第8章:比較優位の再構築
第8章:比較優位の再構築
サラの「宣戦布告」から数時間後。
ギルドの閉鎖時間を迎えたカウンターで、レオンとサラは頭を突き合わせていた。
ホールにはもう人影はなく、蝋燭の炎が二人の「事業計画書」を揺らめかして照らしている。古い羊皮紙と、消え残ったエールの匂いだけが、彼らの共謀を包み込んでいた。
「…ありました。レオン様の計画書通りです」
サラは、ギルドの地下書庫から持ち出した分厚い資料(モンスター生態便覧)の、埃っぽいページを指差した。
「『鉄カブトガニ』…生息地は西の海岸。甲羅はCランク冒険者の剣でも傷一つつかないほどの硬度。しかし、スライムの『強酸性粘液』にのみ、例外的に溶解する特性あり、と」
「仮説通りだ」
レオンは短く頷いた。
「問題は、溶解した液体が持つ『毒性』だ。そのままでは薬にはならない。中和し、回復効果を安定させる『触媒』が必要になる」
「それも、ここに。『ロックリザードの鱗』」
サラは別のページを開いた。
「南の岩場の固有種。鱗は熱に強く、特定の鉱物毒を『中和・安定化』させる性質が報告されています。ですが、これも硬すぎて武具に加工できず、長年『用途不明素材』として放置されていました」
「完璧だ」
レオンの思考は、すでに次の「オペレーション」の構築に入っていた。
(鉄カブトガニ:主原料。スライム:溶解(一次加工)。ロックリザード:触媒(二次加工)。ゴブリン:採取・運搬・瓶詰め(労働力)。俺:全体の指揮・品質管理)
薬師組合が「コモンウィード」という単一の資源に依存しているのに対し、レオンの新しい生産ラインは、これまで無価値と見なされてきた複数の素材を、彼の知識(ミクロ経済学)によって「結合」させることで、全く新しい価値を生み出す、複雑な「サプライチェーン」そのものだった。
「ですが、レオン様」
サラは、不安そうに眉を寄せた。
「この二種のモンスターは、ゴブリンやスライムと違ってFランクではありません。テイムするには、相応のリスクが…」
「問題ない」
レオンは、サラの懸念を遮った。
「俺がSランクパーティで担当していたのは、戦闘ではない。資源管理だ。これ(・・)もその一部だ」
翌日。レオンは、稼いだ全財産をはたいて購入した「魔力封じの檻」を荷馬車に積み、一人でギルドを出て行った。
彼が戻ってきたのは、三日後のことだった。
サラがギルドの裏口を開けると、そこには、鋼鉄の甲羅を持つ巨大なカニ(鉄カブトガニ)が三匹と、岩のように硬い鱗を持つトカゲ(ロックリザード)が五匹、魔力封じの檻の中で静かに佇んでいた。
レオンの顔には疲労の色が濃かったが、その瞳は、新しい「生産設備」を検分する工場長のように、冷たく満足げな光を帯びていた。
「オペレーションを開始する」
レオンが借りた街外れの廃倉庫は、彼の「実験工場」と化した。
その光景は、サラの常識を根底から覆すものだった。
第一工程:溶解
「グルァ…」
鉄カブトガニが、檻の中で威嚇の声を上げる。
レオンは、訓練済みのスライム部隊に指示を出す。スライムたちは、カブトガニの甲羅に張り付くと、粘度を高めた「酸」を放出した。
ジュウウウ…という、肉の焼けるような音と、鼻を突く刺激臭が立ち込める。鋼鉄の甲羅が、緑色の泡を立てながら、ゆっくりと粘性の高い液体に変わっていく。
第二工程:中和
ゴブリンたちが、その毒々しい液体を素焼きの壺に回収する。
そこへ、別のゴブリンが、レオンの指示通りの分量で、「ロックリザードの鱗」の粉末を投入する。
液体は、激しく沸騰したかと思うと、一瞬で毒々しい緑色を失い、透き通った「青色」の液体へと変貌した。
第三工程:瓶詰め
その青い液体を、スライムたちが(器用にも)小さなガラス瓶に均一に注ぎ込み、ゴブリンたちがコルクで栓をしていく。
カチリ、カチリ、と瓶が木箱に詰められていくリズミカルな音だけが、倉庫に響いた。
サラは、その「生産ライン」を、息を詰めて見守っていた。
戦闘力ゼロのFランクモンスターたちが、レオンの指揮下に入ることで、Aランク錬金術師にしか作れないはずの「代替ポーション」を、恐るべき速度で「大量生産」していく。
(これが…レオン様の『比較優位』…!)
ゴブリンは「手先の器用さ」に比較優位がある。
スライムは「溶解能力」に比較優位がある。
カブトガニとリザードは「素材そのもの」に価値がある。
彼らを「戦闘力」という単一の指標で測れば、全員がFランクの落ちこぼれだ。
だが、レオンは、彼らの「真の価値」を見抜き、最適化した。
その日の夕方。
レオンは、完成した「新製品」――『レオン・ポーション(試作品)』と名付けられた青い小瓶が詰まった木箱を、ギルドのカウンターに静かに置いた。
「受付嬢さん。ギルドの正規商品として登録を」
「…承知いたしました。販売価格は、いかほどに?」
サラは、震える手で帳簿を開いた。薬師組合が独占販売する『下級回復薬』の価格は、銀貨10枚。新人冒険者には高嶺の花だ。
レオンは、その価格表を一瞥し、短く告げた。
「銀貨5枚。彼らの『市場価格』の半値だ」
その瞬間、ギルドホールの空気が凍りついた。
薬師組合による「独占市場」の終わりを告げる、静かな鐘の音だった。




