は事実だ。
スラムの人間を見捨てれば戦力としては確実性が増すのは間違いない。
だがリアーナはそれを許容出来る様な人間では無い。
『それを私が許容すると思ったか?』
『思わないわよ。だから困った子って、言ったのよ』
アスモフィリスもリアーナと付き合っていればどんな人間かは理解出来てくる。
『ベリスティアに連絡を入れてくれ。アリアをこっちに近付けるなと』
『全く過保護なのも考え物よ?ま、あの子には伝えておくわ』
アスモフィリスは溜息を吐きながらベリスティアと連絡を取り始める。
リアーナはハンナへ指示を出す。
「派手に暴れても良い様に住民を避難させてくれ」
端的な言葉にハンナは激しい戦闘が起こる事を示唆している事を読み取った。
「畏まりました」
ハンナはラースを警戒しながら出口から部屋を出る。
部屋の外にいたバジールと共に住民の避難誘導に向かった。
「住民を避難させに行かせたのか?殊勝な事だ。間違ってはいないがな」
ラースは歪んだ笑みを浮かべる。
その笑みは狂気に侵されていた。
復讐に身を焦がした果ての男の姿だった。
「はっきり言ってコイツは俺だと制御は出来ん。しかし、貴様だけは殺す」
ラースは懐から注射器を取り出し、自分の腕に刺して中の液体を体に流し込む。
「これはとある筋から手に入れた禁忌の薬だ。簡易合成獣生成薬とか言っていたかな」
ラースの言葉にリアーナは少し引っ掛かる物があった。
「これを使えば簡単に合成獣を作れるらしい」
ラースは真紅の死を象徴する蠍の卵に手を伸ばす。
その瞬間、ラースは卵から伸びる肉の触手に体を貫かれる。
「ぐふっ……これでコイツと俺は一心同体になる……」
リアーナはラースの姿が一瞬、アリアの重なった様に見えた。
復讐の為にカタストロフと契約して悪魔になろうとしているアリアと、復讐の為に合成獣なろうとしているラース。
それは非常に似ていた。
「……俺の……憎悪を食えば……コイツは……お前を必ず……殺してくれる……」
ラースは憎しみの篭った目でリアーナを視線で捉えて放さなかった。
それがラースの最後の言葉となり卵は黒いオーラの輝きが増していく。
リアーナは剣を仕舞って愛用のハルバートを取り出す。
最大限に警戒をしながら卵の孵化する瞬間を見届けた。
卵から猛烈な衝撃波が放たれた、
リアーナは来た通路を戻り、建物の外へ避難する。
卵からは人の体躯より遥かに大きい鋏が飛び出てくる。
それは暗殺者達のアジトの壁を容易く抉り取り、もう片方の鋏で天井を突き破る。
徐々にその大きな体を卵から姿を現し、最後に出た尻尾で辺りを薙ぎ払う。
それと共に暗殺者達のアジトだった場所は脆く崩れ去る。
その跡地には象より遥かに巨大な蠍が崩れたアジトの地盤から顔を出す。
そして巨大な蠍の頭の部分から人間の体が生えていた。
それはラースだった。
だがその目は意識を宿している様には見えなかった。
だがその表情は憎しみからに因る物なのだろうか。
憤怒の表情を露にしていた。
これは既に真紅の死を象徴する蠍では無く、憤怒を纏いし真紅の蠍と呼ぶ方が相応しいだろう。
憤怒を纏いし真紅の蠍は憎悪と怒りを込めて吼えた。




