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2.冬の庭師

 一国の王の住まう城ともなれば、庭園もまた相応に広い。

 国の領地は大きければ大きいほど豊かさを示す。その縮小版が城だとも考えられるのかもしれない。

 だから、とても広い。この国の城の場合、無駄に広いとも言える。

 一人の庭師で、その全体を管理するのは不可能だ。


「私が担当しているのは、冬の庭だけですよ」

「冬の庭?」


 じめじめとした土の腐臭の中にあるには不釣合いな声音に、アガサは手元から少し顔を上げた。

 何年履いているかもはや定かではない、ぼろぼろの極みに達した靴。

 アガサの足の大きさは標準だと思うが、それより一回り以上は小さい。

 細くて白い足が、そのぼろぼろの靴から伸びている。

 姫、と呼ばれるような人にそれをさせるのはかなり気が引けたが、アガサにはそれ以上のものを与える余裕がなかったのだ。


 銀月の姫君は、ぼろぼろでぶかぶかの靴にも男臭いだろう上着にも不満の代わりに感謝を表し、微笑んだ。

 おそらく、姫は言葉と表情を選び間違えたのだろう。

 そしてなぜか今は、アガサの隣にしゃがんで、見習い兵士(身代わり)の仕事のさぼりっぷりを観察している。

 奇妙に思いながら、アガサはとりあえず全部を後回しにして、庭師としての本来の仕事を優先させていた。


「このお城の庭は、四つに分けられているんです。春、夏、秋、冬という名前で。それぞれに専任の庭師がいて、私が担当するのが、ここらへん一帯の、滅多に誰もいらっしゃらない、冬の庭、なんです」


 姫はその言葉を受けて、きょろきょろと辺りを見渡した。

 本当に見事に何もない状態なので、アガサは少し、居心地の悪さを感じた。

 姫には詳しく話さないが、いらっしゃらない、とは主に、姫のような高貴な身分の方たちのことを指していた。

 庭師にもランク、というものが存在する。

 冬の名前は、最下のランクに当たる。だからアガサのような若くて未熟な庭師にも任される、というわけで。

 おそらく姫が一番目にすることの多い庭は、春という名前で、すこぶる腕のいい熟練庭師のもとで咲いている庭だ。

 豪華で優美で、生き物を寄せ付けずにはいられない。

 濃厚な匂いを放ち、世界中の色を凝縮し、まるで夢の中を彷徨っているかのような錯覚を与える庭。


 それと比べれば、ここの庭はわざと人の目に触れないように造られていると見えなくもないかもしれない。

 まるでお前の人間嫌いをそのまま反映しているような庭だな。

 と、友人の見習い兵士にまで指摘されるような有様の庭だ。


「あの、それであなたは先ほどから何をなさっているのですか?」


 アガサはやはり作業しながら会話をするのは失礼だったかと思い、手を止めた。

 すると逆に、そのままやり続けていただいて構いません、と許しを受けた。


「ええと、ここの土は栄養をよく含んでいていい土なので、肥料にしようかと思いまして。育てている最中なんですよ」

「育てるんですか? 土を?」

「はい、まあ勝手に育つものなんですけどね」


 冬の庭に振り分けられる予算は少ない。だから、市場で出回っているような土なんて贅沢で使えない。

 アガサ自身、冬の庭、という名前を特別意識したことはない。

 でも実際、この庭には、冬の凍てついた空気を好む植物がたくさん育っている。たくましい力強さが、気に入っているから。

 そして並行して、傷によく効く薬草や、腹痛を抑える実をならす木など、国で一番安全な城の中でなんの役に立つのか、と思われるものも育っている。

 召使いたちの間ではとても重宝がられ、貴重な収入源にもなっているのだ。

 ただその分だけ、どの庭よりも色や香りがいまいち地味になるのは事実だ。

 だから一見殺風景なのだが、あの木もこの草も花も、アガサが手塩にかけて育てたものだ。

 けして、本職までさぼっているわけではないのだ。

 なんてことはもちろん全部、姫に対して一言たりとも言えるわけがなかった。


 姫の視線の先が、自分の手にあることをアガサはよく意識していた。

 もう怖気が芽生えて直視なんてとてもできないが、あの月のような静かな瞳を、意識せずにはいられなかった。

 そんな下心がばれたのか、すっと闇夜を切り裂くように白い手が伸びてきて、アガサの手に重なった。


「姫? 汚れますよ」


 おそらく、この国の中で、もしかしたらこの世の中で、一番美しい手。アガサはこんな美しいものを見たことがなかった。

 それを汚す、ということがどれほどの罪なのか。

 アガサは自分の身を案じてやんわりと手をどけようとした。

 姫はひるまずに、ぎゅっと手にさらに力を込めてくる。アガサはその冷たさに目をみはった。

 夜の空気に触れるには、あまりに弱いものだと感じた。

 アガサはしばし考え、結局、両手を上げて降参した。

 借り物のズボンで手をぬぐい、両手で、白くて美しい手を包み込むように握った。

 幸い、先ほどまで動き続けていた分だけ、手のひらの温度は高いはずだ。

 できれば、熱と誠意だけが姫に伝わりますように。

 アガサは手元に顔を近づけ、そっと息を吹きかけた。雪のような手がびくり、と震える。

 二度三度と繰り返しても、不敬罪は宣告されなかったので、そのまま続ける。

 もし。

 もしこのまま、物語に出てくる騎士のように、白く美しい手の甲に口付けをしたとしたら?

 そんな誘惑が、アガサの背中をなでた。

 それほど、姫はおとなしく、従順だった。




「そういえば、ご結婚おめでとうございます」


 色々なことを言う順番がめちゃくちゃだ、と我ながら思う。

 もともと社交性のある方ではないし、友人に言わせると人間嫌いの典型らしいので、仕方がないのだが。

 それでもせっかく近づいた距離が、また月ほどに遠くなってしまったのは事実だった。

 アガサは自分自身にため息をついたが、まぁこれは夢か、何かそれに近いものだろうし。

 潔く諦めて、覚めるのも簡単だ、と思った。


「明日、婚約の儀があるの」


 甘い声がもう一度夢の世界へと誘う。

 アガサは悟られぬように、そうですかとそっけなく答えた。


「お相手は、どなたなんでしたっけ?」

「ハイバムータの、ムラサキ王子」


 と言えば、お隣の国の、若いのに大層優秀で、しかも美しさを兼ね揃えるという評判の王子だったような。

 民の間では、この国の、これまた大変優秀だという噂の第一王子と並べて称えられる。

 またこの二人は仲のよい友人同士でもある、ということで。

 二国の未来は約束されたようなものだ。

 妹姫であるこの方が嫁ぐとなれば、その絆はより確かなものとなるだろう。隣国はこの国よりもさらに大きく豊かな国だ。

 さぞかし城の庭も立派なものだろうなぁ。

 アガサが想像して呆けている間に、月には雲がかかり、姫の顔はますますかげった。

 なぜか。

 ただの庭師であるアガサにそれがわかるはずもなかった。


「お嫌、なんですか?」

「いいえ。光栄に、思っています」


 姫もそれを承知しているのだろう。詳しくは語ろうとしない。

 ただ、と口にした。

 ただ、この夜、月が空から舞い降りて、土にまみれた庭師に出会った。

 その偶然を、姫はとても大切なものであるかのように語った。


「例えば私は、この城の中のことならば多くを知っています。でも一歩外に出れば、私にとっては未知のものばかりで、まるで夢の世界にいるのと同じなのです」


 それは自分とは逆の見解だなとアガサは言葉にせずに思う。


「うまくは言える自信がありません。ただそれは嫌だったのです。そんなことではいけないと感じました。自国のことさえ何一つ知らない私が、異国で何をすればいいのでしょうか」


 きっと、異国でも城の中にいて、雪や月や花のように笑っていることを望まれるのだろう。

 銀月の姫君として。


「だから今夜、外に出てみました」


 いつのまにか、アガサの一番最初の問いかけに姫は答えようとしていた。


「どこに行こうなんてちっとも考えていなかった。一歩、外に出ることが目的だったから」


 そのために、どうやって寝室を抜け出し、多数の召使いの目を盗み、本城の隅の隅、この厨房の屋根にまでたどり着いたのか。

 全身についた黒いすすの正体を、姫は誇らしげに語った。

 

「―― なるほど」


 アガサはぽんと一つ手を打って、ではそろそろ仕事に戻らないと、と姫に向かって告げた。

 姫は美しいままで、何の変化も見せなかったが、そうね、と呟いた横顔は淋しげだった。

 そろそろ月は、元の位置に戻らなくてはね。


「姫、俺は庭師なんです」


 離れていきそうになった手を取る。

 姫は小首をかしげ、それは先ほど聞きました、という顔をした。


「だから……、こんな恰好をしてますが、あなたを城に連れ戻す命令は受けていません」


 それを受けたのは友人の見習い兵士であって、今ごろは最愛の彼女のもとにいるはずだ。

 姫は固まり、驚いた様子で目の前の庭師を見ている。

 いつのまにか人称を変化させ、にっこりと微笑む冬の庭師を。


「俺の庭へようこそ、銀月の姫君」


 


 



   * * *


 凍りつきそうなほど寒い夜であり、何よりも今の時期は手入れの準備段階であり、何よりも姫を長くここに拘束するわけにはいかない。

 となると、アガサの足は迷うことなく進むしかなかった。

 姫は、時折ぶかぶかの靴を地面に置き去りにして戻る、を何度か繰り返して、アガサのあとをついてくる。

 アガサの素足がよほど気になるようで、しきりに詫びの言葉を口にする。

 こんなに懺悔されると、まるで自分が神様にでもなったような、不思議な気分になる。

 アガサはまんざらでもなく胸の高鳴りを覚え、目的の場所が近付いたので姫の手を取って厳かに命じた。


「目を閉じて」


 姫はためらいながらもそのとおりにした。

 アガサは安心させるように手を強く握り、一歩、二歩と歩き慣れない姫をゆっくりと誘導した。

 冬の庭の一番端、城壁がすぐそばに立ち、用がなければ誰も寄り付かない場所へ。

 そこに一本の木が立っていた。

 なんの変哲もない木、だと、アガサの合図で目を開けた姫は思った。


「この木が、なにか……?」


 がっかりを隠そうとする姫の反応に喜んで、アガサは木の幹をがつんと、足で蹴飛ばした。

 途端、ざわついた音ともに、はらはらと一枚の葉が舞い落ちてきた。

 まるで雪のように、白い光を発しながら。


「わっ…………!」


 と、声を発して、それがどんなにはしたないことだと恥じることも忘れてしまったように。

 姫は目も口も目一杯開いて、その幻想的な光景に魅入った。


 木から落ちる葉とともに、無数の光が生まれてくる。

 垂直に線を引き地面に落ちるもの、時折光を放ち点となるもの、様々な形を成すもの、確かに最初は白であったはずなのに、やがて青く染まり、赤く燃え、最後に金色に輝き消えていく。

 何千もの光を見送り、やがて辺りが静まりすっかり闇を取り戻し随分経ったあとに、姫は静かに傍らの庭師を見た。

 銀色の瞳から、涙が一筋こぼれた。

 目を酷使させてしまったようだ。この光を見るのには、それなりの体力が必要になる。


「この木はいったい……?」

「普通の、何の変哲もない木、ですよ」

「でも今確かに……」


 姫がなんと形容していいものか悩んでいることに、アガサは満足した。 


「何千もの光に見えましたか?」

「はい。様々な形で、様々な色に見えました」

「本当はせいぜい150匹ぐらいです」

「ぴき?」


 それが数だとも結びつかないように、姫が驚く。

 アガサは頷いて、ズボンのポケットから何かを取り出して見せた。

 手のひらの上、わずかな土の中に、小さくて長くて白い、うごめくものがいる。

 姫は一瞬ぎょっとした表情でそれを見やり、すぐに思い直したのか興味深そうに覗き込んできた。

 それを手でつまんでみたときには、さすがにアガサもぎょっとしたが。


「何かの幼虫、ですか?」

「そうですね、正確にいうと、妖精、のほうなんだとオレは思うんですけど」


 妖精。

 その容姿からはまったく結びつかないそれを、姫は、まるで何よりも尊く愛しいものであるかのようにそっと手のひらで包み込んだ。


「こいつら、ああいうさっきのようなじめじめとした土の中で生まれてくるんですよ」

「まあ。では、さきほどのあなたは、この者たちを掘り出そうとしていたんですね?」

「はい。土をって言うのも嘘ではないのですが。さっきは姫の名前にびびってしまって。すみません」


 こんな奇妙なものを手のひらに乗せられるような姫になら嘘は無用だ。

 案の定、いいえ、お構いなく。と、姫は笑ってのける。


「別に劣悪な場所を好んで生まれるのはいいんですけどね。こいつら、じゃなくてこの者たちはちゃんと成長するためには充分な日の光を必要とするんです」

「…… まあ。なかなかわがままなのですね」

「はい、そうですね。すぐ死にますし、弱い生き物です」


 姫のわがまま、という言い方は、なかなか当たっているなとアガサは感心した。

 こいつら、じゃなくてこの者たちを育てるために、どれだけのお金と時間と愛情を傾けているか。

 目を輝かせて次の説明を待っている姫に、自分の貧窮ぶりまでは語らないでもいいよなと思う。


「弱い生き物ですがきちんと成長を遂げると、さっきのような光を放つようになります」

「本当ですか?」


 眉を寄せ、とても不可解そうにする姫。子供のような正直さに苦笑してしまう。

 今の見た目からは想像できないのも無理はない。

 これから一ヵ月ほど、毎日専用のエサと日光を与えてやると、今の幼虫のような姿から、蝶のような姿に変わる。そうしたら、この木に移してやる。

 それからさらに一ヵ月ほどすると、突然姿が見えなくなる。

 どこかに飛んでいってしまった可能性も大いにある、が。

 普通の、何の変哲もない木だったはずの木が、さっきのような光を放つようになることだけが真実。

 アガサは庭師として、その事象について色々と想像することはできるが、こいつらは妖精なんだ、という結論が一番気に入っていた。


「このような美しい生き物がいるのですね」


 うっとりと呟く姫。子供のような純真さで、笑ったり驚いたり、きっと悲しんだりするんだろう。

 最後まで美しい夢を見させてあげたい、そうすべきだと思った。

 姫の手から、妖精を取り戻しながら、アガサは頭上の空を仰いだ。

 あんなに克明だった月の線がぼやけて、もうすぐ新しい主役と交代しようとしている。


 城から一歩外へと踏み出した銀月の姫君に、冬の庭師として、何か見せてあげたいと思った。

 自分に問いかけ、アガサは再びその場に片膝をつく。

 今度は鞘を地面にぶつけてしまわないように気をつけて。 


「姫に喜んでいただけて光栄です。こいつら…… この者たちの、最期の命の光だから」


 大きく目が見開かれた。

 言葉の意味をすぐに悟って、悲しい顔をする。

 外見だけでなく中身も優れた姫だった。

 妖精の命は、たとえ永らえたとしても儚く、弱く。だからこそ、愛しく。

 寿命が近づくと、一度だけまばゆい光を放つ。それがこの妖精が持つ特性だった。


「庭師は、命を弄ぶのが仕事なんですよ」


 アガサが曖昧に笑ってみせると、姫も同じように、曖昧に笑った。

 高い城壁を越え、東から太陽の光が差し込んできている。

 さあ、もう夢の世界から目を覚まして。

 月は消えて、太陽が現れる。

 夜から、朝へと空が変わった。

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