4月22日(月)
4月22日(月)
「お先に失礼します」
裏口の扉を閉めると、張り詰めていた神経の糸がプツリと切れた。時刻は夜の22時。初めてのバイトによる疲労が鉛のように足腰へ沈殿している。雨上がりの商店街は、籠もった油の匂いと湿気が混ざり合い、生ぬるい膜となって肌にまとわりついていた。
不快指数が高い夜だ。私は気怠げに前髪を払い、赤信号の前で足を止める。アスファルトに滲む街灯の光をぼんやりと眺めていた――その時だった。
――くん。
無意識に、鼻が動いた。不快な生活臭に混じって、場違いに鮮烈な「甘さ」が漂ってくる。熟れた林檎の香り。
(…なに、この匂い)
訝しむ間にも香りは濃度を増し、急速に変質していく。瑞々しい甘さはいつしか消え、脳髄を直接痺れさせるような、鉄錆とお香が混ざった退廃的な臭気へと変貌する。
――ふつん。
唐突に、世界から「音」が切り落とされた。遠くのバイク音も、湿った風の音も、街の喧騒も。あまりに濃密なその「匂い」に脳の処理リソースをすべて奪われ、世界が強制的に静寂へ叩き落とされる。
「――みぃつけた」
全身が総毛立つ。濡れた舌で脳の皺をなぞられたような、背徳的に甘い声。誰もいないはずの背後。私の影が落ちる場所に、「それ」は立っていた。
白い顔の少女。街灯の逆光ではない。彼女自身の肌が、病的なまでに白かった。
闇の中でそこだけが切り抜かれたように白く、そして唇だけが、鮮血を啜ったように赤い。人間が持つべき「生気」が欠落したその瞳が、瞬きひとつせず、私の瞳孔を覗き込んでいた。
思考が真っ白に塗り潰される。金縛りのような恐怖の中で、少女の白く細い手が伸びてくる。
「…まだ『サナギ』なんだね」
ペタリ。黒いフリルの袖から覗く指先が、私の下腹部に触れる。冷たい。服の上からでも分かる氷のような温度。
――ドクン。
瞬間、下腹部の底が熱く脈打った。恐怖による震えとは違う。私の内側にある「何か」が拒絶反応を出したように思えた。
その熱が、恐怖で凍りついた金縛りを強制的に溶かす。
「っ!」
脳が命令を発するより早く、生存本能が身体を弾き飛ばす。私はなりふり構わずに地面を蹴り、粘りつく夜の闇を切り裂いて走り出した。




