第二話
「今、この学園は理事長派と学園長派と真っ二つに割れているんだ」
そう言ったのは、同じクラスの槇森葵という奴だった。
転校初日、担任に連れられて入った教室。
そこで簡単な挨拶を済ませて与えられた席。窓際の一番後ろにしつらえられたその席の前が槇森の席だった。
高一の二学期、それも十月からなど我ながら、なんて目立つ転入の仕方だったんだろうと思う。
高校一年生の制服はブレザーだが、急な転校であったため制服が間に合わず、僕は色だけ合わせた紺のスーツ姿だ。目立つことこの上ない。
さらには転校するきっかけとなった事件で負った傷がまだ癒えていない。
頭の包帯が悪目立ちして、いかにも訳ありなんですって見えるものだから、担任から紹介される間、クラス中の視線が好奇心に満ち満ちているのがいやというほどわかった。
しかし、それはそれ。こっちだってこうなることくらい覚悟で転入してきた。
視線に負けないようしっかりと前を向いて、そして当たり障りのない自己紹介をしつつ、クラス全体に放ってやった。
『転校した理由は聞くなよ』
ドス黒オーラを添えたその視線はあんまり強すぎて、ほぼ一日、一人を除いて休み時間中も誰も近寄ってこないような状況を作り出した。
しかし、落ち着いた学生生活を望んでこの学園に来た僕にはそれで問題はない。
担任すら朝のオーラが効いたのか、話しかけてこないような中でただ一人違ったのが、槇森だった。
「ねえ、ねえ。ひーちゃん」
それは一時間目が終わり、二時間目の授業との間のわずかな休み時間のことだった。
槙森は突然後ろを向いたかと思うと、そう声をかけてきた。
一瞬本気で話しかけられたことに気づかず、無視した。
しかし、何度もこちらに向かって話しかけ続ける様子の槙森にどうやら自分が呼ばれていることに気づいて顔を上げた。
「あ、ひーちゃん」
「誰だ、それは」
間髪入れずに突っ込む。槇森がきょとんとした顔をした。
「観平緋露だから、ひーちゃん」
「自分から名乗らない相手に『ひーちゃん』呼ばわりされたくない。」
「あ、自己紹介まだだったねー!
俺、槇森葵。
気軽にあーたん♡って呼んでね、ひーちゃん」
わけのわからないテンションで言ってくる胡散臭い笑顔に半眼になる。
「なんだそれは」
「え?自己紹介だよ。…でさ、自己紹介したからひーちゃんて呼んでもいいよね?」
「却下だ」
「ええ!?なんで!自己紹介したのに!」
「別に許可した覚えはない」
そっけなく返して、机に出していた筆入れに手を伸ばす。
と、その筆記具を横からそれを取り上げられた。
お気に入りの筆入れだ。相手の勝手な行動に眉が上がる。
「…なにをする?返せよ」
ニコニコと笑う男を睨みつけるが、効果はない。
槇森は筆入れを取り上げたまま、面白そうに筆入れのないもう一方の人差し指を唇に当てた。
「ねえ、ひーちゃん。お友達記念で教えてあげる。
今、この学園は理事長派と学園長派と真っ二つに割れているんだ」
突然の話に怪訝な顔をする。
それから槇森が話してくれたのは現在の学園の状況だった。
その話を聞き続けるあいだに自分の眉間に皺が寄っていくのを感じた。
どうやら、この学園では学生会と生徒会言う組織があるらしい。
字面のとおりそれぞれ生徒が主眼となって学園の部活やイベントを取り仕切るよく似た組織だ。
どうして同じことをしている組織がどうして二つあるのか。
互いに仲のよくないそれぞれだが、学生会が理事長派、生徒会が学園長派に分かれているらしい。
数年前、校舎の立替などを巡っての権力争いが勃発し、それ以来学園理事と学園長の仲が険悪になった。
しかしなぜ学園側の問題が生徒にまで波及しているのか。
それは当時の生徒会が学長に支持を表明したのが、始まりだった。
その当時の生徒会長は学長の親類だったらしい。学長を支持することで予算等の便宜を図ってもらっていたらしく、学園側と生徒会の汚職が進み、それに反発した一部の生徒が生徒会に対抗すべく学生会という別組織を立ち上げ運営を開始した。
学長派の生徒会と対立する組織ということで学園長がその後ろ盾となってしまったのが、さらに自体を悪化させた。
現在でもその派閥争いは執着の目処が立たず泥沼化しているらしい。
現在、学園の生徒は入学と同時にどちらの派閥に所属するかを表明することを義務付けられている。言論の自由とか政治活動の自由とか完全に無視した話にあきれるばかりだ。
生徒たちの支持が多く得られた側がその年の生徒予算の配分決めやイベント等を取り仕切れるらしく、両者は仲は年を追うごとに険悪なものとなっているらしい。
しかし今年現在、綺麗に生徒が同数で割れている。
偶数人数の生徒たちがここまで綺麗に割れたのは珍しいらしい。
過半数をどちらも得られていない状況であるため、仕方なくではあるが学生会生徒会はそれぞれ役割を分担して仕事を行っているらしい。
だがそれまで反目し合っていた二つの組織がそう簡単に道を揃えることはできない。
小さな小競り合いもあるらしく、まさに一発触発のなか綱渡りの状況と言った雰囲気らしい。
学生会と生徒会の険悪化は理事長と学園長にも影響があるらしく、今月末に予定されている理事と学園長のダブル選挙にも今の状況は影響している。
この選挙から
しかし、小康状態を保っている現在、転校生である僕が現れた。
僕を含めれば、生徒の数は奇数となる。
生徒会、学生会の実権の移動は過半数、つまり生徒の支持が一人分でも多ければなされる。
つまり。僕がどちらの支持を表明するかのよって、権力の移動が起こってしまうらしい。
とてつもなく面倒な状況に顔を引きつらせた。
「……どちらも選ばないという選択肢は…」
「ないね。ヒーちゃん、ここに入るとき、学園の倫理要綱みたいなのにサイン求められなかった?」
確かに何か署名をして、押印まで求められた記憶はある。
だがそれはごく普通の学園規約の乗った資料だったはずだ。
ざっくりとは目を通していたが、最終下校時刻とか校内暴力、喫煙の禁止とかそんなにおかしな記述はなく基本的な規則が載っているのだろうと、サインしたのだが。
「あれにね、小さく書いてあるの。わかるかわからないかの文字で隅っこに。
入学一ヶ月以内に理事派か学園長派か決めて、派閥管理委員会に提出することって」
まったく、詐欺みたいな話だ。流石に呆れる。
槇森の話ではおそらく近いうちに管理委員が話をしに来るらしい。
その時に用紙を渡されひと月の猶予の中でどちらにするのか決めるとのこと。
話を聞く限り、生徒たちの反目を増長させる理事も学園長もどちらもろくな人間でないことがわかる。
どちらを支持するかなど正直、どちらも嫌だとしか言い様がない。
思わず、考え込んでしまったこちらに、槇森がにやりと笑った。どこか悪戯を思いついた悪ガキのような笑みだ。
「ねえ、ひーちゃん。いいこと教えてあげよっか?」
嫌な予感はしたが、聞くだけなら害にはならないか。
「いいこと?」
「そ、ひーちゃんだけ特別だよ」
そう言って語られたのは確かに自分だけの特例の話だった。
ひと月後に開催される学園長、理事長のダブル選挙があるらしい。
大抵この選挙は一年でどちらかだけ行われるものだが、今年だけたまたま持ち回りの年が重なり、ダブル選挙となった。
そしてこの学園では実は学生にもその投票権がある。
大抵その年の選抜選挙が行われる陣営がその年に力のある側に立っていたので、現在でも理事長派、学園長派が並び立っているわけだが、ダブル選挙となるとそうもいかない。
学園長、理事長双方だが、選挙当日までに学生からの支持を過半数集めないとどちらも解任される仕組みになっているという。
現在生徒の支持はそれぞれ同数だ。このままいけば、この悪徳理事と学園長を解任できるのだという。
「でね、ちょうどひーちゃんが管理委員から最終の回答を求められる期限が選挙当日なんだよ。
ギリギリまで頑張って、回避し続ければどちらも解任に追い込むことは可能なんだ。
そうなれば派閥を選べなんて規則事態、現理事長が作った悪法が無効になるという。
それを聞いて僕は青ざめざるを得なかった。
また、なんという微妙な時期に来てしまったのだろう。
僕は前の学校で兄のせいであらゆる面倒事に巻き込まれてきた。
だから兄から離れた平穏な暮らしを望んでこんな遠くの学校まで転校してきたというのに。
だが、もう前の学校に戻る気はない。
ぼくはそっと右腕をさすりながら、考え込んだ。
「…ひと月、本当にひと月で収束するのか?」
「この学園の理念は生徒の自主性の開花と独立なんだよ。教職員が学生を下に扱わない。一人の大人として接する。生徒の支持を教職員は決して無視できない」
学園の初代理事と初代学園長は同一人物で兼任していた。その人が掲げた学園の理念は不可侵とされており、歴代どの理事も学園長も無視できなかった。
「だからさ、ひーちゃん。もしどちらの派閥に属したくないなら最後まで管理委員と学生会、生徒会から逃げ切ればいい」
「…逃げ切る?だまって書類を出さなければいいだけの話じゃないのか?」
「あっちだって、切羽詰まってるんだ。最後の最後で出てきた均衡を崩す存在である君を放置することはないだろうね」
まるで他人事、いや実際に他人事なんだろうけど、しれっと言う槇森の言葉に頭が痛くなる。
「具体的には?」
「学生による現在の理事長や学園長への信任が問われるのは実は一週間後なんだ。
選挙に先んじて、その人物が学生にとって信ずるに値する人物なのか投票するんだね。
それによって、彼らが各選挙に立候補できるかが決まる。
だから選挙はひと月後と言っても、現理事長と現学園長の派閥争いはあと一週間でこのままいけば、収束するはずなんだよ」
それを聞いて、少しだけ安心する。
流石にひと月緊張を強いられるのと一週間との間には大きな隔たりがある。
しかし安心したのも、つかの間だった。
「だからさ一週間、極力人の多いところにいて、外出は最低限にしたほうがいい。」
なんだか物騒な話に眉間に皺を寄せる。
「なんで、勧誘が来ることに対する防御がそれなんだ?」
「最近物騒な話を聞くからさ」
聞けば最近なかなか崩れない均衡にしびれを切らした理事長派と学園長派が派閥に属してはいるもののさほど熱心でな生徒たちに金や暴力など脅しで派閥替えを強要しているという。
あまりの汚職ぶりに呆れを通り越して胸が悪くなる。
しかしあくまで噂でしかなく、被害者が学校に報告してきたという話はないという。
「ともかくさ、ひーちゃん。悪ことは言わないから、一週間だけ寮にでも引っ込まない?」
なぜか初対面だというのに槇森の視線に心配そうな色を見て、怪訝に思う。
「なぜ?一週間気をつけておけばいいだけの話だろう?」
「…そうだけどさ、なんか今学園全体が雰囲気ヤバめなんだよね。人によっては殺気立っていると言うか…」
それまでの軽い印象を潜めて、どこか真剣な槇森の様子に僕も流石に不安になる。
だが頷くわけにもいかない事情がこちらにもある。
「悪いけど。一週間も学校を休めない。まあ心配だけは受け取っとくけど」
「…そっかぁ、うん。まあそうだよね。噂を恐れてなんてそんな話ないもんね」
なぜかさみしそうな槇森の様子は気になったが、直後に鳴ったチャイムによって話はそこで途切れた。