1日目 その1
「まいったー、詰んでるよね」
姉である安里ツムギは、裸足にサイズが2つほど大きなスウェット上下のラフな恰好をして、地べたに座り込んでいた。今年三十路になるが、童顔と、雨が降るとくりんくりんになるボブな天パと、145㎝の身長が万年中学生と言われる外見を作り出していた。眉間にシワをよせ、地面を睨みつけているのだが、迫力はまったくない。精々が近所のおばあちゃまに、まぁまぁツムギちゃんたらそんなお顔したって可愛いだけですよと言われる程度のものだ。
「そうみたい」
妹である安里レイナは、どこかの社長秘書を思わせるビジネスなパンツスーツ姿をしている。足元はなぜかスニーカーだ。腕を組んで木に寄りかかり、やはり眉間にしわをよせて地面を見つめている。ストレートな黒髪を胸まで伸ばし、一見きつめにみえるキレイ系の小顔に、169cmの上背、けしてダイナマイトなバディではないが胸、腰、尻は黄金比だといえるスタイルをしている。10人いれば8人は、あの人美人よねという評価を頂いている。
姉妹は、先程から真面目に異世界談義をしていた。
「今更、ここは日本のどこかだとかいうのは、なしにしよう」
「時間のムダね」
姉の提案に、妹は肯定する。
二人は自宅の玄関にいたはずだった。そして、何かが光ったと思った瞬間にこの場に移動していた。ありえない出来事に二人は顔を見合わせ、自分たちの体に何か異変がないか確認した。しかし、先ほどまでと何も変わらなかった。二人は何気なく腕時計をみた。それは先程の玄関にいたときと、変わらない時間を指していた。チクタクと秒針は正常に動いている。
突然の異常事態というのは、人間を緩慢な動きにするものらしい。叫び声を出すわけでもなく、走りだすでもなく、二人は自然に周りに目を向けていた。
「「…」」
姉妹は決して自然に詳しいわけではない。趣味に園芸や農業や工芸などはないのだ。しかし、そこが見慣れた環境でないことはわかった。自生しているトゲが生えている青い植物や、足元に転がっている緑、赤、紫といった日本の道端ではお目にかかれない原色の小石。二人のいる林の奥、はるか遠方に見える石造りの城壁らしい建造物。それらから日本という選択肢はないなという結論を導き出していた。ハリウッドもびっくりの大がかりなドッキリでなければ、その怪しげな植物や石ころは、もしかして日本どころか地球でもないのではないか、という予測をするのに十分な条件を満たしていた。
そして、二人はここが異世界ではないのかという仮説に行き着いていたのだ。
「仮に異世界だとして考えてみよー。まずは、人類がいるのか」
ツムギは努めて明るく話しだした。
「人類であるかは判断できないけど、あの城壁(仮)からみると、外敵が存在する二足歩行の非力な生き物がいるのは間違いないと思う」
レイナはいつも通りの平淡な話口調をして答える。
「見えているから考えやすいよねー。モンスター的な外敵か、戦争するような情勢なのか、あるいは両方か」
「次に、私たちの存在を受け入れてもらえるか」
これは二人にとって重要な要素だ。戸籍も身分証もない人間を、どうやって信用してもらうのか。
「黒髪、黒目は魔女。速攻で火あぶりとか」
「男尊女卑の極みとか」
「奴隷狩りが横行してるとか」
「秩序がない無法地帯とか」
「剣と魔法の世界とか」
「…」
「詰んだ」
そして、冒頭に戻る。
「おい坊主。こんなとこで、なーにしてんだ?」
ツムギは大柄な男につまみ上げられた。猫の子よろしくフードの付け根でブラーンと浮いている。この男がいつの間に来たのか二人は気配も感じなかった。
「な、な、…なに」
ツムギの声が小さくなるのは仕方がなかった。なぜなら、ツムギが座っていた場所には大蛇がいた。さらに言えば、その大蛇には両刃の剣が突き刺さって青色の体液を垂れ流していた。
「坊主みたいなのが町を抜け出すのは百年はぇーな」
男はブラーンではいただけないと気がついたのか、腕に座らせるように抱え直した。ツムギは小さいが平均的な体重をしている。男の動きはその重さを感じさせないものだった。
「こんな生っ白い足で、どこのお貴族さまのぼんぼんだ? ああ? 護衛はどーしたよ」
「…貴族なんかじゃないよ」
ツムギは小さくそういって、うつむいた。その見えない表情には悲しみが見えるだろう。決して身分について否定したかったわけではなかったのだ。
「そこの大男さん。姉を離してもらえますか?」
レイナは冷静にそういうと目の前に立ち、男を見上げた。姉が傷ついているのを感じて庇うためでは、もちろんなかった。
「ズボンを履いたお嬢様、いま、何ていった?」
「離してもらえますか」
「その前」
「そこの大男さん」
「その後」
男はそう言いながら腕にいるツムギを恐々と見た。
「姉を」
「あ、あ、姉だぁ~? このちんまいのは女か?」
男は空気の読めない系の人だった。
「わーるーございましたね! 女だったら何か?」
あの例のツムギちゃんたらと言われる顔をしながら吠えた。
「いや、わりぃ。まさか、女とは。いや、わりぃ」
「それで姉を離してもらえますか?」
「いや駄目だろう、このふにゃふにゃの足の裏じゃ門につく前に血だらけになるぜ」
「門?」
「西門だ、そろそろ日もくれる。死にたくなきゃ言うことききな」
「お姉さま、このまま出発です」
「ぶー」
男は左手にツムギを抱え、右手で大蛇ごと剣を引っこ抜いた。
「その蛇は食べますか?」
レイナは若干引きぎみに男に聞いていた。その答えには、これからの食生活がかかっていた。
「あん? 食わねぇよ。ギルドで討伐対象だったからこのまま持ってって換金だな」
よし。ひとまず、蛇が主食は避けられそうだ。そう思いながらも、レイナは男の言葉から計算していた。貴族、護衛、西門、ギルド、討伐。そして、チキチキチーンと音が鳴った。
「残念ですが、護衛のためのお金はありません。姉を下ろしてください。ついでに、門の場所を教えて下さい」
「あん? 金はいらねぇよ。坊主はお嬢だったんだろ、捨てたら寝覚めがわりぃ」
言葉はだらしないが身なりは清潔にしており、持ち物も良い品に見える。そして女性に甘い。
「大男さん、結婚していますか?」
「はぁ? してねぇ、つうか傷口塞がってねぇからその話題なし!」
つい最近まで女性がそばにいたが、何らかの事情で逃げられたとレイナは見た。
「迷惑ついでにご自宅にお邪魔してもよいですか?」
この男の家に転がりこむという選択は、ものすごい賭けだった。しかし、蛇の件からわかるように、今の二人に選択の余地はなかった。
「なんだ、お前ら訳ありか?」
「…」
男はうなだれ、二人をみる。わざとらしさ全開のうるうるとした目で見上げられて、叫ぶ。
「だー! その目をやめろ。とりあえず町に入るぞ」
この男、いける。それが、レイナの心の声であった。