第3章 野望
第3章 野望
その後、亀山不動産取締役開発部長となった亀山一郎の秘書役として世界生命保険相互会社と二足の草鞋を履いた今成誠治を数ヶ月後に亀山大三郎が自室に呼んで聞いた。
「どうかねぇ、息子を早く社長にしたいのだが、見た所ではあまり昔と変わってはいない様だが」
「それは社長、余りにも短兵急でそんなに急に人間を変える事は出来ませんよ。特に僕は世界生命保険相互会社の仕事が有りますので、毎日の様にはこちらへ来ることも出来ませんし。」
「いやいや、別に君を責めとる訳では無いんだよ。だが、3年前に連れ合いを亡くしてから、わしも随分と力を落として、身体も思う様に動かなくもなってきているから出来るだけ早く一郎にバトンタッチを考えているからねぇ。まぁ最近よく考えるのだが以前君の所の支社長が言っていた様に少しは頭を柔らかくしようと考えている矢先にこの前の病院騒ぎだろう。」
つい先日の夜半に、亀山大三郎に心臓の発作が起きて救急車で運ばれた事があった。
しかもその時間に一郎は今成誠治と一緒になって銀座の行きつけの店でワイワイガヤガヤと女達と戯れていた最中だった。
たまたまその時間に嫁ぎ先でトラブった亀山大三郎の娘がタクシーで帰ってきて親爺の異常に気付き救急車を呼んだから助かった様なものだが、そのままだと今頃亀山大三郎はこの世にいなかった。
「実はね、本当に君に当社の取締役になって貰って一郎の面倒を頼みたいのだが、支社長との約束もあるし。しかし事は急いで一郎を社長にしなくてはならないと考える様になったのだよ。それは君も頭に入れて置いてくれ。そこでだ、話しと言うのは。」
亀山大三郎は言葉を続けたが、ここで区切りをつけ、天井を仰いで右手で自分の心臓の鼓動を確かめる様にした。
「君の世界生命保険相互会社でのノルマと言うものは幾らかね。」
「は、」
話しが急に飛んだので今成誠治は戸惑って言葉に詰まった。
「いやいや、君のノルマを僕がこなしたら、君は毎日この会社に来ることが出来るだろうと考えたのだよ。いわば、君に替わってわたしが君の仕事を手伝う事を考えたのだよ。わたしが一郎を教育すると反感ばかりで駄目だから、今までどおり以上に一郎を君に頼む為には、君の仕事を減らさなくてはとね。」
「なるほど、良く判りました。実際僕の会社でのノルマさえ問題無ければ支社長も僕の身柄をこちらへ移す事には異論は無いと考えています。社長がその様にしてくださるなら毎日でも来ることは出来ます。でもノルマは20億円というとてつもない金額ですから、、、、、」
今成誠治は余りにも話しがうまく進みすぎているのを感じながらも、実際に社長が抱えている不安と望みをひしと感じ取った。
更に持ち前の営業勘で、亀山大三郎なら廻りの著名人を対象に顧客層を広げてくれるだろうから、契約も小さな一億円以下の金額では無いだろう。
一人5億円と踏んで月に4人か、などと頭の中で反芻しながら実際のノルマは5億円にも関わらず、4倍にも膨らませ、言葉の最後を濁らせた。
「そうか、20億か、」
金額を聞いて少し躊躇した亀山大三郎だが、
「判った。とりあえず、離婚しようとしている娘とわたしとで10億円を契約しよう。だから明日から必ず毎日この会社に出社してくれるかい」
と、言った。
「判りました、ありがとうございます。それでは今から会社に帰り支社長に話しまして明日から必ずこちらへと出社出来る様に致します。時間を2時間程下さい。契約書を持ち帰り支社長からの返事を差し上げます。」
「そうか、じゃ、良い返事を待っているよ」
と亀山大三郎は押さえた心臓をいたわる様にして応接セットに横になろうとしたので、今成誠治は手を貸した。
「社長、ご相談が有るのですが」
以後毎月判を押した様に20億円の契約を取ってくる亀山大三郎に今成誠治が言った。
「実は、毎月これだけの契約があるのですから、本業の不動産に加えて保険業も会社でやると言うことをお勧めしたいのですが、これは世界生命保険相互会社の支社長からのお願いでもあるのです。」
「ほう、そうかね。それは前向きで良いことだね。実は私の方も提案が有ったのだが、これは逆に後ろ向き提案だったから、、、、」
言葉を濁した亀山大三郎に
「それは何でしょうか。ここまで来た以上は社長のお考えも総て聞かせて戴けませんと一郎君とも計画を練る事が出来ませんから。」
と今成誠治は言葉を促した。
「うん、まぁわたしの寿命も対して長くは無いと思うから一郎に担当させている開発業務を全面的に閉じ様と考えたのだよ。」
「えっ、それはどういう事ですか、既に都心のビルも着手していますし、市内の団地も販売は中途ですし、マンションの売れ行きも悪い方ではありませんよ。」
今成誠治は今後の自分の立場も瞬時に考慮に入れて驚いた様に言葉を吐いた。
「まぁ、そうせかさないで、話しはじっくり聞くものだよ。別に君がどうの一郎がこうのと言う訳では無いが、開発にはそれなりの銀行からの借金がつきまとってくるもので、まだそこの所を一郎には伝授出来ていないからな。しかし銀行との繋がりを持つにはそれなりの信用と実績を長い年月で作らなくてはならないのだよ。いわゆるリレーションシップとか言うあれね。今の一郎がわたしに替わって銀行の支店長や頭取と話しが出来ると思うかね。まず無理だろう。だから今現在進行中の物件に関しては問題が無いから完成させてもいいが、以後の物件開発はやめようと思っているのだよ。」
「社長、おっしゃる事は良く判りました。でも営業部と開発部での約30人の従業員はどうなるのですか。」
「それも考えた。今なら退職金も払えるけれど、もしわたしがいなくなって一郎の代になってからなら逆に退職金すら払えないと言う事態を引き起こすかも知れないとも考えた。」
「それは社長、余りにも悲観的な見通しじゃないですか。」
「そう、君の言う事も判る。しかし今までの一郎を考えるとこれしか無いと言う気がするのだよ。さっき君が言った都心のビルも既に一括販売で、ほれ先月に保険の契約を貰った大手不動産会社の社長がいただろう、彼の所に売ることに決めたのだよ。宅地造成中のものは現状でその不動産会社に売却する。その利益総てで建築中マンションの工事代金が支払えるから、市内の工事中マンションと販売中のマンションは総て販売を中止して自社物件として賃貸にする事を考えた。どうかね。」
「社長、どうかねって聞かれましても、お話からではもう既に決まっている事では有りませんか。今も一郎君はマンションの契約交渉に走っていますし、従業員の一人としてこの事を知っている者はいませんでしょう。彼等の明日はどうなるのですか」
今成誠治はある種の戸惑いも覚えたが、なんだか労使交渉の労働組合委員長みたいだなと思いながら言った。
「そうだよ、そこなんだ。だからいまさっき君が言った保険業と言うものをも認めようとしたのは、その部門で少しでも退職者を減らす事が出来たらと考えたのだよ。」
「そうですか、そこまで社長はお考えになられていたのですか。」
「判ってくれたかね。ここ数ヶ月の間、君達を見ていたが、一郎がたったの一軒でもマンションの販売契約を取ってきた事が有ったかね。50人もいる社員をうまく動かせると思うかね。精々10人迄だろう。あいつに営業は出来ない。会社運営も大局から見ることも出来ない。そのくせ、遊びだけは人一倍覚えているし。だから、賃貸業に集約すれば人員も少なくて済むし、別に新しい借金を積み上げる事も無くなるから、幾らバカな息子でもレールを踏みはずす事は無いだろう。」
「社長わたし見たいな人間にここまで話してくださってありがとうございました。よく判りました。今から一郎君に会って具体的に社長の意見を進める様に致します。」
「そうか判ってくれたか。これをわたしの口から一郎に言ったら今までの様に反抗するばかりで、何も理解しようとしないだろう。君を通じてなら何でも聞くみたいだから頼むよ。」
それから一年も過ぎた頃のある日の真夜中、午前二時を過ぎた頃、一郎から親爺が呼んでいるからすぐに来てくれと電話を受けた。
丁度銀座での豪遊から久し振りに自宅へと帰ったところだった。家に帰って来ても、古女房も二人の娘も自室で寝たまま。
「お帰りなさい」
と言う言葉を最後に聞いたのは何年前だったかななんて考えながら寒々とした家の食卓に車のキーを放り投げ、水道の蛇口から直接水をがぶ飲みしていた処だった。
脱いだ靴を又履き直し、亀山の自宅へと車を走らせた。約30分程で着く距離だからと酔っているにもかかわらず一郎から貰ったベンツ500のハンドルを握った。
既に亀山大三郎の枕頭には一郎から「川田のおっさん」と呼ばれている番頭格の川田伝次郎も来ていた。
「おぉ、今成誠治君来てくれたか、君に頼みが有ったのだ。一郎に亀山不動産の社長をやらせるが、やはり今の一郎では心許ない。わたしももう少し生きられるとは思っていたのでナンバーツーを養成してこなかった。ここにいる川田君は創業当時から良くやってはくれたが歳もわたしと同じくらいだし、、、、今まで君に何度か頼んだが、これが最後かも知れない。たのむ、世界生命保険相互会社を辞めて一郎を助けてやってくれ。頼む。」
臨終間近の亀山大三郎から遺言として聞いた今成誠治は亀山大三郎を安心させるつもりで、
「判りました、社長の意向に沿える様に僕も努力します。」
と言った。
その言葉が、自分の人生までも狂わせるものだとはこの時点の今成誠治には考えも及ばなかった。
それから一時間も経たない内に亀山大三郎は息を引き取った。
臨終に立ち会った今成誠治は、何も出来ない一郎に代わって通夜の用意から葬儀屋の手配、親戚縁者や知人のリスト作りと連絡、新聞での悲報手配等に忙殺された。
さすがに千葉の御大臣である、今成誠治の知らない範囲での友人知人それに親戚縁者が世界生命保険相互会社千葉支社にある営業対象顧客に比べ幾つもランクが上である。しかも、その数も大変なものであった。
通夜には地元選出の現職大臣、後援をしていた映画俳優や歌手、銀行頭取、商工会議所会頭、県会議員、市会議員達が顔を連ねた。
それにも増して葬儀の当日には民自党の総理大臣経験の長老達も加わった。
今成誠治にとってはテレビでしか顔を見たことが無い人々である。その人々に今成誠治は一郎の代理として、かいがいしく挨拶をして廻った。
その中の一人の紳士が声をかけた。
「今成君、頑張り給えよ。」
今成誠治は自分の名前を言われたので慌てて受け取った名刺を見直した。そこには世界生命保険相互会社社長小笠原源一と書かれてあった。
考えてみれば自分の会社の社長と会ったのは、亡くなった亀山大三郎が代理で営業して一躍全社営業マン中で一位の地位を得て表彰を受けた時だけである。
「はい、ありがとうございます。頑張ります。」
オウム替えしに答えた今成誠治の胸には亀山不動産を踏み台にして世界生命保険相互会社の中で他から脅かされない程のシチュエーションを築いてやるぞとの思いが広がっていた。
作者より
実在する登場人物名や会社名は当該小説とは全く関係はございません。