エピローグ
「おーい店長会計よろしく!」
「はーい」
ガチャッと軽く音を立ててからの厨房の卓に皿をのせた盆を置いた僕、テルは軽く息をついた。
この客で最後だ。さすがに、休日の昼は混むな。
そう嘆息を吐いてから、でも、うれしい悲鳴でもあるんだよなと軽く笑みを浮かべる。
「はい、おつりです。どうぞ、あとこっちもどうぞ」
カウンターの方まで行って釣銭を渡して、その客を見送った僕は椅子に崩れるようにして座りこんだ。
「い、忙しかった・・・」
カウンターに倒れこんでいた僕の視界にふっと影が差した。
「あ、いらっしゃいませ」
長身の男だ。コートを羽織っていて帽子を深々とかぶっている。男は手元に持っていた新聞を軽く振った。
「ねえ君。オズワルド・アッシャーってやつが捕まったらしいんだけど知ってる?」
僕が驚いて声を出そうとした瞬間、店内の机を拭いていた女の子が叫んだ。
「え!アイツ死んだの!?」
9歳ほどの少女だ。持っていた布巾をほおりだし、客の新聞を横からのぞき込もうとしている。
「お客さんにそんなことしちゃダメでしょ。サシャ。ていうか、この写真に写っている人誰ですか・・・。めっちゃ太ってるしおじさんだし、そもそもこれ2年も前の新聞でしょ。よく見つけましたねこんなの」
僕はサシャをたしなめつつ、ツッコミどころが多すぎる新聞に突っ込んだ。と、いうか。
「あなた変装してるけど、オズさんでしょ。何やってるんですかこんなとこで。ここ連邦ですよ?」
僕の言葉を聞いて笑い出したオズは帽子を脱いだ。
「いやーどっちにしてもお尋ね者だから変装しなきゃいけないし、どうせするんだったら何か面白いことしたいなぁって」
「はた迷惑な人ですね、まったく」
僕たちが笑いあっていると、サシャが叫んだ。
「あ!死んでないじゃん!」
それを聞いたオズはズルッと足を滑らせる。
「っていうか、サシャ。ひどくない?」
「エレカせんせーがオズは雑に扱うぐらいがちょうどいいって言ってた!」
「エレカぁ~」
そういったオズはうなだれる。
「いま帝国ってどうなってるんですか?たしか何年か前に新しくジャッジメントっていうまた別の組織を立てたんですよね?」
「ああ、俺とエレカとで去年に建てた革命を目指す組織だよぉ。今僕は所用でちょっとこっちに来てるだけでエレカはまだ向こうで暴れてるよ。ひと月くらいで俺も戻るし」
僕の脳内に銃を乱射しながら高笑いをしているエレカの姿が浮かぶ。
「なんかエレカさんって完全にそういう反政府組織に染まってません?」
「まあ、アッシャーも言い出しっぺはエレカだしね・・・。じゃ、僕は行く場所あるから行くよ。また会えたらゆっくり話そう」
僕は布袋をオズに差し出した。
「そうですね。帝国が帝政じゃなくなったころにでも。あ、それといただいていた開店資金、利子込みで全額返金します。利子は活動の援助だと思ってもらってください。おかげさまで繁盛しているので割と余裕はあるんですよ」
「え!?まだ開店して2年もたってないよね?」
「それがなんかこの地域の領主の人に援助してもらって」
「へぇ。いや、僕も上手い旨いとは思ってたけどそんなにおいしいの?」
「まあ、僕は普通に料理してるだけなんですけど、そこそこ評判で」
「じゃ、今度来たときはごちそうしてよ」
「もちろんですよ。オズさんなら酒以外は全品無料です」
「え、お酒はダメなのぉ?」
冗談めかしているが結構ガチでへこんでいる反応が来た。オズって酒好きなんだ・・・。
「いや、めっちゃ高い酒もあるのでちょっと」
「ま、いいや、じゃ、またね」
「はい、また来てください」
気を取り直したようにそう言ったオズは軽く手を振った後、颯爽と店から出て行った。
*
空にはぽつりぽつりと光り始めた星たちが見え始めている。僕は店の扉に引っ掛けてある看板を閉店にひっくり返した。ガチャリとカギを内側から掛ける。
サシャはもう2階で寝ていることだろう。サシャはあの日の作戦には参加していなかったエレカの弟子だ。利発だがさすがにいま帝国内にいるのは危ないということで僕が預かっている。
2階への階段をのぼりながら昼間のことを思い出していると少し楽しくなってきてしまう。久々に会ったオズは前よりも精悍さを増していた。たしか、今年で31歳だっただろうか。
ドクマ破壊作戦の成功から4年。
結局あの日は、アッシャーの構成員はケガ人多数で、戦死者はゼロ人だった。逃げだすのにはやや苦労したものの、戦果と比べると冗談みたいな大勝利だ。
でも、おとりの役を全うしてくれた連邦の兵には戦死者がそれなりに出て、そして、あの日、オズをかばって血だまりに沈んだバロは、次の日の出を見ることなく息を引き取った。
どうもあのあとバロとオズは何かを話していたようだ。その時何を話していたかは、今となってはバロの手当をしていたエレカとオズしか知らないが、バロの死に顔はとても穏やかだったから、きっと安心して逝けるようなそんな話だったのだと思う。
アッシャーは設立当初からの悲願だった帝都動力機構の破壊に成功し、あれから半年後に解散した。解散の当日には当時国外に逃亡していた幹部、エレカとオズが帝国内に戻ってくるという噂がどこからか流れたり、アッシャーらしき組織への会合に国軍が突入したりなどあって大きなニュースになったのだが、オズが置き土産とばかりに置いて行った当時の新聞を見た限りだと、どうも国はまたもやオズたちに一杯食わされた形になったようだ。
帝都動力機構の破壊は僕の想像以上に大きな波紋を起こした。それに伴う孤児狩りの停止、宰相トルクの死亡に加えて、帝国全土が一時蒼色の輝きに沈んだのだ。
当時、諸外国は大騒ぎになっていたらしい。帝国が何か途轍もない兵器を開発したのではないか、と。
実際、あのとき何が起きたのかは僕たちもよくわかっていないが、結果から言うとあの後、帝都動力機構は破壊するまでもなく砂塵となって消え去り、そして、遺物という遺物がすべて使えなくなった。
どうもロックのようなものがかかってしまっており、ダルマコル石を使っても起動しなくなってしまったそうだ。
その結果、丁度動いていた列車が操縦不可能に陥り、当時乗車していた要人が軒並み事故で死亡。その中に、政府の重鎮もかなりいたらしく、事故の後政界は荒れに荒れた。
そこに漬け込むように連邦が進行をはじめ、慌てて帝国は後手に回ることに、武装の遺物が一気に使えなくなったこともあり、そこそこ領土を削られたもののそのときの戦いが一種劇薬となり、講和後に何とか帝国は回り始めることとなった。
しかし、一度ぐらついた帝政を安定させないように、エレカとオズの新設組織ジャッジメントが何やらいろいろと工作をしているらしい。
少し前、帝国の辺境部分で帝国が始まって以来初の反乱が散発的に起き出しているとの話を耳にした。残念ながらそれは鎮圧されてしまったようだが、この分では近いうちにもっと大きくて本格的な革命も起こせそうだ。
僕は3年弱ほど連邦の料理店で修業をした後、1年ちょっと前にオズにもらっていた開店資金をつかってこの町に料理屋を開いた。
オズいわく、あの作戦のMVPは僕らしい。そんなこともないと思うのだが、まあ結局全額返せたからよしとしよう。
ふうと、息をついて長々とした思考を打ち切った僕はある扉の前で立ち止まった。
ルルの部屋だ。
ルルは僕の手助けをして、帝都全域の遺物を無効化した後に昏睡状態になった。しかし、ルルは1週間たっても一か月たっても一年たっても目を覚まさなかった。
エレカが、遺跡が見つかるまでどれくらい長く何も食べてなかったかわからないくらいだから餓死とかはしないはずだけれど、といっていたとおり、どういう仕組みかはわからないがまだ息はしているのだが、目を覚ますことはない。
いつも通りに少しだけ返答を期待してドアをノックする。でも、もちろんそれに対する返事があるはずもなく、僕は入るよ、と声をかけてからドアを開ける。
ベットの上で今日の朝と全く変わらない姿勢で眠り続けているルルを床ずれ防止のために軽く姿勢を変えさせてから、僕は話し始める。
握った手の暖かさが、ルルは今もなおここに生きているということを伝えてきてくれる。
今日、オズが来たこと。いつもの常連さんが結婚するらしいということ。最近新しいレシピを思いついたこと。
返事は来ないけれども僕は話し続ける。あの時使ってしまったであろうルルの記憶の欠落を少しでも埋めるように。
一通り話し続けた僕は苦笑した。まるで日記みたいだ。
ふっと上げた視界には窓の外の星空が映る。
曇り空に薄っすらと蒼く輝く一番星テルル。
あの星はいつもきまって最初に光り出すのに、そのくせ夜空で一番明るくて、でも、どこか寂しそうに一人で輝いている。
でも、見渡せばテルルの周りにはいくらでも星は広がっている。テルルには届かなくても輝いている星はいくらでもある。星なんて結局は光ってるだけのただの石だ。
地上に転がっている石は光り輝いてはいないけど、でもあの時僕たちを救ってくれたのは、僕たちの願いを載せてくれたのは、僕たちの障害を打ち破ってくれたのは道端に落ちている石ころだったのだ。
近くて、届きそうになく思えてしまうけれど、でも、思いっきり手を伸ばせばきっと届くのだ。
僕の心を鷲掴みにして、千々に僕の心を切り刻んで。
僕の感情を、心を、魂でさえも、身勝手に振り回し続けるこの星は。
その蒼い輝きで、僕の中で今もなお厚く燃え続けているこの星は。
いつまでも僕の心に残り続ける、魂に刻まれたあの日々は。
蒼く、蒼く、どこまでも蒼く。
あいにく一昨日も、昨日も、君は目を覚ましてはくれなかったけど。
でも、きっと今晩は、何でもないように目を覚ましてくれる。
でも、きっと明日は、まるで日常のワンシーンのように2階から降りてきておはようと言ってくれる。
そう、僕は信じている。
目を覚ました時、君がまだいるかはわからないけど。
でも、君というまばゆい輝きは間違いなく、一片の疑いもなくいつまでもそこに在る。
そして、記憶があろうがなかろうが、今度こそ僕は正面からルルに好きだというのだ。
窓の外のテルルに雲がかかって見えなくなったことに気付いた僕は嘆息する。
なんだか縁起が悪い。
一層暗くなってしまった室内はよく見えない。
少ししてからテルルから雲がずれ始めた。
不意に香りがした。さらりと髪の擦れるような音がした。
一対の蒼い星が暗い部屋の中で光った。
乳白色の唇から名前が一つ。こぼれ出た。
あの一等星の先頭の二文字が。
「テル?」
しばらくして明かるくなった部屋の明かりはいつまでたっても消えなかった。
それを見下ろすテルルは朝になって見えなくなるまで、柔らかく光り続けていた。