第13章:ナッシュ均衡の罠
第13章:ナッシュ均衡の罠
その日の午後、ギルドホールは再び異様な熱気に包まれた。
だが、昨日のポーションを求める歓声とは違う。
Aランク、Bランクの冒険者たちが、血気盛んに獲物をカウンターに叩きつけ、銀貨を掴んでいく。その中心には、得意満面の笑みを浮かべるアレックスの姿があった。
「どうだ見たか! 一時間で金貨5枚! Fランクの雑魚を狩るだけでこの稼ぎだ!」
「さすがアレックスさん!」
市場は、マルサスが設定した「法外な買い取り価格」によって、過剰なまでに活性化していた。
その、狂騒的な空気を切り裂くように、ギルドの扉がゆっくりと開いた。
「……………は?」
アレックスの笑みが凍りついた。
ギルドにいた全ての冒険者が、入り口を見て絶句する。
ぞろぞろと入ってきたのは、レオンのテイムモンスターたちだった。
だが、彼らはもはや「労働者」の姿ではなかった。
全身を返り血と泥に汚し、錆びた剣を担いだゴブリンたち。
酸で獲物の甲殻を溶かし、運搬しやすく処理しているスライムたち。
そして、彼らの「獲物」の山。
ゴブリンたちが、まるで「納品」するように、カウンターの前に『鉄カブトガニ』と『ロックリザード』の死骸を積み上げていく。
一つ、二つではない。
十、二十…やがて、アレックスたちAランクパーティ全員の獲物を合わせた量よりも、遥かに巨大な「山」が築かれた。
「な…」
アレックスは、自分の目を疑った。
「なんだ、あれは…不正だろ…」
Aランクの彼らが、効率度外視で「一体」を狩る間に、Fランクの「軍団」は、レオンの指揮(最適化)によって「十体」を狩り尽くす。
これが、レオンが持つ「生産設備」の、本当の「生産性」だった。
その山の前に、一人の女性が進み出た。
サラ・マクフィーだ。
彼女は、昨日までの不安げな表情を消し、冷徹な「管理者」の顔で、カウンターの職員に告げた。
「『緊急討伐依頼』の納品です」
彼女は、持っていた帳簿を開いた。
「鉄カブトガニ、計150匹。ロックリザード、計120匹。現物はこちらに。検収を」
ギルドホールが、水を打ったように静まり返った。
カウンターの職員が、震える手で計算盤を弾く。
「…い、銀貨30枚の150匹で…金貨45枚」
「銀貨50枚の120匹で…金貨60枚」
「ご、合計……金貨105枚!!」
一日の、たった半日の稼ぎ。
アレックスたちSランクパーティが、命がけのダンジョン攻略で得る一週間分の報酬に匹敵する「利益」が、今、Fランクモンスターの「雑魚狩り」によって叩き出された。
「お支払いを」
サラは、淡々と手を差し出した。
その金が、薬師組合の金庫から出ていると知りながら。
「キ、ギギ…!」
ゴブリンたちが、主人の命令に従い、報酬を待っている。
その異様な光景を、二階のテラス席から、マルサスが鬼の形相で見下ろしていた。
「あの、テイマー崩れが…!!」
マルサスは、テーブルを叩いた。
彼は、自分が仕掛けた「ゲーム」の致命的な欠陥に、ようやく気づいた。
彼は「資源を買い占める」という『価格』を設定した。
レオンは、その『価格』の中で、「最も合理的な(・・・)行動」――すなわち、Aランク冒険者よりも効率的に(・・・・・・・)素材を供給する(・・・・・)――を選択した。
マルサスが今、この「緊急討伐依頼」を停止すれば、どうなるか?
市場価格は暴落する。
レオンは、暴落した素材を、今度は自分がタダ同然で買い占め、昨日までのように『レオン・ポーション』の製造を再開するだろう。
「ブルーオーシャン戦略」が、即座に復活する。
では、このまま依頼を継続すれば?
レオンは、マルサスの「無限の資金力」を使い、Fランクモンスターを狩り続け、明日も、明後日も、金貨100枚を稼ぎ続ける。
マルサスは、自分の「資産」を、自ら敵の懐に移し続けることになる。
どちらを選んでも、レオンが勝つ。
どちらを選んでも、マルサスが負ける。
これは、経済学でいう「ナッシュ均衡」の罠だった。
二人のプレイヤー(レオンとマルサス)が、互いに「最適な(合理的な)戦略」を取り合った結果、二人(マルサス)にとって「最悪の(・・・)結末」が固定されてしまう状態。
「く…っ!」
マルサスは、血反吐を吐くような思いで、幹部に命じた。
「払え…! 奴に、金貨105枚を、払ってやれ…!」
それは、独占者が、市場の「新しいルール(レオン)」に屈服した、最初の瞬間だった。
サラは、カウンターで積み上げられた金貨の袋を、震える手で受け取った。
それは、ギルド職員の給料の、数年分に相当する重みだった。
彼女は、レオンが「市場を創る」と言った意味を、今、物理的な「重さ」として理解した。
この男は、価値そのものを、デザインしているのだ。




