104:解放
長い通路を淡々と歩み進める。
並ぶ部屋の扉からは漏れ出る悪魔の魔力が感じ取れる。
来る時は異様だと感じた魔力だったが、今は何も感じない。
何も感じないと言うのは語弊があるだろう。
封印した者への憎悪の感情が魔力から感じ取る事が出来た。
だが、カタストロフから封印された理由を聞く限り自業自得とも言える内容だった。
―――曰く、その悪魔は人を誘惑し、堕落させ、一つの国を滅ばした。
―――曰く、その悪魔は人に乗り移り、殺人鬼を作り上げた。
―――曰く、その悪魔は大地を腐らせ、湖を毒が蔓延する死の湖に変えた。
助けない理由は悪魔同士、必ずしも仲が良い訳では無い事だ。
人々の中で悪魔は害を成す種族として認識されているが、悪魔は横の繋がりを持たない者が非常に多く、欲望のままに生きる者が多い。
その為、悪魔同士で争う事も珍しくは無い。
カタストロフは悪魔の中で最も強い者と言う事で悪魔王の名を冠しているが、全ての悪魔がカタストロフに恭順している訳では無いのだ。
バジールはカタストロフに恭順する悪魔だが、アスモフィリスはまた違う。
言うなれば悪魔の中で唯一、カタストロフと対等な存在だ。
だからと言って中が悪い訳ではなく、気さくな友人と言う関係だ。
解放しない理由を追加で言うなれば、御せない者を解放する理由が無い。
アリアは陥れた者には復讐をしたいと思っているが、普通に生きる信者に危害を加えようとは思っていないし、望まない。
ここにいる悪魔を解放すれば人々への甚大な被害が出る事が明白な悪魔ばかりだ。
一部、無害な悪魔もいるが、それは極少数。
アリアは途中にある扉の前で足を止める。
手で封印に触れるといとも簡単に封印が壊れた。
「ここで良いんだよね?」
『ここにいるのは僕の配下の悪魔だよ。大分、弱っているけど、時間が経てば使える奴さ。ま、ちょっと変わり者だけどね』
「変わり者?」
『元々は双子の人間の捨て子で僕が拾って悪魔にしたんだ。この二人はちょっと思い入れがあってね。ここに放っておくのはちょっと忍びないと思ってさ』
アリアはどんな悪魔だろう、と思いながら扉を開けると二振りの魔剣がそこには安置されていた。
「ここで封印を解くの?」
『いや、相当弱っているから剣を抜いて空間収納に放り込んでおく感じかな。今の状態で封印を解いても逃げる時に足手まといだから』
アリアは魔剣を手に取り、無造作に空間収納へ放り込む。
部屋を出て出口へと向かう。
道中、悪魔達の怨嗟の声を聞き流しながら深淵の寝床の入り口とも言える、強固な封印が施された扉の前まで来た。
その扉をじっと見つめる。
ここへ来た時は二度と出る事が出来ないと絶望を感じた。
そう言う意味では絶望の象徴とも言える扉であっただろう。
だがその扉も今のアリアからすれば紙切れ当然の存在だった。
アリアは大剣を構える。
その先に見据える物は昏い願いであっても立ち止まる事は無い。
「やぁぁぁぁぁぁ!!」
力任せに振り落とす一太刀に盛大な硝子が割れる様な音が響き渡ると共に封印が破壊される。
破壊の魔王―――それは最強の矛とも言える存在だった。
アリアは扉に手を掛け、軽く押すと扉はいとも簡単に開かれた。
扉の先には驚愕の表情でアリアを見つめる神官達。
それもそうだろう。
深淵の寝床の封印はどの様な悪魔も内側から出る事は出来なかった程、強固な物なのだ。
そして記録に残る限り千年以上その様な事態が起こった事は無かった。
だがカタストロフからすればここの封印は大した物では無かった。
彼は自分の意思でここに封印されていた。
出ようと思えば何時でも出れたのだ。
しかし、神官達はその事実を知る由も無い。
神官達はアリアが手にする禍々しい大剣が目に入る。
ここにいる神官達はそれが何か直ぐに理解した。
彼らは封印を守る事に主眼を置いた訓練を積んだ人間。
悪魔に対する知識も当然持っている。
なのでその剣が悪魔が封印されている魔剣だと言う事も知っている。
神官達に緊張感が走る。
魔剣を持って封印から出てきた事から導かれる答えは一つしかない。
悪魔と契約したと言うのは想像に難くは無かった。
だが神官達はどの魔剣にどの悪魔が封印されているかまでは把握していなかった。
深淵の寝床に封印されている悪魔は二百体以上に上る。
どの悪魔か分からなくても一大事になんら変わりは無い。
目の前にいる少女は悪魔として封印された聖女だが、纏う気配は異質。
相当上位の悪魔と契約を交わしたのだと神官達は判断した。
一斉に武器を取り出す。
『奴さんはやる気だね』
カタストロフはこの状況がまるで面白いかの様に言った。
『そうだね。手加減する必要は無いよね?』
アリアは容赦をする気は全く無かった。
神官達の中には見覚えのある顔が数名あった。
アリアを封印した時にいた神官だ。
『肩慣らしと食事にしたらどうだい?』
『それは良いね』
アリアはカタストロフの提案に笑みを浮かべる。
神官達は突如、口角を吊り上げて笑みを浮かべるアリアが不気味だった。
彼らもアリアの事を知らない訳では無い。
聖女として人々を救済していた少女だと言う事を。
だが眼前に立つのは脅威でしかない。
「虚転」
アリアは魔法を発動させると共に姿がその場から消える。
構えていた神官達はアリアの姿を見失い、辺りを見回す。
姿を完全に見失った。
「がふっ……は?」
突如、一人の神官の胸から腕が生えた。
彼は自分の身に何が起こったか理解出来なかった。
腕が引き抜かれると同時に彼の心臓も抜き出され、彼の意識はそこで無くなり、物言わぬ体となった屍は力無く地面へと倒れた。
アリアが行ったのは虚無属性の魔法で神官の背後へ空間を渡って移動し、後ろから素手で体を貫いただけだ。
その行いは神官達に恐怖を与えるのには充分だった。
一瞬の内に仲間が殺された事により動揺が走る。
アリアは手に持つ心臓に齧りつく。
その奇行に神官達は目を覆いたくなった。
アリアは神官の思う事など気にも留めず口から血を滴らせながら咀嚼し飲み込む。
久しぶりの食事に胃が満たされていくのが分かる。
人の肉を食べるのは初めてだったが、瑞々しい血が滴る心臓は思いの外、美味しかった。
アリアの目が神官達へと向く。
恐怖に駆られた神官達は手にした武器を構えて一斉にアリアは躍り掛かる。
アリアはその行動に罠に掛かった獲物を見るかの様に嗤う。
「影網」
アリアを中心に黒い影が放射状に伸びていく。
影は神官達の体を絡め取り身動きが取れない様に拘束していく。
「な、何だこれは!?」
「ぐっ……影が絡み付いて……」
「まさか闇の魔法!?」
神官達は口々に驚愕の声を上げる。
闇の魔術は人には滅多に現れない適性の魔術、且つ適正を持つ者は神に背く者としての烙印を押されるのだ。
聖女は治癒魔法に特化した者。
だから闇の魔術を使える筈が無かった。
一人の神官はアリアの持つ魔剣に視線が行く。
そこで気が付いた。
悪魔の持つ力の一端なのでは無いかと。
気付いた時には既に遅く、影に拘束されて身動きが取れなかった。
アリアからは神官達は単なる餌程度にしか見えていなかった。
蜘蛛の巣に掛かった哀れな虫の様に。
影へ通している魔力を強める。
僅かにその顔に今まで以上に狂気を宿した目で嗤う。
神官達もその笑みに恐怖を掻き立てられる。
彼らはアリアが上位の悪魔と契約したと結論付ける。
だが神官達はアリアが悪魔の最上位に位置する悪魔王の力を取り込んでいる事を知らなかった。
そして彼らの命は儚く散ろうとしていた。
「網斬」
拘束している影が一瞬、ブレたかの様に見えた。
刹那、地の底で鮮やかな血の薔薇が咲いた。
神官達は一瞬で抵抗する間も無く影の刃で細切れの肉塊と化した。
アリアはその光景に特に湧く感情は無かった。
空腹を満たす為、心臓を拾い口へと運ぶ。
その動作は捥ぎたての果実を取るかの様に。
生々しい湿った咀嚼音が暗い地下に響き渡る。
アリアは一通り食べ終わると服の袖で口を拭う。
「思っていたより普通のお肉だね」
『それは僕にも分からないな。魂は中々の味だったね。どうやら君の復讐相手みたいに愚か者が混ざっていたみたいだから』
悪魔は穢れた魂で腹を満たす事で満足感を得る。
「でも外に出たら心臓を手に入れるのは難しそう」
『そんな事は無いよ。盗賊みたいな奴らはいくらでもいるからね。駆除ついでに食事をすれば良いんだよ』
「それは良い案だね」
アリアはその手があったかとカタストロフの言葉に感心する。
『悪魔の契約者が穢れを取り込むのが悪魔になる一番の近道さ』
カタストロフは簡単にそれを言ってのけ、アリアは迷わず実行する。
それがどれだけ異常な事か知る由も無い。
そしてこの行いは普通の悪魔は知らない事だった。
古より生きるカタストロフと一部の堕とされし者達しか知らない事であった。
「ふーん……私はあいつらに復讐出来れば何でも良いよ」
アリアの言動にカタストロフは違和感を感じていた。
それはアリアの感情の何かが欠落していると言う事だ。
アリアは先程から迷わず人を殺している。
彼女の生い立ちからして有り得ない事なのだ。
普通の人間ならば人を殺せばその行いに心が苛まれる。
アリアがそう言う生業の人間ならまだ有り得ただろう。
だがアリアは貧しい孤児院で育ち、リアーナに引き取られ、自ら人を殺す機会などほとんど無い。
唯一、力を暴走させて盗賊を危めてしまった事はあるが、アリアの中では記憶のはっきりしない部分でもあり、人殺しに慣れている訳では無い。
それなのにも関わらず迷わず神官達を屠ったのだ。
更に人間として最も忌避される食人に躊躇いを見せない。
それ所か普通の食事の様に行っている。
カタストロフもその行動には驚きを禁じ得ない。
アリアは無惨な肉塊となった神官達には一瞥もせず、地上へと繋がる階段へ向かう。




