8.周囲の変化
煉華が召喚されて2ヶ月。最初の浄化を行ってから暫く経った。
淡々と聖女としての役割をこなし続け、拠点としている屋敷から日帰りで訪れる事が可能となる範囲の浄化は落ち着いてきた。
浄化と言っていいかは聖人達の力を借りていない為微妙なところではあるが、封印するよりも吸収したことが功を奏したのか、瘴気被害の再発は特に無いようであった。
瘴気に関して、詳しいことはよくわかっていない。
魔族によってもたらされるものである。と言う事はわかるが、どういう原理か。と言う事までは分からないらしい。その研究をしていない。と言われた煉華は呆れ半分。怒り半分の大きなため息を吐いてしまったほどだ。
(聖女任せにもほどがある)
聖女と聖人達が浄化できるから。と、ろくな対策もしていない事がよくわかる。怒りを滲ませながら瘴気の塊はこちらで預かる。と言ったときにはエリスが必死に止めたほどだ。浄化しているとはいえ、どのような障りがあるかわからない。そう言って止めるエリスに向かって、自分と同じような存在が聖女になっても助けてもらえるとは思わない方がいい。と、切り捨てた。
煉華にとって、自身が協力しているのはただ単に早く終わらせるためだ。帰る理由があり、帰った際に堂々としていたいからこそ必死にやるが、召喚されたこと自体に納得しているわけではない。
召喚ありきでは困る。というのが煉華の主張であり、それは至極まっとうなものであった。
最も親しいエリスと、ゲーボを自室に招き、長い時間話し合いを重ねていく。
ゲーボの知る限りでは、瘴気を研究するという話は会議にのぼったことすらない。それを、自身の娘くらいの煉華に指摘され、己の浅はかさを恥じ入る様に肩をすくめ、改めて煉華に謝罪の意を示す。
今更ではあるが、煉華が吐き捨てるように告げた言葉が、ゲーボの奥底を抉っていた。
「……ハクという神様も、そこまで深くは考えていないと思うわ。そもそも、私たちの世界では、神というか人外と人の理が違う事はあたりまえだったから。神様を私たちと同じように扱ってはいけないし、神様から頂く奇跡に胡坐をかいてもいけない。奇跡には代償がつきものだもの。自分たちで解決しようとしない、怠惰な心が今回の召喚違いを招いたのかもしれないわよ?」
謝罪は不要だとしながらも、楽に流されるのは罪だと言い切る。
煉華の厳しさは、為政者のそれに近い。と、ゲーボは思っていたが、口にする事無く同意し話を続けていく。
話の内容は瘴気についてだけではなく、煉華が使った浄化についても当然話し合いの内容には含まれていた。
その話になったときはゲーボの目が輝き、前のめりになっていくため、煉華だけでなくエリスも同様に引いてしまっていた。
だが、それはゲーボが煉華の使用した魔術について興味があるだけだった為、煉華は周囲の反応に大きな変化は無いと思い込んでしまっていた。
それが思い違いだとわかったのは、話し合いから1週間ほど経った日の事。
少し離れた場所にある瘴気被害の土地を浄化し、いつものように帰り着いたときだった。煉華は、いつもと違う様子に目を丸くする。
馬車から降りたところで誰かが気をとめることもなく、同行してくれた者達とエリス。それとゲーボだけが怪我の具合や体調面に気を配ってくれていたはずだった。だが、馬車から降りる煉華の前には大勢の人が頭を下げて並んでおり、煉華に気が付くと無事を喜び身体を労わる言葉があちことから聴こえてくる。
それだけではなく、煉華にかけより傷の具合をその場で確認し清潔な布を当てて応急処置を行ってくる。
聖人達が歓迎していないから。と、あまり好意的でなかった人々の対応に、煉華は声を出す事も忘れてなすがままとなってしまった。
「珍しいものを見た気分だ」
「ゲーボ副団長……。見世物じゃないんだからどうにかしてよ」
くつくつと楽しそうに笑うゲーボを睨みつけ、煉華は一体どういうことだと問い詰めた。
「皆、君の頑張りに感銘をうけているんだろうさ」
「頑張り?」
「休む事無く毎日毎日浄化三昧。怪我をしても治ったと嘘をつき働き続ける君の姿を見て、見方が変わったのだろうな」
「あー……」
質問をしたのは煉華だが、目が笑っていないゲーボからにこやかに告げられて、言葉に詰まってしまう。
休めと言う言葉も、傷の具合を診せて欲しいという言葉も、全て聞かなかった事にして浄化を続けてきた。その事に対して心配を通り越して怒りに変わってきているのだと気づいた煉華は、誤魔化すように頬をかき、今日はたいして怪我をしていないのだと両手を広げる。
「……そういうことではないのだがね」
「仕方ないでしょう? 被害が無くならないのだから」
ゲーボの言いたい事は分かるが、煉華の言う通り瘴気被害は広がっている。浄化を始めた途端に増えたと言ってもいい。
1つ浄化すると2つ増える。といってもいいくらいだ、こちらの動向を確認しているかのような動きに、煉華はもしからたら魔族は人間社会に紛れているのかもしれない。という推測を密かにたてているくらいだ。
それをどう証明するかが、問題であるのだがそこを調べる余裕がないのもまた事実であった。
「皆、君に取ってしまった態度を悔いているのだよ。見ている者は見ている。と、言う事だ」
「ゲーボ副団長……」
「もちろん、君が赦す必要も、受け入れる必要もない。ここに来てから暫く、君はひたすら聞くに堪えない言葉と、受け入れ難い態度にさらされていたのだから。それでも助けてくれる君にせめてもの気持ちを示したいのだろう。好きにさせておけばいい」
その言葉を聞いて、煉華は小さく息を吐くと、僅かに口角を上げて、眉を下げる。
それは、この国に来てから初めてはっきりと見せた表情であった。困らせてしまったとわかる表情であったことは残念だと思ったが、ゲーボからしたら大きな変化である。面をつけているかのように表情が動かない煉華であったが、機微はある。それを読み取る事が出来るくらいには関わりを持っているが、周りから見ても明らかにわかる表情を表に出した事は今までなかったことだ。
それは、少しだけこちらに対して心を開いている。と、判断してもいいだろう。そう思ったゲーボは距離を詰め、煉華の頭を数回。軽く叩くようにして優しく撫でる。
「無事に帰ってきたのならなによりだ。怪我が少ないならば、それだけ魔力操作も上達したのだろうな」
「毎日同じことをしているもの。嫌でも上達するし、しないとね」
照れ隠しをするかのように、煉華が顔を背けて肩を竦める。
その態度を見る周りの目が妙にあたたかなものであることは、十分伝わっていた。
「着替えてきます!」
動揺しているのか、珍しく敬語で宣言して小走りで部屋に戻った煉華を、エリスとゲーボは笑いを堪えながら見送った。