第五話
※喫煙は二十歳以上です。
森ノ宮学園屋上。
通常は強風のため封鎖されているその場所に紫煙をくゆらせながらその男はいた。
そろそろ深夜と呼ばれる時間帯だが、男を見とがめる者はいない。
細い月を眺めていると、背後で砂を擦る音が聞こえた。
「くぉら、高校一年!喫煙とはええ度胸やな!」
関西弁の知人の声にタバコを口元から外し、緩やかに振り返る。
風が髪をかき乱した。
収まった風と細い月明かりに浮かぶ姿は、昼間の明るいノリが嘘のようになりをひそめた槇森葵だった。
「なんだ伊切か」
それだけ言って、再びタバコを口元に持っていき、煙を吐き出す槇森の姿に伊切は困惑する。
「なんや。ノリ悪いな。何かあったんか?」
彼のタバコが短いのに気がつき、胸ポケットに入れた携帯灰皿を差し出すと無言で押し付けられた。
再び、新しいタバコを取り出し、火をつけようとする。だが強風のためなかなかうまくいかないらしい。
仕方なく伊切がジッポをつけてやると、ちらりと見ただけで礼もなく、火だけもらって視線を外す。
いつものことなので、伊切は何も言わなかった。
「……タバコは一日一本まで、やなかったかな?」
「……うるさい」
横目で睨まれ、伊切は肩をすくめた。
本当に機嫌があまりよくないらしい。
「……そういや、あの転入生、学校で倒れたんやってな」
伊切の言葉に肩が揺れた。
おやおや、と伊切は内心驚く。
あまり内心を見せないこの男がたかだが小娘ひとりの話に感情を揺らすとは。
「なんやどっかの誰さんが、運び込んだらしいやん。しかも寮監に口止めまでして」
「…なんでお前が知ってんだよ」
「いやん、蛇の道は蛇。学園の情報屋としてな。それはそれ、どうとでも知る方法はあるんよ?」
ニヤニヤと両手のひらを上に向けてポーズを取る情報屋に槇森はイライラした様子で睨んだ。
「他には?」
「誰も知らんと思うよ。寮監お前の信奉者やし、口割らへんやろ」
「…じゃあ、なんでお前が知ってんだよ」
「たまたま見たから。安心せえ。あの辺り、俺ら以外にいなかったのは確認済みや」
あっさりニュースソースを明かした伊切の言葉に槇森は無言だったが、肩が少し上下したのを見て、どうやら安心したようだと観察する。
全くらしくない姿だと伊切は思う。
この冷徹でバカみたいに頭が切れる男がこんなふうにボケっと屋上で佇んでいるのも珍しい。
あまりに見慣れない姿に、伊切は少しだけ悪戯心が湧いた。
ニヤニヤと笑いながら槇森の肩に手を置く。
「…ぐふふふ、まさかお前が女抱っこして寮に現れるとは思わんかったわ。
まあ、外見まるで男同士やったけどね。
それはそれでおもろい光景やったけどな。
いや、せっかくのシャッターチャンスやったのにあんときカメラ持ってへんかったんよね。
油断し…」
そこまで言って、目の前に赤いものがあるのがみえて口を噤む。
槇森が火のついたタバコを伊切の目の前に掲げているのだ。
レンズ越しだが、あと少し腕を動かせば、伊切の目は当たるという位置に。
「黙れ」
短く言い捨てる男に本気を見て背中に冷や汗が出る。
そのまま口を閉じて一歩下がると、槇森も再びタバコを加え直した。
「……そんな怒らんでもええやん」
「黙れといっただろう?それにあの娘のことを女だなどと口にするな。
誰かに聞かれたらどうする?」
鋭い目つきで睨まれ、伊切は肩をすくめた。
こんな夜中の屋上に自分たち以外が来るとは思えない。
しかし何事も用心に越したことはない。
確かに色々な経緯を考えれば情報屋を自称する身としては軽率だったかもしれない。
観平 緋露。
白い肌に男と称するにしては細い首、女子としては平均だが、男子としてはやや低い身長。
痛々しい包帯が特徴的でそこに今は目が行きがちだが、あの包帯が取れたらどうだろうか。
黒いすんなりした短い髪に黒目がちな大きな瞳、すっと通った鼻に、桜色の唇。
細い肩に明らかにサイズ違いの男物のスーツを着ている姿はどう考えても、正体を知っている自分からすれば女にしか見えない。
しかし、知らない人間が見れば男に見えるようだ。
まあ一部現在の生徒会長のような一見女みたいな可愛い系の男子もいるため、生徒たちにとってはさほど違和感はなかったらしい。
森ノ宮学園で唯一女子であるあの少女。
勘違いしてはいけないのはあくまでも森ノ宮学園は男子校だ。
彼女は男の振りをして通う女子生徒なのだ。
そして彼女が女子だと知っているのはごく一部。
学園長も理事長も知らない。
ではなぜ彼女が編入するなど、そんなことが可能だったのか。
ただ一人、森ノ宮学園の 次期“総代”、伊切の目の前の男が彼女の入学を認めたからだ。
森ノ宮学園の“総代”とはただ一人学園長と理事長を兼任した唯一の創設者の肩書きだ。
現在の学園長と理事長は確かに愚かな争いをしている馬鹿な親父だが、創始者の娘である現在の森ノ宮財閥の会長が流石に彼らの身勝手な権力闘争に腹を据えかねて、一族の者を秘密裏に学園に派遣したのだ。
それが槇森葵だ。
槇森は実は偽名で、正式には森ノ宮葵という。
年齢ももちろん高校一年生などではない。立派に成人している。
そして伊切もそうだ。
伊切はこの計画において槇森の部下だった。
もとは森ノ宮財閥が運営する会社の社員だ。
その高い情報収集能力を買われての抜擢だったが、正直目の前の男を見ていると自分など足元にも及ばないのではないかと、少し自信をなくしつつあるが、まあ今は関係ない。
そんな伊切と彼だが、なぜわざわざ生徒の振りをして学園に潜入しているのかといえばもちろん理由はある。
創始者一族と言えど、過去一度学園を破たんさせかけ、その時に学園の権利関係を他人に譲っている。
すでにその学園の権利は他人のものであり、ある程度の株は保有しているとは言え、表立って今の理事長や学園長を糾弾することはできない。
しかし創始者の理念を忘れ、荒廃していく学園に憂いを感じた現会長が槇森に命じた。
理事長や学園長を裏から追い落とし、再び学園を初代の理念を正しく教える場に出来る理事長や学園長となる人物の後押しせよ、と。
伊切が調べた範囲では、理事長や学園長に反感を持ち、現在の学園を憂う将来有望な人間は存在する。 しかし彼らは理事長や学園長に押さえつけられ、現在ほぼ力も経験もなにもない。
どちらにしても彼らを追い落とした暁には、一時的に槇森がその地位を兼任することになる。
次期総代とはそう言う意味だ。
候補が育てば槇森はその地位を降りるという計画だった。
槇森は一年かけてゆっくりと理事長や学園長に反感を持つ学園の教職員たちを丸め込み、学園の実権移譲を行ってきた。
表向き理事長や学園長の意向で行われている学校運営は、今やそのほとんどの権限は槇森にある。
気づかれないよう理事長たちが指示したとおり行っているに過ぎない。
だから、槇森があの少女の入学を認めることができたのだ。
現在その計画は大きな山に差し掛かりつつある。
学校の権限委譲はほぼ済んだのだが、一部問題が生じていた。
今はハリボテとはいえ、これまでの強権で力をつけすぎた彼らは地位を追いやるだけでは再び這い上がってきてしまう恐れがあった。
次期候補達が育っていないあいだに再び返り咲かれては、意味がない。
そのため二度と立ち上がれないように、徹底的に汚職の事実を白日の下に晒す必要がある。
当初理事長と学園長を追い落とすべく彼らの身辺を調べたが、色々な噂は聞くが決定的な証拠は見つからなかった。
狸親父はやはり狸のようだ。
あまりの狡猾さに頭を痛めた部下たちを尻目に、あっさりと上司である巻森は言った。
『しっぽが見つからないのであればしっぽを出させればいい』
なんでもないことのようにそう言い放ち、部下たちを手早く動かし罠を仕掛けさせた。
それがダブル選挙だ。
職員たちを丸め込むと同時に、一年ほどかけて学園の生徒たちの派閥を調整し、ちょうど同数になるように仕向けた。
その中で生徒たちと同じ目線で説得する人員として伊切が選ばれ、編入させられた。
正直既に二十代半ばを迎えている伊切が高校生に交じるなどなんの冗談かと思った。
しかし、上司は本気だった。
それに槇森の下についた部下たちの中で、一番年若い慎森を除いて、一番学生に見えるのが伊切だったため、仕方なく高校一年に編入し、現在高校二年生である。
そんな涙なしに語れない苦労をしながら、なんとか生徒の票を同数にすることに成功した。
この状態であれば二人共確実に失職する。
いくらまた返り咲ける力を持っていると言えど、地位を追われたくはないだろう。
おそらくこれで両陣営とも焦っていらぬ工作に動き出すだろう。
焦った彼らの工作は決して綿密なものにならないはずだ。
そこにつけ入り、彼らの汚職のしっぽを掴み、芋蔓式にすべての罪を白日の下に晒す。
既に良くない噂を伊切は聞いていた。
そして何件かはその実際の現場に居合わせ、写真も押さえてある。
だが決定的なものはまだない。全て理事長や学園長の部下がやっていることだ。
政治家よろしく『勝手に部下がやったことだ』と逃げられればそこまでだ。
だが、これまでなんの証拠もなかったことを思えば十分な進歩だ。
伊切は槇森を恐れずにはいられない。
確か槇森はまだ二十をいくらも超えていないはずだ。
そんな若造が、たった一年で誰も成し得なかった理事長や学園長の汚職を暴こうとしている。
それがどれだけとんでもないことなのか、わかっていないかのように槇森も姿は泰然としている。
だが、いくらとんでもない存在だとて、こちらは年上だ。
しかも、そこそこやんちゃしていた時期もあり、人生経験は豊富なつもりだ。
ハッカーとして様々な企業から情報を盗み取り、公開しては義賊などと勝手に盛り上がっていたのは黒 歴史だが事実。もっと凄腕の森ノ宮のウィザードにつかまり、結局警察に突き出される代わりに、森ノ宮の情報局勤務となったが、それまで伊切は結構危ない橋を何度も渡っている。ヤクザ相手の商売にも手を染めたこともある。
だがあれは二度と手を出すものじゃないと思うが。森ノ宮に入ってからも幾度となく死線を越えてきた。
潜入捜査だって数こなして来て、一度は東京湾に沈められそうになった経験すらある。
そんなロクでもない人生が、それでも自負もあるので、どれだけ超人であろうと上司であろうと年下の槇森相手に萎縮するつもりはない。
軽口も叩くし、反論もする。
大抵口では返り討ちに合うが。
伊切はそっと槇森の様子を伺う。
槇森という男はとても感情の薄い質だった。
頭は以上に良いが、感情をどこかに置き忘れてきたみたいに淡々としている。
今回の潜入捜査で、彼が演技であれば、それなりに普通の人間みたいに行動できることもわかった。
しかし、普段の彼を知っているだけに、どうしてあんなテンションの高い人間を演じれるのか不思議だった。
一度、なんでそんな性格を演じているのかと問うた時、『伊切の真似をした』と言われたときは正直どうしてやろうかと思ったが。
なんにしても演技している時以外は相変わらずだ。
彼の年ならもっとギラギラしたものがあっても良さそうなものだが、まるで老成した老人のような雰囲気すら漂わせる。
しかしその行動は合理性に富み、一部の無駄がない。
だからこそ、伊切は不思議だった。
どうしてこの時期に、観平を転入させたのか。
今は、一年かけて仕掛けた計画があと一週間で実を結ぶ大事な時期だ。
伊切だって、恥ずかしいなりに高校生として生活し、一年この計画のために真骨を注いで来た。
だからこそ、伊切には理解できない。
すべての計画を破壊しかねない、均衡を崩す存在としての観平を入れたのか。
彼女だとて今の時期に入れば危険だとわかるだろうに、どうしてわざわざ危険な位置に彼女を追いやったのか。
彼女が何らか槇森にとって特別な存在であることはなんとなくわかった。
だが、それであれば、一週間後、すべての事象が確定してから転入させれば良いだけの話だ。
わざわざ自身にとって特別な存在を危険にさらす意図がわからない。
納得いかない伊切は年上として率直に糾弾してみることにした。
「まあ、俺も軽率やけどな。でもなんでこの時期なんや。一番危ない時期やん。
そこに変な火種持ってきて、あの娘を危険に晒してお前は何をしようとしてるんや?」
珍しく槇森の視線が揺れる。
常に泰然とした動かない山のような彼にしてはあまりに珍しい光景に驚くが、そこは茶化したりしなかった。
やがて、開いた彼の口から出てきた言葉は、伊切の想像を超えていた。
「…出席日数」
「は?」
思わず聞き返すが、槇森はまだ何か言っている。
「出席日数が足りないから、どうしてもこれ以上伸ばせなかったんだ。
留年はしたくないって……」
「いやいや、なんの話じゃ?」
意味の通じない話に混乱する。
これはなにか?伊切の頭が悪くて理解できないのか?
「ちょっとまて、一から確認するで?
まず、出席日数ってことはあの観平のことやね?」
槇森が無言で頷く。
「で、彼女の出席日数が一週間後だと留年の危機を迎えるから、この時期の編入を許したと?」
またも、槇森が無言で頷く。
ここは嘘でも否定して欲しかったと伊切は顔を引きつらせた。
約一年の苦労が走馬灯のように頭の中で流れた。
それがここに来てそんなアホな理由で無に帰されそうなっている。
「あ、あ、アホか!なんでじゃ!なんでそうなった―――!
俺の羞恥心返せやあああああああああああああ……」
上司の胸ぐらを掴み、伊切は絶叫した。
緋露さんはボクっ娘でした。
気がついてました?




