彼との出逢い
「何をやってる!早く収めろ!」
ベッキーの隣に小さく見えるその人物は、その声から察するに男性のようだ。彼はクラリスから発するこの光と水の渦を早く収めろ、と叫んでいる。
だが、そんなことが出来たらクラリスだってそうしたいのだ。
「で…出来ないわ!分からないの!」
「なっ…これだけの力を持っていて?」
その口ぶりからして男性はこれが何なのか、知っていそうな雰囲気だ。
この場に居合わせるのは偶然か必然か、この状況で他に解決する糸口もないクラリスは、迷うことなく名も知らぬこの男性を頼ることにした。
「ねぇ!誰か分からないけどお願い!助けて欲しいの!ロザリーを助けたい!」
「………分かった。やれるだけやってみる。」
男性は助けを求められて、少し逡巡した後、覚悟を決めたように答えた。
彼が身体の目の前に両手をかざす。すると、その両の掌から、深い黒混じりの緑色の光が出始める。その光が渦を巻いて、クラリスの右手から溢れるエネルギーや水の渦ごと、クラリスたちを包み込んでいった。
その光によって、ベッキーと男性のいる湖の岸の方へと、少しずつ引き寄せられていく。
しかし、未だにクラリスの右手からは、光も水の渦も勢いは変わらず溢れ出している。
──このまま岸に降りても大丈夫かしら…
クラリスは不安になった。
だが、何もコントロールが出来ないクラリスは、されるがまま黙って従う他ない。
クラリスとロザリーの身体はどんどん岸に近づいて行き、ベッキーと男性のいる場所まで数メートルの所まで近づいた。
すると、こちらに真っ直ぐ向けられた、彼の深いグリーンの瞳と目が合った。
──彼の目、深みのある綺麗なグリーンだわ…それに彼、よく見たらとっても美形じゃない…
その男性の造形美に、こんな時にも拘らず、クラリスはうっかり見惚れてしまった。
だが、彼はクラリスのそんな考えを知るはずもなく、真剣そのものだ。
「落ち着け。その右手をこちらへ。」
「…へっ!?で…でもそんなことして大丈夫なの?私全くこれをコントロール出来ないのよ!?」
男性がクラリスの手を誘うように、左手をこちらに伸ばしてくる。
クラリスの右手から溢れ出す、光と水の渦を作るエネルギーは、全く得体の知れないものだ。それを人に向けてもいいものか、楽天的なクラリスもさすがに迷ってしまう。
しかし、男性はそんなクラリスの不安を見透かすように、美しいグリーンの瞳を細めて微笑んだ。
「俺を信じろ。」
「………!」
──何故だか分からないけれど、この人は信じられる気がする!
クラリスは、そんな根拠のない安心感を覚え、光の溢れ出す右手を男性の左手に重ねた。
その瞬間、真剣にクラリスを見つめる男性の目に、一瞬寂しさが見えたような気がした。
指先が触れたと思えば、ぎゅっと指を絡められて腕を引かれる。轟々と暴れるように巻き起こる風と水が、クラリスと男性の間に吸い込まれて行く。
「深く息を吸って呼吸を整えろ。この力を自分の胸の中にしまい込むイメージをして。」
「え…えぇ!?そんなこと出来ないわよっ!」
このまま彼が、この場を収めてくれると思い込んでいたクラリスは、自分でコントロールしろと指示をされて困惑する。
自分から溢れる得体の知れないこのエネルギーに触れるのは、これが初めてのことなのだ。とてもじゃないが、彼の言うようなことが出来る気がしない。
「俺を信じろと言っただろう。お前なら……出来る。俺も手伝う。何を言ってるのか分からないかもしれないが、とにかくやってみろ。」
「……うん…!」
──そうよね。こうしていても仕方がない!
そう腹を決めたクラリスは、男性に言われた通り深呼吸をすると、分からないながらに指先から暴れ回る渦を、スルスルと身体の中に引っ張り込むようなイメージをする。
彼に重ねられた掌からも、それを助けるような、じんわりと温かい波のようなものを感じる。
すると、次第に風が弱まり始め、浮いていたクラリスとロザリーの身体が地面に降りて行く。
両足が地面についた──と思った瞬間、暴れ回る光と水の渦が一瞬で消え去った。
同時に、空中に渦を巻いていた大量の湖の水がクラリスたちの頭上に落ちて来た。その勢いは、まるでバケツをひっくり返した時のようだ。
「きゃっ!?」
「……っ…」
ロザリーを左腕に抱いたままのクラリスの脚が、二人分の重さと水圧に耐えきれずにふらつく。
男性と握り合ったままの手のせいで、彼の上に倒れ込む形になってしまった。
「い…痛い…」
「……痛いのはこちらの台詞だ。早く退いてくれないか。」
「そ…そんなこと分かってるけど……動けない…」
一度倒れ込んでしまえば、クラリスは急に疲れと重力を思い出したかのように身体が重くなった。小指の一つも動かせそうにない。
考えてみれば、彼女はロザリーの危険を察知してから殆ど休憩なしで走り回り、ロザリーを見つけてからは無我夢中で湖に飛び込み、今まで得体の知れない強いエネルギーに振り回されていたのだ。
「はぁ〜……何故俺が、こんな面倒ごとに巻き込まれなければならないんだ。」
男性は心底面倒臭そうにため息を吐くと、何の躊躇いもなく、パッとクラリスと繋いでいた手を離した。自身の身体を起こし、同様にクラリスの肩に手を添え、身体を起こしてくれる。
「あ…ありがとうございます…」
離された男性との間に出来た距離に、少し寂しさを感じながら、男性の顔を見つめる。
彼は、熱い視線を送るクラリスと目を合わせたくないのか、顔を逸らしている。
そこで、クラリスは大事なことを思い出す。
「あっ!…ロザリーは?ロザリーは大丈夫?」
流れで地面に横たえられたロザリーの方に目線を送る。その隣にベッキーが駆け寄って来て、ロザリーの顔を舐めている。未だ彼女の目は閉じたままだ。
「…あぁ、大丈夫だ。ただ意識を失っているだけだろう。」
男性が、ロザリーに息があることを確認してくれる。クラリスもロザリーの無事を確認してホッと息を吐いた。
──ロザリーが無事でいたのなら、本当に良かった。…間に合って良かった。
もしクラリスが間に合っていなかったら、と考えるとゾッとする。
そこでクラリスは気がついた。先程まで激しく降っていた雨は、いつの間にか上がったようだ。
だが、雨が上がったところで、クラリスたちは全身ずぶ濡れで泥だらけだ。そのことに気がつくと、急に寒気を感じてくる。
「う…くしゅんっ!」
「……はぁ…」
季節は春。日陰ではまだ肌寒い上に、雨で下がった気温とずぶ濡れの身体により、クラリスからくしゃみが出た。
それを聞いた男性は、またもや面倒くさそうにため息をついた。
「ジッとしていろ。」
彼がクラリスの方に手をかざすと、掌からは先程と同じように緑の光が溢れ出した。それが心地よい温度の風を起こして、あっという間に、ずぶ濡れだった髪や服を乾かしていった。
「……すごい…」
クラリスが呆気に取られている間に、ロザリーとベッキーのことも同じように乾かしてくれる。そのまま器用にその力を使いこなし、自らの全身も乾かしていった。
彼の肩より少し長さのあるオリーブブラウンのストレートヘアが、風でサラサラと揺れる。
──すごく綺麗……まるで物語に出てくる神様か、天使のようだわ…
クラリスはまたしても、見惚れてしまった。
彼の持つ雰囲気には、どこか神秘的なものを感じる。
──あれは何と言ったか…
「…なんだか、魔法使いみたい……なーんて…」
──魔法なんて存在するはずがない。
そうやって馬鹿にされるだろう、と予想したが、男性から返ってきたのは肯定の言葉だった。
「……ん?何を当たり前のことを言ってる?お前こそ、すごい魔力量だな。俺もそれだけの魔力を持ってる人間は、この時代では初めて見た。」
──え?私に魔力?…それもすごい魔力量って言った……?
「…え…私に魔力ってものがあるの?」
「………は?……まさか、今ので初めて魔法が発現したとか言わないよな?」
「………」
男性の質問に肯定をするように黙ったクラリスに、彼は額に手を当ててまたもや大きなため息をついた。