第2話 戦場に舞うスープの香り
夕刻の鐘が六つ鳴り、赤札の魔光が灯る。
半額市の中央には、黒鉄の大鍋が据えられていた。
《本日の目玉:昨日の残りスープ(半額)》
表面に油の輪が浮かび、白い湯気が立ちのぼる。
香りは野菜と肉の名残を含み、空気を優しく満たした。
だがこの鍋はただの料理ではない。――冒険者の回復薬と同じ効能を持つとされるため、争奪は必至だ。
しかも売上の一部は夜警隊と共同炊事場に寄付される。
半額市は単なる買い物場ではなく、街を支える循環でもあった。
「スープは肉の魂!」
ドワーフ戦士が豪腕を振り上げ、鍋の取っ手を鷲掴みにする。
「滋養は外皮と香草にこそ!」
エルフ僧侶が祈りを込め、魔法陣を浮かべる。
「またやるのかよ……」
「昨日も殴り合ってただろ」
「まあ寄付金になるし、止める理由もねえ」
商人が肩をすくめ、観客は遠巻きに見守る。
私は昨日買った小さな容器を取り出す。
「準備は万端。端に残るわずかな雫でも、心を満たす舟になります」
「舟とか言ってるけど、要するに“残り物”でしょ」
隣のユイが呆れ顔で突っ込む。
「リナ、昨日も耳だけ。今日も汁の端っこ……身体もたないよ」
「私は量を追わない。少なくとも心は満ちるんです」
「理屈はいつも立派なんだから……」
店主が赤札を掲げる。
「ルールはいつも通り!」
「買った者の勝ち!」
「争いは――」
「武力に訴えてもよし!」
ぱちん。半額。
その瞬間、大鍋が唸った。
ドワーフが豪腕で鍋をぐいっと引き寄せる。
鍋は鉄の床を擦り、ギギギッと音を立てた。
「これは俺の胃袋のためのスープだ!」
すかさず僧侶が祈りを唱える。
「外皮に宿る滋養を、我に!」
風の魔法陣が鍋の下に展開し、鍋全体がふわりと宙に浮いた。
力と魔法のせめぎ合い。
鍋がぐらりと揺れ、観客から悲鳴が上がる。
「倒れるぞ!」
「床がスープまみれになる!」
「鍋を壊したら修繕費はお前ら持ちだぞ!」
商人が冷静に怒鳴る。
縁から黄金の雫が跳ね、木台を濡らした。
一滴、二滴……やがて細い線となってつうっと流れ出す。
(……あれだ!)
私は人混みのわずかな“間”を探した。
ドワーフの太い腕が動く瞬間、僧侶の魔法光で目を細める観客――その間に小さな空白。
私は体をすべり込ませた。
容器の蓋を半開きにし、角度を計る。
心臓が早鐘を打つ。ほんの僅かな揺れで、流れは消えてしまう。
(落ちろ……今……!)
雫の線が容器の返しに触れ、ぽとんと落ちた。
透明だった器の底に、黄金の雫がひとつ、きらりと光る。
私は手を高く掲げた。
店主の木札が鳴る――「購入成立!」
店主の木札が切られる音が、市場の喧騒の中で鮮やかに響いた。
一口。
……ほぼお湯。
けれど、香りが鼻を抜け、温度が喉を落ち、最後にごく僅かな塩気が線を描く。
「……美味しい」
本気でそう思えた。
「嬢ちゃん、それはただの白湯だぞ」
低い声。振り向けば、ロングコートの影――半額王。
「白湯でも、順序を守れば満足は立ち上がります」
「言い切るな。だが、いいか。覚えとけ」
王は指で容器の縁をなぞった。
「香り→温度→塩。塩は点で振るんじゃない、線で引け。線が輪郭を作り、満足を立たせる」
観客がざわつく。
「塩を線で……なるほど」
「勉強になるな」
老婆が呟き、
「でもあれ白湯だよな……」
子どもが素直に首をかしげ、
「……悟りか?」
男が苦笑する。
「リナ、ほんとにこれで栄養取れるの?」
ユイが真顔で問う。
「取れます。……心に」
「……はいはい、また出た」
ユイのため息と観客の笑い声が重なり、戦場は一層賑やかになった。
この話時点のキャラクター紹介
リナ:節約少女。容器で鍋の雫を拾い、白湯同然でも満足。「香り→温度→塩」を学ぶ。
ユイ:槍使いの仲間。リナの健康を心配する常識人。
半額王:節約哲学を指南。「塩は線で引け」と伝える。
ドワーフ戦士/エルフ僧侶:力と魔法で鍋を奪い合う。
群衆:商人、老婆、子どもなど多様な声で場を彩る。