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ある日親が縁談を決めてきた。十六になったばかりの春だった。
三女の私はそれを疑問にも不満にも思う事なく従い、旦那様の顔を見たのはそれから一週間後の婚礼の当日だった。
「これからはこの家の者となるのだ」
初夜に旦那様にそう言われ黙って頷いた。
それからは家族や友人と連絡を取ることもなく、実家に帰ることも許されず、毎日毎日家事を引き受け農作業も手伝った。
かと言って労働に対する対価など貰えることはなく、お金が必要なときは家計を預かる姑か大黒柱である舅に両手を突き理由を述べなければならなかった。
たとえそれが子供に必要なお金であってもだ。一銭たりとも自分の自由になるお金はなかった。
盆と正月に親族が集まる中自分だけが働かされた。家の者となったが家族としては扱われない。自分も実家に帰ったら居間で楽しそうに騒ぐみんなのようにお客様で居られるのかと何度か考えたこともあったが、実家に帰ってももう自分の居場所はないと重々言い聞かされていたので諦めるしかなかった。
そういう時代だった。女に人権はなく、田舎ともなれば結婚も取引のようなものだ。
ましてや子供が多いとなれば、家から出した子供のことなど親はもう気にも留めていないだろう。遊郭に売られるよりはマシ。毎日ご飯が食べられて寝る場所があるだけでありがたいことだと受け入れていた。
やがて年老いて動けなくなった舅姑から身代を譲り受けたのは結婚して三十年以上過ぎてからだった。
これで少しは時間やお金に自由ができると思った矢先、舅が寝たきりになり姑がボケ、家事に農作業にさらに舅姑の介護と、気付けば自分の自由になる時間がまったく無くなった。
ぐっすり眠れる時間などなく、日々体も心も疲れていくなか、あれだけ自分に辛くあたった舅も姑も自分が居なければ何もできないのだという思いだけが毎日自分を突き動かした。
旦那様が家事や介護を手伝ってくれることもなく、ねぎらいの言葉など当然かけてくれることもなく、寧ろ舅や姑の弱った姿を見るのが嫌なのか旦那様は家に帰ってくることが少なくなった。
姑は事あるごとに自分もそうされてきたと口にしていた。
それに不満を抱いていたのもあって、子供達には自由にさせた。
先祖代々守ってきたのを誇りにしているこの家も土地も、旦那様に何もする気が無いのなら別に自分の代で終わらせるのも仕方ないと思っていた。
今になって考えてみると、寧ろそれがこの時代に逆らえない自分に対する小さな復讐でもあった気がする。
舅が亡くなり子供達も全員自立し、やがて姑が息を引き取った時、漸く肩の荷が全部下りたとホッとする気持ちより、これから自分はどうしていけば良いのかという虚無感に襲われた。
だから旦那様が家に若い女を連れ込んでも、何かを感じる心はもうどこにも無かった。
「嫌なら出て行って構わない」
「分かりました」
出て行けと言われても逆らう気力さえ無くしていた。かと言って家政婦扱いのまま家に居るのも辛い。だからそのまま最低限の身の回りの物だけを持ち家を出た。
自立した子供達の所にでも行こうかと思ったが、どういう訳か足が重く心がそれを拒んだ。
長男も長女も既に所帯を持って幸せにしているのに、自分が混ざることでゴタゴタさせるのは気が引ける。かと言ってまだ一人でいる次男の下宿先に身を寄せるのは無理だ。
子供達に負担をかけたくないという思いより、子供達に迷惑がられ蔑ろにされたらと言う恐怖心が大きく一歩が踏み出せなかった。
ひらひらと雪が舞う中、駅のホームの隅に長い時間佇んでいた。
別に何を考えていた訳でも無く、ただ列車から下りる人や乗り込む人を眺めていた。
あの列車はどこへ行くのだろう。地元から離れたことのない自分の知らない世界へと続いているのだ。
それはいったいどんな場所なのか。できることならもっと色んな世界を見てみたかった。
そんなことを思いながらただぼうっと眺めていた。
いつの間にか雪は激しく降り出していた。まるでそこに横たわる一人の女の一生を覆い隠すかのように。




