第1章:費用対効果、最悪の男
第1章:費用対効果、最悪の男
Sランクパーティ『竜の牙』の拠点は、いつも通り高級エールと、モンスターの血が混じった金属の匂いで満ちていた。
テーブルの上には、今回の討伐で得た金貨が革袋からこぼれ落ち、鈍い光を放っている。リーダーである勇者アレックスは、そのうちの一枚を指で弾き、無慈悲な音を立ててレオンの足元に転がした。
「レオン。もう一度言う。お前はクビだ」
アレックスの言葉は、高価な魔銀の鎧のように冷たく、硬質だった。パーティの紅一点である魔術師が肩をすくめ、大剣使いは気まずそうに視線をそらす。
レオンは、転がってきた金貨を拾おうとはしなかった。ただ、無感動にそれを見つめる。
(…クビ。解雇。契約の終了。こちらの提供するリソース、すなわち俺と俺のテイムモンスターが、パーティの要求するリターンに見合わないという経営判断だ。合理的ではある)
「わかってるのか? お前がテイムしたそのスライム! ゴブリン! Fランクモンスターが、Sランクパーティの戦力になるかよ!」
アレックスが指さした先、部屋の隅で、数匹の小さなスライムがぶるぶると震えている。彼らはレオンがドラゴン・ゾンビのブレスから必死でかばった、彼のかわいい「従業員」だ。
「俺たちが命がけでドラゴンと戦ってる間、こいつらは荷物の陰で震えてただけだ。違うか?」
(違わない。だが、問題のすり替えだ。彼らのアサイン(割り当て)は戦闘ではない。荷物の運搬と、戦闘後の素材回収だ。そのタスクは完璧にこなしたはずだが)
レオンが冷静に反論のロジックを組み立てていると、アレックスは決定的な言葉を吐き捨てた。
「こいつらの餌代だってタダじゃねえんだ! わかるか? コ・ス・パ! コストパフォーマンス最悪なんだよ、お前は!」
その瞬間、レオンの思考がクリアになった。
(コストパフォーマンス…費用対効果。彼はその単語の本当の意味を理解していない)
アレックスの言う「コスト」は、Fランクモンスターの餌代という目先の「費用(Cost)」だけだ。そして「パフォーマンス」は、「戦闘での直接的な火力」という極めて狭い指標でしか計測されていない。
(非効率だ)
レオンは心の底からそう思った。
(彼は、パーティという組織のリソースを最適配分できていない。俺のモンスターが持つ「運搬能力」や「非戦闘時の作業効率」という価値(Performance)を、ゼロとカウントしている。典型的な機会損失だ)
「承知した」
レオンの口から出たのは、懇願でも怒号でもなく、平坦な受諾の言葉だった。
アレックスは、レオンが泣きすがるか、少なくとも狼狽すると期待していたのだろう。その無表情な反応に、かえって苛立ちを募らせたようだった。
「チッ…さっさと出ていけ! お前の今月の分け前は、これまでのモンスターの餌代と『相殺』だ!」
(相殺…それは経済原則に反する)
レオンは眉をひそめた。
(過去の餌代は、すでに支払い済みの『サンクコスト(埋没費用)』だ。それを未来の収益(分け前)から差し引くのは、単なる経済的脅迫に過ぎない。だが…)
レオンは思考を巡らせる。
(ここで彼と交渉する「機会費用」は? 彼を論破するのに数分。彼が逆上して剣を抜く可能性が30%。得られるリターンは、おそらく金貨数枚。リスクに対してリターンが低すぎる)
「世話になった」
レオンは静かに立ち上がった。部屋の隅で震えていたスライムたちを手招きすると、彼らはぽよん、ぽよんと跳ねてレオンの肩や背嚢に収まった。
レオンが扉に手をかけたとき、背後からアレックスの嘲笑が突き刺さった。
「Fランクテイマーが一人で何できるってんだ! せいぜい、そのスライムと一緒に路地裏で野垂れ死にするんだな!」
扉が閉まると、騒がしいエールの匂いと、金貨の音が遮断された。
レオンはギルドホールの中央ではなく、一番隅にある薄汚れた掲示板の前に立っていた。
高ランク冒険者が見向きもしない、埃をかぶった依頼書が並ぶ場所だ。
掲示板に漂うのは、インクと古い羊皮紙の匂い。
『依頼:薬草の採取 50束 / 報酬:銀貨3枚』
『依頼:下水道のスライム清掃 / 報酬:銀貨5枚』
『依頼:ダンジョン1階層の瓦礫撤去 / 報酬:銀貨2枚』
どれも、危険度の割に報酬が低い、誰もやりたがらない「雑務」だ。
(なるほど)
レオンの口元が、わずかに笑みの形に歪んだ。それは、難解な論文の核心を理解した時の、学者だけが浮かべる笑みだった。
(ギルドは依頼を出し続けている。つまり、これらの雑務には安定した『需要』がある。だが、供給(冒険者)が圧倒的に不足している。なぜなら、報酬が低すぎて、冒険者たちの『機会費用』に見合わないからだ)
Sランクの勇者アレックスが、ドラゴンを1体倒せば金貨100枚稼げる。彼が薬草採取に1時間使えば、その間に稼げたはずの金貨(=機会費用)を失うことになる。彼が薬草を摘む「費用」は、事実上、金貨数十枚に相当する。
(だから、誰もやらない。結果、ギルドは報酬を上げざるを得なくなるが、それでも追いついていない。典型的な『市場の失敗』だ)
レオンは、肩の上で丸くなるスライムを指でつついた。
(戦闘力はゼロ。だが、薬草を傷つけずに摘む繊細さ、狭い下水道を汚泥ごと吸収する清掃能力、瓦礫の隙間をすり抜ける柔軟性…)
(アレックスのパーティ(レッド・オーシャン)では、彼らはFランクの役立たずだ。だが、このブルー・オーシャン…誰も手を出さない『雑務市場』において、彼らはSランクの勇者よりも圧倒的に『比較優位』を持っている)
レオンは、埃まみれの依頼書の中から、一枚の紙を剥がした。
『緊急依頼:ギルド周辺の野生スライム討伐 / 報酬:銅貨10枚』
「まずは、市場の調査と…競合の排除、だな」
彼はそう呟くと、テイムしたスライムとはぐれないよう、ゆっくりとギルドホールを後にした。彼の「会社」の、最初の「事業計画」が今、静かに始動した。第1章:費用対効果、最悪の男
Sランクパーティ『竜の牙』の拠点は、いつも通り高級エールと、モンスターの血が混じった金属の匂いで満ちていた。
テーブルの上には、今回の討伐で得た金貨が革袋からこぼれ落ち、鈍い光を放っている。リーダーである勇者アレックスは、そのうちの一枚を指で弾き、無慈悲な音を立ててレオンの足元に転がした。
「レオン。もう一度言う。お前はクビだ」
アレックスの言葉は、高価な魔銀の鎧のように冷たく、硬質だった。パーティの紅一点である魔術師が肩をすくめ、大剣使いは気まずそうに視線をそらす。
レオンは、転がってきた金貨を拾おうとはしなかった。ただ、無感動にそれを見つめる。
(…クビ。解雇。契約の終了。こちらの提供するリソース、すなわち俺と俺のテイムモンスターが、パーティの要求するリターンに見合わないという経営判断だ。合理的ではある)
「わかってるのか? お前がテイムしたそのスライム! ゴブリン! Fランクモンスターが、Sランクパーティの戦力になるかよ!」
アレックスが指さした先、部屋の隅で、数匹の小さなスライムがぶるぶると震えている。彼らはレオンがドラゴン・ゾンビのブレスから必死でかばった、彼のかわいい「従業員」だ。
「俺たちが命がけでドラゴンと戦ってる間、こいつらは荷物の陰で震えてただけだ。違うか?」
(違わない。だが、問題のすり替えだ。彼らのアサイン(割り当て)は戦闘ではない。荷物の運搬と、戦闘後の素材回収だ。そのタスクは完璧にこなしたはずだが)
レオンが冷静に反論のロジックを組み立てていると、アレックスは決定的な言葉を吐き捨てた。
「こいつらの餌代だってタダじゃねえんだ! わかるか? コ・ス・パ! コストパフォーマンス最悪なんだよ、お前は!」
その瞬間、レオンの思考がクリアになった。
(コストパフォーマンス…費用対効果。彼はその単語の本当の意味を理解していない)
アレックスの言う「コスト」は、Fランクモンスターの餌代という目先の「費用(Cost)」だけだ。そして「パフォーマンス」は、「戦闘での直接的な火力」という極めて狭い指標でしか計測されていない。
(非効率だ)
レオンは心の底からそう思った。
(彼は、パーティという組織のリソースを最適配分できていない。俺のモンスターが持つ「運搬能力」や「非戦闘時の作業効率」という価値(Performance)を、ゼロとカウントしている。典型的な機会損失だ)
「承知した」
レオンの口から出たのは、懇願でも怒号でもなく、平坦な受諾の言葉だった。
アレックスは、レオンが泣きすがるか、少なくとも狼狽すると期待していたのだろう。その無表情な反応に、かえって苛立ちを募らせたようだった。
「チッ…さっさと出ていけ! お前の今月の分け前は、これまでのモンスターの餌代と『相殺』だ!」
(相殺…それは経済原則に反する)
レオンは眉をひそめた。
(過去の餌代は、すでに支払い済みの『サンクコスト(埋没費用)』だ。それを未来の収益(分け前)から差し引くのは、単なる経済的脅迫に過ぎない。だが…)
レオンは思考を巡らせる。
(ここで彼と交渉する「機会費用」は? 彼を論破するのに数分。彼が逆上して剣を抜く可能性が30%。得られるリターンは、おそらく金貨数枚。リスクに対してリターンが低すぎる)
「世話になった」
レオンは静かに立ち上がった。部屋の隅で震えていたスライムたちを手招きすると、彼らはぽよん、ぽよんと跳ねてレオンの肩や背嚢に収まった。
レオンが扉に手をかけたとき、背後からアレックスの嘲笑が突き刺さった。
「Fランクテイマーが一人で何できるってんだ! せいぜい、そのスライムと一緒に路地裏で野垂れ死にするんだな!」
扉が閉まると、騒がしいエールの匂いと、金貨の音が遮断された。
レオンはギルドホールの中央ではなく、一番隅にある薄汚れた掲示板の前に立っていた。
高ランク冒険者が見向きもしない、埃をかぶった依頼書が並ぶ場所だ。
掲示板に漂うのは、インクと古い羊皮紙の匂い。
『依頼:薬草の採取 50束 / 報酬:銀貨3枚』
『依頼:下水道のスライム清掃 / 報酬:銀貨5枚』
『依頼:ダンジョン1階層の瓦礫撤去 / 報酬:銀貨2枚』
どれも、危険度の割に報酬が低い、誰もやりたがらない「雑務」だ。
(なるほど)
レオンの口元が、わずかに笑みの形に歪んだ。それは、難解な論文の核心を理解した時の、学者だけが浮かべる笑みだった。
(ギルドは依頼を出し続けている。つまり、これらの雑務には安定した『需要』がある。だが、供給(冒険者)が圧倒的に不足している。なぜなら、報酬が低すぎて、冒険者たちの『機会費用』に見合わないからだ)
Sランクの勇者アレックスが、ドラゴンを1体倒せば金貨100枚稼げる。彼が薬草採取に1時間使えば、その間に稼げたはずの金貨(=機会費用)を失うことになる。彼が薬草を摘む「費用」は、事実上、金貨数十枚に相当する。
(だから、誰もやらない。結果、ギルドは報酬を上げざるを得なくなるが、それでも追いついていない。典型的な『市場の失敗』だ)
レオンは、肩の上で丸くなるスライムを指でつついた。
(戦闘力はゼロ。だが、薬草を傷つけずに摘む繊細さ、狭い下水道を汚泥ごと吸収する清掃能力、瓦礫の隙間をすり抜ける柔軟性…)
(アレックスのパーティ(レッド・オーシャン)では、彼らはFランクの役立たずだ。だが、このブルー・オーシャン…誰も手を出さない『雑務市場』において、彼らはSランクの勇者よりも圧倒的に『比較優位』を持っている)
レオンは、埃まみれの依頼書の中から、一枚の紙を剥がした。
『緊急依頼:ギルド周辺の野生スライム討伐 / 報酬:銅貨10枚』
「まずは、市場の調査と…競合の排除、だな」
彼はそう呟くと、テイムしたスライムとはぐれないよう、ゆっくりとギルドホールを後にした。彼の「会社」の、最初の「事業計画」が今、静かに始動した。




