森の中の小屋
エヴァーグレースの森での一件から、早くも二週間が経過した。
翌日に目が覚めたロザリーは、森へ入った後のことを何も覚えていないようで、クラリスが魔法のことについては伏せながら、かい摘んで説明しても「そんなことがあったの?」と笑っていた。
こっちの気も知らず呑気なものだ、とクラリスは少し腹がたったが、二人はそう言う呑気で楽天的なところが似たもの同士なのだ。
ちなみにロザリーの薔薇の飾りがついた金のバレッタについては、ごたごたしてその日はうっかり持ち帰ってしまったので、翌日きちんと返した。
それから、魔法の方はと言うと──何も進展がない。
何度もこっそりと人気のない場所で、あの時のように魔法を使ってみようとしたが、いきなり大きな力を爆発させるどころかうんともすんとも言わない。
あの男性が言っていた、『クラリスは魔力が強い』の発言は嘘だったのではないか、そもそもあの出来事は全て夢だったのではないか、と少し疑っている。
それでも、時折思い出すあの男性の微笑んだ顔や美しい横顔を思い出すと、胸がきゅっと苦しくなる現象に、これは現実なんだと思い知らされる日々だ。
「全然手掛かりがないなぁ…」
成果の出ない魔法と同じく、あの男性の身元についても、依然として何一つ手掛かりが掴めていない。
あの翌日から、町で彼の外見的特徴を伝えて至る所で聞き込みをしたが、それらしい姿を見たことがある人は見つからなかった。軽装だったので旅人には見えなかったし、それならこの辺りに住んでいて、きっと町に顔を出すこともあるだろうと考えたのだが、結果は散々だ。
『あのクラリスがついに初恋だ!』と、そんな噂が広まっただけだった。
──もう二度と会うことが出来ないのかしら……あの人に会いたい…
そんなことを考えていたら、いつの間にかエヴァーグレースの森についていた。
ここ最近、気がつくとこんな風に彼のことを考えていて、他のことに身が入らずボーッとしてしまうことが多い。
大人たちはそんなクラリスの姿を見て「あれは重症だねぇ。」と話しているのだが、もちろんそんなことをクラリスは知らない。
子供だけでの森への立ち入りは禁止されているが、一度一人で入った経験を経てこの森が怖くなくなったクラリスは、また湖まで行ってみることにした。
空を見ても今日はまだ日も高いし、天気が崩れることもなさそうだ。サッと戻ってくれば誰にも気づかれず戻って来れるだろう。
「あんなにこの森に入るのが怖いって思ってたけど、ここはやっぱり空気が澄んでていい所だわ〜」
そんな独り言を言いながらずんずんと奥に入って行く。上を見上げれば、たくさん生えた木々の葉の間から春の木漏れ日がキラキラとしていて綺麗だ。たまにカサっと草の間に物音がした方を見ればウサギがいたり、木の幹にリスが走っていたり、小さなその姿を見つければ自然と笑みが溢れてしまう。
そうして散策を楽しみながらもう少し行けば湖へ辿り着くと思ったところで、脇にもう一本道のがあり、その奥にに小屋があるのを見つけた。
──こんな所に住んでいる人もいるのね。木こりさんかしら?
その小屋に興味を惹かれて、脇道に逸れて小屋の方へ近づく。辺りに人の気配はなく、家主は不在なのようだ。クラリスは周りに誰もいないことを確認すると正面にある窓に近づいた。
窓ガラスは苔や蔦が張っていて中を覗きにくいが、中の様子が全く見えないことはない。部屋の中は飾り気がなくシンプルだが、テーブルや椅子などの生活必需品は揃っているようだ。至る所にたくさんの古い本が積まれているのが見える。
──こんな森の中に本がたくさん…相当な読書好きな人なのかしら?
こんなにたくさんどんな本を読んでいるのか、何故だかその内容に強い興味を惹かれて、クラリスは周りをキョロキョロすると、ダメ元で扉に手をかけてみた。すると、簡単にドアノブが降りた。
──森の中で人があまり来ないから鍵をかけてないのね。でもラッキー!
そう考えてクラリスは小屋の中に入ってしまった。
「お邪魔しま〜す…あの…一応言っておくわね。」
「挨拶は基本!」と母に小さい頃から厳しく言われているクラリスは落ち着かず、無人の家では無意味と思いながらも、一応挨拶をする。挨拶をするしない以前に不法侵入をしているので褒められたものではないのだが、そのことは一旦置いておく。
──家主さんが帰って来るまでほんの少しだけ!
そう心の中で言い訳をして、手頃な位置にあった古そうな本を一冊手に取った。
「え〜っと……あれ…この本は外国の本なの?」
読んでみようと表紙を見たが、この国で使われている文字ではない。
これでは読めないではないか、とすぐに元の位置に戻そうとしてクラリスは気がついた。
「なんで…?私この文字読めるわ。」
クラリスは生まれてこの方この国から出たことがなく、その上この国の言葉以外勉強したことがない。そんなクラリスがこの国の言葉以外を読めるはずがないのだが──何故か読むことが出来た。
「よく分からないけどいいわ!え〜…っと…これは『か』…でこっちは『ぜ』…うん………え?……『カゼノマホウ』?」
読み間違いではないかと何度も指でなぞりながら読み返すが、やはり『風の魔法』と書かれている。
慌ててその下に積まれていた他の本の表紙も読んでみるが、それらは『生活の基本魔法』だの『魔法生物図鑑』だの、どれも魔法に関する本のようだ。
──魔法なんておとぎ話でこの世界には存在しない。
つい二週間前までクラリスもそう思って生きて来た。
だけど、それがおとぎ話ではなく、本当に存在することを知ってしまった今、この本の中身が早く知りたくて仕方がない。
──どれから読んでみようかしら…
クラリスがどの本を読むか迷っていると、外から人の足音がしてきた。
──や…家主さんが帰って来てしまったわ!どうしよう!…と…とにかくどこか隠れられる場所…!
クラリスがやってることは立派な不法侵入。隠れてその後どうするかなんてそんなことは考えず、とりあえず目についた棚の影にしゃがみ込んだ。
こんな場所すぐに見つかるだろうが、足音がどんどん近づいて来ていて時間がなかった。
クラリスがしゃがみ込んだ数秒後扉の前で足音が止まる。
「……ん?…結界が解けてる…?」
そんな台詞が聞こえて来る。
そして何か異変を察知した家主がゆっくりと扉を開けると、静かな部屋にギィと言う木の軋む音が響いた。
その音を聞きながら、クラリスの心臓は緊張でバクバクいっていた。こんなに緊張するのはいつぶりだろうか。
「…誰かいるのは分かってる……大人しく出て来い。」