92:憤怒のリアーナ
その日、第五騎士隊のミレルは通常通り王宮で王族の警護に当たっていた。
特に行事がある訳では無いので、いつも通り側室であるマグダレーナの護衛に就いていた。
隊長であるリアーナは王妃であるルクレツィアの護衛に就いている。
この日はルクレツィアとマグダレーナ、もう一人の側室であるハーノア家から王家に嫁いで来たグレースがお茶をしていた。
「そう言えば今日はリアーナはいないのですか?」
マグダレーナはふとお茶を飲みながら護衛の面々にリアーナがいない事に気が付いた。
「リアーナ隊長は本日、王宮警備の会合に出席する関係で本日は別の者が担当している次第でございます」
ミレルが代表して答える。
「通りでイライザもいないのね」
グレースは自らの護衛の副隊長であるイライザがいない理由に納得した。
「二人がいないと少し寂しいわ」
何処となげに寂しそうなルクレツィア。
「そうですわね。あの二人の掛け合いは何度見ても飽きないわ」
そう言うのはグレースだった。
「私達を置いてきぼりにして始めるのですから」
マグダレーナは少し困った様に言うが何処か楽しんでいる様な感じだった。
「あのお二人は両極ですから……」
ミレルはその場にいない二人を思い起こしながら内心溜息を吐きつつ漏らした。
イライザはリアーナと仲が悪い訳では無い。
基本的に考えて知略を巡らせて対処するのが是とするタイプなのだが、リアーナは直感を信じるタイプだ。
会議では意見が合わない事もしばしばあるのだ。
問題があるとすれば王族の前でも稀にやらかしてしまう事。
王妃や側室達、その子女はいつもの夫婦漫才と思って眺めているのだ。
プライベートでは仲が良い事を知っているので安心して見られる余興の一つだった。
「そうね」
そんな和やかな後宮近くの東屋だったが、一人の騎士が駆け込んでくる。
「ミ、ミレル様、大変です!!」
「静かにしなさい。ここは王妃様方がおられるのです」
駆け込んできた騎士に対してやんわり注意する。
ただその様子からしてただ事では無い感じを受け止めた。
「リアーナ様を止めて下さい!!」
「は?」
ミレルは一瞬、何があったのかと思った。
東屋で聞いていた王妃達も訝しげな視線を送る。
「一体、何があったのですか?」
「実は聖女様が教皇猊下殺害の疑いで投獄されたとの連絡が神殿からありまして……それを聞いたリアーナ様が王都の神殿に乗り込もうとしておりまして」
ミレルは直感的にヤバいと思った。
そんな話がリアーナの耳に入れば何をするか分からない。
「分かりました。リアーナ隊長は今何処にいますか?」
「騎士隊の詰め所の近くです」
「ありがとう。あなたは急いでヴァン隊長とヘクター隊長に連絡して」
「はい!」
駆け込んだ騎士はミレルの指示に従い急いでその場から離れた。
ミレルは王妃の下へ行く。
「ルクレツィア様」
「私達の事は構いません。急いで行きなさい。私達は後宮へ戻りますので、そちらの二名に護衛を頼みます。ミレル、リアーナを頼むわ」
ルクレツィアは騎士の情報から断片的に状況を推測し、ミレルが現場に急いで行った方が良いと判断した。
ちらっと側室達に目線を送るが二人とも頷き問題無いと返した。
「ルクレツィア様、ありがとうございます!それでは失礼致します」
ミレルは一礼をし、王宮を駆け抜けリアーナのいる騎士隊の詰め所へと急いだ。
詰め所に近づくと正面から猛烈な殺気を感じて思わず足が止まる。
今まで味わった事の無い殺気に息が詰まりそうになる。
ミレルは殺気の主が分かっていた。
歯を食いしばり詰め所へ向かう道を進む。
道中には殺気に当てられて意識を失って倒れている者達がいた。
その中には同僚の第五騎士隊のメンバー達がたくさんいた。
情けないと思う事無かれ。
彼らはリアーナと言うカーネラル王国最強と呼ばれる一角を止めようとしたのだ。
結果は無惨な物だが、それを咎める物はいないだろう。
ミレルは倒れる仲間を一旦、無視してリアーナの元へと向かう。
廊下を曲がった瞬間、意識が一瞬飛びそうになるぐらいの濃厚な殺気を浴びせられた。
その先にいたのは完全武装でハルバートを手にしたリアーナだった。
「リアーナ隊長!!」
ミレルは悲鳴の様な声でリアーナを呼んだ。
その声に反応し、リアーナがゆっくりと振り向く。
「何だ?」
リアーナから発せられた声にミレルは思わず一歩後ずさる。
普段で考えられない様な低い声、それに全てを射殺さんとばかりの視線だった。
幾度と無く戦に赴いた事があるミレルだったが、今程自分の死を身近に感じた事は無かった。
既に足は尋常ではないぐらいに震えており、これ以上歩みを進める事は出来なかった。
「用が無いなら行くぞ」
リアーナは踵を返そうとする。
「待って下さい!!」
ミレルの声に何も答えず見据える。
「一度、落ち着きましょう!アリア様が心配なのは分かりますが、このまま神殿へ行っても何もなりません!」
ミレルは必死に言葉を捻り出す。
「カナリス派を一人ずつ尋問していけば良いだけだ」
リアーナは何処までも平坦な口調だった。
そして犯人の目星を付けていた。
「それはダメです!そんな事をしても解決にはなりません!」
「全て殺して処刑台で私の首を落とせば良い話だ」
驚く程静かな言葉でリアーナは言い切った。
実際にリアーナならそれの完遂してしまうと思ったミレルだった。
だからこそここでリアーナを止めなければいけないと思った。
震える足を動かしリアーナとの距離を少しずつ詰める。
「そんな結末、誰が望むと言うのですか!!」
「お前には関係の無い話だろう」
ミレルは言葉が届かない事に歯噛みする。
自らで止められなくてもせめて足止めぐらいは、と思いながら言葉を紡ぎ出す。
「そんな結果、もしアリア様が助かっても悲しむだけでしょう!?」
ミレルの言葉に一瞬、リアーナの殺気がほんの少しだけ和らいだ。
「私にとってはアリアが全てだ。それを害成す者を私は許さない」
言葉と共に今まで以上に強い殺気が溢れ出す。
ミレルは心臓が飛び跳ねて胸から飛び出そうな錯覚に陥り、呼吸も苦しくなってきた。
「ダメです!私は……私はリアーナ隊長を行かせる訳には行きません!」
声を張り上げ、自身を必死に鼓舞する。
「で、私をどうやって止めるんだ?その様で」
足が震えて、息を荒くし、泣きそうな顔をしていた。
それでもミレルはリアーナを止める為、剣を抜く。
「アリア様の為に……命に代えてでも止めます」
剣を抜いたが既に剣先は震えて真面に剣を振るえる状態では無かった。
そしてこの状態のリアーナの前で剣を向ける行為の意味を分からないミレルでは無かった。
だが悲しむアリアの姿は見たく無いとミレルは思った。
孤児院に迎えに行ってから神殿へ送るまでの短い期間ではあったが、それなりに多くの時間を過ごしてきた。
リアーナがどれだけアリアを大切にしているのかを知っているし、アリアがリアーナの事をどれだけ思っているのかも知っていた。
だからこそ剣を抜いてでも止めなければならない。
「そうか」
リアーナは一歩ずつミレルに近づいてくる。
ミレルはその一歩が死神の足音で、まるで自分の命のカウントダウンの様に聞こえた。
その足音は凄くゆっくりとミレルの耳に届いた。
鼓動が早くなった心臓の音も何故かゆっくりに聞こえた。
まるでスローモーションの様に夢の中にいるかの如く。
ミレルは息を吐く。
自分の剣でリアーナを止められるとは思っていなかった。
でもそうするしか無かった。
足を前に踏み出そうとしたその瞬間―――
「え?」
目の前にいたリアーナが消えた。
ミレルは横に目を逸らすとハルバートを握ってない反対の手が振り上げられていた。
リアーナは一瞬で間合いを詰めてミレルの横にいたのだ。
咄嗟にその拳をガードしようと剣を構えようとする。
しかし、ガードする前にミレルの顔面に物凄い衝撃が走った。
リアーナの拳で殴られたミレルは吹き飛び、王宮の壁を破壊し王宮の庭に壊れた人形の様に転がった。
ミレルは辛うじて意識はあった。
今までリアーナと幾度と無く模擬戦で手合わせをしたが、たった裏拳の一撃で体が動かなくなるとは思わなかった。
殴られた瞬間、首から上が無くなったと錯覚した。
それ程までに強力な一撃だった。
立ち上がろうとするが、全身が痺れた様に全く動かない。
「手加減はした。そこで寝ていろ」
あれで手加減されたのかと思うと悔しかった。
そう思っていると廊下からたくさんの足音が聞こえてきた。
「リアーナ、そこまでだ!!」
聞こえてきた声が第一騎士隊の隊長であるヴァン・フェルディナントの声だと分かると、ミレルは最低限の役目を果たせた事に安堵し、意識を手放した。




