第1話 半額パンの戦場へようこそ
はじめまして。本作をご覧いただきありがとうございます。
本書は「異世界のスーパー=半額市」を舞台にした、節約グルメ×バトルコメディです。
主人公リナは「銅貨一枚で生き抜く」という極端な節約魂を抱え、武力すら許される半額市の戦場を駆け抜けます。
彼女の武器は大食いでも剣技でもなく――“切れ端で満足する心”。
一見くだらない発想ですが、その真剣さが周囲を巻き込み、やがて「流派」へと昇華していく様子を描いています。
本作を書きながら私自身も、ふとスーパーで「見切り品」や「野菜の端」を見たとき、リナの声が頭に浮かぶようになりました。
「端っこで、私は満足できます」――と。
どうぞ、笑いながら、そして時には少し真面目に「満足とは何か」を考えながら読んでいただければ幸いです。
夕陽が石畳を朱に染め、ギルド通りの鐘が六つ鳴る。
その音は――この街では「合戦開始」の合図だ。
冒険者は鎧の留め具を外し、商人は帳簿を閉じ、子どもは小銭袋を抱えて走り出す。目指すはただひとつ、半額市。
屋根付きの細長い市場に赤い札が灯る。札は「半額」を示すだけじゃない。売り場内の小競り合いは軽犯罪扱い、罰金は市の治安費・共同炊事場へ還流――掲示板の文言が風に揺れる。
空腹は盗みを呼ぶ。ならば市場の中でだけ合法的に殴り合い、金はまた街に戻す。飢えを笑い飛ばすために発明された、庶民の知恵と秩序。
「……今日の食費は銅貨二枚まで」
私は自分にそう言い聞かせた。名前はリナ。庶民出身、小柄で小食、財布の紐は鉄より固い。
合戦の前列は既に膨れ上がっている。肉に惣菜、甘い菓子パン。だが、私の視線はもっと地味なところ――陳列棚の端、透明袋に詰められたパン耳に落ち着いていた。
(耳一袋で三日。少なくとも心は満ちる……!)
「パンは俺の魂の糧だぁ!」
最前列で吠えるのはオーク冒険者マリオ。血走った目で拳を突き上げる。
「肉なくして戦士の誇りはない! パンは肉への前奏曲だ!」
理屈があるのかないのかよくわからない叫びに観客が苦笑する。
「浮遊!」
魔法使いが詠唱、パンの山がふわりと宙に浮く。
「隙を盗むのが老いのたしなみでな」
杖の老人が二人の間からひょいっと袋を抜き去った。
――ぱちん。店主が赤札を貼った瞬間、市場は戦場に変わる。
カゴは盾、カートは戦車、棚は砦。怒号、笑い、悲鳴、そして赤札の紙音。菓子パンの山が音を立てて崩れ落ち、砂糖の粉雪が舞う。
「ほんとに耳でいいの?」
背中から肩を突かれた。ユイだ。槍使いの同居仲間で、私の健康をいつも気にしてくれる。
「大丈夫。端にこそ真実があるんです」
「出たよ“端理論”。でも倒れたら看病するのは私だからね」
私は人の波の“間”に身を滑らせる。正面突破は潰される。端の端――そこに道がある。
棚の一番奥、取りにくい角度に厚みのある袋が見えた。前列の客が狙うのは手前。なら、その動線を利用する。
(今だ)
私は半歩退き、別方向から伸びてくる手と手の“間”が生む瞬間の空白を待つ。
空気がすうっと薄くなる一拍、腕を差し込み、指先で袋の口をつまみ上げた。
「よし……!」
胸に抱えた途端、幸福が喉から胸へと流れ込む。
「これで銅貨一枚で三日は生きられる!」
観客が一瞬静まり、すぐにざわついた。
「……パン耳で勝利宣言……?」
「マジかよ」
だが、屋台の陰で小太りの庶民がぽつり。
「……わかる。耳は耳でうめぇんだ」
私はそのひとことに小さく頷いた。笑われてもいい。私の満足は、私が決める。
「嬢ちゃん、今の“間”の作り方――計算だな」
低い声。振り向けば、古びたエコバッグを提げた男がいた。ロングコート、足取りは遅いのに、距離だけが一歩で縮まる。
男は崩れかけた菓子パンの山から袋を一度取り出し、崩れない角度でそっと戻した。たったそれだけで、棚全体の重心が整う。
「……半額王……!」
誰かが息を呑む。二十年以上、この戦場を無敗で渡ってきた伝説だ。
「名乗るほどでもねぇが、ここじゃそう呼ばれてる。嬢ちゃん、魂は本物だ」
目尻に刻まれた皺が、笑い皺に変わる。
「でも私は、大勝ちしたいんじゃありません。耳で満足します」
「制すとは違う。半額市は“満足”を競う場所だ。嬢ちゃんのやり方は、この場の美学にかなってる」
王がまた棚を整える。横で観客の老人が小声で囁いた。
「王が棚を戻す癖、昔の名残らしいぞ。飢饉の頃、配給所で崩れた米袋を一晩中直してたって」
「へぇ……」ユイが目を丸くする。
噂は風のように広がり、すぐに合戦の音にまぎれて消えた。
この話時点のキャラクター紹介
リナ:庶民出身の節約少女。パン耳一袋で「三日分の満足」を勝ち取る。
ユイ:槍使いの仲間。常識人で、リナの健康を心配するツッコミ役。
半額王:半額市の伝説。棚を戻す所作に「配給所時代の過去」の噂。
マリオ(オーク):肉至上主義。「肉こそ戦士の魂」と信仰的に叫ぶ。
群衆:笑う者もいれば共感する者も。雑多な声で市場を彩る。