ピンクのワンピース
これはオチを先に思いついて、後から話を作りました。
電車の痴漢がテーマですが、ラジオで放送されたのは
『それでもボクはやってない』の公開より数年前だった
かと思います。あの映画は、真摯に冤罪と向き合った
大変な傑作でした。さすが周防監督! と尊敬を新た
にしましたが、正直、初見の一回だけしか見てません。
だって怖いんだもの。理不尽オブ理不尽の嵐と逃げ場
のない臨場感に、劇場で頭痛と吐き気に襲われました。
もしかしたら、邦画史上最恐ホラーかも知れません。
未見の人は何を差し置いても絶対に見た方がいいです。
しかし私はおそらくもう見ない(だって怖いんだもの)
では読んでください。リライトしてて気づきましたが、
オチはあるホラー映画へのオマージュになってますね。
さてそのホラー映画とは? 答えは後書きに載せます。
くれぐれも後書きを先に読んではいけません埼京線。
ではどうぞ~♪
※描き手が明らかにワンピースの解釈を間違っておるけど、
日頃の感謝を込めて、このままにしておきます。
サービスサービスゥ~♪
「ちょっとぉ、やめてください!」
朝の混雑する通勤電車の車内で若い女の刺々しい声
が聞こえてきました。中には興味深げに見回す乗客
もいましたが、大抵の人は見て見ぬ振りを決め込み
ます。この先頭車両に乗り合わせる乗客には、ほぼ
週に一回、必ず聞かされる馴染みの声なのです。
「いやらしい人ねえ。次の駅で降りなさい!」
「わ、私が何をしたっていうんですか?」
「人のお尻に触っといて何を言ってんのよ! 最低!
公安官に突き出してやる!」
もう逃れようはありません。駅に着くと、気弱そう
なサラリーマンが、ピンクのワンピースの女に腕を
掴まれ、ホームをとぼとぼと歩いていくのが窓から
見えました。どう抗弁したところで、女が警察沙汰
にしたら勤務先に連絡され、事実はどうであれ即刻
解雇されるでしょう。新聞やテレビにも名前が公表
されるかも…… あのサラリーマンには心から同情を
禁じ得ません。しかし車内の男性客は、おそらく私
と同様ほっと胸を撫で下ろしたはず。これで今日は
もう犠牲者が出ない、自分は無事だったと……
彼女はなかなかの美人でプロポーションも抜群です。
いつも同じピンクのワンピース姿で、この区間では
開かない扉の前に陣取り、背を向けて立っています。
事情を知る通勤・通学客はあのワンピースを見たら
なるべく傍に近寄らないようにしているのですが、
初めての客はそのフェロモンに惑わされ、ついつい
近くに引き寄せられてしまい、罠に嵌まるのです。
場合によっては必ずしも冤罪ではないかもしれない
ので、誰もたしなめたり、注意したりはできません。
なぜ彼女が毎週これを繰り返しているのか、理由は
分かりませんが、とにかく、触らぬ神に祟りなし、
君子危うきに近づかず…… それがこの時間帯の車内
では暗黙の了解となっていました。
ところが、ある日のことです。いつものようにあの
刺々しい声が聞こえてきて、電車が駅に止まると、
例によってピンクのワンピースが、男の手を引いて
ホームに降り立ちました。今朝の獲物は、小太りで
黒縁眼鏡の、おそらく大学生か専門学校生…… 必死
に抵抗して、ホームから動こうとしません。激しく
言い争いながら、邪険に彼女の手を振り払いました。
そして詰め寄るピンクのワンピースを、どんと両手
で突き飛ばしました。彼女の体はホームから落ちて
線路へ…… そこに高速で通過列車が入ってきました。
胴体は車両の下に巻き込まれましたが、切断された
首はくるくると宙を舞ってホームに戻ってきました。
そして後頭部からベンチにぶつかり、背凭れに血の
轍を引きながら、毛を逆立て座面にずり落ちました。
目を見開き、ぽかんと口を開けた血塗れの生首が、
さっきまで自分が乗っていた車両と、凄惨な光景に
震え上がる乗客を、不思議そうに見つめていました。
翌朝、憂鬱な気分で駅に向かいました。今日からは
もう、ピンクのワンピースはいないし、刺々しい声
も聞かないでしょう。不快だったのに、こういう形
でいなくなってしまうのは、やはりどこかやり切れ
ないものがあります。到着した電車に乗車しようと
したら、入れ違いに降車する客がいつもより多い気
がしました。誰もがあたふたと小走りに降りてくる
ので、遅延でもあって乗り換えを急いでいるのかと
思いましたが、乗車した瞬間、理由が分かりました。
反対側のドアの前に、車内に背を向けて、ピンクの
ワンピースが立っていたのです。ぞっとしてすぐに
降りようと踵を返すと目の前でドアが閉まりました。
不謹慎な悪ふざけかとも思いましたが、それにして
はあまりにもリアルでした。ピンクのワンピースは
ところどころ、破れたりほつれたりしていましたが、
背筋を伸ばして、すっと立つ姿勢は変わりません。
ただ、いつも彼女が放っていた近寄りがたい威圧感、
ピリピリした雰囲気は、まるでなくなっていました。
生気がない、とはこのようなことを言うのでしょう。
彼女はまだ自分が死んだことに気づいてないのかも
…… そう思うと、恐ろしくはありましたが、どこか
哀れにも感じました。いつも乗り合わせる他の客も
同じような心境だったのかもしれません。もちろん
事情を知らない乗客も乗り込んできますが、明らか
に生きた人間ではない佇まいの違和感は伝わるもの
らしく、車内はそれなりに混んでいるのに、彼女の
周囲には微妙な間隙というか空間ができていました。
ところが次の駅で、髪を染め、いくつものピアスを
着けた派手な身なりの若者が乗り込んできたのです。
若者はピンクのワンピースのスタイルの良い後ろ姿
に心を惹かれたらしく、他の客を押しのけて彼女の
すぐ背後に立ちました。そして電車の揺れに合わせ、
さりげなく体を押し付けていました。生きていた頃
の彼女なら、間違いなく刺々しい大声を出していた
でしょう。しかし今は何も言わないどころか、押し
退けることも、身を捩ってかわすこともしません。
それをいいことに若者は更に大胆になり、どうやら
露骨に手を伸ばし、衣服越しに体に触れたらしく……
ようやく彼女が言葉を発しました。
「ちょっとぉ…… や、め、て、く、だ、さ、い…… 」
消え入りそうな、喘ぐような、低く割れた掠れ声……
そして彼女は、若者を振り返りました。体の向きは
そのままで、首だけを百八十度、ぐるりと回して……
【ネタバレがあります。本編を読んでから読んでね!】
まあグルリと首が回るといえば、誰もが知ってるあの
映画ですね。そう『スターウォーズ』のC3PO !……
すいません、嘘です。あれは首を後ろ前に付けられた
だけですね。首が回るのは『エクソシスト』ですね。
しかしこのオチを思いついたときにはエクソシストは
念頭になかったような…… だとしたら何だろう、首が
回るというか後ろ前になる場面がある映画といえば……
『ゾンバイオ/死霊のしたたり 』 かしらん? 或いは
『フロム・ビヨンド』もしくは『スペースボール』?
まあそんなことより(←そんなこと言うな) 痴漢は確か
に許しがたい犯罪ですが、冤罪も良くないですよね。
『それでもボクはやってない』 以外にも、理不尽な痴漢
冤罪の恐怖をこれでもかと描いたヤバい作品があって、
筒井康隆先生「懲戒の部屋」という短編が本当に怖い。
中学生の頃に読んで鬱になりそうでした。今読んだら、
いや今読んだ方がリアルで立ち直れなくなるかもです。
筒井作品はスラップスティック/ドタバタの印象が強い
かもけど理不尽で予見性に満ちたホラーも傑作揃いよ。
「母子像」「くさり」「鍵」「乗越駅の刑罰」あとあれ、
「メタモルフォセス群島」「堕地獄仏法」「幸福の限界」
未読の人は絶対に読んだ方がいいです…… 怖いけど。