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122:荒れる教皇と決意の娘

「一体、貴様らは何をやっていたんだ!!」


 アルスメリア神教の総本山、ヴェニスの神殿内にある教皇の執務室でボーデンの怒鳴り声の様な叱責が響き渡った。


 ボーデンはランデール王国へ慰問へ向かい、その後、急遽教皇の就任の挨拶をする為にガル=リナリア帝国を訪問し戻ってきて部下の報告を聞いていたのだ。

 そこで神殿の一角が崩壊。

深淵の寝床へ封印していたアリアの逃亡。

 ボーデンが激昂するには充分な内容だった。


「我々も手を尽くしたのですが……」


 ボーデンに報告しにやってきた神官は声が小さくなりながら気持ちばかりの言い訳を吐いた。

 ボーデンはこれ以上聞いても何の意味も無いと思い、神官へ退出を命じ、執務室の椅子に座る。


 その時の状況を纏めた報告書を手に取り、目を通す。

 書かれた内容を見るだけで苛立ちが沸き起こる。


 まずはメッセラントで砂嵐を招くと云われている悪魔、砂塵のバジールがヴェニスの神殿の前に現れた事。

 出現した時間が深夜だった事もあり、目撃者が神官だけだったのは幸いだった。

 これが万が一、街の人間に目撃されていれば大騒ぎになる。

 更に都合が悪いのがバジールを封印出来ていれば良かったのだが、逃がして街中は消えてしまった事だ。

 悪魔が神殿の前に現れ、逃亡を許したとなれば神教への信仰への影響も出てくる。


 その日同時に起こったのが、聖女アリアの逃亡。

 これはリアーナが逃亡を手引きしたのは間違い無い事は報告でハッキリしていた。

 だがどの様にして深淵の寝床の封印を突破したのかは全く分からなかった。

 封印の監視をしていた者は全て惨殺されていたからだ。

 心臓を抜き取られた者、細切れにされた者と凄惨なその現場に立ち会った者も思わず血の気が引いたぐらいだ。

 だがその下手人が誰かは不明だった。


 ボーデンはアリアの可能性を考えたが、いくらアリアでもあの様な殺し方を出来るとは到底思えなかった。

 ボーデンは一旦、この事は端に置いた。


取り敢えず、逃亡を手配した下手人が分かっていれば責任者へ責任をと思った矢先、リアーナが騎士隊を辞めてベルンノット侯爵家から廃嫡されている報告がやってきた。

 現役の騎士と元騎士では責任の所在が全く違う。

 カーネラル国王に抗議しようと思った矢先に知り、ボーデンは歯噛みするしか無かった。


 一応、抗議はした物の返ってきたのは既に国の騎士を辞した者の為、責任は無い、との回答だった。

 罪人の逃亡を協力した者として指名手配する様にも要求をしたが、聖女アリアが前教皇アナスタシア殺害の犯人と言うのが疑わしいとして、再捜査を行い、真実が分かった後であれば指名手配の要求を受けると言う返事にボーデンは書簡を思わず破り捨てそうになった。

 これは暗に神教の捜査結果が納得出来ないから再捜査させろ、と言っているのだ。

 更に要求を受け入れられないなら神教の要求も受け入れられないと言う意思表示でもあった。


 悪い報告はこれだけでは無い。

 アリアの逃亡と共に深淵の寝床から悪魔が封印されている三本の魔剣が紛失していた。

 ボーデンはアリアが持ち出したと見ている。

 アリアの正体を考えれば有り得ない事では無かった。

 ただ外へ漏れると神教への大きな信用問題となりかねない。

 神教は治療行為と悪魔の封印を言う二つの行いが、信徒が増える大きな要因となっていた。

 その大黒柱とも言える部分を失えば神教の権威を失う事に繋がる。

 それだけは避けなければならず、関係者には緘口令が敷かれた。

 人の口には戸が立てられない物で既に各国から抗議と状況の報告を求める声明文が次々と届いており、ボーデンの頭を悩ませた。


 これは神教の管理上の問題だが、どの魔剣にどの悪魔が封印されているか記録が無かった。

 もし、その悪魔が五大悪魔と呼ばれている悪魔王カタストロフ、煉獄のアスモフィリス、傾国のリリス、首狩のバルバトス、笛吹きのアムブシャであった場合、神教の権威は地に堕ちる。

 五大悪魔と呼んでいるが神教が封印した悪魔の中で凶悪な五体の悪魔の事を指しているだけで、世には他にも神教が把握していない、若しくは封印出来ていない強い悪魔が実在する。

 砂塵のバジールもその内の一体だ。


 各国からはどの悪魔が封印から解放されたのかを間違い無く追及される。

 悪魔狩りを担当する神官達は必死に過去の資料を調べながら魔剣に封印されている悪魔がどれかを確認している。

 アスモフィリス関連の資料については密かにアナスタシアが処分していた。

 そんな事もあり、神教は封印から解放されら悪魔を突き止める事が出来ず各国から猛烈な非難を受ける事になる。


 追い討ちを掛ける様に崩壊した神殿の一角に関する報告書が目に入る。

 リアーナが腹いせに爆破した場所だ。

 そこは儀礼用の広間と物置、後は集会場が集まった場所で寝泊りしている者がいない場所だったので被害者はゼロだ。

 だが神殿の一角を爆破されるなど過去に一度も無かった。

 爆破を街からもはっきり見えたので街の住民に大きな不安を与え、説明には四苦八苦した。

 神殿を爆破されたなんて言える訳も無く、保管されていた魔道具が暴発した為、と言う何ともお粗末な理由で片付けられた。


 ボーデンを悩ましているのはこれだけでは無い。

 訪問先での事だ。

 ランデール王国への訪問は何事も無く終わった。

 問題はガル=リナリア帝国での事だった。


 元々はランデール王国だけの予定だったのだが、滞在先で偶然、帝国の外交官と会い、皇帝が是非、教皇就任の祝いをしたいと言われ、予定に無い帝国訪問を行う事にしたのだ。

 だが待っていたのは歓迎では無かった。

 皇帝は仕切りにアリアの事を質問してきたのだ。

 これにはボーデンも言葉が詰る場面が多く、無難に躱すのに必死にならざるを得なかった。


 実はこの訪問は裏でカーネラル王国が糸を引いていた。

 元々皇帝は神教に対しては良い感情を持っていなかった。

 それに加えてアリアを側室へ迎え入れたいと言う思惑もあり、裏でカーネラル王国とやり取りしていたのだ。

 アリアを逃げられる事も伝わっており、神教の権威が邪魔であった皇帝にとってはありがたい事だった。

 幾つかカーネラル王国から見返りは受け取っており、ボーデンは両国に嵌められたのだ。


 ボーデンは引き出しから紙袋に包まれた白い粉を取り出し、水と一緒に飲む。

 これはいつもお世話になっている胃薬だ。

 アリアが去ってもボーデンの胃が休まる日は来なかった。



******



 ヒルデガルドは自宅で紙を広げた。

 そこには半年後に異端の監獄と呼ばれるメッセラントにある修道院への辞令を告げる物だった。

 その内容についに来たかと思った。


 いつかは左遷の辞令が来るのでは無いかと思っていたからだ。

 ヒルデガルド自身は中立と言う立場を取っているが、アナスタシアが亡くなった今、種族融和派の旗頭に置こうとする動きがあり、本人の思いとは関係無く、敵対派閥の人間と認識されていた。

 都合が悪くなれば厄介払いと言わんばかりに左遷と言う手段に出てくるのは予想出来ていた。


 ヒルデガルドは異動先に表情が険しくなる。

 メッセラントの修道院は異端の人間を改心させる為に作られた施設だ。

 だが実態は異端者を逃がさない為の監獄だ。

 そこでは拷問紛いの事が日常茶飯事に行われているとも聞いていた。


 ヒルデガルドは辞令を告げる書簡を暖炉へ放り込む。

 椅子に座ってお茶を飲んで一息吐く。


「そろそろ神殿を出ようと思うのですが、どうでしょう?」


 虚空に語りかけるとヒルドガルドが座るテーブルの向かいの席に突如、長く薄い青い色の流麗な髪を携え、黒いローブを纏った長身の女性が姿を現す。


「やっと決めたの?私は全然、問題無いわよ。寧ろ、ここから解放されて嬉しいかしら。それよりも何処へ行くの?私としてはファルネットの西にあるコロドバーナでリゾートがオススメよ」


 その女性はウキウキしながら懐に忍ばせた雑誌を広げながら言った。

 コルドバーナはファルネット貿易連合国で最も有名な高級リゾート都市だ。

 温暖で内海で海は静か、西の大陸からの高級交易品が並ぶ店や高級リゾートホテルが並ぶ大陸でも有数のリゾート地である。


「それはハル姉の行きたい所ですよね?私、、もっと真面目な話のつもりで言ったのですが……」


 ヒルデガルドは少し呆れつつ真剣な表情で言う。


「そんなの分かってるわよ。私からすればもっと早くて良かったぐらいだし。漸く決めたかって、感じね。その辞令は流石に無いわね。もしあなたがその異動を受け入れるつもりだった意地でも神殿をやめさせただろうけど」


 ヒルデガルドと契約している悪魔ハルファスは何を今更と言った感じだった。

 彼女自身、付き合いが長すぎてヒルデガルドは完全に妹の様な存在となっており、常に心配だった。

 ヒルデガルドは悪魔憑きと言うのを隠して神殿にいる為、万が一、発覚すれば異端者として処理されてしまう。

 今までは母である前教皇アナスタシアの庇護下であったので危険は少なかったが、現在はかなり危険な状態とも言えた。

 ハルファスはアナスタシアが亡くなった際にヒルデガルドに神殿を離れる様に幾度か説得したが、まだやらなければいけない事がある、と言い説得には応じなかったのだ。


「でもやる事があると言ってたけど、それは良いの?」


「少しでも事件の真相に近づけたらと思って調べてみましたが、今の私では無理そうです」


 やりたい事と言うのは母であるアナスタシア殺害事件の真相を明らかにする事だ。

 アリアがアナスタシアを殺したとは思っていない。

 カナリス派が非常に怪しいとは思っているが、それは憶測でしか無く、確たる証拠は無い。

 色んな方面に聞き込みをしたりしているが芳しくない。

 精々、実行犯の神官が人知れず始末された事だけだ。


 アリアに直接、話を聞こうと封印の中へ入ろうと試みたが警備が厳重、且つ強固な封印の結界に阻まれ断念。

 結局、大した進展が無く終わった。


「それに神殿での騒ぎはどうやらアリアちゃんがリアーナ様達と逃げ出したから起こった事らしいのです」


 神殿で騒ぎがあった日は普通に自宅で寝ていたので全く気が付かず、翌日、神殿に行った際に聞いたのだ。

 この件は緘口令が敷かれていたが、色んな憶測が飛び交っており、噂は広まっていた。


「あの小さい子ね。ヒーはどうしたいの?」


「私はアリアちゃん達を追うつもりです。母の死の真相を私は知りたい」


「で、それを知ってあなたはどうするの?」


 真剣な面持ちでハルファスはヒルデガルドへ問い掛ける。

 二人の間に沈黙が広がる。

 ヒルデガルドはゆっくりと口を開いた。


「……多分、犯人を許せないでしょう。私は母を殺した犯人が憎いです」


「それは復讐したい、と言う事?」


「そうかもしれません……」


 ヒルデガルドの答えにハルファスは少し間を置いて息を吐く。


「ねぇ……復讐なんてやめて何処かでのんびりしても良いんじゃない?アナスタシアはあなたに復讐なんて望まないと思う。寧ろ神殿から離れて幸せに過ごして欲しいと思っている筈よ」


 ヒルデガルドにはハルファスの言葉が不思議と母の言葉の様に聞こえた。

 単なる気のせいと言えないぐらいの錯覚だった。

 だがヒルデガルドにはその違和感を無視する事が出来なかった。


「もしかして母と何か話しました?」


 ハルファスはアナスタシアと面識がある。

 それはヒルデガルドもよく知っている。

 小さい頃はよく三人で食卓を囲んだからだ。


「今の言葉がハル姉の言葉では無く母の言葉の様な気がしたのです」


 ハルファスは妙な所で鋭いと思いながら少しであれば話しても良いだろう、と思った。


「えぇ、その通りよ。いつだったかしら?もう二年ぐらい前にあなたをお願いされたのよ。きっと暗殺されるからよろしく、てね。別にこれはアナスタシアだけじゃなくて私も同じ意見よ」


 ヒルデガルドは姉と母の二人に諭されている様な感覚に陥っていた。

 錯覚だと分かっていても強く響く何かがあった。


「アナスタシアの真相を知りたい気持ちは分かるけど、復讐はやめよう?」


 最後は優しく微笑むハルファスに気持ちが揺らぐ。

 ヒルデガルドは葛藤していた。

 望まない復讐に走るべきだと分かっていながらも、心の何処かで憎悪を宿した炎がチリチリと胸を焦がすのだ。


「別にあの子を助けるのがダメとは言わないわ。少し考えてみて欲しいかな」


 少し困った妹を諭す様なハルファスの口調にヒルデガルドも折れる。


「分かりました。少し時間を下さい。それにしても本当にハル姉は悪魔なんですか?昔から思うのですが……」


 ヒルデガルドは常々、疑問に思っていた。

 いつも優しく本当の姉の様に接するハルファスが悪魔にはどうしても思えなかったのだ。

 神教の教えの悪魔は人を貶めたりする悪の存在として語られる。

 目の前にいる悪魔は人の良いお姉さんにしか思えないのだ。


「私だって復讐への欲望を妨害する悪い悪魔よ」


「普通は復讐を煽って破滅させる物かと……」


「そんな事したらヒーが可哀想じゃない。ま、最初は子守なんて真っ平なんて思っていたんだけど、一緒にいる内に可愛くなっちゃったんだから仕方が無いじゃない。懐かしいわね。ヒーがよちよち歩きがやっと出来る様になった時、熱を出してアナスタシアと一緒に慌てたのは」


 小さい頃にそんな事があったのか、とヒルデガルドは関心を抱きながら耳を傾ける。


「アナスタシアも母親の経験がある訳じゃ無いから……って、私もなんだけど結局、お付きのお手伝いさんに頼りっきりだったのよね。悪魔が人間の子供の面倒の見方なんて分かる筈無いじゃない。でも小さい頃のヒーはほっぺを突くと直ぐに泣くのよね。あれには参ったわ」


 ヒルデガルドが参ったのはハル姉の方です、と口には出さないが内心呟いた。


「それにしてもハル姉は悪魔なのに家事も出来ますよね?」


 ハルファスはヒルデガルドが仕事で日中、家を留守にしている間に掃除や洗濯をしているのだ。

 更に晩御飯の準備までしている。


「そこら辺はお手伝いの人に教えられたからね。私もアナスタシアもどっちも家事はヤバかったからね。結局、家で暇をしている私が覚えただけ」


 アリア達と違いハルファスが頻繁に出現しているのかと言うとヒルデガルド自身が悪魔の能力を使うのにハルファスの魔力を使う量が減ったからだ。

 これはヒルデガルド自身が半分悪魔と化している証拠で有り、長年に渡って悪魔と契約した影響でもあった。


「大分、話が脱線したけど、ヒーはあの子を追うのね?」


「はい。アリアちゃんは私の数少ない大事な友人ですから」


 その言葉にハルファスは表情には出さないが内心、そう心から言えるヒルダガルドを見られて嬉しかった。


「分かったわ。でもこれだけは覚えておいて。私もアナスタシアもヒーが幸せになって欲しいと思っているのは忘れないで」


 ハルファスはしつこいかもしれないと思いながら最後に念を押した。

 二人はいつも通り一緒に食事を取り、夜は更けていった。



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