87:動き始める悪意
あれからアリアは聖女として色々な公務をこなしていた。
アリアが各地を回った事に因って人目でも聖女を見ようとヴェニスへ巡礼に来る信者が非常に増えた。
ヴェニスの街は今まで以上に活気に溢れており、この街では有体に聖女特需と呼ばれている。
特に街で飲食店や商店を営む物達にとって聖女は感謝してもしきれない存在となっており、本人の知らない所で聖女としての評価が上がっていた。
各国へ回る旅も順調だった。
ガル=リナリア帝国では大歓迎され、皇帝から多大な喜びの言葉を貰い、帝都をパレードするぐらいに帝国の民にも歓迎された。
想定外だったのは皇帝から皇妃にならないかと求婚されたのだ。
しかし、そこはアナスタシアがきっぱりと断り、事無きを得た。
何処の国も聖女を妃として迎え入れれば他国への影響力もさながら自国内の安定にも繋がる事もあり、積極的に誘われるのだ。
実際に南の小国郡を回った時も同じ事があった。
そう言う時は大抵、アナスタシアが上手く断りを入れた。
アリア自身も一人にならない様に心掛けた。
常に接触してくる者が後を絶たない為、万が一が無い様に護衛や傍付きの神官が常時、アリアの周りを取り囲む様にしていた。
そのお陰で厄介な事態に陥る事は無かった。
アリアは着々と聖女としての地位の地盤を固めて行った。
だがそれを喜ばない人間もいた。
それはボーデンが率いる最大派閥、カナリス派の者達だ。
カナリス派はアリアの地位が高まるに連れて疎ましく思う様になった。
理由はアリアが種族問わず平等に人々を救済するからだ。
人間至上主義を掲げるカナリス派にとっては都合が悪かった。
実際にアリアの行動を目の当たりにした人々はその姿に感動を覚えて徐々にだが、種族関係無く接するべきと思う者が増えていた。
特に聖女を崇める者達は顕著でカナリス派から距離を置こうとする者が出始めていた。
次の教皇を狙っているボーデンにとっては非常に良くない状態だった。
追い討ちを掛ける様にアナスタシアが種族融和の施策を次々に打ち出していく。
今まではカナリス派の勢いが大きく、根回しをしながら動きを抑えられていたのが、聖女アリアと言う後ろ盾が出来た事により抑えられなくなってきていた。
更に悪い話が続き、カナリス派の大きい資金源であり後ろ盾でもあるランデール王国への聖女の訪問が無くなったのだ。
ランデール王国はカーネラル王国との戦で敗北し撤退を余儀なくされた。
その勝敗を分けたのが前回の戦と同様のアリアの義母であるリアーナの存在だ。
リアーナによりランデール王国の精鋭部隊が壊滅し、多大な被害を被った。
そしてアリアはリアーナの義理とは言え娘なのでランデール王国へ向かえば暗殺や誘拐の危険があると言う理由からアナスタシアが訪問を無しにすると言う決定を下したのだ。
ボーデンが反対しようにもその可能性が高く反論の余地が無かった。
万が一、ランデール王国がアリアを害すればカナリス派は非常に不味い事になる。
人間至上主義を掲げている国、更にカナリス派の後ろ盾をしている国が聖女を害すると言う事は聖女を崇めている信者からの非難は免れない。
カナリス派の中でも日和見的な人間も多数おり、派閥から離れていってしまう恐れも十分にあるからだ。
カナリス派の重鎮の一人、大司教の地位にいるガリア・ノルンドは今の状況に危機を感じていた。
彼は極度の人間至上主義者だ。
生まれが帝国と言う事もあり、カナリス派の中でも強硬派とも言われる人物の筆頭でもあった。
ガリアはサリーンを自らの執務室に呼び出していた。
「あの……大司教様、お呼びをとお伺いしたのですが……」
部屋に入ったサリーンは突然の呼び出しに戸惑いを隠せなかった。
サリーンはまだ神官になったばかりの身なので大司教ぐらいの地位に人間に呼び出される事などほとんだ無い。
「そちらに座りなさい」
ガリアはサリーンに席へ着く様に促す。
「はい……」
サリーンはガリアの向かいに座り、平静を装うも内心は緊張と困惑で一杯だった。
「そんなに畏まらなくていい。最年少で神官になった君とは一度、話をしてみたかったのだよ」
「はぁ……」
ガリアの言葉に何処となげに相槌を打つ。
「その年齢で切断の怪我をも癒す君の力には感服したよ」
「ありがとうございます」
「今は聖女付きだったかね?」
「はい」
サリーンは常にアリアの腰巾着の様に言われるのが嫌だった。
陰でサリーンをその様に言う輩がたくさんいた。
最年少で神官に昇格したサリーンを妬ましく思っている者が少なからずいる。
聖女のコネで神官になったとか噂されるぐらいだ。
「君は聖女付きの神官の歩む先と言うのを知っているか?」
「それはどう言う意味でしょうか?」
サリーンはガリアの言葉の意図が掴めなかった。
「ふむ、その感じからだと知らないと見える」
ガリアの口角が僅かに上がる。
「聖女付きの神官は一生を聖女と共に過ごす事になる。本人が望もうと望まなくてもな」
サリーンは初耳だった。
彼女にとっては妹の様な存在のアリアの面倒を見ている様なものだと思っていた。
それがずっと続くとは考えてもいなかった。
「まぁ、フィンラルの様な聖女に全てを尽くす様な人間なら問題無いだろうな」
ガリアは暗にお前は違うだろう、と言っているのにサリーンは気付いたが、敢えて無表情を貫く。
「君は確かラフェルス伯爵の娘さんだったかな?」
ガリアの言葉に目を見開く。
サリーンは今まで自分の生まれをアリアどころかシスターにでさえ話をした覚えが無かった。
その事をガリアの口から出るとは思ってもいなかったのだ。
「その表情はビンゴと言った所かな。ラフェルス伯爵とは面識があったものでね。君はご夫人に非常に似ていたのでもしかして、と思ったのだよ」
調べるのは大変だった、と付け加えながらもサリーンは動揺していた。
不正を行った貴族の娘が神官になっているのは風聞が悪い。
もしかしたらここで追い出されるかもしれないと思った。
「それを盾に君を追い出そうなんて思ってないよ。そんな事をしたって私達にはなんの利益も無い。優秀な神官を失うだけで損害しか無い」
「大司教様は何を仰りたいのですか?」
この話をする為に呼び出したのだろうか、とサリーンは思うが、それは無いと思った。
きっと何か目的があると。
「これは前置きだよ。因みに君は聖女アリアをどう思うかね?」
「アリアの事ですか?」
「そう。君と同じ孤児院出身の彼女の事だ」
サリーンは自分の過去がしっかり把握されている事に警戒を抱く。
「妹の様な存在ですね。お転婆ではありますが、可愛い所もありますから」
「ほう……妹の様な存在と。君は一生、赤の他人である妹の様な彼女と共にするつもりかね?」
サリーンは素直には頷く事が出来なかった。
自分の中にある僅かな嫉妬がそれを許さなかった。
「君の方は努力しながらやっとの事で神官になった。片や侯爵家の後押しを受け、聖女として絶大な地位にいる」
ガリアは少し誇張気味に強調した。
「そしてそんな君は彼女をずっと世話をしなければいけない。ラフェルスの家を没落へと陥れたベルンノットの娘を」
その言葉にサリーンの心に黒い物が広がっていき、僅かに抑えていた心の蓋を絡め取っていく。
それは汚泥の様に絡みつき、一度嵌れば抜け出せなくなる。
サリーンはアリアがベルンノット家の養子になったと聞いて両親の敵と思った。
だがアリアは今まで孤児院で育った大事な妹の様な存在だった。
自分にはそれをどうにか出来る訳でも無いし、それをした所で何にもならない。
「今は離れ離れになっている君の姉がどうしているか知っているか?」
「メイベル姉様の行方を知っているのですか!?」
孤児院に引き取られる時に離れ離れになった姉の存在をずっと気掛かりだった。
「あぁ、そこも調べさせて貰ったよ。残念なお知らせだが、君のご両親は既に亡くなっている様だ」
ガリアの言葉にサリーンは絶句する。
「君を孤児院に連れて行った帰りに賊に襲われて亡くなったらしい。それも向こうの差し金かもしれないがね」
サリーンの心にどす黒い気持ちが溢れ出てくる。
実際にサリーンの両親を襲ったのは単なる盗賊で誰の差し金でも無い。
ガリアは態とその様に誘導した。
「君の姉は今は王宮で文官として働いているよ」
「王宮に?」
「あぁ、財務大臣のベルンノット侯爵の下でこき扱われているよ」
何処まで家族を追い詰めれば気が済むのだろうか、とサリーンの中で黒い物が炎へと徐々に変わっていく。
「全く酷い話だ。もし君が望むなら姉と一緒に暮らせる様に努力しても良い」
ガリアはサリーンを落としきった所で希望を一つ投げる。
「……どう言う事ですか?」
「すぐにとは行かないが王宮出向の神官に推薦をしてあげようと思っているのだよ。そうすれば姉と日常的に会えるだろ?」
姉とまた会える。
サリーンはその言葉に心が大きく揺れ動いた。
「その代わり君に少し協力して欲しいのだよ。難しい事は言わない。少し演技をしてもらうだけで良い」
サリーンは冷静に判断する事が出来なかった。
だが気が付けばガリアの提案に首を縦に振っていた。
「君は話が早くて助かるよ。君がする事は―――」
サリーンはガリアからの提案に驚いたが、復讐と姉への再会を目の前にぶら下げられ、断る事が出来なかった。
これが千載一遇のチャンスだった。
しかし、この選択がサリーンを狂気と破滅へと導く選択肢だとは思いもしなかった。




