表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ドライフラワー

 ドライフラワーは、死んだ花だ。

 それでも、人はそれを飾る。


 私がその花屋で働き始めたのは、逃げるためだった。

 都会の端、古いアーケードの途中にある小さな店。看板の文字は日に焼け、「花」の字だけがかろうじて読める。

 生花はほぼなく、ドライフラワーの方が多い店だった。

 天井から吊るされた花束が、逆さまにぶら下がっている。

 ラベンダー、スターチス、ミモザ。色は褪せているのに、妙に存在感がある。乾いた植物の匂いが、店の奥まで染みついていた。


「水やり、いらないから楽でしょ」

 面接のとき、店主の榊さんはそう言って笑った。五十代半ば、眼鏡の奥の目が優しい人だった。

「枯れないんですか」

「もう枯れてる」

 即答だった。

「でも、終わらない」

 その言葉の意味は、しばらく分からなかった。


 私は、以前は別の場所で働いていた。

 ウェディング関連の仕事だ。

 ブーケを扱い、会場を花で埋め尽くす。

 祝福の象徴としての花。

 けれど、ある日を境に、花を見るのが辛くなった。

 妹が、結婚式の直前に亡くなったからだ。

 事故だった。原因は、単純な不注意。

 彼女は、純白のドレスを着る予定だった。

 私は、彼女のために、ブーケを選ぶ約束をしていた。

 その約束は、果たされなかった。

 葬儀の日、棺の中に入れられた花を見て、私は吐いた。

 生花の匂いが、どうしても耐えられなかった。


 だから、枯れた花なら大丈夫だと思った。

 命の途中を奪われたものではなく、時間をかけて、終わった花なら。

 

 花屋の仕事は、単調だった。

 注文を受け、束ね、包む。

 ドライフラワーは脆く、少し力を入れると花弁が崩れる。丁寧さが求められた。

「ドライはね、生きてた頃より、扱いが難しい」

 榊さんは言う。

「生きてるうちは、回復する。でも、これは違う」


 ある午後、一人の女性が店に入ってきた。黒いコートに、淡い色のマフラー。年齢は、私と同じくらいだろうか。

「ドライフラワー、ありますか」

「はい」

 私は店内を案内した。

「贈り物ですか」

「……自分用です」

 彼女は、吊るされた花を見上げながら言った。

「生花は、嫌いで」

 その言葉に、胸がわずかに反応した。

「どうしてですか」

 尋ねると、彼女は少し困ったように笑った。

「生きてるのに、すぐ死ぬから」

 私は、何も言えなかった。

 彼女は、淡い紫のスターチスを選んだ。

「この花、何ですか」

「スターチスです。色が残りやすいんです」

「じゃあ、これで」

 会計を済ませ、彼女は去っていった。ドアベルの音が、乾いた空気に響く。

 それから、その女性は、時々店に来るようになった。

 毎回、違うドライフラワーを買っていく。少しずつ、部屋を埋めるみたいに。


 ある日、彼女は言った。

「ドライフラワーって、ずるいですよね」

「……どういう意味ですか」

「死んでるのに、きれいなまま」

 私は、手元の花束から目を離さずに答えた。

「きれい、とは限りません」

「そうですか?」

 彼女は首を傾げる。

「私は、安心するんです。これ以上、変わらないから」

 その言葉は、私の中に沈んだ。

 妹のことを、思い出していた。彼女は、変わる途中で止まってしまった。

 ドライフラワーのように、完成した終わりではなかった。


 その夜、私は夢を見た。部屋いっぱいに吊るされたドライフラワーが、音を立てて崩れ落ちる夢だ。床に散らばる花弁は、触れた途端に粉になる。

 目が覚めると、胸が苦しかった。


 数週間後、彼女はいつもより遅い時間に来た。外は雨で、コートが濡れている。

「今日は、何をお探しで」

「全部」

 彼女は、疲れた顔で言った。

「……全部?」

「部屋を、片付けることにしたんです」

 意味を測りかねていると、彼女は続けた。

「一緒に住んでた人が、出ていきました」

 私は、黙って花を選び始めた。ミモザ、ユーカリ、カスミソウ。色も形も違うものを組み合わせる。

「ドライフラワーって、記念品みたいですよね」

 彼女が言う。

「終わった時間の記念品」

「……はい」

「でも、増えすぎると、苦しくなる」

 私は、手を止めた。

「捨てるんですか、全部」

「分かりません。ただ……」

 彼女は、少し言い淀んだ。

「今度は生きてるものを、置いてみようかなって」

 その言葉に、胸がざわついた。

「観葉植物とか」

「……水、あげないといけませんよ」

「そうですね」

 彼女は笑った。その笑顔は、初めて見る柔らかさだった。

 会計を済ませるとき、彼女は言った。

「あなたは、どうしてここで働いてるんですか」

 逃げるため、と正直に言うわけにはいかなかった。

「……枯れた花が、好きだからです」

 半分は、本当だった。

 彼女はそれ以上聞いてこなかった。大きな花束を抱えて店を出た。雨の音が、少しだけ軽くなった気がした。


 その後、彼女は来なくなった。

 季節が変わり、店に入る光の角度も変わる。私は、相変わらずドライフラワーを束ねていた。

 ある日、榊さんが言った。

「ドライもね、ずっとは持たない」

「……そうなんですか」

「崩れる。色も、匂いも。ゆっくりだけど」

 私は、天井の花を見上げた。確かに、少しずつ、粉が落ちている。

「それでも、飾る意味はあるんですか」

「あるよ」

 榊さんは、迷わず答えた。

「終わったものを、終わったまま、見つめるために」

 その言葉は、胸に残った。


 数か月後、久しぶりに、彼女が店を訪れた。髪が少し短くなっている。

「お久しぶりです」

「……どうも」

「今日は?」

「返しに来ました」

 彼女は、小さな箱を差し出した。中には、以前買ったドライフラワーが入っている。少し色が褪せ、端が欠けていた。

「もう、役目を終えたので」

「処分、しますか」

「いいえ」

 彼女は首を振る。

「ここに、置いていっていいですか」

 私は、頷いた。

 天井の端に、その花束を吊るす。新しい花と、古い花が並ぶ。

「今、生きてる植物、育ててます」

 彼女が言った。

「枯らしました?」

「一回。でも……また、買いました」

 その言葉に、私は微笑んだ。


 彼女が去った後、私は店の奥で、一輪のドライフラワーを手に取った。

 妹のために選べなかった、ブーケの代わりに。


 ドライフラワーは、死んだ花だ。

 それでも、人はそれを飾る。


 終わりを否定するためじゃない。

 終わったことを、確かにあったと認めるために。


 私は、花を吊るす。今日も、静かに。

ご生前のご厚情に深く感謝するとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ