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第一話

初めまして、しいなと申します。

超ど素人新人小説家です。

私の拙い物語をお気に召していただけたら幸いです!!

これからも感想やご指摘などどしどしお待ちしておりますのでよろしくお願いいたします。

かつて人間と吸血鬼は共存していた

和平を結び、国境と称して建てられたその分裂の壁は長き戦いを続けた罪を忘れぬための象徴となり世界は平和になった


はずだった


一部の人間が貴族の吸血鬼を恨み一人の吸血鬼を連れ去りその血で人体実験を始めた

そうして生まれたのが「ダンピール」

人間側はこのダンピールを戦力として吸血鬼側に宣戦布告

あれから20年後の現在

人間も吸血鬼も闘いに疲弊し切った今冷戦状態が続いていた


またいつ誰がどこで何がきっかけで戦火が切られるかわからない今、人間側と吸血鬼側どちらも、影での情報収集に徹していた



  ◇ ◇ ◇



大勢の人間が集まる煌びやかな会場に、入室した一人の美少女に会場中が釘付けになった。

目を奪われ身動きの取れない状態の者たちの間を微笑みを浮かべてお淑やかに進んでいく。

ありとあらゆる光を反射する艶やかな銀髪にサファイアブルーの瞳。

ビスクドールにも例えられる汚れを知らない白い肌。

その儚く可憐な容姿と物静かな佇まいに耽溺する人々の中を僅かな微笑みを浮かべたまま歩くその様はまさに、花も恥じらうほどの美貌を持つ御伽話の姫君。

サファイアブルーの瞳に合わせて誂えたであろうドレスやアクセサリーは彼女を引き立てる。

彼女が人形に例えられるのは齢15歳にして身長が150cmあるかないかというのも関係していた。


シャンデリアの輝きが眩い煌びやかな会場。

真紅のカーペットや並べられている料理はどれもが一級品。

天井まで届きそうなほどの大きさの窓には部屋の中で灯る明かりが反射して幻想的な美しさを表現していた。

普通のものが決しておいそれと立ち入れる場所ではない絢爛豪華という言葉が相応しい華々しさ溢れる会場で、一際注目の的となっているのが一人の美少女だ。


会場にいる誰も彼女の素性を知らないが、彼女の美貌を前にしたらそんなことはどうでも良かった。

もしかしたら最近社交界デビューを果たしたばかりのご令嬢ではないかというのが会場中の八割の認識だった。

一体どこの所属なのか、誰の親族なのか注目するべきところはいくらでもあるのだが、彼女自身そんな視線など気にも留めないで会場をゆったりとした上品な足取りで進んでいく。


「ティア」


不意にご機嫌なのが丸わかりの声で名を呼ばれても表情一つ変えずに緩やかで上品な足取りで振り返る少女。

ティア、と情のこもった呼び方をされた少女の名は、「ティアリス・シトリン」。

この国でその名を知っているものはほとんどいないだろう。

彼女が社交界に姿を現し始めたのはここ最近のことで、それも予告なしに貴族の中でも上流階級の参加するパーティーに片手で数えられる程度しか姿を現さない。

美しくもいつ登場するかわからないという意味で儚い“妖精姫“の愛称で知られる彼女は社交界でも注目を集め始めている令嬢だ。

そんな社交界で誰もが目を奪われるほどの少女に近づくのは二人の青年と中老の男性。

一人はティアリスの名を呼んで大きく足を開いて堂々と歩く青年。

こちらもまたティアリスとまた違って目を引く容姿をしている。


漆黒の髪と黒曜石の瞳。

そして端正な顔と洗練された所作の数々。

シルクのブラウスの襟元に輝くのはアメジストのタイと、金糸の刺繍が美しいタキシードが彼の高貴さを表現していた。

ティアリスの隣に立てば彼の身長の高さや脚の長さがより際立った。

ティアリスの身長は彼の肩より数センチ低い胸のあたりだ。


その後ろを控えめな態度で歩くのは一人の青年執事と、中老の執事だ。

二人とも何一つ動揺することがないと言わんばかりの鉄壁の表情を保っている。

青年の方は使用人でありながらも整った顔つきでチョコレートブラウンのふんわりとした髪が特徴的だ。

もう一人の中年執事は自身の顎の形に沿って切られたであろう灰色の髭と肩よりも伸びた白髪からは想像できないほど、支給品の執事服では隠しきれない年上の持つ特有の色気を持っている。


「待たせてすまないな」


気品溢れる青年が青年執事の方から会場で配られているワインを美しい所作で受け取りつつ申し訳なさそうな表情をする。

しかし少女はにこりと上品に微笑んだまま首を横に振った。


「ふむ。今日の君は一段と美しい。ドレスも装飾品も気に入ってもらえたかな?」


少女は言葉を発することなく、その場で見事なカーテシーを披露して魅せる。

その姿に目の前にいる青年二人と中年だけでなく会場にいる貴婦人やご令嬢などももれなく彼女に釘付けになる。

女性でも頬を赤く染めるほどの容姿をしたティアリスを前にして三人はなぜ平然としていられるのか会場中が疑問に思ったことだろう。


「クロト様、そろそろ」


「ああ、そうだな」


高貴な雰囲気をダダ漏れにしている青年が中年執事からクロト、と名を呼ばれ半分も口にしていないワインの入ったグラスを預ける。


「ティア」


名を呼ばれてもティアリスはそちらを振り返るだけで頑なに言葉を発しない。


「そろそろこちらも動こうか」


「ん」


ティアリスが声を出したのはクロトと、かろうじて彼の使用人二人に聞こえる程度のボリュームでそれも言葉というよりただのリアクションだ。

到底ティアリスが言葉を発したと断言はできない。

ティアリスがクロトのエスコートを眉ひとつ動かさずに受け入れて、二人は会場内を堂々とした足取りで進んでいく。


「ご機嫌麗しゅう、クライアーツ公爵様」


「ご機嫌よう、クロトリッター様」


二人が会場の入り口と正反対の場所にある最奥部に向かう間に様々な者たちが主にクロトの方に挨拶やちょっとした世間話をしてくる。

クロトは本名を呼ばれて挨拶をされているにも関わらずその足はあまり止まる事を知らずにティアリスを引き連れて進んでいく。

会場にいるほとんどの者たちからの挨拶にいちいち丁寧に答えていては、いくら今夜のパーティーが長いものとはいえども時間が足りなくなってしまう。

クロトには今夜のパーティーでも“やらなければならないこと”がある。

多忙なクロトからすればそこらの者たちからの挨拶で足を止めていられるほど暇ではないのだ。

しかし、自分がこのパーティーに参加していることを周知しなければならないという責務をティアリスと共に果たしていた。

彼のその傲慢とも言える態度を誰も咎めない、いや咎められないのは、彼が生を受けたその日から持っている身分と肩書きが影響している。


ティアリスをエスコートしている青年の名を「クロトリッター・ウェスタリアン・クライアーツ」。

この国の名門高位貴族であるクライアーツ公爵家現当主である。

彼自身、皇室の正当な血族であり現在皇室の次期女王となるであろう皇女の従兄に当たるため皇位継承権を持っていてもおかしくはない立場にある。

本人がクライアーツ公爵家現当主の立場に落ち着いたのは無用な争いを避けるためでも合ったが、クロト自身の本音が皇位というものに興味を持てないところにあるのも関係していた。

それに、クロトには誰にも口外することのできない幾つもの仮面があった。


「クロト様、ティアリス様」


「どうした?ジャック」


ジャックと呼ばれた中年執事は恭しい態度で頭を下げている。

パーティーはそろそろダンスタイムに差し掛かろうとしていた。


「たった今アイリーンから連絡が入りました。あちらが動きを見せたとのことです」


クロトはジャックの言葉を聞いて僅かに考える素振りを見せた後、すぐに人の悪い笑みを浮かべた。

彼のワインを飲んだ後の乾いていない艶やかな唇が弧を描いている姿は会場にいるすべての女性の視線を一瞬にして攫っていった。

クロトを含めた四人はそれらの視線を気にも留めずに会話を続ける。


「そうか。ならティアと今から向かうと伝えてくれ。ルイスは女王にこれを届けてくれ」


クロトが何もない掌に一枚の手紙を現出させたのにも関わらず、会場にいる誰一人目を見張ることはない。

この世界には魔力が存在している。

この場にいる全員が生まれ持った量に差はあれど魔力を操り、力量にもよるが魔法を行使できる。

クロトが使った魔法は初歩中の初歩もいいところだ。

自分の魔力によって物を隠し持ち歩くことはこの場に居ないものたちでも行使できるほどの簡単な魔法ともいえないようなものだ。

この場にいる全員が魔法が行使される様を見ているか知識として知っている者が多い。

特段珍しいことではないのだ。


「かしこまりました。クロト様、ティアリス様、お気をつけて」


「ああ」


ティアリスは頭を下げてクロトが相槌を打って二人はパーティー会場を後にした。



  ◇ ◇ ◇



男はとても急いでいた。

右手で何かを大切そうに抱えているものの焦りでたまに落としそうになり足取りがおぼつかなくなる。

彼は意図的なのか明るい道を通ろうとはしない。

街灯に照らされた道は通らず、ひたすら暗い路地裏などを選んで通っている。

まるで宝物を奪い取った怪盗のように逃げながら自分の姿を隠すことに必死だ。

息を切らして汗だくになっても尚足を止めるどころか、足取りがおぼつかなくなる自分に苛立ちを覚えるほどに急かされているようだ。

一体何から逃げているのか。いや、一体何に追われているのか。


「待て!止まれ!」


「っ!!!」


「もう逃げられないぞ!」


路地裏を抜けた先に、警備兵が数人立ち塞がる。

男は後ろばかり気にしていたせいか前方に現れた警備兵に驚いて足を引きずって急ブレーキをかけた。

男の後方からは数人の足音が徐々に男に向かって迫ってくる。

男は次の行動に出るのを躊躇ったように見えた。

警備兵は男がもう逃げられないと考えジリジリと男との距離を詰めていく。


「くくく」


男は不気味な笑みを浮かべて口元を歪ませたと思ったら次の瞬間、左手を地面につけてレンガ調の床を崩していく。


「うわああ!!」


突然足元が崩れバランスが取れなくなった警備兵たちは各々尻餅をついてしまう。

地面が崩れたことにより発生した砂埃で視界が一気に覆われてしまう。

男はしてやったりと言いたげな表情で警備兵たちの間を走り去っていく。

男の後方から追ってきた警備兵たちも、予期せぬ砂埃に正面から突っ込んでしまい涙を流すものや咳をして足止めを食らっている。


「くくくっ。あははははははは!!これで、私もようやく!!」


男は夜の中を一人楽しそうな表情で闊歩する。

先ほどまでの焦りしか感じ取られない表情は消え失せて、今は顎が前に突き出て安堵しきった表情をしている。


「随分と楽しそうだな」


「!!!」


不意に男の耳に入り込んだ自身の高揚感に横槍を入れる声に男は言葉を詰まらせた。

追手を振り切ったと思っていたのに、自分に語りかけるような声が聞こえてきたとなれば誰でも驚いて声を失うだろう。

しかも、その声の主の姿が視認できないとなれば尚更だ。


「だ、誰だ!!」


こちらからは視認できない。

しかし相手は自分の姿を確実に視認している。

その恐怖が男の中にまた焦りを蓄積させていく。


「ジルク、と言ったか?その報酬金と爵位を目当てに“向こう側”の諜報員にこちら側の貴族が何やらきな臭い会議をしているという偽の情報を流した男だね」


「っ!!!」


暗い街中に響くのは美しい声のみ。

相手の姿はジルクの認識範囲内にはおらず視認することが叶わない。


ジルクは目に見えない相手が自分の名前も素性も目的も、自分に関する何もかもを握っていると確信した。

ならば、とジルクは考えた。

こちらの目的を知っていてなお自分の行手を阻むものがいるのならば、なんとしてでも相手を葬り去ろう、と。

覚悟を決めたジルクはまた床に右手をつき自身の魔力を地面に流し込む。

先ほどのように目眩しをして自分の姿を隠し相手に気づかれないようにその場から立ち去ろうという考えもあるが、ジルクは臨戦体勢に入っていた。

左手で大事に抱えていたものは胸元に隠し、代わりに姿を現した手には小さな果物ナイフが握られている。

それも刃こぼれがひどく今にも折れてしまいそうなほどの代物だ。

どんなに小さく古臭い果物ナイフでもジルクにとってはこの一本のナイフだけが頼りだった。

このナイフに自分の全てがかかっているとなると握りしめている手が震えるのも無理はない。


「まあいい。こっちとしては君の事情とかそういうものには全く興味がないし早く仕事を終わらせて帰りたいんだ」


ジルクは果物ナイフをギュッと握りしめて冷や汗をかきながらも自分の脳内にまで響く声に集中しすぎないようにする。

声が一体どこからしているか正確に聞き分けるほどの聴力は持っていないし、気配を察して動くなんて芸当も持ち合わせてはいなかった。

ジルクはただの平民だ。

貴族の称号など夢のまた夢。

新聞配達と街の隅っこで掃除をする仕事だけで生活しているジルクには当然警備隊に入るお金などあるわけもなく、戦闘技術などごく一般の平民の端くれが習うわけもなく。

素人同然、あるいはそれ以下のジルクでもわかるほどに相手は手練れだ。

先ほどからジルクの耳に響いてくる声には余裕がある。

こちらに関心がないのも聞き取れる。

ジルクは自分が馬鹿にされ下に見られていることを自覚し小さな怒りを覚えた。


「さっさと出て来い!!!」


それが声色でわかるほどジルクは闇夜に紛れ込んでいるであろう敵に声を張る。

これが果物ナイフに全てを預けてしまう彼にできる最大限の抵抗だったことだろう。

その証拠に彼は自分の後ろにいる存在に気づいていない。


「いや?君の相手をするのは僕の仕事じゃないからね」


「?!」


唐突に自分の背後から聞こえた声に驚くが振り向くことができないジルク。

先ほどまでとは打って変わって今度は確実に後ろに“いる”。

目に見えなかった敵を視認する勇気が彼の中には存在していなかった。

もし彼が生まれてから今日まで警備隊に入団しそれなりの訓練を受けていたら、ある程度の恐怖に打ち勝つ強い精神を持てていたかもしれない。

今の彼にあるのは一本のボロボロの果物ナイフと、わずかに残された魔力だけ。

タラレバを言ったところで、今の状況が覆るわけもなく。

ジルクはわずか数秒で覚悟を決めて振り返った。


「!!!」


しかし、そこには誰もいない。

遠くの街灯の薄明かりによって少し照らされた不明瞭な視界には少なくとも人らしいものは見当たらない。


「荒々しいことはいつもパートナーがやりたがるから任せているんだ」


ジルクが安堵を覚えたのも束の間。

今度は振り向いた彼の右側から自分に語りかける声が聞こえた。

数分前から自分に語りかけてくる声は全て同一人物だと考えていたジルクだが、右側から全く同じ声が聞こえたことで相手が少なくとも一人でないことを理解した。

声の主がパートナーと言った時点で気づいてもおかしくはなかったが、今のジルクにそこまでの判断能力や冷静さは欠如している。


「取引相手のことを教えてくれたら君は明日から今まで通りの生活を送れるはずだよ?」


「なっ!!」


今度は左側。

相手の声が聞こえてくる方向が次々と変わるのでジルクは翻弄されていた。

姿の見えない敵と交戦しようとして相手の正面から向き合おうと考えているジルクは声のする方向が段々とわからなくなっていた。

ぐるぐると回る勢いで立ち位置を素早く変え、明らかに嘲笑を含んだ声で語りかけてくる。


「くそ!」


ジルクは怒り任せに地面に自分の血液の一部を流して魔法をかけていく。

彼を中心とする半径およそ五メートルほどの円形に地面が崩れていった。

その衝撃でジルクの周りの景色は見晴らしが良くなった。


「俺は、貴族になるんだ!!あはははは!今に見てろ!俺は依頼主のとこにこれを持ち帰ってもうあんなクソみたいな生活とはおさらばするんだよぉ!」


彼の願いにも似た叫びが周囲に響き渡ったとき、ジルクの前に一人の少女が舞い降りる。

風の魔法で自分の体重を支え、ゆっくりと地面に向かって降下する。

青白い月明かりに照らされた髪は七色に煌めく銀髪。

こちらを見つめるのは美しく透き通るビー玉のようなサファイアブルーの瞳。

ジルクは目の前に現れた美少女を前に、視線を逸らせず思考停止し身動きが取れなくなった。

その姿はまるで彼の穢れた心を浄化し天界へと導かんとする天使か妖精のようだった。

足元を隠すほどのスカートがふわりと傘のように広がり着地したその少女はこの廃れた路地裏にはずいぶん似合わない姿をしていた。

彼女の周りだけ空気が明らかに違う。

他を圧倒するほどの美。

この世のものとは思えないほどの少女。

触れてしまえば儚く月夜に消えていってしまいそうなほどの儚さと物静かな佇まい。


ジルクは突如目の前に現れた少女の虜になっていた。

まるで言葉を失ってしまったかのように黙り込んでしまったジルクを前に、少女はこちらをじっと見つめるだけ。


「お前、自分が何をしようとしているのかわかっているのか?」


ようやく口を開いたのは少女の方だった。

彼女の容姿や着ている服からは想像できない口調に、ジルクの頭は理解が追いつかない。


「お前がその機密文書と共に偽の情報を流すことで吸血鬼と人間の争いが始まるんだぞ」


「知ったことか。‘’人間なんざ‘’俺にとってはどうでもいい下等生物なんだよ!」


いやらしい笑みを浮かべたジルクにはその種族特有の牙が確かにあった。

ジルクは人間ではない。

あらゆる生物の生き血を吸い上げ、己が完璧な生物であるという自負とプライドを持った高貴なる存在。

吸血鬼は、自分たちにとって食糧にしかならない人間を下等生物と位置付け見下している。

特に吸血鬼の世界の貴族たちはそれが顕著だ。

吸血鬼社会にも序列という名の貧富の格差が存在する。

この世界には二つの種族が存在していた。

人間と、吸血鬼。

種族間の世界を分けるため建てられた壁によって隔たれたそれぞれの国で暮らしているが両者共に憎み合い恨みあっている。

ジルクという男は吸血鬼のただの平民だ。

しかし、平民であっても吸血鬼であることは変わらない。

吸血鬼に根深く存在しているプライドというものが彼の中にも少なからず存在していた。


「下衆が」


少女のドスの効いた声で罵倒されジルクは強がりな笑みを浮かべて顔を歪ませていた。

少女の纏う空気がいきなり変わる。

ジルクは先手を取って有利に戦闘をするために少女に向かって一気に距離を詰めた。

少女はそれに全く動じず、冷静に彼の果物ナイフを躱していく。


「くっ!うぉら!!この!」


ジルクは果物ナイフを力任せに振り回すも、少女には掠りもしない。

ジルクは目の前にいる自分よりも遥かに小柄な少女の方が戦い慣れしていることを理解し、なぜこのくらいの歳の少女が?と、疑問に思ったが、いくら彼の足りない頭で考えても答えには辿りつかないため脳内から疑問を無理やり消し去った。

ジルクは一旦少女との間に十分な距離をつくる。

少女をじっくりと観察し、どこかに弱点がないか見極めようとしていた。


(あんだけ小さな体なら力の差は俺の方が上なはず)


少女の見た目だけでそう判断したジルクは、急いで彼女のそばに行って取っ組み合いに持ち込もうと走り出した。


「お前たちのようなものの相手はそろそろ飽きてきた」


少女が余裕な表情のまま呆れたような声で一人呟くと、ジルクはいつの間にか足元を縛られ動きを封じられていた。 

少女が魔法で発生させた氷の蔦はジルクの足を完全に動けなくしている。

走っていたところを急に足元を取られたジルクはそのまま前方に派手に転んだ。

そして転んだタイミングでさらに腕や体を拘束されてしまい、彼の動きは少女の魔法で創り上げられた氷の蔦によって完膚なきまでに封じられた。

ジルクが顔を上げると、そこには瞳の色が輝く琥珀色になった少女がいた。


「は、離せ!」


ジルクは体を捩ってなんとか蔦から脱出しようと考えたが、ジルクがそう言った動きをしている間は少女が蔦の締め付けをさらに強くしていった。


「ティア。あんまり締め付けすぎると気を失ってしまうから、ほどほどにね」


「私に指図するな。変態野郎」


ティア、と呼ばれた少女は背後からこちらに向かってくる声の主にその生まれつき持っている美しい声と容姿に似合わず暴言を吐いた。


「こらこら。ここはさっきまでいたパーティー会場ではないとはいえ、君のような天使様がそんな言葉遣いをしては勿体無いよ?」


「うるさいぞ、クロト。さっさとしろ。魔力をあまり使っていないとはいえここは空気が悪い」 


「ごめんごめん」


くすくすと上品な笑みを浮かべたまま姿を現したのは、クロト、と呼ばれる青年だった。

皺一つないタキシードに身を包み、真っ白な手袋をして美しい所作でこちらに向かってくる彼の姿はまさに紳士のよう。

ジルクはその姿を見ただけで、彼が高貴な存在であると理解した。

おそらく高貴な身分を持っているであろう青年は突如としてジルクの前に現れた少女と二人だけの世界を作っている。

今自分の置かれている状況に全くついていけないジルクは少女に足で踏みつけられたまま一人ポツリと置いていかれていた。


「初めまして。僕の名はクロトリッター・ウェスタリアン・クライアーツ。そして君が先ほどまで手合わせしていた天使様は僕の婚約者、ティアリス・シトリンだよ」


「気色の悪いことを言うな!!私はお前と契約したお前の護衛役、だ!!」


「いて」


ティアリスの言葉に合わせて振り下ろされた拳に軽いおふざけを含んだ反応で応えたクロトの表情は全く痛くなさそうだ。

青白い月明かりに負けない眩いほどの美しい笑みを浮かべたクロトが自分と少女の名をジルクに明かした。

ジルクは青年の声を聞いてすぐに理解した。

先ほど暗闇で自分に語りかけてきた声の主が目の前にいる青年だと。

そしてその名に聞き慣れた単語があった。

クライアーツ、と。

それは吸血鬼の国で唯一の公爵家の名だ。

その一族の名を冠した吸血鬼が、ジルクのような立場の者が簡単に相まみえることなどあり得ない人物が目の前にいる。


「け、契約?お、おお、お前ら、一体なんなんだよ!なんで俺の邪魔をするんだよ!」


「ん?君に個人的な恨みはないんだけどさ、困るんだよね。こういう機密文書とか人間側に渡されるの」


「だから!俺は何も知らないって!」


「だろうね。君はただの雇われ人だ。何も知らずにただ言われた通りの行動を取る、いわゆる操り人形だね」


「き、さまああああああ!!」


頭上から嘲笑を含ませた余裕のある声色で淡々とジルクと会話するクロトに苛立ちを覚えたジルクは、彼に一矢報いてやろうと決め蔦を振り解こうとまた体を拗らせ暴れ出した。


「おい」


ティアリスはそんなジルクの背中に五割ほどの力で踵落としを決め彼が動けないようにした。


「かはっ!」


ジルクは上からの衝撃で唾を吐いてしまい息を吸おうとしたところで吐きかけの唾が喉を通り気管に入りゴホゴホと咳をし出した。

クロトはジルくの目の前に腰を下ろして、彼の顎を掴んで強制的に上を向かせる。


「君を殺してしまうのは惜しいんだよ。命令してきたのは誰なのか、今日までに関わった人物の名前と素性の全て、君が密会した場所その他諸々君に聞かなければならないことが沢山あるんだ」


「ぐっ!」


ジルクが反抗的な視線をクロトに向けるたびに、ティアリスの足はジルクの背中を踏みつける圧力をさらに掛けていく。


「教えてあげようか。君が今持っているその機密文書と君の頭に入っているであろう言葉を君がこれから会う人物に渡されると、吸血鬼と人間の戦争が始まるんだ」


「は?」


ジルクは本気でクロトの言っていることを脳内で処理しきれなかった。

そんなジルクを気にするわけもなくクロトは言葉を続ける。


「苦労してここまでようやく冷戦状態に持ち込んだっていうのにまた戦争にまで発展されたらこちらも大変な目に遭うからそれだけはなんとかして避けなきゃならない。そこで女王陛下直属の僕らが召喚されたってわけ。僕らの任務はまた新たに戦争を起こそうとする輩の背後関係の調査及び抹殺。でも君は雇い主に良いように使われただけみたいだし、良さそうな情報は持っていなさそうだ」


ペラペラと情報を開示していくクロトだが、ジルクの頭の中では処理が追いついておらず、今にもパンクしそうなほどだった。


「さて、君には今二つの選択肢がある。一つ、このままティアリスに地獄に送ってもらう」


クロトはジルクの目の前で見せつけるように長い人差し指を立てる。


「二つ、僕らに君の雇い主の情報を開示し、君が今大事に抱えているその機密文書を僕らに渡して拷問を受ける」


ジルクは突きつけられた現実を前に唾を飲み込んだ。



 ◇ ◇ ◇



ジルクという男は至って平凡な日常を送っていた。

両親含め、親族も皆平民で裕福な生活とまではいかないものの平凡な日常の繰り返しだった。

新聞配達と街の隅っこで掃除をする仕事で生活費を稼いで時には町の酒場で一晩を過ごしていた。

ところがある日、彼の日常は突然終わりを告げた。

その日の朝はいつも通り出勤をしようと家を出た。

彼の足元でクシャリと音がして、目線を足元に下げると一枚の封筒を踏みつけていた。

ジルクが踏みつけた部分を除けば小綺麗な封筒だった。

どこかの貴族の家紋にも見える封蝋だが、ジルクは家紋がどこの家のものかなど知るわけもなく、特に気にも留めなかった。

差出人の名はないし、中をあらためると宛名すらないただの指示書だった。


『来たる満月の日、三番地の裏通りシャンバルにて貴殿の到来を待つ。合言葉はレーノ・セアピス・イフェンスルーディーント』


まともな教育を受けていないジルクだったが、新聞配達の仕事をするためにある程度文字は読めたので解読に時間はかからなかったが、この手紙に書かれた言葉の意味は理解できなかった。

彼の間違いはここで手紙の指示通りに動いたことから始まった。

裏通りまでは現存している場所だったからジルクでも簡単にいく事が出来た。

ジルクのわからない部分はシャンバルの場所だけだった。

手紙を改めて読んでみても訳がわからないと言うのが彼の本音だ。


「一体なんなんだ?子供の悪戯か?」


手紙に夢中になっていたせいで、彼は背後から近づく影に全く気づいていなかった。


ゴトゴトという音と、自分の身体が時折飛び跳ねるような揺れに襲われる感覚でジルクは目を覚ました。

しかし、彼の視界に入った光景は暗闇だった。

呼吸は可能。但し手足は不自由。

首のあたりに締め付けられているような感覚があり、呼吸をするたびに布のようなものが口元に張り付いてくる。

ジルクは自分の頭部が袋のようなもので覆われていると感じた。


「本当に連れて行くのか?」


「だが、あの場にいただろう?」


「そうだけどさぁ。なんであの方はこんな平民のやつなんかを?」


知らない男性の声が二つ聞こえてくる。

彼らの会話は聞き取れるが彼らが何のことを話しているのかはジルクにはわからなかった。

蹄の音と車輪の動く音がしていることから想像して自分は馬車の荷台に積まれてどこかに連れて行かれているということを理解した。


「よし着いたな。下すぞ」


馬車が止まったと思ったら男達が動く音が聞こえてきて、ジルクは本能的に身を守るために気を失ったままのフリをした。


「あーあ、重いんだよなぁ。どうせならもっと可愛い女の子とかがいいよな」


「文句言っても仕方ねえだろ?俺たちはあのお方に逆らうわけにはいかねえんだからっと!!」


太った方の大男は袋で頭部を隠されたジルクを片手で抱えてもう一人のヒョロヒョロの青年と共に地下へと進んでいく。

地中を掘った場所をそのまま使用しているため、ところどころ荒削りな部分もあるが二人は迷うことなく足を進めていく。

二人の足音のみが響くほど静寂に包まれているこの地下を知るものは少ない。


「よいしょっ、と」


担いで連れてこられた割には丁寧に座らされたジルクは、意外感を隠せなかったが起きていることを知られるわけにもいかず声を押し殺した。


「おら、起きろ」


そう言って大男が乱暴にジルクの被っている袋を取り払う。

力一杯閉じた瞼をこじ開ければ、カビの生えたテーブルを挟んで目の前には二人の男がいた。

一人は大男。こちらが自分をここまで担いできた人物だということはすぐにわかった。

もう一人はそのまま部屋の一角にある扉の奥へと消えていく。

そして入れ替わるように細身のやたら綺麗で上品な雰囲気を纏う青年が現れた。


「お疲れ様です」


「おぉー。こいつが今回のやつだ」


「彼が?」


ジルクは細身の青年から訝しげな視線を向けられて反応に困ってしまう。

大男は細身の青年の反応を見て憂鬱そうにため息を吐いて腰にぶら下げていた剣に手をかけた。

次の瞬間、ジルクの身体は強張ってしまい自分の思う通りに動かせなくなった。


「おい、お前は一体何者だ?なぜあの場所にいた?」


喉元に冷たい感触がある。

天井の明かりを反射しているシルバーの輝く刀身が視界の下の部分を占領している。

喉元に剣先を突きつけられたジルクは下手をすれば首が落ちると悟った。

目の前にいる大男の瞳は冷たく迷いがない。

おそらく命を奪うことに対する恐怖など感じていないのだろうということはすぐにわかった。

だからこそ自分の命をいつでも躊躇なく狩れる存在が目の前にいるという事実により恐怖を覚えた。


「殺さないでくださいね。後処理が面倒なので」


細身の青年も、もはや止める気はないらしい。

こちらもまた冷め切った目でジルクを見下ろしていた。

この場にジルクの味方は一人もいなかった。

もし万に一つの奇跡があってこの部屋から無事に逃れられたとしても、彼らが追ってこないとは限らないし、この場所がどんな場所なのかも知らないジルクに不利であることは間違いない。


「ひ、ひぃ!!」


ジルクは、目の前にいる同胞に葬られる未来を想像して恐怖から震え上がった。

彼は今まで通りの日常を送っていただけだというのに、突然届いた手紙の言う通りに動いて見たら知らない男二人に連れ去られ知らない場所に連れて来られたと思えば殺されそうになるという理不尽極まりない状況に混乱するしかなかった。


「レ、レーノ・セアピス・イフィエンスルーディーント!!!」


ジルクは振り上げられた剣を見て覚悟を決めたかのように目を瞑り、最後の悪あがきとして合言葉と書き記されていた言葉を腹から声を出して叫ぶ。

もはや話し言葉として成立していない言葉で、知らない人が聞けば変人扱いされてもおかしくないが目の前の彼らには効果があったようだ。

その証拠に、二人の動きはパントマイムの如くぴたりと止まった。

三人の吸血鬼が揃った地下の部屋はしんと静まり返り息を飲みこむ音がやけに大きく聞こえるほどに。


「もしかして、僕らの仲間になろうとあの場にいたのでは?」


「そ、そそそ、そうなんです!!実はこの手紙が家の前に置いてあって」


ジルクはなんとか頭を捻って自分が殺されないよう慎重に言葉を紡いでいく。

そして胸ポケットの中から引っ張り出した手紙は細身の吸血鬼にひょいっと軽く奪われてしまう。


「この紋様は……。確かにあなたの言うことは正しいようですね」


大男から向けられた剣先が自分から逸れたことでひとまずは難を逃れたと安心したジルクはボロを出さないよう黙っていることにした。

今すぐにジルクの生死が決まることは無くなったがそれ以上の進展がなくなって数分が経つと、一人のこれまた綺麗な青年が姿を現した。

細身の青年よりも長い髪をひとまとめに束ね、優雅に堂々と部屋へと足を進める。

顔も名前も素性も知らない三人の男を目の前に手足を縛られたままのジルクはこれから待ち受けるものが拷問なのではないかという不安に駆られた。


「お待たせいたしました」


突然現れた青年がそう告げると先ほどまでジルクに向けられていた視線は逸れて、二人は青年に向けて恭しく頭を下げている。

その人はジルクと対称の位置で高級な椅子に腰掛け、その人物を挟むようにして立った二人。

二人の間に座る人物の放つ独特な雰囲気にジルクは声を出すのも憚られた。


「さて、あなたにはこれから重要なお仕事をお頼みしたいと考えていてね」


平民相手にも物腰の柔らかい吸血鬼もいるのだと初めて知ったジルクは、すぐに目の前の吸血鬼に対する警戒心を解いた。

そして椅子に優雅に腰掛けたまま大男から一枚の紙切れを受け取った吸血鬼は、それをテーブルの中央にゆっくりと置いて、そのままジルクの傍までスライドさせた。


「これを」


そう言って差し出されたものはたった一枚の折られて中身の見えない紙切れだった。

封筒に入っているわけでもなく、封蝋などが使われているわけでもない。

おそらく開けば見開きとなり中身を読むことなど造作もない。


「とある方の元まで届けて欲しいのですよ。ただし、警備隊や貴族の誰にも気づかれてはいけません。あなたには連絡係の橋渡しを頼みたいのですよ。そしてもう一つ」


彼が胸ポケットから取り出したのは、一本の注射。

静かに目の前に置かれた注射の中にはスピネル色の液体が少々。


「中身はただの強化剤です。最近我々のことを嗅ぎ回っている犬がいるようなので、彼らの対策のために全員にお持ちいただいております」


ジルクが訝しげな表情で顔をあげると、椅子に座ったままの吸血鬼はくすりと笑みをこぼしてそれの説明を始めた。

真ん中の吸血鬼がそういうと、その両隣にいた吸血鬼は自分達も持っていると言いたげに差し出されたそれと同じものを胸ポケットから取り出した。


「少し依存性が高いですが、抑制剤も本部にありますから必要な際にはおっしゃってください」


「これだけでいいんですか?」


「ええ。この先徐々に仕事内容は増えていきますが、その分報酬も十分な量をご用意いたします。うまくいけば我々も滞りなく動けるし、あなたもいずれは我々と同じ場所まで来ることが出来るのではないでしょうか」


「同じ場所、というのは?」


「貴族、なりたくありませんか?」


耳元で囁かれたジルクは下から震え上がった。

それは恐怖なのか高揚なのか。

ジルクの中では様々な想いが湧き上がり続け複雑に絡み合った。

恐怖、期待、不安、優越感。

ジルクは自分の目の前にぶら下げられた一本の糸に夢中になり、自制心も効かなくなりまともに考える判断力が落ちていた。


吸血鬼として生を受けた彼の日常はいたって平和なものであったが、彼は普段から何をしても満たされない虚無感に苛まれていた。

仕事に行っても一人で黙々としたを見て掃除をするだけ。

街の隅っこで誰に見られているわけでもなく、ただひたすらに地面やら壁やらを綺麗にしていく。

また別の日には貴族の邸宅を訪ねてその日のニュースを取り纏めた新聞を届ける。

彼は考えずにはいられなかった。

自分はなぜ貴族ではないのだろうか、と。

貴族の邸宅を訪ねても忙しそうにしているのは使用人たちだけで、家主の家族は優雅にお茶を嗜みつつ本を読んでいる。

自分が必死に働いているというのに、彼らは時間を持て余している。

なのに、自分よりも豊かな生活を送っているとう事実にジルクは疑問と憤りを感じていたのだ。

平民は配給される輸血パックから血を飲むしかなく、それらは全て貴族たちが嗜むそれとは圧倒的に品質の面で劣っている。


喉の渇きも、心の渇きも満たされない日々から抜け出せる可能性が目の前にある。

その事実がジルクの判断力を鈍らせる。


「お、俺も、貴族に・・・?」


「待ってください」


ジルクの脳内が、未来の自分で埋め尽くされているというのに妄想に水を刺したのは細身の吸血鬼の方だった。


「こいつを貴族に?正気ですか?こいつを信用するなんて、俺は反対です」


細身の吸血鬼はジルクを冷酷な瞳で見下して言葉を乱暴に吐き捨てる。

ジルクは細身の吸血鬼の言葉を聞いて、自分の望みを邪魔されたと感じ少しの苛立ちを覚えた。


「しかし、我々も人手不足は否めません。それに彼には十分働いて貰えばそれが証明になるのですからそれで良いではないですか」


「……」


ジルクは目の前の光景に驚愕した。

細身の吸血鬼の意見を否定した美しい吸血鬼はにっこりと美しい笑みを浮かべている。

それなのになんという重圧感なのだろうか。

決して逆らってはいけないと、ジルクの中の本能が告げていた。

身の毛もよだつほどの笑みを今まで見たことがなかったジルクは呼吸をするのも忘れかけていた。


「わかりました」


細身の吸血鬼は苦い顔をして何かを熟考した後ため息まじりにそう告げた。


「では、ジルクさん。こちらの契約書にサインを」


ジルクはそのままテーブルの上に差し出された一枚の契約書に自分の名前でサインをした。

彼はここで契約書にサインをするべきではなかった。

貴族という名の見せかけだけの甘い蜜に誘われ欲に負けることなく彼らの誘いを断っっていれば彼は今でも普通の生活を送れたはずだった。


それからというもの、ジルクの契約に立ち会った人物からの指令は一定周期で家の前に置かれるようになった。

どの指示もジルクでも簡単にこなせる内容ばかりで、契約時に感じた違和感や恐怖心を忘れさせるほどの代物に限られていた。

報酬も十分な額と血液の供給で、ジルクは今の生活に満足し切っていた。

そう、人間と通じているのではないかという嫌疑にかけられるまでは。


「ジルクさん。あんた人間と密会してるだろ?」


「はぁ?!なんのことだよ!」


その日、ジルクは昔馴染みと酒場でその店でも高級ラインの酒を楽しんでいた。

昔馴染みと言っても、彼らと出会ったのは半年前の別の酒場でだ。

酒が入るとノリが良くなる者たちは同じ吸血鬼同士こうして交友関係を広め日々の鬱憤を晴らしていた。

今夜もいつも通り、酒に溺れて現実逃避をしているはずだったが一人の飲み仲間から現実を突きつけられその内容が自分の耳を疑うものだったこともあってジルクは一気に酔いから覚める。


「いやぁ、あんたの仕事怪しくねぇかと思ってなぁ」


酒が回り頬を赤らめた飲み仲間はいたって冷静に言葉を紡ぐ。


「な、何が怪しいってんだよ」


ジルクは先ほど取り乱したのを必死に忘れようと酒を煽りつつ飲み仲間の言葉を疑ってかかる。

それが、自分の本心を言い当てられた気持ちになることになっても今のジルクは受け入れることはできない状態だった。


「まぁ、危ないことにならんといいけどな」


含みのある言い方をされてジルクは一気に焦りを覚えた。

自分のしていることに今まで疑問を感じていなかったわけではない。

あの契約以来、彼らの要求はいたってシンプルかつ簡易なものばかり。

だというのに警備隊や貴族に見つかってはならないという誓約付き。

一体自分は何をさせられているのだろうか。

ジルクは自分に下される命令とも言える仕事になんの意味があるのか考えてしまった。

尋ねようにもジルクの方から彼らに連絡が取れるわけもなく、聞くタイミングもないし報酬も十分過ぎるほど貰っていたこともあり考えないでいたことを自覚した。


◇ ◇ ◇


だんだんと、自分の置かれた状況を理解し始めたジルクは顔が青ざめて身体も小刻みに震えている。

やはり自分のしていた仕事は緩やかにだが確実に世界を歪めていたらしい。

あの日、あの夜に抱いた疑問を解消することもできず、ただ言われるがままに仕事をこなしていたジルクだがこうして今は警備隊に追われ難を逃れたと思ったら今度は公爵家の者に追い詰められ詰問されている。

つまりジルクは、知らぬまに犯罪に加担していたのだ。

契約を交わした吸血鬼たちの真の目的も知らず。

ティアリスも、足でジルクの震えを感じていたが彼の恐怖心など興味がなく震える足に違和感すら覚えてさらに足の圧力を強める。


「まあどちらを選んでも君にとっては地獄だとは思うけどね」


「ひ、ひぃ!!」


「僕は君がどちらを選ぼうとかまわない。好きにするといいよ。ただ、僕も彼女も多忙な身でね。そろそろ決めてもらえるかな?」


「っわ、わかった!!ぜ、ぜぜ、全部話す!だから助けてくれ!!」


「いい子だね。ティア、そろそろ疲れただろう?足を下ろしていいよ」


ティアリスはきつい眼差しをクロトに向けて納得のいかない表情をしているが、渋々足をジルクの背中から下ろした。

その瞬間、クロトの目の前に土で出来た硬い円錐が現れた。

クロトは華麗にそれをかわし、ジルクから数メートル離れた位置に静かに着地する。

ティアリスはクロトに姫抱っこされていて身動きが取れないでいる。


「は、ははははははは!!!騙されてくれてありがとよぉ!」


ジルクは興奮状態でいるが、ティアリスとクロトは冷静に彼の様子を観察している。

クロトがティアリスを丁寧に地面に下ろすと、そのままティアリスの耳元で囁く。


「ティア、おそらく何か仕込んである。気をつけてね」


「はぁ。これだから吸血鬼は嫌いなんだ」


ティアリスは、ジルクをじっと睨みつけたまま怒気を孕んだ声色で吐き捨てた。

彼女は気づいていなかった。

彼女の後ろにいるクロトが寂しそうな表情をしていることを。


「俺は捕まるわけにはいかねえんだ。俺は、俺は貴族になるんだよ!!」


ジルクはもしものためにと持たされていた注射を胸ポケットから取り出し、自分の左上腕に乱暴に突き刺した。

スピネル色の液体が彼の体内に吸い込まれるように消えていく。

何も起こらないと思ったのも束の間、ジルクの体はみるみるうちに姿形を変えていった。

苦しそうに発狂しながら人に似た形を保っていられなくなったジルクは例えようのない姿に変形した。


「ちっ、くだらない」


ティアリスの方は彼の姿が変わったことに動揺することもなく舌打ちをしたりと態度が悪くなる一方だ。

ジルクがここまで貴族の身分にこだわるわけがティアリスには理解できなかった。

共感ができなかった。

恐らく理由を説明されたところでティアリス本人は納得しないし、受け入れられるはずもないのだ。


「こんの!餓鬼がぁぁぁぁああああああ!!!!」


ジルクは自棄になってティアリス目掛けて直進してくる。

人の言葉を発してはいるが吸血鬼としての本能に思考を支配されたただの獣でしかない。

クロトもティアリスも彼の覇気に驚いたり後退りしたりはしない。


「いいよな?」


「仕方がないね。末端もいいところだ。どうせ大した情報は持っていない」


ティアリスは最後の確認としてクロトに視線ごと投げかける。

クロトは両手を広げて諦めたような振る舞いで戯けて応える。

ティアリスはそれをみて改めてこちらに向かって直進してくるジルクを真っ直ぐみた。

そのサファイアブルーの瞳は目の前の腐った吸血鬼を熱のこもっていない表情で見据えた。

そこには同情も、嘲笑も、興味もない。

無を抱えたサファイアブルーの瞳は光を無くし、深海の群青よりさらに深く、深く沈んだ濁り切った海底に届きそうなほど黒に近い色に変わった。


「気をつけるんだよ。ティア」


「あぁ。後始末は任せる」


「あぁ」


クロトの相槌とほぼ同じタイミングでティアリスは地面を蹴って、まだ青白い光を放つ満月の煌めく空へと羽ばたいた。

正確にはただ足に力を溜めて普通に跳躍するよりも遥かに高く跳躍しただけだが、クロトにはその背中にないはずの白い翼が見えていた。

それほどまでに彼女の跳躍する姿は魅力的で夜の月明かりによく映える。

飛び立った後にふわりと落ちた一枚の鴉の羽と共に。

宙に舞うようにして飛んだティアリスは宙で停止し、そのまま魔法で隠し持っていた槍を現出させた。


「お前の力を貸せ。アルヴァンの鉄槌」


ワインにも似た真紅の柄はティアリスの小さな手でも包み込めるほど細い。

‘’アルヴァンの鉄槌‘’と名付けられた笹穂槍はクロトからティアリスに下賜された武器の一つでクライアーツ公爵家の中でも代々の当主に継承されてきた長い歴史を持つ槍だ。

ティアリスは槍を利き手でしっかりと握って、降下の際の風圧で槍を手放すことのないよう氷の蔦で自分の手と槍を縛る。

またサファイアブルーの瞳は琥珀色へと変化した。

今のティアリスはさながら月夜に銀髪を輝かせ琥珀色の瞳で獲物を狙う美しい銀狼のようだった。

彼女は空中でふわりと体を前に傾け、地面に向けて急降下していく。

一方下にいるジルクはというと、突然姿を消したティアリスを探して顔を前後左右に振っている。


「私はどっちも大っ嫌いだ!」


大声で下にいるジルクに向かって叫ぶ。

その声に反応したジルクが上を見上げた瞬間、ジルクの首は綺麗に胴体と分離した。

落下の衝撃で地面にはヒビが入り、ティアリスも相当なダメージを足に負っているはずだが、槍を杖の代わりにしてすっ、と静かに立ち上がる。

それを地面と平行になった目線でみているジルク。

彼は今、自分の身に起きたことが分からなかった。

目の前には自分と垂直に立つティアリスとクロト、そして自分の身体がある。

自分の身体は少しずつ人の形に戻りながらも真っ黒な塵となって風化していく。


「な、何が、起きて?」


「黙れ吸血鬼。権力に目が眩み、その身に余る栄誉を得ようと錯乱した化け物め。テメェはさっさと地獄に堕ちろ」


「お前、たちは、か、らす、と、ぎん、ろ、ぅ」


ティアリスが背を向けたまま彼女の出せる一番低い声で嫌悪感を隠しもしないでそう溢す頃にはジルクの顔も形をなくし、声を発する口や顎も溶けて黒い塵と化し言葉は消失した。

そして彼の身体から切り離された頭部は全て黒い塵となり闇夜の隙間を吹き抜ける風に飛ばされた。

彼の足だけが倒れることなく月明かりの美しい闇夜に溶けていき、彼の血液は乾いた路地の地面に染み込んでいった。


「ティア。手を見せて」


「別にいい」


ティアリスがアルヴァンの鉄槌を終うと、ティアリスが空中で槍の柄の部分と利き手を氷の蔦で縛り付けた箇所を自分に見せるよう要求してきた。

ティアリスからすれば、蔦で縛っただけで大した傷ではないのだが、棘が刺さった手からは彼女の血液が小川となって滴り落ちていて、経緯も何も知らないものから見ればあまりにも痛々しい光景だ。


「ティア」


「っ!」


クロトの持つ黒曜石の瞳に真っ直ぐ見つめられたティアリスのサファイアブルーの瞳は珍しく揺れ動いた。

彼の神妙な声になぜか逆らうことができないティアリスは渋々利き手を彼に向けて差し出した。

クロトはその手を掬い上げるように優しく取り、自分の口元に近づけた。

そしてティアリスの怪我を一つ一つ舐め取っていく。


「っ!や、やめ」


ティアリスは必死に手を引っ込めようと抵抗するがビクともしないクロトの手からは逃れられなかった。

時折下の横で青白い光を反射させるほどの長い牙が見えて、身体が震えるティアリスだったがそれを認めたくないのかクロトを完全に視界に入れないように目を閉じた。

クロトがティアリスの手にできた傷を全て舐めると彼女の手から流れる血は止まり、傷口も塞がっていった。


「クロト様、ティアリス様、こちらに警備隊が向かっているとのことですが、如何なさいますか?」


ジャックとルイスが暗闇から靴音さえ立てることなく姿を現し、二人に周囲の情報を報告した。


「クロト様、女王陛下が明日の朝一で登城しろとおっしゃっていました」


ルイスはクロトの指示に従って女王に書状を届けた帰りにクロト宛の伝言を授かっていたようだ。


「そうか。なら今日はもう帰るとしよう。ルイスお前はこのまま残って警備隊に諸々の説明、もし難航しそうなら俺の名前を出しても構わない」


「!…よろしいので?」


ルイスは下げていた頭を上げてまでクロトの指示に驚いていたが、クロトからすれば状況を優位に進めるために必要なことならば自分の名前を使われるなど些細なことだ。

それに、ルイスは正式に雇っているクライアーツ公爵家の若きエース執事。

まだまだ執事長のジャックには劣る部分もあるが、それでもクロトが引き連れて歩くくらいには優秀な執事だ。

彼に任せることに関してクロトが不安に思うことなど何もない。


「ジルクとかいう男、ティアに刃を向けたからね。公爵家の名の方が必要ならそうすればいい。とにかくこちらに害がない程度にな」


「かしこまりました」


主の怒りが滲み出る中、冷静に命令を受けるルイスはまだ治りきっていないティアリスの手が目についた。


「ティアリス様、お怪我を?すぐに手当しなければ」


「あぁ、それなら俺が舐めておいたからじきに塞がる」


「そうでしたか。余計なことを申しましたな。ティアリス様、こちらを。御手が汚れてしまっていますので」


ジャックはティアリスに向けて血で汚れた手を拭くものをと、使った形跡のない白地のシルクハンカチを差し出した。

ティアリスは黙ってそれを受け取りただ眺めた。


「さあ、ティア。そろそろ帰ろうか。僕らの家に」


「ん」


ジャックは自分の過失を反省したが、クロトはそれほど気にしていないようで手袋が汚れるのも厭わず少量の血液が残ったままのティアリスに手を差し出した。

ティアリスは先ほどまでの勢いとは打って変わって、ここに来る前のパーティー会場にいた時の余所行きの態度に戻っていた。

しかし、今度はクロトから差し出された手を素通りして、彼からのエスコートに応えることはなかった。


「馬車は近くに用意してございます」


「あぁ」


エスコートをしようとしたクロトの善意を無視したにも関わらず咎められることもなく、むしろクロトは先ほどと変わらず唇に美しい弧を描いてすらいた。

こうして恭しく頭を下げるルイスを残してクロトとティアリス、そしてジャックの三名はクライアーツ公爵家へと帰る馬車へと向かうため暗い路地に足を進めるのであった。


いかがでしたでしょうか?

現在第二話を執筆中でございます。

事前にXのアカウントでもアナウンスしておりますが、投稿のタイミングに関しては期限等を設けていないため、完全にしいなのペースで投稿していくことになります。

Xのアカウントは@Shiina_syosetuとなります。

こちらのアカウントで投稿報告やショートストーリーなどを発信していきますので是非フォローしてお待ちいただけると幸いです。

第二話からどんどんティアリスとクロトの関係性などを掘り下げていくのでお楽しみに!!

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