2.新しい人生
『街に出かけたいですって?ばかな事言ってないでさっさとレッスンに行きなさい。』
『でも、お母様、私、礼儀作法だけでなくてもっと他の事を学びたいし、それに、外の世界のことが気になるんです。』
『・・・メイベル、何故無能なあなたがこの家で何不自由なく暮らしていけるか分かる?それはあなたが、シンクレア家に貢献するという責務を負っているからなのよ。』
『責務、ですか?』
『そうよ。私はあなたに、学問も魔術も高いレベルは求めないわ。顔もスタイルもそこそこなんだし。ただ、あなたはより良い家に嫁いで、そこで優秀な跡継ぎを残し、シンクレア家に財と安定をもたらさないといけないの。あわよくば、バレンシア家に...。そう、あなたの存在価値はそれだけなんですから。』
ああ、私はこの光景を覚えている。そして、この気が強く私を嫌悪の目で睨んでいる私の実の母がこの後私に言った言葉も同様にだ。 今となっては、私の安否の確認もすることがない母だが、この頃はまだ淑女教育を始めたばかりで、レッスンの進捗を話すのが唯一母と話す時間だった。
『それなら、もし、、、私が良い家に嫁ぐことが出来なかったら、どうなりますか?』
ああ、どうか、幼少期の私よ、その質問をしないで頂戴。もうあの言葉は聞きたくないのに・・・。
『嫁げなかったらですって?はっ、そんなのあなた、”無価値”だわ。ええ、死んだ方がいいわね。いや、そんな面汚し私が殺してあげるわ。』
言われた言葉は私自身を否定するものであり、胸が張り裂けそうだった。
私はただ誰かの駒であり続けるの?自分自身の幸せを望むことは許されない事なの?
こんな人生なら、誰も私に干渉できないところへ逃げだしてしまいたい。
***
「お嬢様、おはようございます。」
「カリン、おはよう。」
「うなされていましたが、悪い夢でも見たんですか?」
「うーん、覚えてないわ。」
正確には思いだしたくないの間違いだが。久々にあの時の事を夢に見た。まるで怠け者の自分自身に、一番大切な事だ忘れるなと言っているようで嫌な気分だ。
「ほらほら、お嬢様。動いてください。」
カリンは年が近く、世話焼きで働き者な、私の身の回りの世話をしてくれる一番親しいメイドだ。
「今日も学園に行かなくてはいけないのね。あ~、たまには外で駆け回ったり、自由にのんびりしてもいいと思わない?」
そう気だるげに背伸びをする私に応える代わりに、ジトっとした視線を向けてくる。私だけでなくカリンもカリンで私に心を開いているようだが、いささか開きすぎではないかと思う程だ。メイドであるが、たまに叱られている。
「もう、冗談よ。さぼったりしたらハンストン先生に絞られるわ。」
12歳になってから、私は全寮制の学園で学んでいる。
基本的な学問に魔術を学ぶ事が出来る学園だが、私にとっては婚約後の身の振り方を身に付けさえすればよいのだろう。
目に余るほどの秀でた才があるものや、必ずしも婚約を課せられない中流貴族以下の者はその限りではないが。残念なことに私は上流貴族の一人娘として生まれた。世継ぎの為、家紋のために政略婚約する事になるのは生まれる前から決まっている。
それは不幸な事では決してないだろう。私の周りの女学生たちは皆、毎日のように婚約について目を輝かせて話しても話が尽きる事は無いようなのだから。
一方、私は結婚や恋愛には周りよりも興味が薄かった。
幼少期には良く、同じ貴族階級で仲の良いサラが王子様と結婚がどうとか騒いでいるのを聞いていたが、幼い私も特に興味を持つ事ができなかった。
それよりも、乗馬をしたり、お茶会で外出をしに外へ出る時が最も幸福を感じる時間だった。
決して、恋愛感情がないわけでは無い・・・と思う。
顔の良い兵士が訓練をしている様子にドギマギしたこともあるし、学園の学生の中でも誰の顔が整っているかと考えた事もある。
しかし、恋愛なんてしても無駄だと思ってしまう。
恋愛などした事もないはずなのにおかしなものだ。恐らく私はとんでもなく捻くれた性格なのだろう。
こんな性格になった理由として思いあたるのは、家庭環境だろう。両親も政略結婚をしており、不仲というよりもお互いに関心がない。また、私には兄がいるが、両親の関心はこの兄がどれほど出世するかということにしか向いていない。
私など、兄と家柄のための道具でしかないという認識のようで、物心つくころから扱いの違いに気が付いていた。もしかしたら私は拾われてきた子で、どこかに本当の両親がいるという妄想をしたこともあったが、そんな事もなさそうだ。
だがまあ、幼い頃から英才教育を受けさせてくれたし、食事も与えてくれた。貴族女性としての行動の制限はあったが、学園に入れた事でつかの間の自由を謳歌できている。
自分で何を食べ、何を着て、誰と何を話すか。こうも自由に選択出来る。私にはこれが何よりも代えがたい幸福だ。少なくとも今のところはだが。
それに、この学園にはかなり少数ではあるが、庶民出身の者もいる。学力や様々な才に恵まれた者であるため、庶民と定義づける事が正しいかは分からないが、私は彼らと話し、ようやく外の世界を感じることが出来ている。
私は、学園を卒業するとすぐに婚約を強いられるだろう。そうなれば、私のこの平穏は失われてしまう。だから、どうか私はこのつかの間の幸せを楽しまなくてはいけないのだ。
「メイブルお嬢様、奥様方からの監視の目がないからと言って、いつ学園から手紙で報告されるか分かりませんよ。上流貴族の心得を忘れずに、発言や所作には気を付けてくださいね。」
私を見送りながらカリンが必死に釘をさす。彼女は毎日同じことを言うが飽きないのだろうか。というよりも私に対する信頼はどうなっているのだろうか。
「もう、そんなに心配しなくてもちゃんと分かっているわ。やる気スイッチをオンにして頑張ってくるわね。」
「何ですかそれ。まあ、お嬢様はそこまでおバカではないと信じてますよ。」
「ふふふ、カリン。あなたにお給料渡しすぎなのかしらね?」
不敵に笑うとカリンが慌てた様子で、
「冗談じゃないですか!今日もお美しいですよ。行ってらっしゃいませ。」
と私を急き立てた。
教室に向かいながら、カリンの焦る様子を思いだし、面白くてひとりでに笑みがこぼれる。
(カリンこそ私に仕えている自覚があるのかしら。でも、やる気スイッチってふと出てきたけれど、自分とっさに作った言葉かしら。おかしなの。)
***
「メイブル様、おはようございます。」
「おはようルーシー。」
ルーシーは学問の才に恵まれた庶民の娘だ。赤毛でカールがかった髪の毛をいつも後ろで束ねている。
彼女はとても物知りで私に庶民の暮らしや彼女の実験報告など、興味深い話をしてくれる。
「あの、メイブル様、実は実家からキンカンの実が届いたんです。よろしければ。」
そう言いながら照れた様子でルーシーが丁寧にラッピングされた袋を取り出した。
「まあ、嬉しい!ぜひ・・・」
「おやめなさい!!」
私が受け取ろうとした寸前で遮られ、何者かが袋をルーシーの腕から奪った。
周りを見渡すと。クラスメイトの中流貴族3人グループが私とルーシーの間を割るように立ちはだかり、キンカンを取り上げたようだ。
「メイブル様に失礼よ。身の程を弁えなさい。」
「毒でも盛ってるんじゃないのかしら。」
「まずは、身なりからきちんとしてきなさいよ箒頭。」
3名は口々にルーシーに向かい悪口を言い放った。
ルーシーは黙って恥ずかしそうに髪の毛をいじっている。悪口の中でも容姿批判が効いたのだろう。
「えっと、私がルーシーに無理を言って用意させたのよ。ね、ルーシー。無理を言ってごめんなさいね。」
「そうなんですか?」
3人のうちのボスのような女がこちらを見る。この女の目を見たら分かるが、彼女たちは私の心配という大義名分を掲げているが、ほんの少しもそんな気持ちはない。ただ、上流貴族の私に取り入りたいのと庶民であるルーシーに難癖をつけたいだけだろう。
「そうよ。ね、ルーシー。とにかくもうすぐ先生が来るから席に着きましょう。」
そういってその場を切り抜けた。
ルーシーは落ち込んだように下を向き、自分の席へ戻っていった。
(ああ、キンカン、食べたかったなあ。)
講義を受けながら、先ほど彼女たちが言い放った言葉が頭の中で木霊した。
”身の程を弁えろ”
少なくとも、ルーシーは同じ学年で誰よりも賢い。確かに、学園で評価されるのは学問の成績だけではない。女子生徒は礼儀作法や社交界でのマナーを学ぶ事も重要だ。
だが、いくら学問が出来ても、現代では女性は学者として補佐的な役割にしかつけないだろう。
生まれながらの階級に囚われ、男を立てる。それが身の程だというのだろうか。
それにルーシーには明らかに優れた才がある。しかし、私は何なのだろう。
私こそ、ただ家柄がいいだけに過ぎないのに。




