社会の敗者
私、色葉紅葉は言ってしまえばこの世界の”敗者”だろう。
望んで生まれてくる者はいないが、生まれてきてからの人生はとてもじゃないが平等は言えないではないか。『環境』、『外見』や『自頭』といった能力値、そしてかなり稀有ではあるが、それらが恵まれていなくても『乗り越える力』、それらがこの世界を勝ち抜く為に必要なものだ。
しかしながら、私にはそのどれ一つも持ち合わせていない。
いや、実際には私の方が他人と比較したときに勝るものもあるかもしれない。
だが、言い忘れたが、それらの能力を生かす『自己肯定感』という圧倒的に不可欠な能力が私にはなかった。これは、他の能力とは違って可視化する事は出来ないし、あくまで自己評価という点ではある意味チート的な存在だ。他の能力値の数値化を大きく見誤らせることが出来る。しかし、逆もしかり、過小に能力を図るまるで呪いのようなものだ。
私は決して、目に余るほどの怠惰な人間ではなかったはずだ。レベルこそ高くないものの、平均値の大学を卒業し、第一志望ではなかったが何とか食品メーカーへの就職を獲得する事ができた。
それからの日々は同じだ。
真面目に朝起きて会社に行き、夜に仕事が終わり家に帰る。時には土日も会社の付き合いの為にイベント事に駆り出される。
全力とは言えないが、さぼっているわけでもない仕事では、時には叱られる事もある。
もちろん、それは私だけに限らず他の者も同じだ。何なら、きちんと決まった休暇がありたまにはボーナスも貰え、飢える事の無いいい生活をしている方なのかもしれない。
「これ、配っといて。」
休暇明けのおじさんは、さも当たり前のごとくお土産を私の机の上に置いた。
彼らは私の業務の中に、お土産配りやお茶出しや雑用が含まれていると思っている。周りと同じ仕事をしているつもりだが、いやはや不思議だ。
「はい。」
そして、作り笑顔で返答する自分にも反吐が出る。だが、私が社会に出て学んだのは上手く会社の中を渡る処世術だ。
どんなに優秀な者でも、会社の文化や伝統を守れないものは淘汰されるというのを何度も目にしてきた。優秀な者で早期に自分の居場所はここではないと退職していくものもいたが、彼らはきっとどこへ行ってもうまくいくだろうし、彼らの実力を生かせる場がここではなかったそれだけなのだろう。
きっと、この会社の中にも私と同じように辞めたいと思っている者は大勢いるだろう。しかし、その多くが今の仕事を手放してまでやりたい事も無ければ、もう働き口がないと思っている者が多いはずだ。
無論、私は後者の何者でもない代替可能な働きありだ。
今日は残業で深夜になってしまった。家に着いた頃には日付が超えていた。お腹がすいていたはずなのに腹の虫さえ私を残してさきに寝てしまったようだ。
化粧も落とさず、着替えも済まさずにベッドに横になる。
(ああ、私の人生なんてつまらないんだろう。)
今日新しくチームが一緒になった上司に言われた言葉が頭の中で反復する。
『色葉さん女性なのかあ、そしたらこれから産休とかとって休んだりしちゃうかあ。でも、女性は家庭も大事だから仕方ないよね。あの総務の中島さんみたいになったらおしまいだからね。』
中島というのは、隣の総務の島で働いている40代の未婚女性だ。彼女は仕事が出来女性管理職として働いているだけでなく、人格者であり私の憧れの存在だ。しかし、彼らにとってはそんな事どうでもいいステータスで女は家庭に入り子を産むことが前提にあるのだろう。
(結婚する気など更々ないと言ってやればよかっただろうか。)
なぜ、女性だけが女性らしくある事を強いられなくてはいけないのだろうか。私は女になんて生まれたくなかった。
***
気が付くと朝日が昇っている。しかし、体は泥のように重たい。
時計を見るともうすぐ家を出なければいけない時間だ。昨日やり残した仕事は沢山ある。
(おかしい、体のいう事が利かない。)
何とかトイレまで向かう。
「おええええ・・・」
気持ち悪くなり胃にあったものを吐き出してしまう。昨夜は夕食を食べていなかったはずだが、何を吐き出したんだ。
通常ではない嘔吐に対しても、頭の中は不思議と冷静だった。
連絡、連絡しないと。
働きアリはこんな時でも仕事の事で頭がいっぱいのようだ。
トイレの床で座り込んだままスマホで上司に電話を掛けた。
「すみません、体調が優れなくて。」
『それは大変だね、そしたら今日は休むの。あとで引き継ぎ事項があれば連絡を頂戴。』
上司は優しく休暇を了承してくれた。しかし、私には分かる、裏では私の事を使えない奴だ、急な体調不良で休むのは女の特権だとかなんだ言っているだろうと言われるだろう。
とにかく、病院へ行こう。
***
「胃腸炎ですね。ストレスがかかっていませんか?あなた顔が真っ白ですよ。」
「仕事で少し疲れが出たのかもしれません。」
「・・・診断書を出してあげるので一度しっかりと休んだ方がいいです。」
医師は私の症状や表情を見るや否や、休暇を取る事を勧めてくれた。こんなにあっけなく休みが取れたんだ。それほどまでに私の様子は異常なのだろうか。
入社して以来3連休以上の休みを取っていなかったことを思い返す。
病院から出てみた景色は、同じものか分からない程に美しく見えた。
(近所なのにこの町はこんなにきれいだったんだ。)
まるで世界遺産でも見ているようだった。
不思議と先ほどまでの胃の痛みが嘘のように楽になり、久しぶりに深呼吸することが出来るように感じた。
(もういいじゃん、ここで終わらないかな私の人生。)
この数年で、久しぶりに自分で勝ち取った自由な時間だ。
(決めた、会社辞めよう。)
突拍子もなくそう思った。弱い自分は行動できるかは分からない。貯金も大してない。だが、会社の中の私は幸せじゃない。少なくとも胃腸炎ながらも自由に外を散歩する自分が愛おしい。
そして、少し休んだら自分が何をしたいのか見つめなおそう。
もう女のしがらみがない職業がいいな。何なら会社に属さなくてもいいだろう。
これからの計画で胸をいっぱいにしながら、家路に向かった。
バーン
(なんだこの音、あれ、私飛んでる?)
一瞬の出来事に状況が見えていなかったが、恐らく車に轢かれたらしい。
(なんだ、ほんとに終わりか。でも最後につかの間の幸せを感じられてまだよかったのかもしれないな。)
周りで人が何やら叫んでいるようだが、何も頭に入ってこない。痛みもない、これは助からないだろうと直感的に思った。
直後、猛烈な眠気に襲われる。瞼さえ開けることが出来なくなってきた。
(ここまでか。もし生まれ変わりがあるなら絶対に屈強な男が良いな...)




