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第7章:変容

厳粛なる誓い(The Solemn Vow)


「我らの祖先の誓いに従い、攻撃を受けたときには応じることができなければならない。

我らは平和と静けさを愛する民であり、無益な流血は望まぬ。

大いなる力を持ちながらも、それを賢く使わねばならぬ――弱きを虐げるためではなく。」


カリーは、母の説明を聞きながら目を輝かせて座っていた。


「じゃあ、私たちはとっても、とっても優しい人たちなんだね?そういうこと?」

カイリーは顎に指を当てて考える仕草をした。


「そうね。でも私は、世界中の誰よりも大きな心を持っているのは、私の子供たちだと思ってるわ。」


「モリア先生のお手伝いで、小さい子たちに教えたよ!」とカリーは誇らしげに言った。


「まさにそれよ、よく言ったわ、私の可愛い子!」

カイリーは娘の赤い髪をくしゃくしゃと撫でた。

「本当に優しくて頼りになる子ね。あなたが生まれてきてくれて、ママはとっても幸せよ!」


「私も、ママに産んでもらえてすっごく幸せ!」

年号X922年 ― 春


「悪いけど、行かないわけにはいかないんだ。それに、最近イジーがどうしてるか見てみたいんだよ。あの子、手紙も全然寄こさないし。せめてちゃんと食べてるかぐらい確認させてくれよ。」


フィンレイは頭をかきながら苦笑した。


「サイモンは喜ばないわよ。最近はあなたと過ごしたがってるんだから…あのことがあってから、特に。」


カイリーは腰に手を当てて言った。


「ははっ、すねてる姿も可愛いなあ。」


そう言いながら、フィンレイは彼女の腰に腕を回し、頬にキスを何度も落とす。


「や、やめてってば…今は真面目な話してるのよ…」

カイリーは抵抗しようとしたが、夫の甘い誘惑に少しずつ負けていった。


「ママとパパがチューしてる~!」


玄関からカリーの顔がひょこっと覗いた。


「うわっ、帰るの早いわね!」


カイリーは慌ててフィンレイを押しのけた。


その後ろにはサイモンもいた。


「モリア先生の授業、早く終わったの」

カリーは説明した。

「首長さんに話をしに、首都の騎士さんたちが来てるよ。」


「そっか…なら、俺の出発もそろそろだな。」


ここ数ヶ月、サイモンはカリーの魔法の授業に付き添っていた。

カリーは今でも大きな呪文を使うとすぐにめまいを起こしたり、鼻血を出したりしてしまうし、

サイモン自身は魔法が使えない。

でも、授業に一緒にいるだけで、彼女の支えになっていた。


「忙しい子供は悪さをしない」って、よく言うしね。


イゼキアルとの件のあと、サイモンの気分はずっと沈んでいた。


だからこそ彼は、一人で剣の訓練に打ち込むようになった。

もっと強く、もっと鋭くなりたいと。

腹を殴られたのは卑怯だと思っていたし、自分があの戦いに勝っていたはずだと信じていた。

ただ兄と仲違いして別れたことじゃない。

一番堪えたのは――

カリーの目の前で負けたことだった。


「お兄ちゃん、モリア先生の宿題のゴーレム作り手伝ってくれる?形を作るの難しくって…!」


カリーが期待に満ちた目で見上げてきた。


「ごめん、でも今日は父さんが練習見てくれるって言ってたから。」


フィンレイが手を挙げた。


「悪いな、息子よ。町で俺を必要としてるみたいでな。」


サイモンは顔をしかめた。


「は?なんで?約束したじゃん。」


「はっきり“約束する”とは言ってないぞ。“できるかも”とは言ったけどな。

それに、理由は知らない。召喚状が届いた、それだけだ。

今度、ちゃんと教えてやるよ。」


フィンレイはサイモンの肩に手を置こうとしたが、彼はそれを払いのけた。


「…どうでもいいよ。」


フィンレイは深く息を吐いた。


「俺がいない間、お前がこの家の男だ。男はふてくされるもんじゃない。

顔を上げて、胸を張れ。お前ももうすぐ大人だ。母さんと妹を頼むぞ。」


サイモンは目線をそらしながら言った。


「父さん、いつも“男は言い訳をするな”って言ってたよな?」


「おおっと…親父の言葉を武器にするとはな…

なんで俺の子供たちはみんなこう頭がキレるんだ…」


サイモンは小さく笑った。


「ま、父さんより上手くできると思うけど。」


フィンレイは口を開けて驚いたような顔をした。


「ははっ、それでこそ俺の息子だ!

父親に悪態をつくのも、一人前の通過儀礼ってやつだな!」


フィンレイはサイモンの背中を力強く叩いた。


「帰ってきたら、前に見せてやるって言った技、教えてやるよ。」


「忘れるなよ。」


カリーがとことこと駆け寄った。


「すぐ帰ってきてね、パパ。」


フィンレイは娘の赤い髪を優しく撫でた。


「帰ったら、お前にもサプライズを用意してるさ。」


「ほんと?!楽しみーっ!」


カリーは満面の笑みを浮かべた。


「それと、あのね…お兄ちゃんにこれ渡してほしいの。」


カリーは小さな箱を差し出した。


「中見ちゃダメだよ、パパ!」


「わっ、ごめんごめん!

いやぁ、でもなぁ…お前、俺には何もくれたことないのに…!」


フィンレイは肩を落とし、わざとらしくがっくりとした。


「ふふっ、さっき男はふてくされるなって言ってなかった?」


サイモンが再びニヤリと笑った。


「うるさいっ!

お前も将来、娘にこうされてみろ!気持ちが分かるからな!」


最後にフィンレイはカイリーにキスをして、

町に来ていた騎士たちと共に旅立っていった。


二日後


三日目の午後。


この数日間、サイモンは村のあちこちで黙々とカリステニクス(自重トレ)に励んでいた。

腕立て、スクワット、ランジ。あの種を見つけた大樹の下が、彼の特訓場所だった。


そんな彼の横には、イーワンの姿もあった。


「う、うわぁ……その調子で頑張れば、イゼキアルの半分くらいは人気者になれるかもね」

カトリオナが木の影から顔を出し、皮肉っぽく笑った。


「へぇ~、毎日オレたちの筋トレ姿を見に来てるってことは、どっちかに惚れてんじゃね?」

イーワンがニヤニヤしながら言う。


「残念ね。でも、どっちにも特に興味ないわ。弟妹たちの相手をするより、あんたたちを見てる方がまだマシってだけ。」

彼女は気だるそうに言った。


「ま、もし私に何か告白したいことがあるなら、聞いてあげてもいいわよ?」

そう言って耳をぴくりと動かして、からかうような笑みを浮かべる。


「し、しらねーよ…!」

顔を真っ赤にした少年たちは一斉に目を逸らした。



運動のあとは、サイモンの家で一緒に風呂に入った。


「は~~~っ……こりゃ最高だなぁ……」

イーワンは浴槽の中で全身を沈め、恍惚の表情を浮かべた。


「分かる……」

サイモンも、腕を洗いながら返事する。


「でさ、サイモンのオヤジさん、いつ帰ってくるんだ?

“口に剣を咥える技”、教えてくれるって言ってたじゃん。」


「んー、まだ三日しか経ってないしな。もう少しかかるかも。」


「ふーん……。首都にはさ、エルフや人間だけじゃなくて、ドワーフやハーフリング、獣人もいるらしいぞ!」


天井を見上げながら、イーワンは目を輝かせた。


「くぅ~、獣人の女の子って、絶対ヤバイよな!

あの動物みたいな耳と、ふわふわのしっぽ……可愛い顔にそれって、もう完璧だろ……

撫でてみてぇなぁ~……」


サイモンは怪訝な顔でイーワンを見た。

動作のせいで、もっと下世話な想像かと思ったが――


イーワンの表情は案外、純粋に「撫でたいだけ」っぽかった。


この世界には、様々な種族や文化が存在している。

サイモンも時折「外の世界はどうなっているのか」と思いを馳せることはあった。

――が、それ以上に興味があったのは、妹のことだけだった。


「風呂ありがとな!」

イーワンは拳を突き出してきた。


「またな!」

拳をコツンと返して見送った。


空はオレンジから群青へと変わり、夜が村を包み込もうとしていた。


サイモンが家に入ると、カリーはソファで本を抱えたまま寝落ちしていた。


「……もう、こんなとこで寝るなよ。」


彼はそっとカリーを抱き上げ、彼女の部屋のベッドに寝かせる。


「おやすみ、カリー。」


額にキスを落とし、そっとドアを閉めた。


キッチンでは、カイリーが皿洗いをしていた。


「イーワン、帰った?」


「うん。」


「よかった。あんたたち、ちゃんと仲良くしてて安心したわ。

最初ここに来た時は心配だったけど、今じゃすっかり村の子ね。」


カイリーは手を拭きながら笑う。


「俺はさ、相手がどう接してくるかで判断するだけだよ。

ちゃんと接してくれる人には、ちゃんと返す。」


少し間を置いてから、ぼそりと続けた。


「……まあ、一人だけ例外がいるけど。」


カイリーはそっと息をついた。


「その、“イゼキアル”のことだけど――」


「ごめん、今はその話、したくない。

寝る前に思い出したら、ムカついて眠れなくなる。」


「……じゃあ、明日ちゃんと話しましょ。」


「うん。明日な。」


そう言って、サイモンは自室へと向かった


翌日、雨が降った。

兵士たちが制服をまとってやってきた――凛とした軍服、秩序と規律、そして恐怖を感じさせる装いだった。

彼らは紺色のウールコートを着ており、ベルトやサッシュにはウロボロスの紋章が付けられていた。

まるで別の世界から来た人々のように見えた。

村の他の人々が着ている服とはずっと近代的で。

馬で来ていたものもいて、中には馬車を引く者や、檻を運ぶ者もいた。

彼らはプロスペレールの騎士であると言われていた。

奇妙だった。

騎士団がこの村に来ることは何年もあったが、それだけが変だというわけではなかった。

もっと目立っていたのは、その“数”と“檻を持ってきていること”だった。

今回の彼らは、以前よりずっと真剣な雰囲気を漂わせていた。


「お兄ちゃん、馬を見に行っていい?」カリーがわくわくしながら言った。

「サイモン、窓の外見て!」

サイモンは窓の外を見た。

イゼキアルも一緒に来てるかな、と期待と不安が混じった思いを抱きながら。

「いや…やめとこう。前に町であったこと、覚えてるだろ?」

「帽子で耳をしっかり隠すから!」カリーは拳を握った。

「それに昔のことだし…しかもあの人たち、今は騎士なんでしょ?きっとあの酷いことは言われないよ。あのときだけだった…」

サイモンはため息をついた。

「ママが戻るまで待とう。何かあって首を狙われるのは勘弁だ。」


やがて母親が戻ってきた。しかし、彼女は普段と違っていた。

ドアを勢いよく開け、鍵をかけて入ってきた。

「ねえ、ママ、馬見た?」カリーが尋ねた。

「…」

「マ、ママ、ごめん…どうしたの?」

「カリー…お願い。今から言うこと、絶対に聞いて。とても大事なの。」

カイリーはしゃがんで、カリーの腕両方を掴んだ。

「大丈夫?」サイモンが聞くと、

「その兵士たち…」彼女は唾を飲み込んで言った。

「私、あの人たちに見られたり、カリーを見つけられたりするのが怖いの。なんでここに来てるのかわからないけど、良くない理由で来てる気がしてならないの。」

「サイモン、君にも手伝ってほしい。カリーを隠すの、いいかしら?」


重たいノックが玄関のドアを揺らした。

バン バン

「外に出ろ。全員集めて発表がある。」

声は低く、かすれていた。

「頼むよ、サイ。彼女を見つからないようにしてほしい。君たち二人のこと、愛してるから。」

彼女はカリーの額にキスをした。

「ママ…」

二人は母親に抱きついた。

「ママ…」

「行きなさい。今すぐに。」

彼女は二人を押しやり、後ろを見てドアを閉めた。

バン バン バン

「開けろ。時間はない!」


「さあ、カリー、裏口から逃げよう。」サイモンが彼女の手を引いた。

「ママを置いていけないよ。ひょっとしたら連れていかれるかもしれないし。」彼女が言う。

「心配いらないよ。たぶんただの見せ物かなんかだ。」

彼は笑顔を見せた。

自分でもその言葉を信じているかどうかは分からなかった。

裏口から出た――

だが裏にも人影があった…

二人は閉じ込められていた。


「おい、家族はどこだ?」

玄関にいた男が言った。筋骨隆々の体にライフルを背に、腰に剣を差していた。

「息子はプロスペレールにいて、主人は首都です」カイリーは彼の目を見て言った。

男は彼女を押しのけた。

「じゃあ、あんたの家を見せてもらうよ」

彼の足音は熊のようだった。

廊下を歩き、寝室を一つ一つ、クローゼットまで調べて回った。

「変だな。普通、家が五人以上の家族用の造りじゃないか?あんたは二人だけって言ってたけど、ベッドが四つあるぞ。」

カイリーは手を弄びながら答えた。

「ああ、それはね、その二人もここにはいないの。父と一緒にいるのよ。」

男の目が細められた。

「そうか?それ、前には聞いてなかったな。」

「忘れただけかも…悪いかしら?」

男はただ唸った。

彼女の腕をつかみ、外に引きずり出そうとした。


「ふぅ…」

サイモンは息を吐いた。

彼らはおもちゃをしまうために使っていた小さな匍匐できる隠し場所に隠れていた――ぬいぐるみに囲まれて。

扉を絵画で塞いだ。

サイモンは妹をしっかり抱き寄せた。

かつて、自分は彼女のヒーローになると誓った。今、その誓いを破るわけにはいかなかった。

安全を確認してから匍匐スペースを出た。


なぜ首都から騎士たちがこんな田舎の村に?

何をしに来たのか?

なぜ馬車と檻を連れて村人を村の中心に集めたのか?

エルフのクランには、どんな運命が待っているのか…?


「ここにいて、カリー。」

その場所は狭すぎて、長時間一緒にいられる場所ではなかった――

何より、彼女を守りたかった。

彼は父の剣を取りに行った。

「すぐ戻るから。動かないでいいか?」

彼女は震えていた。

「忘れないで。君のヒーローなんだから。心配しないで――いつだって守るよ。」

彼は匍匐スペースの戸を閉め、絵画を上からかけた。


彼らはプロスペレールの騎士たち――だよね?

それなら信頼できるはず…だよね?

母さんはあの人たちを多くの呼び名で呼んでた。

直感で何かがおかしいと思ってた。何かあっても、妹だけは守らなきゃ。

今は、家の“男”は俺なんだから、兄も父もいないんだから。

この村の人たちは戦う人じゃない。優しくて親切な人たち。

カリーが“デビルイヤー”で生まれたからって、家族として扱ってくれた。

人間である俺も、彼らが受け入れてくれたんだ。

だから、もし何かあったら助けなきゃ。

何が駆け巡っても、最後まで考えていたのはカリーだった。



サイモンはそっと窓の外を覗いた。


外では、村長が他の村人たちと並んで立っていた。夕日が沈みかけ、赤橙色の光が家の中を照らしていた。


サイモンは群衆を目で探った。カイリーを見つけようとしたが、多くの女性が似たような村の服を着ていて、遠くからでは見分けがつかなかった。


騎士たちがエルフたちの間を歩き回り、何かを話していたが、サイモンにはその声が聞き取れなかった。


彼はそっと窓を少し開け、耳を澄ませた。


「これは知事の命による移住訓練だ。心配はいらんよ」

灰色の髭を蓄えた長身の男が告げた。


「騎士団か?見たことのない顔だな。俺は若い頃から守備隊の顔を知ってるんだ」

村長が応じた。

「だが、あんたの顔には見覚えがないな」


男は足を止めた。

「そうかい?“若者”なんて呼ばれるのも久しぶりだな」

彼は髭を撫で、わずかに笑った。

「それに、“移住訓練”なんて聞いたこともない。クレインの婆さんはそんなことしたことなかった。クレインはどこだ?話をさせろ」


サイモンの体がこわばった。村長がこんなに苛立つのは、めったにない。


「クレイン?ああ、あのクレインね」

男は乾いた笑いを漏らした。

「来られなかったらしい。用事があるとかでな。代わりに俺たちがこの訓練を任された」


「嘘だ!」

若い男が突然立ち上がった。

「なんなんだよこれ!無駄なことして時間を奪いやがって。さっさと帰れっての!」


隣にいた騎士が剣に手をかけた。


サイモンの目が、即座にその武器に向けられた。


…あの剣の紋様。


見覚えがあった。今では珍しくなっていたが、かつてはよく見たものだった。


だが、剣が抜かれるより早く、髭の男が腕を上げて制した。


「やめろ」

冷静に言った。

「この地で血を流してはならん。覚えているだろう?」


騎士は剣を鞘に戻した。


そこへ別の兵士が近づき、男の耳元で何かを囁いた。


男は少し間を置いてから、薄く笑った。


「…そうか。それは面白い」


両手を擦り合わせながら言った。


「さてと…」

「この中に、“ハーフエルフ”がいるはずだ」


サイモンは息を呑んだ。


「どこにいる?」

その声は薄く伸びるようにして笑みを含んでいた。


男は群衆を見渡した。


村人たちは黙り込み、動きを止めた。


「隠しても無駄だ。少し前に町で見かけたという報告がある。念のため、全員を確認したいだけだ――もちろん、お前たちの安全のためにな」


サイモンの心拍が速くなった。


彼女のことを“知っている”…?


なぜ彼女を探してる?


本当にそんなに重大なことなのか?


奇妙だった。


…でも、その瞬間、カイリーの不安の理由がすべて理解できた。


男は群衆の顔を一人一人じっくり見ていった。


ある農夫は目を逸らすのが早すぎた。


ある女性は我が子の前に立ちはだかるように体重を移した。


別の男は握り拳をきつく握った。


だが、“動かずに”バレてしまったのは――カイリーだった。


彼女は、ピクリとも動かず――凍りついた。


「お前だな」

男は穏やかに――まるで優しげな声で言った。

「顔が変わった、一瞬だけ。ほんの僅かに、敵意が――いや、憎しみが見えた」


男は指先をわずかに動かして合図した。


兵士たちが動いた。


カイリーはすぐに捕らえられ、前へと引きずり出された。


「さあて…」

男は彼女の前に膝をつき、まっすぐに目を覗き込んだ。

「“少女”はどこだ?」


サイモンは窓からそっと後退した。


慎重に、一歩ずつ、匍匐スペースへと向かった。


隠し扉を押し開け――


…だが、その中には――


彼女はいなかった。



「カリー!どこにいるんだ、お願い出てきてくれ!」


サイモンは必死に家の中を探し回った。しかし、少女の姿はどこにもなかった。


一瞬でも目を離した自分を呪った。


ベッドの下、玩具箱、果てはオーブンの中まで確認した――だが、見当たらない。


胸の奥に、嫌な予感が湧き上がる。


そしてそれは、確信に変わった。


裏口の扉が、少し開いていた。


彼は外へと駆け出した。


そして――見つけた。


少女は、バレルの影にしゃがみ込んでいた。体には煤がつき、怯えて隠れていた。


そっと近づこうとしたそのとき――枝を踏んでしまった。


「待って!」


サイモンはシャツの襟を掴もうと手を伸ばした――だが、それは指の間をすり抜けた。


彼女は走り出した。


「お、いたいた。こんにちは、お嬢ちゃん」


ヘルメットを被った男が、彼女を掴んだ。


カリーは必死に抵抗した。蹴って逃げようとした。


「落ち着けって。可愛いお顔に傷なんかつけないさ」

男はニヤリと笑った。

「俺たちの“金のガチョウ”だからな、丁重に扱わないとな」


「他の村人も荷車に積め!」


「了解です」


男たちは村人たちを次々と荷車に追いやっていく。


「ママァーー!!」カリーの叫びが響いた。


「ベイビー、大丈夫!?」

母親は駆け寄り、娘の体を調べた。


「だいじょうぶ、ママ…」


カリーの目に涙が溢れる。


「どうしてここに!?サイモンのそばにいるよう言ったでしょ!」


声を強く保とうとしたが、怒りと不安で震えていた。


「じっとしていられなかったの。怒鳴り声が聞こえて…怖くて…ママに会いたかったの」


カイリーは娘を抱きしめた。ぎゅっと、強く。


「そ、それまでだ!」


声が飛んだ。


サイモンだった。


彼は父の羽根模様の剣を手に、ボロボロの革鎧を着て立っていた。体は震えていた。


「人間の子か?ああ、そういえば、この村には2人いたな」


髭の男は興味深そうに首を傾げた。


「で?坊主よ――何がしたいんだ?」


サイモンの手は震えていた。まるで枯葉のように。


敵は20人以上。


村の男たちが武器を持てば、もしかしたら勝機はあるかもしれない。


「なんで剣を?脅してるのか?」


髭の男は両手を挙げ、冗談めかして言った。


「これはただの点検だ。怪しいもんじゃない」


「…ふざけるな」


サイモンの声は怒りに締め上げられていた。


「あいつ…父さんの剣を持ってる。父さんは数日前に都に呼ばれたはずだ!」


「パパの剣?」

カリーも見た。特別な刻印――“ハーピー”の印。


「な、なんで父さんの剣を持ってるんだよ!?何をしたんだ!?何企んでんだよ!」


男は髭を撫でた。


「さあな」


「…この野郎」


「ん?なんだって?」


「てめえら、全員クソ野郎だ!!」


唇を強く噛み締めた。鉄の味が広がり、血が顎を伝った。


自分がいかに小さいか、痛感した。


だが――愛する者を守るためなら、人は盲目になる。


そして――動くのだ。


村人たちは家畜のように追いやられていた。


誰も逆らわない。


ただ…黙って、従うだけ。


「ヒーロー気取りはやめとけ」

髭の男は呟いた。

「お前は人間だ。対象外だ。別に殺す必要はない」


「…やっぱり“移住訓練”なんかじゃなかったんだな」


「俺だって子供は殺したくねぇ。だが命令だ」


男は指を2本立て、赤いバンダナの男に合図した。


「やれ」


「拘束でも、殺してもいい」


赤バンダナの男は剣を抜いた。


サイモンの心臓は鳴り響く。


逃げたくない。


みんなを守りたい。


でも、少年に何ができる?


敵は、戦う気もないように近づいてきた。


サイモンは目を閉じ、思い出した。


トール流――父が叩き込んだ剣術。


それは、弱者のための技。


欠点を強みに変える技。


背が低くてもいい。トール流はそこを活かす。


彼は踏み込み、喉元を狙って一閃!


――CRACK。


村中に響き渡る音。


男は動かない。


だが――


笑った。


剣を振り上げた――


だが――止まった。


「ぐ…ぐぅぅ…!!」


喉から血を噴き、膝をつく。男は崩れ落ちた。


サイモンは震えていた。剣を握ったまま、動けなかった。


初めて、人を殺した。


胃からこみ上げるものを感じ、膝をついた。


…沈黙が重くのしかかった。


――そして、


「へぇ、意外だな」


髭の男が言った。どこか楽しそうに。


「殺すつもりなかったけどな…仕方ねぇ」


首を鳴らす音が響く。


「ついてねぇ日だ」


サイモンははっとして、村人を見た。


「何やってんだよ!?なんで黙って見てるんだ!?数では俺たちの方が上だろ!!」


叫びは、必死だった。


「何もしないつもりか!?このまま連れてかれていいのかよ!?お前らは“父親”だろ!?“夫”だろ!?“兄貴”だろ!?なんで何もしねぇんだよ!!」


涙が溢れた。


「…すまねぇ、サイモン……俺たちにはできねぇんだ」


男の一人が、静かに言った。


サイモンの目が大きく見開かれた。


「どうして!?なぜだよ!?なぜ――」


「お兄ちゃん、危ない!!」


カリーの悲鳴。


だが――遅かった。


――ズブッ。


剣の先端が、サイモンの右目を貫いた。


「が、ああああっっ!!」


彼は顔を押さえた。剣が引き抜かれる。


攻撃した男は素早かった。年配とは思えない動きだった。


「卑怯者!!背中から刺すなんて!!」


カトリーナが叫ぶ。


「お兄ちゃん!」


サイモンは右目を押さえた。


手の隙間から、ぬるりとした熱い血が流れ落ちた。


痛みは、焼けるようだった――


男は穏やかな笑みを浮かべ、肩に剣を乗せた。

「目には目を、だな。」


「ガアアアッ……ハァ、ハァ……」

サイモンは立っているのがやっとだった。痛みは、現実とは思えないほど。


「お兄ちゃん!」

カリーは駆け寄ろうとしたが、カイリーが腕を掴んで引き止めた。


「ダメ、カリー! 行っちゃダメ!」


「なんで誰もお兄ちゃんを助けないの!? なんで!? 助けを求めたのに、誰も聞いてくれない! なんでなのママ!? なんで誰も動かないの!?」

彼女の頬を涙が伝った。


「私たちは強くて優しい民って、いつも言ってたでしょ!? なのに、みんなただ見てるだけなんて!」


母の手を振りほどこうとするカリー。しかし逃れられず、ついには彼女の腕に噛みついた。


「カ、カリー、待って!」

その隙に母の手から逃れた彼女は、髭面の男に向かって手を掲げた。


「ピラ・アクア!!」


叫びとともに、男に向けて水の奔流が放たれた。


「攻撃できるエルフか……面白くなってきたな。」


男は剣を振り、水流を真っ二つに斬り裂いた。


ジャパァンッ——


カリーは男の横をすり抜けて、兄のもとへ駆け寄った。


「お兄ちゃん、ヒック……ごめんね……ちゃんと待ってればよかったのに……」


彼女の目と耳からは血が流れていた。魔力を限界まで使い果たした証拠だった。


「大丈夫……ああ……無事でよかった……それだけで、十分だよ……」


背後から一人の男が現れ、カリーの襟を掴んで引っ張った。


「その子に触るな!!」


サイモンは立ち上がろうとしたが、バランスを崩して地面に倒れた。呼吸は乱れ、焦点も合わなかった。


もし僕が兄さんみたいだったら……

もしカリーみたいに魔法が使えたら……

もし、僕がこんなに弱くなかったら……

きっと、何か変えられたかもしれないのに……


「興味深いな……このハーフデビル、〈誓約〉に縛られてないのか。情報通りってことか、ギヨーム。」


男の顔に見覚えがあったが、サイモンの意識は朦朧としており、もはやどうでもよかった。


「彼女を放せ! 離せって言ってるんだ!」


「俺のこと覚えてるか?」その長身の男が訊いた。


「誰だろうが関係ねえ……放っておいてくれ!」


男はしゃがみ、サイモンの顔を覗き込んだ。


「……悪いな。いい金もらってる仕事でな。手違いをそのままにはできないんだよ。」


「恨まないでくれよ? 仕事だからさ。」


立ち上がると、男は言った。

「任せたぞ、カピタン。」


髭面の男がサイモンの前に立ちはだかる。まるで山のように巨大だった。


剣を鞘に納めると、胸元のホルスターからリボルバーを取り出した。


「ちゃちゃっと済ませようぜ?」


銃口がサイモンに向けられた、その瞬間——


カリーが男の手から逃れ、兄のもとへ走った。


——パンッ!!


銃声が村中に響いた。


「カリー!!」カイリーの叫びが上がる。

「サイモン!!」


銃弾はサイモンの喉を貫き、喉頭が砕け、赤い霧がカリーの顔に吹きかかった。


「グ……ゴホッ……ッ」


彼は自分の血でむせながら咳き込み始めた。


カリーは必死に出血を止めようと、両手で喉を押さえた。ぬるぬるとした温かい血が、彼女の小さな掌を染めていく。


サイモンはまだ現実が理解できていなかった。


「お前のせいだよ、お嬢ちゃん。頭を狙ったんだが、あんたが動くからズレたんだ。」

髭面の男が言った。


「頑張って、お兄ちゃん……死なないで……」

彼女はできる限り喉に圧をかけた。


——痛い、痛い、痛い……

——俺、死ぬのか?

——死にたくない……

——痛い……苦しい……

——お父さん……お兄ちゃん……カイリー……ママ……

——ごめん……ごめん……


彼はカリーを見つめた。彼女の涙が頬に落ちた。


目と目が合う。


彼の手がゆっくりと上がり、カリーの頬についた血をぬぐった。


——そして、その手は力なく落ちた。

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