11:カーネラル王国の者達
カーネラル王国、第一王位継承者である王太子ヴィクトル・カーネラルは王都ドルナードにある王宮の執務室で頭を抱えていた。
年齢は二十歳過ぎたぐらいだろうか。
そのくすんだ金髪に紫の眼を持った鋭い目つき、凛としたその姿に女性は虜にされてしまうだろう。
それ程の美貌を持ったカーネラルの次期国王と名高いヴィクトルは目の前にいる部下がもたらした報告に頭を項垂れている。
「前教皇アナスタシア様の娘であるヒルデガルドが無断で出奔したと言うのは本当なのか?」
ヴィクトルの腹心である第一騎士隊服隊長、ヴァン・フェルディナントに聞きなおした。
彼は燃える様な赤い髪と対象的に表情を変えず答えた。
「はい。一ヶ月前に地方への視察に出た筈なのですが、彼女から何も連絡も無い状態です。それに加えて視察に出る前に彼女の家の家財が全て処分されております。王都内の商会に確認が取れました。彼女が全て売り払った様です」
神教の司教の身分にある女性が国を勝手に出奔する等、前例が無い。
神教の司教と言えばカーネラル王国で言えば下級貴族相当に当たる。
わざわざその身分を捨てる人間なんていないのだ。
「彼女を追っている神教の密偵が彼女の手によって始末されています。神教の密偵を監視していた第零騎士隊から報告が上がっております」
第零騎士隊とは表に出てくる事が無い密偵、暗殺等を主とした部隊だ。
「神教の密偵をヒルデガルド一人で何とかなるのか?」
ヴィクトルは司教の女が暗殺の役割も持つ神教の密偵を倒せるとは思えなった。
出奔したとなれば前教皇の娘である彼女の命は狙われてもおかしくなく、差し向けられた密偵も暗殺任務を命令されていても不思議ではない。
「報告だと特殊な魔法で神教の密偵、十人を一瞬で殺した様です」
「特殊な魔術だと?」
ヴィクトルは眉を顰めた。
「はい。何でも虚空に無数の剣が現れ神教の密偵を切り刻んだとの事です。宮廷魔術師にこれがどの様な魔法か確認しましたが、どの様な魔法か分かっておりません。属性魔術では無さそうですが……」
「……特殊属性か?」
魔法は基本的に火、水、風、土の基本属性に光と闇の上位属性に分類されている。
一部、諸派では氷も基本属性に入れている。
それ以外の属性が無い訳では無い。
空間を操る虚無属性の様な先程の属性に該当しない属性を特殊属性と呼ぶ。
「宮廷魔術師はその可能性が高いと推測しておりますが、彼らも実際に見た訳でもなく、今まで聞いた事が無い魔法の為、判断は難しいかと」
「神殿の者なら魔力適正検査を行っているはずだ。その結果はどうっだのだ?」
ヴァンの表情が少し渋い。
「殿下がおっしゃられた様に魔力適正検査の結果は確認しましたが、特殊属性は無く水と土の適正だけでした」
「つまり手詰まりと言う事か?」
「はい。申し訳ありません。誠に遺憾ではありますが情報が少なく、現状では詳細は無理です。更に我々の密偵にも気付いた素振りもあった様で、隊員を無闇に危険に晒す訳にはいかなかったので、迂闊に近づく事も間々なりません」
ヴァンは頭を下げる。
「騎士を無闇に危険に晒す訳にはいかん。現状、何処にいるかも分からないのか?」
「別任務の騎士から偶然にもピル=ピラへ向うファルネットとの国境で馬車で移動するヒルデガルドを見掛けたとの報告があります。恐らく今はピル=ピラにいる可能性が高いと思われます」
ヴィクトルは深い溜息をした。
一年前の前教皇アナスタシアの殺害、聖女アリアの事件、そこへ前教皇の娘であるヒルデガルデの出奔だ。
神教周りのきな臭さは以前より増している。
それは後々、厄介な事になる予感しかなかった。
「命を危険に晒さない範囲で密偵を。無理なら諦めても構わん」
ヴィクトルは彼女と面識が全く無い訳ではなかった。
王都の学校で一緒に学んだ仲だ。
「畏まりました。殿下」
机に置かれた既に冷めたコーヒーを一口啜る。
「リアーナ・ベルンノットの動向はどうなっている?」
これもヴィクトルを悩ませる種だ。
侯爵家の長女であり、第五騎士隊の隊長が突然、国を出奔したのだ。
それと同時に神教の神殿の最奥【深淵の寝床】に封印されたアリア・ベルンノットが逃げ出した。
恐らく、リアーナはアリアを匿う為に国を出奔したと見ている。
「全く動向が掴めません。ピル=ピラ方面の密偵が数名、行方不明になっております。恐らく彼女達に見つかり殺された可能性が高いです」
リアーナに放った密偵は全て行方不明になっている。
密偵の行方不明者がいる地域にいるのは間違いない。
「殿下。これで密偵が九名、行方不明になっております。これ以上は悪戯に我々の被害が増えるだけになります」
リアーナはカーネラルの北にあるランデール王国との戦争でカーネラルの戦女神と呼ばれる程に武勲を挙げた騎士だ。
「リアーナに仕えるアリア付の侍女は元暗殺者だと言う事が調べで分かっております。これ以上手を出すのは得策とは思えません」
ハンナは元暗殺者で斥候としてかなり優秀だ。
彼らは彼女達が悪魔との契約者だと言う事を知らない。
「カーネラルの戦女神だと第零騎士隊では手に余るか……」
ヴィクトルは頭を抑えた。
「正直、リアーナが相手だと五角に戦えるのは私か第二騎士隊長のヘクターぐらいでしょう」
ヴァンとヘクターはその強さからカーネラルの双剣と呼ばれており、カーネラル三強の二角だ。
最後の一角はカーネラルの戦女神のリアーナである。
「アリア様が封印された時のキレたリアーナは私とヘクターでも押さえるので手一杯でしたよ」
アリアが封印されたと聞いたリアーナは完全武装で神教の神殿に一人で乗り込もうとしたのだ。
第一騎士隊と第二騎士隊の精鋭で何とか彼女を押さえた。
死者が出なかったのは奇跡だった。
「ハルバートの一振りで私の部下五人が吹き飛ばされるのですから……」
ヴァンはその時の事を思い出すと僅かに身震いした。
あの時のリアーナは戦女神では無く狂戦士だ。
「リアーナ・ベルンノットの追跡は中止だ。これ以上犠牲を増やす訳には行かない。そこに当てていた人員は教皇の周辺を当たらせろ。聖女アリアが嵌められて封印されたのは間違いない。神教内の揉め事に介入出来ないのが歯痒いがな」
神教内の事には国は干渉してならない取り決めがある。
ヴィクトルはアリアの冤罪については確信していたが、何も動きを取れなかったのを悔やんでいた。
「畏まりました」
「それとリアーナと親しい者を二人見繕ってくれ」
「それはどうなさるのですか?」
「ピル=ピラ方面にいるのは間違いないだろう。密偵ではなく使者として堂々と会えば大丈夫だろう。害の無い者を殺す様な人間ではあるまい」
国にとってリアーナを手放しで放置出来る様な人間ではなかった。
カーネラルの戦女神と呼ばれる英雄が他国でカーネラルに牙を向かない様にしたいのだ。
「こっちは早めに頼む」
「急いで人選致します」
ヴァンが一礼をし、執務室から退出する。
ヴィクトルは執務室の窓の外を見ながら一末の不安が拭えずにいた。
近々、この国で何か大きな事が起きる事を。




