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4.隣国の王子

 昨日は、春の庭のことを、まるで世界中の色が凝縮されたような庭だと、説明した。

 それに嘘はなかったけれど、ここにもまた同じように、世界中から集まってきた色が咲きほこっていた。

 部屋は、きらびやかな衣装を身につけた人間でいっぱいだった。

 城で、一番広い部屋なのだという。

 もしかしなくても、アガサの家どころか、冬の庭より広いのではないだろうか。

 アガサは片隅からじっと、色とりどりの花の饗宴を眺めていた。


 部屋の両側にはテーブルが一直線で並び、白いテーブルクロスの上には両国の名物料理が踊っている。

 どうやら、ここから各自で、好みのものを取り分けて楽しむ仕組みらしい。ただしまだ、この料理たちの出番ではない。

 まだ、今夜の主役が登場していないから。


 薔薇色の絨毯が、部屋の中央を一直線に伸びていた。

 選ばれたものだけが、足を踏み入れることができる道。

 その道の先には、階段が続き、三段ほど高くなった場所の奥の中央に、一際重たそうな衣装を抱えて、華美な装飾のついた椅子に座っている、二人の人間が確認できた。

 たぶん、左がこの国の王で、右が隣国の王だ。

 アガサには両方とも、やはり豆粒ようなものしか記憶になかったが、さすがに初対面でも理解できた。

 王を中心にして、それぞれの国の、重きを置かれる人間たちが並んでいる。

 王の隣には王妃が、その隣に並ぶのは、王子や姫たち、そしてさらに大臣たちへと続く。

 アガサはその中に、豆粒以外の記憶がある顔を見つけた。


 左、つまりこの国側の、王の隣の隣、つまり正妃の隣で、華やかな笑みを振りまきながら、座っている。

 三番目の椅子、それは王位継承権第一位を有する、王子の席のようだった。

 たぶん、アガサの勘違いでなければ。


 とんとん、と肩をつつかれた。

 振り返ると、出っ張ったお腹がなんとも立派な紳士らしき人間が、空になったグラスを二つ持って立っていた。

 アガサはすっかり慣れた対応で、それを受け取った。

 せっかくの友人の用意してくれた衣装で、彼の側近たちに一生懸命身だしなみを整えてもらったのだが、やっぱりそれなりの恰好をしても、長年染み付いた召使いのにおいは消せないらしい。 

 みんな、料理に手を出すのは我慢していたが、定刻になっても姿を現さない主役たちにしびれを切らしたのか、先ほどから飲み物のほうは解禁になったようだ。

 そして同時に、給仕係と間違われるようになったアガサだった。

 庭師と給仕係をするメイドの違いはささやかだ。

 同じ召使いと組みされるわけで、たぶんこういうところに招かれるような人々にとっては対した違いではないのだろう。アガサはとくに否定もせず、仕事をこなした。

 幸いにも、給仕係、ぐらいにはきちんと見えるようだったし。

 部屋の脇に控えている正規の給仕たちに空のグラスを渡しに行く。そこでは初対面だからといって、誰にも疑問を持たれるようなこともなかった。


 そのとき。


 ばんっと鋭い音を立てて、部屋の中央の扉が開いた。

 薔薇色の絨毯の上に、一歩が踏み出される。

 アガサは、空気が止まるのを感じた。


 右側を歩く人間は、靴のつま先から頭のてっぺんまで見事に全身、黒一色の衣装だった。シンプルを極めたような恰好は、鍛え上げられた精悍な体つきを露わにする。

 アガサは昨夜の、びりりとしびれるような身も凍る夜の空色を思い出した。瞳の色まで相成って、どこまでも深く人の心に染みていく、あの闇に似ていた。

 対して、左側を歩く人間は、純白。昨夜は流していた銀色の髪は高い位置に結い上げられ、うなじから肩にかけての美しいラインを際立たせている。よく見るとドレスは白一色ではなく、髪から零れ落ちたような月の雫が、無数に散りばめられているようだ。

 ほんのりと染まった桜色の頬頭と、麗しい唇の紅だけが、彼女をこの世にとどまらせていた。


 ほう、と部屋中がため息をつくのを感じた。


 アガサはグラスを渡すのも忘れて、その場に立ち尽くした。ため息をつくのも忘れていた。

 アガサの中にいるのは、もはや豆粒のような、空に浮かぶ月のような、姫の姿ではなかった。

 今、薔薇色の絨毯を歩いていく様子はみょうに目に焼き付いて、胸と、ノドのあたりに痛みを発する。

 やがて、薔薇色の道の果て、階段の下までたどり着いた二人は、そこで、厳かに膝を床についた。

 そして、誰よりも高い位置からの一声を待った。

 右側の、隣国の王に促され、左側の、この国の王が立ち上がる。

 声を掛けられたのを合図にして、二人は顔を上げた。


「まず、この麗しき日を迎えられた幸に何よりも感謝を示したい。隣国ハイバムータとの友好が永遠に約束された今日に」


 この国の王が、高らかに祝いの言葉を並べていく。

 まだ部屋の余韻は、主役の二人に向いたままで、アガサもまた話の半分以上を聞いていなかった。

 視界のすみで、近くにいたメイドたちが、声をひそめ、お互いに頬を染め合うのを見た。

 隣国の王子を称えて、のことのようだった。

 膝を折る、という目上の者に敬意を表する姿勢を保ちながら、彼はこの場にいる誰よりも高い場所にいる。

 その横顔には、今日の幸を喜ぶような感情は浮かんでいない。

 端正さが際立ち、ひどく冷たい印象を覚えたが、そのことがまた、メイドたちの目には魅力的に映るのかもしれず。

 名前を呼ばれ、隣国の王子が、はい、と大きくはない、低い声で答えた。

 それからしばらくは、この国の王の祝いの言葉に対する、王子の返しの言葉が部屋中に響いていた。

 すべての視線が王子に集まっているうちに、アガサはこっそり、銀月の姫君の顔を盗み見た。


 改めて、隣に並んだ二人を見ると、もともと一対となることが決まっていたようにしか思えなかった。きっとこの先、どんな組み合わせを試してみても、物足りなさを感じるだろう。

 そう、確信しているのに、アガサは胸とノドのあたりのしこりを消すことができなかった。


(触るんじゃなかった)


 触れることを確認してしまったら、もう見ているだけでは物足りなくなる。

 そんなことぐらい想像しろよ、と浅はかな昨日の自分を後悔する。

 城壁も何も、今は、間を隔てるようなものはない。

 姫は、月のような豆粒の姿ではなく、きちんとそこに存在していた。

 なのに、この手が届くことはない。昨日よりもずっと、その事実が深く感じ入る。

 けして、永遠に、もう、二度と、触れることはないのだと。


「ノリ」


 と、姫の名前が呼ばれた。姫の名前だと思うと、変てこな感じがしないから不思議だ。

 あの楽器が鳴るような声で、はい、と姫は返事をしなかった。


「できません」 


 静まりかえった部屋の中に、姫の小さな声が響く。

 最初に反応したのは、意外なことに、一番そばで同じように膝をついていた、隣国の王子だった。

 目を細め、初めて、隣の存在に興味を示したように。

 姫もまた、誰よりも尊重されるべき王よりも、隣の王子の目を見て、もう一度、言葉を重ねた。


「申し訳ありません。私はあなたと結婚することはできないんです」


 王子の表情は変わらなかった。少なくともアガサからはそう見えた。

 代わりに、ほんの小しだけ頷くような仕草をしたように見えたが、それは途中で二つの怒号によって遮られた。

 誰よりも高い位置から、それぞれの国の王たちが顔を真っ赤にして叫んだ。

 それをきっかけにして、それぞれの国の王妃たちも、王子たちも姫たちも大臣たちも。

 招かれていた、部屋をいっぱいに埋め尽くした人々も。


「なんということだ……!!!」


 と、口々に叫んだ。


 アガサは呆然として、騒然とし始めた光景を見守ることしかできなかった。

 所詮、ただの冬の庭師では、ここにいてできることなど何一つない。

 けれど、ふと思い当たって、アガサはそこに目をやった。

 周りが頭を抱えて、顔を赤くさせたり青くさせたりする中。

 全身白一色の衣装に身を包んだ、この国の第一王子だけは、一人、椅子に悠然と腰をおろしたまま、やや前のめりの姿勢になって、肩を震わせていた。

 一見、嘆き悲しんでいる、ようにも見えなくもなかった。

 が、アガサの目には、必死に笑いを堪えているようにしか映らなかった。

 せっかくの仮面がはがれるよ、と今は遠い場所にいる友人に心の中で忠告して、アガサは渦中の人物にもう一度目をやった。


「私には、好きな人がいます」


 凛とした声が、また部屋に沈黙を呼ぶ。


「だからそれは、どこの誰だというのだ??!!」


 姫の実父であるこの国の王が問い掛ける。ごくり、と部屋中が息を呑んだのを感じた。

 銀月の姫君は、この城の中で生まれ、この城の中で育った。

 ただ花のように微笑んでいただけの彼女が、いったいどこで好きな人などを作る機会があったというのか。

 王もみな、姫にそんな機会はなかったという事実のみを知っていた。

 銀色の瞳が揺れ、ぽたり、と握り締めた拳の上に雫が落ちた。

 それを見て、王たちがみな、一瞬ひるみ揺れる。

 そんな国の最高権力者の肩が、ぽんぽん、と二度叩かれた。


「まあまあ、父上、みんなも。一度落ち着かれてみてはいかがですか」


 晴れた空、それぐらいの高みから、新しい声は降ってきた。


「しかしチタ。これがどう落ち着いていられるものか!?」

「いつも父上がおっしゃっているではありませんか。国の要がどっしりと構えているからこそ、民は安心して日々、暮らしていけるのだと」

「うむ。そのとおりだ、わが息子よ。そしてお前は、そんな忠告もまんまと無視して、大切な妹の婚儀の前の晩に、あっさり城を抜け出しおって!」

「大変耳に痛くて恐縮ですが、今は私のことが国の一番の大事ではありません。かわいい妹のことを第一に考えなければ」


 どうどう、と暴れ馬をなだめるように、この国の第一王子が微笑む。

 さすがに、隣国の王子と並べて称えられるほどの世間的評価を受けているだけはあるようだ。たったそれだけのやりとりで、周りの緊迫していた空気が氷解した。

 いまだ眼下に膝をついたままでいる二人を見て、王子はさらに笑みを深める。


「ノリ、愛しい妹よ。兄は、君のためにとびきりのプレゼントを用意しておいたよ。だから泣くのだけは許しておあげ? さすがの父上もおかわいそうだ」

「兄さま……?」

「あと、愛しいムラサキ殿。親友としていちおう聞いておくけれど、ノリに対して、色めいた感情は抱いていないよね?」

「…………」


 この国の王子のふざけた口調に、隣国の王子は沈黙でもって答えた。

 それでもめげずに白い王子が問い返すと、ため息を一つ、黒き王子は答えた。


「ノリ殿のことは小さい頃からよく知っている。お前と同じくらい、自分の妹のように、慈しんでいるつもりだ」


 台詞の内容と表情が合っていなかったが、隣にいた姫にはじゅうぶんすぎるほど伝わったようだった。

 また零れ落ちそうになったものを、兄との約束に従い、必死に堪えている。


「ならよかった。これで用意しておいたせっかくのプレゼントが無駄にならなくてすみそうだ」


 兄王子はそう言って、まっすぐ一点を見つめた。

 妹姫もつられるようにして、その視線の先を見つめた。



 


 


 

 どうしてここにいるんだろう。

 空のグラスを持ったまま、アガサは部屋中の視線が身に集まるのを感じた。

 銀色の瞳が一際強い光で揺れて、ドレスの裾を持ち上げて、こちらに一歩、歩み出すのが見えた。

 人々が割れる。薔薇色の絨毯もないのに、そこには新しく道ができていた。

 でも通じる先にいるのは、ただの冬の庭師なのだけれど。

 いつのまにか目の前まで近づいてきた銀月の姫君は、またお会いできましたね、と今日初めての微笑みを見せた。


「履いてくださって、嬉しいです。気に入っていただけましたか?」

「は?」


 と、間の抜けた声が、広い部屋の中すみずみまで響き渡る。

 銀色の視線の先に一足の靴を見つけて、アガサは思わず足踏みをした。とても気に入っています、という言葉の代わりに。

 それから思い出したように、慌てて、その場に膝をついた。

 グラスを持ったままだったことに気がついて、床に置いた。

 そんなアガサの醜態をすべて見届けて、姫はとびきりの笑顔を見せた。

 思わず一歩、みんなが後ろに下がってしまうほどの。

 アガサはあいにく、そうすることが叶わなかったので、至近距離でそれを受け止めなければいけなかった。


「昨日は、本当にありがとう。私、自分の言葉できちんとあなたに伝えたかったの」


 頭を垂れて、その名誉を受け取って、もう一度顔を上げたときに、アガサはそうすることが一番自然なことだと、わかってしまった。

 まるで、おとぎ話に出てくる騎士のように。

 本当はただの庭師だけれど。しかも冬の庭師だけれど。

 アガサは、銀月の姫君の手を取った。

 どんな罰を受けても構わない、今はそんな、神様になったような気分になっているから不思議だ。

 姫の手から、銀色の雫が散りばめられた手袋を外して、露わになった、雪の染み込んだような白い肌に唇を寄せる。

 今の気持ちをすべて込めて、手の甲に口づける。


 どれくらいそうしていたのか、わからなかった。

 ほんの一瞬のことだと思ったのだけれど、アガサが唇を離すと、全身を薔薇色に染め変えた、銀月の姫君が立っていた。

 アガサは初めて、ノリという変てこな名前の少女を見つけた気がした。



 


 


 そんな二人の一連を見届けて、王が再びわなわなと震え始めた。


「……チタっ! あれはいったいどういうことなのだ?!」

「どうもこうないですよ、父上。あのとおり、妹はあの者にぞっこんなようですよ」

「あれはいったい何者だ? お前は知っているのか?」


 この国の第一王子ことチタは純白のマントを華麗に翻し、王の前に恭しく片膝をついた。

 その際、置き去りにされた黒い王子にちらりと視線を送ったが、無視されてしまった。


「彼は、冬の庭師です」


 王の眉が寄る。今頭の中では、必死になって役職名を上から順番に並べているところだろう。

 なので、チタは親切に、説明を付け加えることにした。


「そうですね。そこにおられる、ご存知、私の友人でもありますムラサキ殿と恐ろしくも比較させていただけば、名声、財力、才能、容姿、どれをとっても明らかに劣る男でしょうね」

「なんということだ」


 人目も気にせず頭を抱えてしまった王に、チタは微笑みかける。


「いえ、総合すれば紙一重の差です。なんといっても氷の姫の心を溶かした実績がすでにありますし、そもそも私の最愛の友でもありますから」


 固まってしまった王にたたみ掛けるように微笑みを与え、白き王子は立ち上がると、もう一人の最愛の友を見つめた。

 視線を受けても、ひとかけらも表情は崩さないまま、黒いマントを豪快に翻らせると、薔薇色の絨毯を逆に歩き出した。

 彼の長い足を使えば、何人が止めるのも恐れることなく、扉までたどり着くことは容易い。


「両陛下。私はノリ殿が幸せであるならそれだけでいい。そして何よりも、自分が不幸の要因になるわけにはいかない。よって、一足先に自国へ帰る許可をいただきたい」


 高らかに宣言する。

 国の最高権力者であるはずの王が、待てのま、で止まったまま動けなかったのだ。他に誰が彼を止めることができるというのか。

 王子は扉を開け放ち、部屋から出ていこうとしたときに一瞬だけ、将来妻になるはずだった少女と、少女が選び、友が最愛の友だと呼んだ少年を見つめた。

 それに気づいたアガサは、軽いお辞儀のようなものをした。

 淡い微笑みのようなものを残して、隣国の王子はこの国を去っていった。



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