第10章:独占者の反撃(カルテル)
第10章:独占者の反撃
ギルドホールの一階が、銀貨の音と熱狂的な歓声で満たされている頃。
二階のテラス席は、まるで別世界のように静まり返っていた。
マルサス・ヴァーンは、歪んだ銀杯に残った高級エールを、舌の上で転がすように、ゆっくりと飲み干した。
階下の騒乱は、彼にとって不快な雑音でしかない。
「……マルサス様」
背後から、息を殺した声がかけられた。薬師組合の幹部だ。
「いかがいたしましょう。あの『レオン・ポーション』とかいう粗悪品、放置すれば市場の『適正価格』が破壊されます」
「粗悪品、だと?」
マルサスは、冷笑を浮かべた。
「あれ(・・)は粗悪品ではない。だからこそ、厄介なのだ」
彼は、一階のカウンターで冷静に「数字」を記録させているレオンの姿を、鷹のような目で見下ろしていた。
(あの男…ただのテイマー崩れではない。価格設定、品質保証、そして何より、あの忌々しいFランクどもを『労働力』として最適化した生産ライン…)
マルサスは、この街のポーション市場を「独占」することで富を築いてきた。
彼は、需要に対して供給を意図的に絞り、価格を吊り上げることで、最大の利益を生み出す「カルテル」の王だ。
レオンの行動は、その美しい「均衡」を破壊する、市場への「テロ行為」に他ならなかった。
「あの男がやったことは二つ」
マルサスは、指を一本立てる。
「一つ。これまで『無価値』とされていたゴミ(・・)(鉄カブトガニとロックリザード)を使い、我々の『コモンウィード』という資源的優位性を無効化したこと」
彼は、もう一本の指を立てた。
「二つ。価格を半値に設定し、『適正価格』を知らぬFランクの貧民どもを扇動したことだ」
「では、我々も価格を…?」
「下らん」
マルサスは、幹部の言葉を切り捨てた。
「価格競争は、我々『供給側』の体力を削るだけの愚策だ。我々がすべきことは一つ。市場から、あの害虫を『排除』することだ」
「は…! では、ボルコフたちのように…」
「奴らは失敗した」
マルサスは、銀杯をテーブルに叩きつけるように置いた。ガシャン、と重い音が響く。
「あの男は、物理的な暴力にも『合理的な』対処をする。ならば、こちらも『合理的』に潰すまで」
マルサスは、懐から一枚の羊皮紙を取り出し、幹部に叩きつけた。
それは、ギルド(・・)が発行した、高額の「緊急討伐依頼」だった。
「…こ、これは!?」
幹部は、その内容を見て息を呑んだ。
「『鉄カブトガニ』および『ロックリザード』の、生息地全域における『殲滅依頼』!? しかも、この買い取り価格は…市場価格の三倍!」
「そうだ」
マルサスの口元が、残忍に歪んだ。
「あの男の『生産ライン』が、あの二種のモンスターに依存しているのなら、その『資源』を枯渇させればいい。我々(・・)が、市場に出回るすべての素材を『買い占める』のだ」
これは、レオンが仕掛けた「価格競争」に対する、マルサスの「資源戦争」だった。
Fランクモンスターのテイムに全財産を投じたレオンに、組合の莫大な資金力に対抗して素材を買い占める体力など残っていない。
「あの男は、『生産設備』は持っていても、『原材料』が手に入らなくなる。新製品など、絵に描いた餅だ」
「さ、さすがです、マルサス様!」
「行け。Aランク、Bランクのパーティを総動員しろ。金はいくら使っても構わん。一匹残らず狩り尽くせ(・・・)。あのテイマー崩れが、次に何をテイムしようと、そのすべてを買い占め、枯渇させろ」
「ははーっ!」
幹部が、狂喜の表情でテラス席を駆け下りていく。
階下の熱狂は、まだ続いている。
だが、その熱狂が、自らの首を絞める「資源枯渇」によって引き起こされていることなど、誰も知らない。
「フン…小僧が」
マルサスは、再びエールを注文した。
「市場とは、力で支配するものだ。それが『経済』というものだ」
その頃。
カウンターで、銀貨の山と格闘していたサラは、ふと背筋に悪寒が走るのを感じていた。
あまりにもスムーズに進みすぎている。
レオンの「計画」が、このまま既存利権に受け入れられるはずがない。
彼女は、レオンが記録を指示した帳簿の端に、小さく書き足した。
『――リスク要因による、非合理的な市場介入の可能性。要警戒』
市場の「見えざる手」が、今、独占者の「見える手」によって、力ずくで捻じ曲げられようとしていた。




