七話
『OK、手筈通りあと3分したら連邦の兵を動かしてね?俺たちは時を同じくして侵入する』
カチッと音を立てて無線を切ったオズは、その赤い瞳に怪しい輝きを宿す。
ここは帝都地下の旧水道。現在使用されている古代の全面コンクリート造りの水道とは違い、レンガ造りの前時代的な作りだ。
掲げたランタンから揺らめく光は、とっくに枯れてしまった水の流れを、今もなお流れているかのように錯覚させる。
通路の両脇には八方手を尽くして集めた軍事用の遺物がいくつも置かれていた。
軍の正式装備の銃の型落ち品が大半だが、その中に異彩を放つようにして、子どもなら優に3人は入れそうなサイズの直方体のボックスが3つ並んでいた。
てんでばらばらの格好をしたアッシャーの構成員十数名は、慣れた手つきで武装を装備していく。
ガチャガチャと音を立てる装備品の摩擦音と、興奮を押し殺そうと吐き出される妙に間延びした呼吸音が、静まり返った地下空間を埋め尽くしていた。
僕はぶるりと体を震わせて、腰の右側に密着するように装備してあるミニバックから取り出した薬を飲み込んだ。
エレカから渡されたこの薬は強力な鎮痛作用があるらしい。手のケガもそうだが、部位的に珠の摘出が困難だった頭の痛みを多少なりとも軽減できる。
僕はもはやなじみ始めた頭の鈍痛を振り払うように頭を左右に振った。
前髪が額の表面にこすれた。
髪、そろそろ切らないと。そう思って少し悲しくなる。
僕の髪はいつもルルが切ってくれていた。普段は乱暴なルルも、髪を切るときはすごく優しい手つきをしてくれていた。
もう一度ルルに僕は会いに行く。
「さ、準備も整ったね。じゃ、突入~」
気の抜けるような声を出しながらオズは通路の奥の扉をあけ放ち、あっという間にその中に消えた。構成員の面々がオズの後を追って次々と扉の奥に侵入していく。
数度瞬きをしただけで、もう通路に残っているのは僕とエレカだけになってしまった。
灰色のアーミージャケットを身にまとったエレカは、手に漏った立方体の装置、最近実用化されたばかりの対遺物バリアを軽くいじった後、僕を振り向いて笑った。
「・・・さあ、行こう。すべてを終わらせに」
そういってエレカは施設内部へ入っていく。
僕は少し逡巡した後、近くの地べたから小石を拾い上げ軽く泥を払ってからポーチに突っ込んだ。どうも、最初にこれをしないと落ち着かないのだ。
ふっと軽く息を吐いた僕は一歩踏み出した。
旧水道にはもう人はいなかった。
*
普段、外部から持ち込まれた遺物の搬入に使われている通路を侵入者たちが進んでいく。
銃撃。
広がる血だまりと、その上を踏みつけて駆け抜けていくたくさんの足跡。
いまだ、内部への侵入者への組織的な抵抗は皆無だった。
リボルバーを折るように変形させて弾を込めなおしたオズはガチャリと銃をもとの形に戻した。
「やっこさん。連邦兵の方で手いっぱいみたいだねぇ?」
そう嘯いたオズは、ノールックで右手通路の奥に現れた兵にヘッドショットを決める。うめき声と、薬莢が落ちる音がしてそれを一行の足音がかき消した。
「どう頑張ってもアッシャーの組織力じゃ情報漏洩を防ぐのは無理だぁ。だったら、情報漏洩込みで対策できないようにすればいいんだよ。二正面作戦にして警備を分散。単純にして非常に効果的だね」
入り組んだ通路を迷いなく進みながら、一団は急速に中心部へと近づいて行く。
「あえて詳細な日程をこっちから教えておいて、そこからずらすかずらさないかの二択を出したり、連絡する人員が偽物だとかにして情報量を増やす。たぶん、今頃トルクはアッシャーからの手紙を連邦の偽装工作じゃないか、とか疑ってるんじゃないかなぁ?」
「下手に優秀な分トルクは深読みする癖があるから、考える元の餌を大量にまいておけば初動は間違い無く遅れるわ」
オズは少し黙って目を細めた。通路の奥、気配がする。
「そのおかげで、ここまでは楽してこれたけど。さすがに追手が来たみたいだねぇ」
そういったオズは左手を真横に伸ばし、その場で止まる。訓練された動きで突入部隊は止まって、通路の両脇にずれた。
「レミーとレザックだけ一緒に来て」
端的に指示を出したオズはまるで散歩に出かけるように通路の奥へ歩を進める。
通路の奥には頑強な体躯に、白髪交じりの髪をした大男が20人強の軍服を携えて立ちふさがっていた。
その隣にはゴロツキか軍人か判別がつかないような恰好をした男がいる。
「あれがバルバロイ・・・」
そうつぶやいたエレカの言葉を無視してオズは口を開いた。
「いやー、最初に来るのはどなたかと思ってましたけど。名に聞こえた血染めの瞳のバルバロイさんじゃないですかぁ?本日はどうされました?トルクの靴でも舐めに?」
オズの挑発を聞いてもバロは眉一つ動かさない。その様子を見て、オズは目を細めた。バロの隣の男、プルクはしきりにわめいている。
「おい!さっさと撃ち殺せ!!」
ジャキッと音がしてバロにオズのリボルバーが突き付けられた。
「それとも、冷たい地面を舐めに?」
バロの手が腰のリボルバーのグリップに触れた。
*
「おいテル!やっぱり俺が先に行くからお前ちょっと横によけろよ」
「無理だよ!ここどんだけ狭いと思ってんの?」
「だってお前のろ過ぎんだよ」
「索敵しつつこの速度出だったら十分早いって!」
テルとスラッグはオズらから先行してダクト内を進んでいた。僕達はその小さい体格を生かせる侵入ルート上の索敵を任されていた。
「よし、次はここだね」
換気口カバーをそっと外し、頭だけ出して通路の様子をのぞき込んだ2人は電光石火の速度でダクト内に首をひっこめる。
「・・・あぶね」
「えっと、エリアF5ー3に敵3つ。送信っと」
テルは手元の装置を操作してアッシャーの参謀であり、現在全体のオペレーションを行っているジャギーこと、ジャガノートに情報を送信した。これで、10秒以内にオズのもとに連絡が届くだろう。
「よっしゃ次いくぞ次!」
「もう、あと少しで最深部だね」
ずいぶん遠くまで進んでいたようだ。あらかじめ内部構造を知っていたとはいえ、この国の心臓部分である動力機構のもとに随分とすんなり来れてしまった。
それもそのはず、この日のためだけに大量の工作を行ってきたアッシャーにとって今日ここは狩場も同然だ。
アッシャーの参謀を務めているジャガノートはトルクに潰された貴族のうちの一人。連邦との連絡をとれたのも元貴族のジャギーのおかげだ。
貴族内部のトルク反対派にも毒を混ぜ込んで置いたおかげで、今日この施設内の警備は薄い。
その上に豊富な遺物の知識を持ったエレカ。そして、直接的な暴力装置のオズがいる。
念には念を入れてきたこの計画に、穴が存在しない。
これが最終関門だ。
空機構から動力機構と僕たちの間を絶対的に断裂する巨大な障壁が立ちふさがっているのが見える。
半透明のその障壁の奥には、蒼く光る動力装置の姿がぼんやりと見えた。
あそこに、ルルがいる。
*
噂は、聞いたことがあった。
ふと頭にちらつくその考えも、そんな都合のいいことがあるわけがないと何度も何度も打ち消していた。
私の前、ほんの10数メートル先にいるその青年。
そろえたかのように赤い髪と瞳をした薄緑の帽子の男。
リボルバーを好んで使い、短、中距離において向かうところ敵なしとうたわれる、オズワルド・アッシャーを名乗るその男は、声に侮蔑と憎しみを込めながらこちらに向かってゆっくりと歩いてきた。
「いやー、最初に来るのはどなたかと思ってましたけど。名に聞こえた血染めの瞳のバルバロイさんじゃないですかぁ?本日はどうされました?トルクの靴でも舐めに?」
私は動かなかった。いや、指一本動かせなかった。目が、その髪から、顔から、瞳から、離れなかった。
顔に浮かぶ影が随分と濃くなっている。彫りが濃くなっている。顔が精悍さを増している。
「おい!さっさと撃ち殺せ!!」
プルクの声が妙に反響して聞こえる。邪魔をするな、そう叫びたかったが声は出なかった。
こちらに向けられた銃口がゆっくりと揺れている。
「それとも、冷たい地面を舐めに?」
その声は、私を一気にあの夜へと引き戻した。
血だらけのまま目の奥に憎しみを募らせて私へ感謝したあの時へ。
私は今まさに、一度別れた息子と相対していた。
ああ、私は今何をしているのだろう。息子はいまだ志を折ってはいないのに。私はどうしてこんなところで息子を助けるわけでもなく、あまつさえ障害として立ちふさがっているのだろう。なぜ私はこの世界にはもう誰もいないと勝手に勘違いして、あまつさえ逆恨みのような感情で孤児狩りの手先のような振る舞いを続けていたのだろう。
心の中で脈動していた暗灰色の塊はいつしか消えていた。
気付けば私は動いていた。銃のグリップに伸びた手が一気にリボルバーをホルスターから引き抜く。
ガヅッ!
打撃音が鳴って、プルクが倒れた。
「は?え?」
頭から血を流しながら地面に倒れていく最中、信じられないような顔をしたプルクの瞳にはどんどん近づいて行く銃弾が映り込んでいた。
地面に転がってビクリビクリと痙攣しているプルクだったモノから目をそらして、私は一つ咳払いをする。
アッシャーの方へ眼をやった。横へ腕を伸ばして背後のアッシャーの構成員を制止しているオズワルドを見る。不思議な気分だった。
ジャッと音を立てて、銃口が一斉に私を向いた。慌てたように私の背後からも銃を掲げる音がする。
オズワルドの怒号がした。
「伏せろ!」
私が反射的に伏せた瞬間、アッシャーの構成員と思しき女の叫び声がした。
「展開!」
「先頭の奴を殺せ!」
「撃て!」
一気に火薬と硝煙の音が場を満たした。
耳奥に反響する銃声がおさまり、煙が若干薄れ始めたのを感じた私は顔を上げる。
背後にはうめき声をあげながら地面に伏している体が累々と並んでいる。
しかし、アッシャーの人員には誰一人として死傷者はおろかけがを負ったものすら見当たらなかった。
「解除」
女の声とともにアッシャーの前の空間に揺らぎが生まれる。ばらばらと音がして空中にとどまっていた銃弾が地面に落ちた。
・・・対遺物バリアか?一体、どこからそんなものを手に入れたのだろうか。
見ないうちにどこまで遠くへ。そんなお門違いの不安と、寂しさと喜びと安心感が、ないまぜになってしまった心はまだらのままで、でもこれ以上表せないほどに『うれしい』という感情を叫んでいる。
気付けば私の目の前にはオズワルドが立っていた。ひどく色をなくした瞳をしたオズは一瞬だけこちらを見た。
「同じ血のよしみで一度だけは見逃してやる」
すぐに私から目をそらしたオズは後ろに控えている構成員へ振り向いて怒鳴った。
「音を立てすぎた!さっさと向かうよ」
私は立ち上がった。時期が来た。この時を逃しては私は一生後悔する、そうささやきが聞こえたから。
「私も助力する」
オズはこちらに一瞥もくれずに歩いていく。
「・・・ふん、好きにしたら」
*
僕たちは元来た道を戻り、オズらと合流するために通路に降りた。
気配を殺しつつオズらとコンタクトをとることに成功したものの、スラッグはバロを疑っているようだ。頻りにガンを付けている。
僕はスラッグをなだめつつも一団とともに通路を進んでいく。
急に視界が開けた。今までの通路は横に5人並ぶとギリギリなほどの幅だったのに、横に50人並んでもまだ余裕がありそうな横長の空間に出た。高さも4,5メートルじゃ聞かないほどあり、上を見上げていると首が痛くなってきそうだ。
その空間において最も威容を放っていたのは動力機構とこちら側の空間を2つに分断している巨大な隔壁だった。まだらに向こうが透けて見える半透明の見た目をしたその障壁は確固たる存在としてそこにあるわけではなく、時折揺らぐようにその表層を動かしている。
「でっか」
スラッグがそうつぶやいた声が妙に大きく反響した。
対物、対遺物両面対応の障壁。普通の手榴弾程度じゃ無理だし、もちろん銃弾でも無理だ。
「・・・オズワルドさん、あの隔壁って破れます?」
パッと見シャボン玉のようにも見えるが、僕の勘が今まで感じたことのない信号を発している。あの膜のような物体は30メートル近く離れていてもわかるほど次元の違うエネルギーを内包している。
だが、僕の懸念を笑い飛ばすように、オズは慣れた手つきでここまで運ばせてきた巨大な灰色のケースを開いた。
「もちろん。アレを破るために苦労してコイツを手に入れたんだから」
そのケースの中には幼児ほどの大きさの弾を装填した数メートルもの巨体を誇る巨大なロケットランチャーが鎮座していた。
「・・・よく手に入ったな」
今まで黙りこくっていたバロが口を開く。
正直なことを言えばバロとオズに2人って親子だよね?と、聞きたくて仕方がないのだが、なんだか2人の間の空気が微妙すぎてためらってしまう。
まあ、バロのやってたことからして僕個人としても完全にバロを許したわけではないのだが、プルクを殺したのもバロなのだ。とりあえずこの作戦中は信用してもいいかもしれない、と僕は思う。
正直この作戦が終わった後バロがどこに行けるとも思えないし、見ている限りだとおそらくオズはバロのことはかばわないだろうし。国につかまって処分されるか、バロのせいで死んだ反乱者たちの仲間からのリンチに遭うか、どっちにしてもろくな未来じゃない。
だったら、別に僕が同行しなくてもいいのかな、とも思ってしまう。
「さってと。みんな気を付けてね?どれくらい威力が出るのか僕にも未知数なところあるし。あ、エレカ対遺物バリア張っといて」
「わかった」
エレカが手元の装置をいじるとブンッと重低音がして僕たちの周囲に膜が張られる。
「そんじゃぁ、ふぁいあ~!」
オズの気が抜けるような声とともに引き金が引かれた。
カラン、と先端部分のカバーが落ちる音が響いた。
とても静かに、まるで眠りに誘うような穏やかさでふっと親指の爪ほどのサイズの灰色の塊が放出された。
その球は弾頭の速度にしてはあまりにも遅く、かといって完全に遅いというよりはやや速いスピードでふわりふわりと宙を飛んでいく。
僕たちの心の中に不安の欠片が転がってきた。
本当にこれに僕たちの命運をかけてよいのだろうか、と。
「・・・こっ」
僕がこれは大丈夫なのか、と口に出そうとしたとき、脈動がした。ドクリ、ドクリと空間が波打っている。黒い球がゆらりと揺れて同心円状に黒い波紋を生む。
ゾクッと鳥肌がたった。
ありとあらゆるエネルギーがその中の一点に向けて凝縮していっている。バチバチとここまで聞こえてくるほどの放電するような音が鳴り始めた。
脈動するようにその塊は一回り、二回りと大きくなる。
そして、その存在感は数倍じゃ聞かないほどに巨大になっていく。当初の見失いそうなほどの小ささと比べ、30メートル近く先まで飛んであとのほうがよほど大きくなっている。
まだ着弾していないにもかかわらず障壁が不安定に揺れ始めた。
安心したかのようなスラッグの声が聞こえる。
「なんだ、大丈夫そうじゃん」
その言葉を皮切りとするように、それまでせき止められていた安堵の声が上がり始めた。
「一瞬不安だったけど、大丈夫そうだな!」
「これで失敗だったら死んでも死にきれないよ・・・」
「はっお前は殺しても死なないだろ!」
そんな柔らかな雰囲気のみんなとは裏腹に、急にぶり返し始めた頭の痛みを感じた僕はうずくまった。
気持ち悪い。
ひどく不快な音が耳の奥で反響している。えずいた拍子に出た涙が視界を滲ませた。
「大丈夫?」
近くにいたエレカがしゃがんで僕の背中をさすってきた。
涙で滲んだ視界の先で、安心したように見守る幾つもの目の先で、発射された時と同じようにゆらりゆらりと二度大きくその形を揺らめかせた球形の弾頭は、溶けるように宙に消えた。
「・・・え?」
いつも余裕を崩さないオズが、呆然と立ち尽くしている。オズの胸元の無線が鳴った。半分叫ぶようなジャギーの声がとぎれとぎれに流れてくる。
「や、やっと、繋が・・・まし・・・トル、クがそっち、に・・・あぶ、な」
プツと軽く音を立てて切れた無線はザザッザーと、無駄に雑音を流し続けるだけでそれ以上何の情報ももたらしてくれない。
再度空間がゆらりと揺れ、いつかの汚濁の波がゾワリと揺れて広がった。
その波に触れられた瞬間、一瞬で僕たちを包み込んでいた膜が消失した。
「え、何!?」
混乱したエレカの声がまるで自分だけ別の部屋にいるようにくぐもって聞こえる。
まずいまずい!そう危険信号が発せられているのが真に迫ってくるが、なお、僕の喉は凍り付いたように動かない。
何とか絞り出した声もかすれていて自分でもほとんど聞き取れないほどだった。
「・・・ぃ、逃げない、と」
そんな困惑が広がる状況を叩き潰す様に背後から聞き覚えのある声がした。
「やあやあ、こんなところまでご苦労様。こっちから迎えに行く手間が省けたよ。いやーどっから手に入れたの、それ。さすがにそれだったらあの障壁も敗れたかもしんないよ。まあ、もう使えないんだけど」
ゆらりと空間が揺らぐようにしてこつ然と現れたトルクの後ろの入り口から、なだれ込むように兵が湧き出てきた。
一瞬で隊列を完成させた兵たちは80や90ではきかない、200人は超えていた。
トルクを見た瞬間悲鳴のような声を上げたエレカが叫ぶようにして声を上げる。
「撃って!早く!!!」
それを聞いて慌てたように銃を持ち上げたアッシャーの面々はやや手間取ったものの2秒足らずで無防備なトルクに向けて引き金を引き絞り、引ききって。
カチリと音がした。
「な、何をしてるの?早く撃たないと」
カチ、カチカチと何度も引き金を引く音が鳴る。
「は、反応しません」
青ざめた顔で何度も引き金を引く兵を見たトルクは我慢できないと言わんばかりに、笑い出した。見覚えのあるパルス発生装置を手のひらの上で転がしている。
「いや、ボイドパルスだよ。だからもう使えないってそれ。もう詰んだってこと、わかる?じゃ、まずは君から死んで?」
トルクの指す指の先にはまだ衝撃が抜けきらないとばかりに立ちすくんでいるオズがいた。
一糸乱れぬ速さ、タイミング、角度で200を超える銃口がこちらを向いた。
「なんで?ねえなんでつかないの!?」
半狂乱で必死に装置を起動しようとし続けるエレカを僕は引っ張って地面に伏せさせる。
あきらめたように装置から力なく手を離したハルカは絶望と涙を膨らませた瞳を上げた。
銃口を見てやっと現実に戻ってきたように動き始めたオズはまだ動きが鈍い。そんなオズを完膚なきまでに処理するようオズに向かって放射状に放たれた弾丸は莫大な速度エネルギーを宿してその身を高速回転させながら、血がほしい、肉が欲しいとこれ以上ないくらいに渇望をたぎらせて、何の障害もなく目標の下へ一直線に飛んでいく。
オズの方に無理やり頭を向けたエレカの瞳から水滴がぽつりぽつり落ちた。
「オズ!!!」
そう叫んだのは、高い声三つ。エレカとスラッグと僕。
ふっとこちらに振り向いたオズが薄く笑ったような気がした。
すごく透明な笑みだった。
一瞬後に奇声を上げながら念願の肉に食らいついた大量の弾たちは、血しぶきを跳ね飛ばしながら喜び勇んで体に虫食いの穴を食い広げていく。
血流を宙に吹き出した一人の男の体が、まるで飽きた子供に投げ捨てられた菓子のように冷たい床の上を横転した。
*
我ながら今までの自分の人生はろくなものじゃなかったと思う。
母親はすぐに死んで、親父はそんなことなんてどうでもいいと言うかのように仕事に逃げて。
そんで妹が死んだとき、俺にはもう何もなかった。
敵を討つでもなく、射撃の練習に精を出していた俺は、本来全然親父を笑えない。結局俺たちは親子、似ているのだ。
その結果、我武者羅にそれだけやってたおかげで銃の腕は上がったが、でもそれだけだった。
別に、母親も妹も戻ってくるわけじゃない。
そんな中身の抜け落ちた日々を送っていた俺は、エレカと出会った。
個人的な人生の七不思議のひとつに俺は打算的な奴だと思われやすいということがある。なぜか、目端の鋭い奴はみんなこぞって俺を打算野郎に、人の血が無い冷血漢みたいにしたがるのだ。
多少打算的なところはあるかもしれないが、俺は自分のことを感情が無いとは思わない。
何せ、あの時エレカを助けたのは本当にただの感情だったのだ。
おびえた顔をしながら壁際に下がったエレカがなかなかに可愛いと。
いや、思考が空転しているな。
俺は蝗のように襲い掛かってくる黒い弾丸の群れをぼんやりと見ながら思う。
ああ、ここまでは来れたけど、さすがに無理だったか。
最初は熱血にして無鉄砲なエレカに引っ張られるようにして始めたこの作戦も、終わってみればかなりいい線言ってたんじゃないか、と思う。
何せ、ここまでこの人数を食わせて武装させるために、何人も裏の奴らを消したり懐柔したり、裏工作に付き合ったりして、何とか資金を貯めて。
資金を盗まれかけたり、連邦との交渉の際にかなりギリギリと綱渡りをしたりと散々な目にも合った。
でも、あとトルクが来るのが少し遅かったらあの障壁すらもぶち破れていたのだ。
十分やった。一平民としては百点満点を超えて400点も500点ももらっていいと思う。
だが、結局は貴族の壁は厚かった。どうにかなるものでもなかった。
でも、一つだけ心残りがあるとするなら。
背後には敗れるそぶりも見せない障壁、唯一の逃走経路にはトルクの擁する正規軍200人弱。そのうえ、向こうは遺物を使えるくせにこっちのは無効化されて、対遺物バリアすらまともに展開できないときた。
今ここで俺が死んで一団が瓦解したらエレカもきっとここで死ぬだろう。
それは、ひどく嫌だった。どうにも耐え難かった。だけど、もうこの状況になってはどうすることもできない。
僕はせめてあと少しだけとばかりにエレカの方を向く。
今までありがとう、それと―――。
そう言葉を出そうとしたとき、黒い影が飛んだ。
ドシュドシュドシュと耳をふさぎたくなるような音がして数えきれないほどの弾が突き刺さる。
でも、それを食らったのは俺じゃなかった。
ポロっとこぼれるように言葉が漏れた。
「おや、じ?」
全身から血を吹き出してたたらを踏んだバロが地面に倒れ込んだ。
*
「おい!なにやって・・・」
口調が乱れたオズがバロのもとにしゃがみ込む。
苦しそうに顔をゆがめたバロが体を仏わせるたびに血だまりがぐんぐんと広がっていく。
唖然としたように転がるバロの体を見ていたトルクが口を開いた。
「え、ええー?どういうこと?ま、いいや。じゃ、他の奴らも撃っちゃって」
その言葉を聞いた兵たちがまた銃口をこちらに向ける。引き金に欠けられた指に力が入ると同時にエレカが叫んだ。
「お願い!」
力強く押されたバリア展開装置が一瞬揺れた後に砂のように崩れ落ちる。一瞬失敗かと肝を冷やしたものの、一秒ほどたってから宙に再度バリアが展開された。
「え?何それすごいね。僕にも教えてくんないかな?」
トルクが驚いたように目を瞬かせている。
「はっ教えるわけないでしょ!」
そう担架を切ったエレカをつまらなそうに見たトルクは兵に指示を出した。
「あの女は残して。いやー思い出したよ。君、昔研究所にいた子だよね?なんでアッシャーなんかに入ってるの?もしかしてさ、研究所内にそいつらを手引きでもした?」
ひるんだように体を引いたエレカが負けじと言い返す。
「まだその時はアッシャーなんて影も形もなかったわよ!」
「へえ?でもさ、なんか君変なんだよねぇ」
「・・・何が?」
その反応を見たトルクは再度瞬きをした。
「へえ、へえ・・・へぇえ?」
トルクは急に首をだらんとさせて下を向きながら笑い始めた。壊れたゼンマイ仕掛けの人形のように額っと首を上げたトルクは、ぶるぶると震える手のひらを額に当てながらおかしくてたまらないと言わんばかりに笑っている。
「うそでしょ!こんな幸運って・・・」
長々と笑い続けるトルクを見たエレカは不安そうに顔をゆがめる。
「な、なに・・・」
「君でしょ」
手を額から降ろしたトルクが嗤った。
「君だよ。ハルカ殺したの。ねえそうでしょ?」
「・・・そ、そうよ!でも、あれは半分事故で」
「かわいそうだなぁ。ハルカ、よく君のこと話してたんだよ。友達だって。ねえ、そんな信じてた君に裏切られたハルカはどんな気持ちだったと思うの?ねえ教えてよ!」
エレカが目をそらす。
「そ、れ、は・・・」
「きーめた」
ふざけるようにそう言ったトルクの声が急に低くなった。
「お前は特別コースだ。僕が直々に生きたまま、爪から、軟骨から、瞳から、一個ずつ取って全部調理してあげるよ。遠慮言わないで食べてよね。それ以外食べ物上げないからさ」
「・・・なんの、話?」
エレカの口から震える声が漏れた。
「君がこれから行くことになる地獄のことだよ。まあ、殺したりはしないから安心して?本当の地獄なんかにはいかせてあげないよ。ちゃんと狂わないように1か月に一回くらい休憩する日も取ってあげる。ちゃんと緩急もつけてあげる。君だけを苦しめるんじゃなくてさ、そこの子供とかも使ってね?」
トルクの爬虫類のような眼に射られたようになった僕はブルリと体を震わせる。
「だ、大丈夫。この中から向こうへは一方的に攻撃できるから、それで・・・」
「あ、干渉レベル上げるね?悪いけど」
ふっと先ほどまでの空気を不自然なほど自然に雲散させたトルクが手元の制御装置をいじった。
ゆらりと揺らいだ膜が、またしても薄れ始めた。
「こ、これでも、だめ・・・?」
「だぁめ♪」
楽しげにそう言ったトルクが指を鳴らすとエレカの周囲にだけ膜が再度張り直される。
「じゃ、さっさと全員撃ち殺して。あ、どっちでもいいけど一応あのガキは使えそうだから残しといてね」
バロのもとにしゃがみ込んでいたオズがバッと立ち上がって、ホルスターからリボルバーを抜き、トルクに突きつけた。
「遺物が無理でもこいつなら!」
声を荒らげたオズが引き金を引き絞る。銃口とトルクの最短距離を結んで飛んだ銃弾は、制御装置ギリギリを掠めて壁にめり込んだ。
「うわっ。あっぶな!」
「・・・っそがぁ!」
オズが、外したことに僕が衝撃を受けていると、再度引き金を引き絞ったオズのリボルバーからとどめをさす様に非情な音がした。
弾切れだ。
「なんだよ、びっくりさせて。じゃあもうさっさとやっちゃってよ」
トルクは自分が驚いてしまったことが不快だという様にイラついた素振りで手を振った。
再度僕たちに照準が合わせられる。
僕の手元にはいつのまにか、旧水道で拾った小石が握りしめられていた。
僕の目には幾つあるのか数えたくなくなるような黒塗りの銃口も、もう僕達から興味をなくしたように冷めた目つきをしたトルクも、エレカの方に目線を飛ばしたオズの必死な顔も、未だ何も反応をよこさない引き金を祈るように何度も引いているアッシャーの構成員も、映ってはいなかった。
僕が見ていたのは、軍服ともトルクとも正反対の障壁のさらに向こう。努力機構の中心部に浮かぶルルの姿だった。
閉ざされていたルルの瞳が薄く、本当に薄く開けられたような気がする。
『テル』
声が聞こえてくる。僕はそれに返す。
『ルル』
もう、声はそれ以上聞こえてはこなかった。もうそれ以上は話さないのだと、僕は知っていた。ここに来る前に聞いたエレカの言が脳裏に浮かぶ。
『ルルちゃんは記憶を燃料として燃やしてる。だから、助け出した時にどこまで記憶が残っているかはわからない。もしかしたら、君のことを完全に忘れてしまっているかもしれない。それでも君はルルちゃんを助けるの?』
僕はその時その言葉に応えなかった。
今もなお、その返事はわからない。
でも、僕はこの時。ルルが助けられるのなら、何でもいい。ルルがたとえ僕のことを憶えてなくても、僕はルルのことを憶えているから、絶対に忘れないから。
だったら、そのあとのことは、そのあとに考えよう。
割きまわしにしてるだけだし、僕はルルを泣かせたあの時と全く変わっていない。結局僕はひどく自己中心的なのだ。でも、どうしてもルルがこの世界からいなくなるということは我慢できなくて。自分が自己中心的だとか、記憶がどうとかは、それに比べたらどうでもよかった。
今の状況はひどく単純だ。論理は一本の線でしかつながっていない。
ルルを助けるためには障壁が邪魔で、障壁を壊すためのロケランを使うにはボイドパルスが邪魔で、トルクの持つ制御装置が邪魔だ。
オズの実弾の銃だったら、遺物の絡まない只の火薬の銃だったら、制御装置は怖しえるのだ。遺物が使えなくても使えるもので制御装置を壊すことさえできれば、何でもいいのだ。
僕の脳裏には今までの幾多の練習が、数多の失敗と成功が雪崩のように流れていた。
僕は石の投擲には自信がある。だが、こんなに距離が離れてしまっていては当たるものも当たらないだろう。
でも、今の僕は、ウルを助けること以外すべてがどうでもいい。もう一度だけでも、君が笑ってくれるのなら、何でも。
僕は一歩、二歩とみんなの前に歩いていく。
スーッと世界が透き通っていく。いつの間にか頭の痛みは消えていた。
僕は小石を落とさないように握りしめたまま腕を振り、足を上げ、走り出した。
トルクに向かって、壁のように立ちふさがっている軍服のど真ん中に向けて。
「テル!」
スラッグの叫ぶ声が聞こえた気がした。
「「テル君!」」
オズの、エレカの声が聞こえた気がした。
『テ、ル!』
君の声が聞こえた気がした。
トルクが何か叫んだ。
銃口が一斉に火を噴いて僕に大量のエネルギーを内包した礫がとびかかってくる。
頬に、手に、太ももに、銃弾が掠めては背後に消え去っていく。
僕の中をルルとの日々が駆け巡っていく。
『テル!』
2人で逃げ込んだ森で、抱き合って震えながら眠った早朝も。面白いように引っかかる追手から笑いながら逃げたあの昼も。なかなか撒けずに肺が死にそうな思いをしたあの夕べも。ふたりで商店に忍び込んだあの夜中も。
『ずっと一緒だよ!』
二人で見た朝焼けも。二人で魚を捕まえたあの渓流も。幾晩も幾晩も二人で眺め続けたあの星空も。駆け巡るように僕の体を作り上げている。
今、この瞬間の僕を作り上げているのは今までの記憶で、思い出なのだ。
記憶というのは畢竟、命そのもので。今までの記憶が、感情が、会話が、全部ごたまぜになった全然きれいじゃなくて、むしろはたから見たら汚いくらいのマーブル模様のもろくて儚い塊。
あの日捨てた汗が、あの日吐いた唾が、あの日流した血が、涙が、固まってできた無限に広がっていく、夢幻の欠片。
僕は今までを必死に抱きしめるようにしてただひたすらに走った。
今になって頭が痛い。手のひらが痛い。足が、頬が、腕が痛い。
でも、ルルが見守ってくれているから。僕は自分自身だけでも進む。
でも、一人だけじゃ無理な時が来たら。
額のど真ん中めがけて銃弾が飛び込んできた。
「ああもう、さっさと死ね!」
「テル!」
「テル君!」
「坊主!」
僕の額の寸前にせまった弾丸が一つ、背後から流れるようにして伸びてきた蒼白い糸にからめとられた。
いつの間にか僕の背を押す様に濁流のように蒼の光が輝き始めている。
呆然と口を開けたトルクの顔が蒼く見えて妙におかしい。
ルルに、助けてもらおう。
ルル一人だけじゃなくて、僕一人だけじゃなくて、ルルが一方的に僕を守るのでなく、僕が一方的にルルを救うのでもなく。
気付けば世界は蒼く凍り付き始めていた。
「ボイドパルス出力全開!」
その装置から流れ出した濁流が、白糸にからめとられる。
しかし、決してこちらが押し切ることはできずに両者の勢いは拮抗している。長くはもたないはずだ。
僕とトルクの距離はもう10メートルもなかった。
僕は右足で強く床面を踏みしめる。小石を持った右手が蒼く輝き始めた。
左足が地面について体の重心が左足の方へ移動する。弓のように体をしならせて右手を引き絞った。
右足が地面をじりっと削る。見える。トルクの手元がこれ以上ないくらい良く見える。いつの間にか僕の黒い瞳は蒼く輝き始めていた。
丸で、自分こそがテルルだと主張するように。夜空で一番明るいのは僕だ。夜空で一番最初に輝きだすのは僕だ、と叫ぶように。
ふっとそばにルルの存在を感じた。遠くではなくすぐ横にルルがいる。
ああ、ルルも一緒に。
そう思った時、ルルが消えてから今までぽっかりと開いていた隣の欠落が不意に埋まった。
じわじわと心の奥底から熱がわいてきた。頭の違和感が解けるように消え去っていた。体なんてまるで痛くなかった。
加速する、どんどん腕が加速する。糸が寄り集まって蒼く輝く手のようになった。僕の手を引くように乱暴に手首をつかんだその手は冷たく、暖かく、乱暴で、やさしく僕の手を引っ張る。
過去最高の速度で僕の頭の横を自分の腕が通り過ぎて。
蒼い、どこまでも蒼く燦燦と煌く流れ星が尾を描いて翔んだ。
ああ、テルルだ。あの一番星が地上に降臨している。
自然なほどすとんと腑に落ちた。
今まさに僕の手から放たれたあの星は、テルル。
今空を見上げたらテルルがあるのか疑ってしまうほどにそれはテルルだった。旧水道に転がっていた石が、今まさにあの一等星に匹敵するような輝きをもって光を放っている。テルル、君は一人じゃない。誰にでもなれるんだ。そう、いわれているような気がした。
まばゆい蒼の輝きが世界を埋め尽くす。吸い込まれるようにしてトルクの手元に突っ込んだ小石は制御装置にめり込み、蒼く輝きながら爆発した。
一瞬で幾つものことが起こった。
スラッグが持つ銃からトルクに向けて放たれた銃弾が、トルクの額を貫通した。
巨大なガラスか何かが粉々になるような音がして、背後の障壁が解けるように消えた。
動力装置の中のルルが可聴域ギリギリなほどの高音を発して、蒼い濁流がすべてを飲み込んだ。
そして僕は蒼く消えそうな意識の中、ルルの声が聞こえたような気がした。
『ずっと忘れないって言ってたけど。でも、テルのこと、忘れちゃうかもしれない。ごめんね』