6.瘴気の種
少年の後について歩いて行くと、少しずつ瘴気が濃くなっているとひりつく肌で感じた。
井戸に近づくにつれて、聖女と言う加護を持っている事を忘れてしまうほど露出している部分は赤みを帯び、ひりひりと火傷をした瞬間に似た痛みが生じる。自身でこれならば、少年はどれほど痛むのだろうか。浅黒い肌を見て、もしかしたら瘴気で焼かれているのだろうか。と、案内を頼んだことを悔いていた。
「方向だけ教えてくれたら、あとは自分で行くから」
申し訳なさそうにそう告げた煉華に、少年は徐々に体が慣れた為、そこまでつらくはないのだと返す。
瘴気被害ではなく流行り病だと始めは思っており、作物が腐り始めてからようやく瘴気被害だと気が付いたのだ。だが、気が付いたときには既に土地全体に広がっており、穢地として見捨てられてしまった。と、悔しそうに語っていた。穢地になった場所は住人を避難させていると聞いていた為驚きを隠せない。そんな煉華に現実を教えるように少年は説明を重ねていく。避難が遅れたり全体に広がってしまうと、他に持ち込まないよう見捨てるのだ。と。
「瘴気は感染するものなのね?
数年前は? 聖女によって穢地の浄化は出来ていたはずよね。避難が遅れた人たちをどう助けていたの?」
今回は比較的すぐに召喚されたようだが、前回は確か魔瘴被害の拡大で呼ばれていたはずだ。先代のやり方を参考にして負担を軽減したい。そう考えて訊ねると、少年は嫌悪感で歪んだ表情をして煉華を睨みつけた。
「聖女? 俺らみたいな平民を治療した事なんて今も昔もないね。多少金が配られるからそれで治癒士を呼ぶのさ」
土地の浄化を終えたら人もやっているものだと思っていた。こんなことも知らないなんて。と、自身に呆れながらも辿り着いた井戸。そこから漂うのは禍々しい色をした薄煙。おまけに臭いも酷い。下水の方がましなのでは? そう思った煉華であったがなんとか井戸の正面に立ち、煙を吸い込まないように気を付けながら中を覗き込む。
「おい、その水に触るなよ。手が溶けちまう。」
「大丈夫。それより、あなた、これを家族に飲ませたの?」
「ち、違う! 俺が汲んだ時は煙なんてなかった。だから飲めるかもって思ったんだ!」
半分事実だろう。と、冷めた目で少年を見つめる。
助けを求めたあたり、殺すつもりはなかったか怖気づいたかの2択だが、水に触れたら手が溶ける。と、知っている人間がその水を飲めるものと判断する事は無いだろう。極限で自分だけ助かりたかったか、それとも苦しんでいる親と妹を苦しみから救うための毒であったのか。
そこまで考えて煉華は少年から目を逸らす。幼い子供をそこまで追い詰めた。という事実だけを汲み取って、目を閉じる。
「あなたは動けるわよね。なら、動ける人を探して集めて頂戴。お礼はしっかりするわ。そうね。この土地だけでなくあなたたちの瘴気被害をどうにかしましょう。理論上は可能なのよ。ぶっつけ本番になってしまっているだけで。
そうね、回りくどい言い方をしたけど、簡単に言えば、この土地と生きている人を助けるわ。……聖女だから」
最後の言葉だけはため息交じりになったが、覚悟を決めると片足を井戸の縁に掛け一気に飛び込んだ。
飛び込む瞬間は浅くて足がついてしまったらどうしよう。と不安を抱いていたが、飛び込んだ後に思ったのは、足がつかなくてどうしよう。だった。
鼻は塞いでいたが、耳に水が少し入った事で入り込んだ部分に激痛が走る。予想外の痛みにパニックを起こしたが足が付かない。そのまま数回縦か横かもわからず回転したところで、このままでは溺れてしまうと必死に手を左右に動かしあたった壁に手をつける。溶ける事はなかったが、焼け爛れる皮膚の痛みに冷静さを取り戻す。
目を開いたら失明しかねない。と、目を閉じたまま手に触れた壁を頼りに文字通り手探りで探していく。
この井戸が水を穢した種を宿しているのかは賭けでしかなかった。出会った少年の家族が水を飲んでから倒れてしまった。という情報があった為ここかもしれないと思ったに過ぎない。違った場合は、怪我し損。という事になってしまうのだが、煉華は賭けに勝った。
更に潜る必要があると理解し苛立ってはいたが、足元の少し下に腐った塊のような気配がある。目を閉じていてもそこだけは立体的に感じるの為、間違いなく種だろうと手を伸ばしながら潜水を開始する。
腹を括りはしたが、全身が焼けて溶けるのではないか。と、思うほどに熱く、痛む。
塊の端に触れた瞬間、煉華は魔力を練り上げ一気に放出する。
私は高圧洗浄機。私は掃除機。
イメージとしては、高圧洗浄機で頑固な汚れをそぎ落として、吸引力が有名な某掃除機で落ちたゴミを吸い取るのだ。
(通販番組でジュースも吸い取るって言っていたわ。水でも使える優れもの。私がそれになっただけ)
具体的なイメージが出来た事で、瘴気が一気に体内に入り込んでくる。掃除機のイメージが細部に及んだことで、こかにフィルターでもできたのか、感覚がマヒしたのかは謎だが、母娘から瘴気を取り去ったよりは痛みも少なく思えた。
どれくらいそうしていたかはわからないが、息が続いたのだからそう長い時間ではない。
息が苦しくなり水面に顔を出したが、水はまだ少しだけ黒く淀んでおり、足先で探れば僅かに熱が残っている。まだ井戸から外れていないのだから浄化も出来ていないだろう。と、息を吸い込み再度潜った。
手の皮は剥けていそうだと思いながら手を伸ばして探る。ただの水だったはずなのにかなりしみる。それを理解しながらも手を伸ばし、同じ場所に触れる。先ほどよりは熱くなく、冷たさを感じる部分も出てくるのだ。もうすぐ浄化ができそうだと先ほどと同じように魔力を練り上げていく。
(私の手は吸引機。吸引機)
頑固な汚れを吸い付ける高性能な吸い込み口が手に出来たとイメージを具体的に広げていく。以前テレビで観た超能力者が、自分の手が工具だと信じ切る事で電車の手すりを曲げていた。それと同じだ。人外の力を使うなら、常に具体性のあるイメージを持ったほうが良い。
きっと、先代の聖女はもう少し楽だったはずだ。聖人達が危険を侵し、聖女はそれを支える為祈るだけですんだのだから。
(ここまでしないと浄化できないなら一人で来るべきではなかったわね)
だが、七聖人を切り捨てて単独行動を選んだのは煉華自身だ。だからこそ、胸の奥深くに抱いた恨み言は八つ当たりのようなものだとわかっている。それでも、痛みと共に増す暗い感情は止められそうにもなかった。ただ、先ほどと違って逆流するのではなく、体内を廻っているかのような感覚である事だけが救いだ。種がとれなくなってしまう。
息が続かなくなる。諦めかけた頃、べり、と剥がれる感触があり、手の平に平べったい石のようなものがくっついてきた。同時に、思ったよりも力を入れずに済んでしまい驚いて手を壁から離してしまった。
現状の情報が少なすぎる事もあり、失明覚悟で目を開ける。井戸の水は澄んでいてむしろ冷たさが心地よい。覚悟していた痛みが感じなくなっった事にほっとした煉華は、さてどうやって上に上がろう。と、考えを巡らせる。次に少しだけ息を吐く。
吸い込んでも問題ないと分かっているのだ。それでも、肺に空気を取り込む事を身体が拒絶しているようで息を吸う事に苦戦していた。
このままで種と思われるものを、落としてしまう。空気を吸い込むと痛む肺に鞭打って、大きく吸い込むと声を張り上げた。
「だれかいる!?」
「ね、ねーちゃん! 動ける大人、集めてきたぜ!
あと、外にいたおっちゃん達も連れてくる!」
叫んだ声に反応したのは少年だ。
その声に種を浄化した。と、伝える。その言葉より早く縄が投げ込まれた。知らない声ではあったが体に巻き付けるようにとの言葉に感謝して、縄をしっかりと自身に巻き付けてその端と、投げ込まれた部分を両手で握りしめる。
声を出そうにも痛みで咳き込んでしまった為、縄を引っ張り合図を送った。引き上げを求める合図だと気づいた者達が必死に縄を引き上げていく。井戸の縁が見えるようになったころ、煉華は縁に向かって飛ぶように体を伸ばし、自身で縁を掴むと井戸から飛び出した。
地面に降りると空気が違う事に気が付く。聖女には出来ない。と言われていた浄化ですができました。七聖人にも出来るのでは?
そう言いたくなったが、それは嫌な言い方だと言葉を飲み込む。
「助けるって約束したものね」
そう呟くと、煉華は自身の魔力が薬のような力を帯びて人を包み込んでいくイメージを抱く。
自身の魔力が万能薬だ。なんでも治す事が出来る万能薬。エリクサー的なものだと言い聞かせ、村全体に魔力が広がるように放出した事で、一瞬で。とはいかないが、少しずつ人々の体から瘴気が抜け、肌色や髪の色にも変化が生じていく。
目の前にいる人たちのそれが完全に変わった。と、煉華は目を輝かせる。だが、一歩近づこうとするとぐらりと体が傾き、自身の名を叫ぶように呼ぶ声を聞きながら、煉華は意識を失った。