再会
聞こえて来たのは、鋭い気迫のある男性の声だ。
棚の裏に座り込んで隠れているクラリスの心臓は、その音がこの部屋に響き渡っているんじゃないか、と思えるほどにバクバクとうるさい。
ギシッ、ギシッと一歩ずつ慎重に、家主がこちらに向かって進んで来るのが分かる。
でも、何となくこの人は怖い人ではない気がする。この状況で何を、と信じられないかもしれないが、クラリスはほぼ確信に近いものを持っている。
──今の声は….もしかして…
ここ二週間、何度も思い出した愛しい人の声に似ている。もし彼なら今すぐ飛び出したい。
だけど万が一違ったら?ここでクラリスが飛び出して全く知らない男がいたら、何をされるか分からない。その可能性を思うと怖くて身体が動かない。
しかし、そうしている間にも足音はゆっくりと近づいて来る。どちらにせよバレるのも時間の問題だ、と腹を括ろうとした時だった。
「足が見えてるぞ。大人しく出て来い。」
そう言われてクラリスは小さく息を吐くと、少し構えながら棚の陰を出た。
「お前…」
そこにいたのは、やはりクラリスの頭の中をいっぱいにして悩ます愛しい人の姿だった。
足元まで覆うベージュのローブも、肩より少し長いオリーブブラウンの綺麗なストレートヘアも、煌めく切れ長の緑色の瞳も、整った鼻や薄い唇も、クラリスの目には二週間前に見た時よりも、一層輝いて見える。
会いたくてしかたなかった彼に、ようやく再会できたことが嬉しくて、クラリスは思わず飛びついた。
「うわっ…!…は…離れろ!」
しかし、それも一瞬のこと。彼の両腕によって距離を取られ、感動の再会シーンはあっという間に終了した。
「酷い…」
「この間の今日で、お前の頭はどうなってるんだ。」
そして今、積まれていた本を端によけられ、簡単に整えられたテーブルを挟んで、クラリスは彼と向かい合っている。
残念ながら、この家に一つしかない椅子にはクラリスが座らせていただき、彼はテーブルに両手をついてこちらを冷たい目で睨みながら立っている。まるで尋問でもされているかのようだ。
しかしそんな状況でも、ようやく会いたかった彼に真っ直ぐ視線を向けられれば、クラリスの顔は嬉しくて緩んでしまう。彼はそんなクラリスに、おかしなものでも見るように、更に眉をひそめた。
「お前、この状況がどう言うことか分かってるのか?」
「お前じゃなくて、クラリスって呼んでほしいな。この間名前を教えたじゃない。」
「はぁー…話にならない…」
彼はため息をつきながら片手で目元を覆う。
これは以前もやっていた気がする。もしかして彼の癖なのかしら?と観察していると、手を外した彼が再びこちらを向いた。
「…クラリス…これは不法侵入だぞ。」
「……えぇ…分かってるわ…それはごめんなさい。」
素直に謝ると彼は拍子抜けしたようで、視線を逸らす。
「でも…鍵が閉まっていなかったわ。」
「それは……普段なら問題ないんだ…人から見えないように、この辺りには結界を張ってあるからな。」
「え…結界…?」
鍵がかかっていなかったことを指摘すれば、予想外の返答が返ってくる。
「…だから鍵がかかってなくても問題はないし、普通は気づかないはずなんだ…それなのに…はぁ…それは無意識なのか?」
「何のこと?」
「お前…クラリスは俺の作った結界を解いて、ここに入り込んでるってことだ。」
なんと、彼が言うには、今まで誰にも見破られたことのない、彼が厳重に作った、人から見えなくする結界を、どういう訳かクラリスが解いてしまったと言うのだ。
「え?でも湖に行こうと向こうの道を通りかかったら、普通にこの小屋が見えたわよ?」
「………無意識なのが厄介だな……そんなことより今『湖に行こうとした』って言ったか?確か町の方では、この森に子供だけで入るのは禁止されてなかったか?そんな場所でお前は何をしてる?」
「えっと…」
彼がいくつなのかは知らないが、その見た目から察するに、少なくとも成人はしているのだろう。
それでも、彼に子供扱いをされるのは何だか嫌な気持ちになった。実際15歳になりたてで、成人もしていないクラリスが子供なのは事実なのだが、モヤモヤする。
それに、クラリスの調査上、彼は町と関わりがなさそうなので、そんなことを知っているとは予想外だった。なんて答えればいいの分からず口ごもる。
クラリスは嘘がつけないのだ。
「今日は天気も良さそうだし、また湖まで行ってみようと思って…でも、すぐ帰るつもりだったのよ?」
「この間あれだけ怖い目に遭って、それでもすぐ同じ場所を訪れようと思うなんて、これまでの会話でそうだと思っていたが、能天気すぎる。」
「まぁ…そういう言い方もできるわね。でもみんなには、よく前向きって言われるのよ。」
そう言って、クラリスは肩をすくめて笑って見せるが、彼の眉間のしわは深くなるばかりだ。
「それよりも、もう一度会えたんだし、そろそろ名前を教えてくれないかしら?」
信じられないものを見る目でこちらを見てくる彼に、めげずに期待を込めたキラキラした瞳で彼を見つめ返す。
「…本当にこれ以上関わりたくない。帰ってくれ。」
「なんでそんなに突き放すの?…悲しい………あ…じゃぁ…名前を教えてくれないのなら、私が勝手に呼び名をつけましょうか!」
またしてもいいことを思いついたと言わんばかりに、クラリスの丸っこい青い瞳が一層輝く。
「…嫌な予感がする…本当に今すぐ帰れ。」
「う~ん…そうね。この間、完璧なタイミングで現れて私たちを助けてくれたし…王子様、プリンス・チャーミング?それとも愛しの君?…あぁ、ハニーやダーリンなんて呼ぶのもいいわね!」
「やめろ、やめろ!なんだその気色悪い呼び名は!」
クラリスの発言に、彼が今までに見せたことのない歪な顔をする。
「…分かった…教えるからもう二度とここには来ないでくれ。」
「……。」
クラリスは無言でただニコリと微笑む。それを彼は肯定と受け取ったようだ。
「俺の名前は……エドモンドだ。」
「……エドモンド…」
その名前は特別珍しいものではないが、クラリスにとってその響きは美しく、他に代えの効かない、大切で素晴らしいものに感じた。
エドモンドは、クラリスから向けられた熱い視線から、居心地が悪そうに顔を背ける。
「とってもあなたにピッタリな名前ね。きっと、ご両親に大切に大切につけられた名前なのね。」
「……。」
クラリスがそう言うと、エドモンドの表情が強張る。今までクラリスに向けられていた、軽蔑するような冷たい視線とは違った種類の暗さだ。
何か言ってはいけないことを言ってしまったのかしら、とクラリスが考えていると、エドモンドは小屋の入り口に向かって移動し、扉をあけた。
「約束通り名前は教えた。ここへはもう来ないでくれ。」
そう言って、外へ促すようなジェスチャーをする。
クラリスはおとなしく席を立つと、扉の横に立つエドモンドの前で立ち止まった。
自分の顔より高い位置にあるエドモンドの顔に、自身の顔を近づけて彼の緑色の瞳を見つめる。近くで真っ直ぐ見つめられた彼の瞳は、動揺なのか、少し揺れた気がする。
そうして、クラリスはゆっくりと口を開いた。
「私、『もう二度と来ない。』なんて約束してないわ。」