表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
テルル(旧版)  作者: 丘源
6/10

五話

目を覚ますと世界が蒼くゆがんでいた。天井が波打つように蒼から白へ、白から蒼へと移り変わっていく。

僕は白く、蒼く見える天幕の中に寝かされていた。僕は肘をついて体を起こした。

視界が揺れるのと同時に周囲のものに青い縁取りがかかる。僕はその気持ち悪い視界を振り払うように目をこすろうとして手をぱっと離した。

「ぁ゛っづ!」

目元に手が当たった瞬間、手が左右に引き裂かれたと思った。熱い。焼き鏝を無理やり押し付けられたような熱と芯に響くじんじんと染みるような痛みが酷い。

その痛みをこらえようと歯を食いしばったとき、妙な違和感を感じた。

ぼんやりとだが、何か体の感覚が普段とは違うような・・・。

「起きたの!?」

横から急に声がした。女の声。

その声に驚いた声はビクッと肩を震わせてそちらの方を向くと、急に中心部を強く揺さぶるような衝撃とこらえがたいほどの吐き気が襲い掛かってきた。

「う、っぶぅ」

とっさに口元を抑えた手がひどい痛みを叫んだので、僕はまたも反射的に手を離した。

手を握らないように手首の上あたりに力を込めながら、何とか喉元までこみあげてきていた酸性の液体を嚥下した後、他人事のように涙で滲んだ周囲を見る。

口元に触れた手の感触。手に、穴があいてる?

ヒュッと息を吸うような音がして、半ば叫ぶような声が出かけた後に無理やりその声をもみ込むようにして押し殺したように声が聞こえた。

「っ!・・・う、動かないで。あなた、ものすごい大けがをしていたの。今起きているのも軌跡なくらい。もう少し安静にしていないとダメ!」

「ぅ、うあ」

未だ、あまり働かない頭が出した声はそんな中途半端なもので、僕は少ししてからひどく恥ずかしくなった。

なんだ、うあって・・・。

「君は何があってあんな大けがをしてたの?川辺に流れ着いてきてたって聞いたとき、私びっくりしちゃったよ」

僕は何があってここに?

そう思った瞬間、濁流のように今までのことが流れ込んできた。

切れ切れの意識と、肺腑を侵そうとするようにとめどなく襲い掛かる水の暴力。起きてはあまりの頭の痛みに意識を飛ばされ、水攻めによる呼吸困難で、無理やり起こされることの繰り返し。川辺に何とか縋り付こうにも手には力が入らずに、雑草の一つもつかめない。

なんども、もう死んだ、今度こそはダメだと思ったけれど。

僕は生き延びたのだ。

でも。

レジスタンスは、国の傀儡だった。

「だ、だいじょうぶ?傷が痛むの?」

僕が―――ルルのもとから引きはがされて、早一か月近くになる。

なるべく考えないようにしていた。

もうルルはとっくのとうに殺されてしまっているんじゃないかなんて。

プルクに追い詰められていた時には聞こえてこなかったルルの声がこだまする。

『ミンチにして高圧電流をかけるんだとか―――』

僕の姉ちゃんが、あのルルが物言わぬ肉塊になって、そんなことをされてる?

ひどく趣味の悪い冗談だ。そんなこと、あるわけ―――。

今の僕には、それが否定できない。

もう、ルルがこの世にいないかもしれないなんて馬鹿げたこと。

否定、できない。

『テルってめっちゃ料理上手いよな!』

ルルがもういない?

『やっちゃえ!テル!!』

この世のどこにも?

僕の心臓の中心部に、ここずっとこらえてきていた孤独が吹き荒れていた。

ぽっかりとえぐられたように寒い隣の空間から冷気が吹き込んでくる。

涙がぽろぽろとこぼれてきた。視界がぐるぐる回り始めている。

レジスタンスが国の傀儡だったのなら、あのひと突き僕が集めてきた情報は一体何だったのだろう。まさか、本物の情報なんて与えてくれるわけがない。

じゃあ、偽物?何の役にも立たないあの情報を聞きとして集めていたあの1か月の間にルルが殺されていたとしたら。

至極あたりまえでいて、僕が最初からずっと目をそらしていたもの。

もし、僕がいなければ、ルルは―――。

もし、僕がいなければもっと早くオルケミスに到達していた。

もし、僕がいなければオルケミスで兵士たちから逃げているとき、ルルは一人でもっと簡単に逃げられた。

もし、僕がいなければトルストで兵士に包囲されることもなく、包囲されても逃げられたかもしれない。

僕は、足手まといだったのだ。

ルルにとってずっと。

すごく自分が気持ち悪い存在に思えてきた。

なんであの時の僕はルルの負担になり続けてあんなにも笑っていたんだろう。

微塵も後ろめたいところなんてなかのように、ルルの隣にいられたんだろう。

僕が、ルルを殺した?

周囲の空気がひどく圧迫感を感じさせてくる。

怖い。ひどく恐ろしい。

でも、そんな中でも僕が恥知らずにもすがれるのはルルしかなくて。

ガシャーンと音がした。

でも、当たり前ながら隣に手を伸ばしても、当たるのはただの照明器具で。

ルルじゃ―――。

パシッと伸ばした腕が抱き留められた。

え?

僕はゆっくりと横を振り向く。

もちろんそこにいるのはルルじゃなくて、さっきから声をかけてきている女の人だった。胸元にペンがいくつか突っ込まれた白衣を着ていて、両手で僕の手を抱きしめるように持っている。僕のケガを気遣ってか、すごく優しい手つきだった。

「大丈夫だよ!ここにはあなたに攻撃しようとする人なんていない!」

その女の人は泣いていた。

「あなたが何に苦しんでいるかなんて私にはわからないよ!私とあなたは会ったばかりでお互いの名前も知らない!でも!」

全然似てなかった。

背丈が違うし、髪の長さもずっと短いし、年も全然違うのに。

なぜかその時、僕の目には女の人にとっくのとうに死んだ僕の母親にダブって見えたのだ。

ふわっと香りがした。気づけば僕はそっと、でもぎゅっと抱きしめられていた。

「教えて、あなたのこと。今まで何があったの?」

その日、天幕からは母親にすがるような子供の泣き声が、大きくなったり小さくなったりしながら長く長く聞こえ続けていた。



白い天幕の中は再度置き直された照明によって照らされていた。傍らの椅子に座っている白衣の女は慈しみに満ちた表情で泣き疲れて眠ってしまったテルの頭をなでていた。

「さて、落ち着いたかい?」

エレカ・ノスターは天幕を開いて入ってきた男を振り返りささやいた。

「オズ、静かにして。この子今寝ちゃってるから!」

それを聞いたオズはふぅと溜息を吐いてから続けた。

「一応その子、うちの敵対組織の構成員なんだけどねぇ・・・」

それを聞いた瞬間、眉根を寄せたエレカはキッとして言い返した。

「この子に手を出すならまず私を倒してからにすることね!」

「あー、そういう話じゃないのに。これだから行き場のない母性を持て余したアラサーは困る」

「誰がアラサーよ。私まだ28なんですけど!っていうかオズも27歳だし人のこと言えないでしょ!」

しばしの間、二人は小声で言い争っていたが、少しの沈黙の後、二人は同時に笑い出した。テルを気遣ってか控えめに。

切り替えるようにオズが話し出した。

「まあ、俺もまじめにテル君が敵だとは思ってないよ。その子と前会ったことあるけど、明らかに国から追われてたから逃げる手伝いをしたんだけど。結果的に向こうの索敵時間を稼いだみたいになっちゃったし、できれば助けてやりたいのも山々なんだけどなぁ・・・」

「え、知り合いなの、この子と?」

「まあ、数日一緒に隠れてたくらいだよ。さっき聞いたでしょ、オルケミスで兵に追われてたって。それ助けたの俺だよ」

「えっ!オズに助けられたとは言ってたけどあなただったの?同名の別人じゃなくて」

「オズなんてあんましいないでしょ?」

「まあ、確かにそうかもしれないけど、だけど・・・」

そうブツブツつぶやいているエレカをしょうがない奴だというように見たオズは「でも」と強調するように言った。

「万が一にも例の計画が外部に漏れるわけにはいかないってとこは君も理解できるでしょ?君も俺もこの計画にどんだけの労力と時間を注ぎ込んでるか考えたくないくらいだしねぇ。この計画に不確定要素は必要ないんだ。これはテル君にとってもねぇ。この状況で情報が外部に漏れたら疑われるのは」

そこまで言ってオズは言葉を切る。

「・・・そうすると、テル君になるかぁ」

そううめいたエレカは頭が痛い、と言わんばかりに顔をしかめる。

「でしょ?だから、彼は巻き込まないのが―――」

そこまで言ったオズは言葉を止めた。胸元に入れている無線機が信号を受信したことを知らせている。

「悪い。ちょっと出てくるねぇ」

そういってオズは天幕の外に出て行った。

エレカはそれを見送った後にアンニュイな顔でため息をつく。どこか幼さを感じさせる容姿が一気に大人の女性としての色を帯びた。

特定個体が生き残っていた。しかもそれが国に奪われてしまった。最近の国軍の動きが露骨だったのはそのことだったのか、とそこまで考えたエレカは急に相好を崩した。

でも、かーわい。

にまにまと顔をだらしなくゆがませたエレカはテルの寝顔を眺める。

エレカがなぜ、こんなにも小さい男の子の寝顔というのは尊いのだろうか、ということを真剣に考察していた時。

天幕に人影が写った。やや、ぎこちなく天幕の入り口をくぐってきたのは、一人の少年だった。彼を見たエレカは問いかける。

「あれ、どうしたの?ケガ?」

「違う」

金髪の間から覗く三白眼を一瞬ベットで眠っているテルに滑らせたあと、少年はつぶやいた。

「・・・ルルは、いないのか?」



『―――セントラルドグマ破壊計画なるものの存在が明らかになりました。入手ルートはレジスタンスのバルバロイからです。アッシャーからの協力要請といった形で書簡が送られてきた模様』

「ふーん。そう」

トルクは椅子に深々と座りなおしながら、卓上の固定無線機に向かってリラックスした様子で返した。

『書簡の内容を読み上げましょうか』

トルクは興味なさげに自分の爪の先をこすり始めた。妙に形が気に障ったらしい。

「あーうん。よろしく」

『はっ。血染めの瞳のバルバロイ殿。同じ志を持つものとして、前々からご助力を願い出ようと考えておりました。来る8月の一日。我々は敵地中枢の帝都動力機構の破壊を目指して本格的に攻勢を開始しようと考えています。可能であれば、増援としての参加をお願いしたい次第です。返答は当日の行動如何によってお願いする所存です、とのことです』

「・・・ふん」

急にトルクの声が不快感をにじませた。

『っど、どうされましたか?』

その負の反応を嗅ぎ取ったのであろうか、交換手の声が一瞬乱れた。

「いんや、何でもない。下がっていいよ」

『・・・失礼します』

ザザッと軽く雑音が混じった後にプツンと音を立てて無線が完全に沈黙する。

しばらく目を閉じて椅子にもたれかかっていたトルクは、ブツブツと独り言をつぶやき始めた。

「アッシャーが完全にレジスタンスの正体に気づいていないとは考えにくい。」

にぶい音がして床に敷かれた豪奢な敷物に、品の良い革靴の踵が突き刺さる。

「だからと言ってわざわざ自分から計画を知らせてくるのは、筋が通らない。罠だとしても現在これと言って陽動の必要のある案件もない」

カツカツカツと椅子のひじ掛けに人差し指が一定のリズムを刻む。

「もう一段策があるか?いや、僕の思考を邪魔するためのミスリード、にしては・・・」

しばし一定の間隔で小さな音が鳴り続けていたが、カーンとひときわ大きな音がした後、人気のない廊下は静寂に支配された。

その張り詰められた膜を突き破るように無線機のダイヤルを回す音がした。

「・・・じゃあ、さっき来た連絡は君たちじゃないと?」

『は、はっ。我々は連絡など』

ブツッと話をさえぎるように切った無線機の受話器部分を芝居がかった渋さで馬鹿丁寧に戻したトルクは口元が歪に裂けた。

「へぇ、やるじゃん。でもね。わざわざこんなことをするってことは何かするってことを自分から宣言してるようなもんだよねぇ。やっぱりイレギュラーはあったんだよ。何かしら。突貫で作った計画で僕と勝負しようなんで身の程知らずも甚だしいね」

トルクは不意にまじめな顔になり、自らの指を装飾しているたくさん指輪のうちの一つにふっと目をやった。大量の遺物の指輪の中に浮くようにぽつんと存在しているただの装飾品でしかないソレは。

「今までさんざん尻尾を掴ませなかったアッシャーがついに見せた隙だ。君に届くかはわからないけど・・・いや、関係ないな。これは僕の憂さ晴らしだ。きっと君が今の僕を見たら悲しむかもしれないけど。でも」

トルクはアッシャーへの憎悪を研ぎ澄ませるように。感情的になった脳髄を、計略を立てるために冷却しようとする様に。相手の可能性を、逃げ道を狭めるように。

かつてアッシャーに奪われた彼の想い人『ハルカ・ツキマチ』のその姿を目の前に浮かべるように。

その鳶色の瞳を細めた。

神秘的な黒の瞳、流れる清流のようなその黒髪、年のわりに幼く見えるその顔を。

「ついに君の仇が取れる」

その後もトルクの執務室では、明け方まで無線機のホワイトノイズとトルクが何かを命じる声が途切れることはなかった。



僕は、その後だんだんと体調を回復していった。しかし、頭の痛みは緩和はされたものの、完治には至らないらしい。頭に異物がめり込んでるのに、そこまで支障なく動けている今が異常なのだということだった。

僕は天幕の中で彼女と色々な話をした。

お互いのこと、僕が今までしてきたこと、そして、彼女がこれからしたいこと。

彼女はこの国の制度を変えたい、と言っていた。国を支配するのが貴族じゃなくて、庶民になる、そんな国を作りたいんだ、と言った。

夢を見るようにつぶやいたエレカは「まあ、今はオズにおんぶにだっこなんだけどね」と照れ臭そうに笑った。

そして、そんな日々が4日くらい過ぎて、僕が何とか歩き回れるようになったころ、オズが様子を見にきた。

「やぁ。また会ったね久しぶり」

しゃらりしゃらりと音を鳴らしながら訪ねてきたオズはあの時と何も変わっていなかった。ただ、僕の目は一月半ぶりに再開したオズよりもその隣に付き従う様に入った来た少年にくぎ付けになった。

「スラッグ!?」

オズは、スラッグを伴って僕に訪ねてきたのだ。

スラッグは前別れた時よりも随分と暗い顔をしていた。じろりと僕の方を無遠慮に眺めた後、プイッと振り向いて天幕の外に出て行ってしまう。

以前別れてからひと月半以上たっている。前会った時よりも随分と髪が伸びていて、彼のトレードマークの三白眼はほとんど見えなくなっていた。

「ま、彼のことはいったんおいておこう。とりあえず、多少のことはエレカさんから聞いたでしょ?俺にも君が列車に乗った後何があったか教えてくれないかなぁ」

そう話しかけてきたオズに、僕は内心スラッグのことが気になりつつも、答える。

列車から降りて、人気のないスラムでルルがさらわれて、そこからレジスタンスに入って、プルクに裏切られて。

全てを話し終えた僕を見たオズは少ししてから一言言った。

「そりゃあ大変だったね。で、これから君はどうするんだい?残念ながら何もしない子を置いておくほどの余裕はないんだよぉ、わるいけどね」

「・・・僕は」

「やめとけよ」

地の底を這うように、唸るように、ついこぼれてしまったというようにスラッグが僕の言葉をさえぎった。

僕はその時スラッグを最初に見てからずっと心の中に残っていたしこりのようなものの正体に気が付いた。

いつも、スラッグの近くにいるはずのカークとレグの姿がない。

吐き捨てるように言ったスラッグの目は昔とは似ても似つかない。形は一緒なのに、まるで同じ人間の物とは思えないほど、空虚だった。

「ルルがいなきゃ、そいつなんて何もできねぇよ」

「え?」

僕の背筋にじっとりと自らの存在を主張し始めた汗がいやに強調されているように感じる。

「話を聞いてみたら、お前逃げてる最中ほとんどルルに頼ってるだけじゃねえか。で、ルルがいなくなったら今度はレジスタンスにほいほい従って、それで今度はウチか?」

スラッグはイラついたように自身のくすんだ金髪に曲げた指を通している。

「風見鶏なんだよ、お前は。どうせ今度また劣勢になったら、さっさと寝返るんだろ。国にでも何でも」

「そんな、ことは・・・」

僕はとっさに言い返そうとして、すぐに言葉を吐き出さない自分に愕然とした。

僕は今迷った?何を?何を迷う必要が・・・。

「結局お前は怖いんだよ、自分が殴られるのが。一番大事なのは自分のこと、他の奴なんてどうでもいいんだろ?」

「ちが・・・それは、違う・・・」

そうはいっていても僕は心の中で同意してしまう自分がいることを否定しきれなかった。結局僕は自分が一番大切なのかもしれない。その言葉を胸を張って否定できない自分が悔しくて。

じわっと涙がにじんできた。

スラッグを押しとどめようとエレカが焦ったように口を開く。

「ちょ、ちょっとまってスラッグ!テル君にも色々・・・」

「黙れよ」

「・・・・・・え?」

スラッグは空虚な瞳の中にここからでもはっきりとわかるほどの憎悪をにじませて、その言葉をぼとりと落とした。

「黙れよ。てめぇのせいで何人死んだか知ってんのか。それなのにへらへら笑いやがって。・・・おいテルゥ?」

急にスラッグの声のトーンが狂ったように上がった。この一瞬で何があったのか、と思うほど面白くてたまらないと言わんばかりの声が、こみあげてくる笑いを押し殺しているように震えている。

「お前その女の正体知ってるかぁ?知らねえよな!?」

「そ、それは・・・」

「え、エレカ・・・。どうしたの?」

横を向いた僕の目にはうつむいて唇をかみしめているエレカの姿しか映らない。

エレカのせいで何人も死んだ?何の話・・・?

スラッグが勝ち誇ったように言った。振り乱された金髪の隙間からランランと光る瞳がにじみ出てくるように、そこに在ることを叫んでいる。

「そいつは孤児狩りの元凶だよ。この組織にいるやつらの家族やら友達やらを全員殺した孤児狩りの首謀者」

「それは正確じゃないねぇ」

帽子の位置を少し直したオズが目を細めた。もとより細い目がより一層糸のようになる。血のような瞳はその姿を奥に隠してしまっていてほとんど見えない。

「彼女は確かに孤児狩りの原因の一部は作ったかもしれないけど、ほんの一部だよ。それにこのアッシャーを組織したのは俺と彼女だ。君じゃない。これ以上エレカに暴言を吐くなら出て行ってくれないかい?」

オズの言葉に気おされた様にスラッグがじりっと後ろに下がった。

「・・・は?出てってやるよ。願ったりかなったりだ」

荒々しく足音を立てながらスラッグが出て行った後の天幕の中には妙な空白の雰囲気が漂い始めていた。

エレカが小さく鼻をすすった後に目元に手のひらを当てる。

「大丈夫だよエレカ。この古株の奴らでそんなこと思ってるやつはいない。それは君もわかるでしょ?」

「・・・・・・・・・うん」

そういってエレカの背中をさすっているオズは見たことがないほどやさしげな表情をしていた。

でも、僕は口が勝手に動くのを止められなかった。

「―――エレカさんは、何をしたんですか?」

「・・・あーちょっと待ってね」

そういって背中をさするオズの手を優しくどけたエレカが口を開く。

「大丈夫オズ。私が説明する。私が言わなきゃいけないと思うから」

曲げた人差し指で目元に残った水滴を跳ね飛ばしたエレカが、少し赤くなった眼をこちらにまっすぐ向けていた。

強い、すごく強い瞳だと思った。

その時僕は思った。

エレカさんが何をしたとしても、最後まで話を聞こう。

僕が到底できそうにもないこんな芯の通った瞳ができる女の人が、僕を飽きないように楽し気に話を織り交ぜながら一週間も看病してくれたこの女の人が、本当に悪いことをするとは思えなかったから。

僕は、エレカを信用していたから。

「―――私は、昔この国で研究員をしていたんだ」

エレカは語りだした。



私は当時天才と呼ばれていた遺物研究員だった。正直に言って当時の私は相当調子に乗ってたと思う。地方の町で生まれた私は、平民でありながらその能力を買われて貴族の楽員に通わせてもらえるほど能力に満ち溢れていた。学院のいけ好かない貴族たちはみんな圧倒的な学力でねじ伏せた。私以上に勉強しても私には追い付けないのに、あいつらは私よりも勉強してなかったから追いつけるはずなかったんだけど。

私は学院を飛び級で卒業。しかも学院内での研究内容が認められて異例の研究所への直接の抜擢。平民の中で上り詰められるだけ上り詰めた。

同年代で私以上にできるやつは一人もいなかった。みんなが私をほめてて、自分が世界で一番賢いんじゃないか、くらいに思っていた。

でも、そんなときに一人の女が現れた。

そう、文字通り、宙から出てくるように『現れた』の。

彼女は言葉も通じないし、見たこともないような恰好をしていて、意味不明な存在だった。でも、なぜか彼女は見たこともない遺物を所持していて、その上、私たちが研究している遺物を、初めて見体も関わらず今まで使っていたかのように使いこなせたの。

君も噂くらい聞いたことあるんじゃないかな。

そう、その子は後に異物の生みの親と呼ばれるようになる異世界人『ハルカ・ツキマチ』。彼女のおかげで遺物の研究はすごい勢いで進んで、そして、同い年で私よりもはるかに遺物を知り尽くした彼女の存在はあっという間に私の名前を消した。

しょうもないプライドに縋り付いていた当時の私は同い年で自分以上にできるやつに初めて会って、ひどくショックを受けたんだけど、でも、それ以上に燃えていた。

こいつから技を盗んで、こいつ以上に頑張れば、私はきっと今まで以上に天才になれるって、その時の私は愚かにもそう信じてたんだ。

私は同い年であることを利用して彼女に近づいた。彼女は言葉を話せるようになって、一番仲がいいってことも相まって一緒に研究をすることになった。でも、彼女から私が何かを得ることはなかった。新しい遺物が発見されたらハルカに見せる。私の見解を言おうとすると、彼女はいとも簡単にそれを起動させて、その上に使用法を大量に列挙してくれる。私はまだ文字をかけない彼女の代わりにそれを紙に書いて、終わり。

そんな日々を繰り返して一か月くらいたってさ、なんていうか、無理になったっていうのかな。

心が折れたんだよ。

だって、彼女には何もなかったんだ。聞いてみても、元の世界で見たことがあったからの一言だけ。私が必死に勉強した解析方法も、推定のための17段式分類法も、何も必要なかった。彼女は別世界の住人だったっていうその理由だけで、私の今までの人生の努力を超越していたんだよ。選ばれた存在は私なんかじゃなくて彼女だった。

私はしょせんちょっとだけ役に立たない知識が詰め込めただけのガキだったんだ。

そのあと、さらに大量のエネルギー源の確保が遺物を稼働させるために必要だって話が持ち上がったんだ。

ハルカが実用化した遺物の中には国の偉い人が使いたいって思うのが結構あったらしくて、そのせいでそれまでは研究所内で細々とやってた遺物の研究が、急に国の中枢部分が一枚かんでる大それたスケールの話になってしまった。

もともと、あの施設のメインエンジン、今では帝都動力機構って呼ばれている装置があったから、あの施設の設備とプラスアルファでちょっとくらいの遺物だったら動かせたんだけど。そ

でも、お偉いさんたちがしたかったのはこの国の軍の正式装備に異物を加える、っていうそういうレベルの話。

だから、どうしてもエネルギー源の確保が必要だった。

でも、ロストテクノロジーにもほどがあるって感じの遺物の親玉的存在、動力機構には私もさっぱり歯が立たなくて。結局それを解決したのは他の男性研究員だった。彼はその時研究所を去るところだったから、最後の研究というのもあって、いつも以上に力が張っていたのかもしれない。

それで、彼が開発した方法はこれ以上ないくらいに単純だった。

ざっくりいうと、機構にエネルギーを充填し直すってこと。逆に言えばそれまでは待機電力の余剰を細々と使ってただけなんだってことにその時はじめて気づいたの。

それが何を意味するかというと・・・あなたがルルと呼ぶ女の子が絡んでいる。いや、彼女そのものの話というしかないかもしれない。

落ち着いて聞いてほしいんだけど。おそらくというかほぼ間違いなく、彼女は人間じゃない。

彼女は遺跡発掘当初から動力機構の内に存在していた機構の核だ。

彼が編み出した研究が導き出したのはそのメカニズム。研究所の設備含め遺物というのは特定個体、ルルの記憶の力で動いていたんだ。

日々生きているだけでも自動で補充されていく記憶の力で半永久的に動くこの機構の出力を上げるためには、一気に大量に濃度の高い記憶をルルに補充するのがベスト。

そのために国全面的なバックアップのもとにルルの『散歩場所』が選定された。当日は軍の精鋭部隊を派遣して、まさにネズミ一匹通さぬ警備網だった。

でも、信じられないくらい私たちは運が悪かったの。その時、ルルが放出された瞬間。帝国史上最大の地震が起きたの。内陸部で一番近い火山までどれくらい距離があるかわからないくらいの場所で地震が起きた。

建物の倒壊とそれに伴う火災、近隣住人のパニックが酷くて、私たちもかなりの被害を受けててその状況にとどめをさす様に騒ぎのさなか、ルルの反応がロストした。

当然のことだけど私は血眼での捜索が始まると思った。もし彼女がいなくなってしまったらこの国の遺物は一気に使えなくなってしまうから。でも、捜索は一か月ほどであっさりと縮小化された。画期的な新方式がある人物によって発明されたことで。

実際にそこから遺物の利用が急激に、空恐ろしいほどの速さで広まっていった。さすがにおかしいと思った。いくら何でも本来の核も無しにこんなに急に動力が急増するわけがない。しかも、その方式とやらはいくら上に掛け合っても教えてくれなかった。知る必要はないの一点張りで。こんなの怪しいにもほどがある。

断られても断られても私はお願いし続けていた。それがきっと目障りだったんだろうね。私のへき地への転属が決まった。ここでもし一度動力機構に近いこの研究所から飛ばされてしまったらもう二度と真相を知る機会はないと、そう思った私は無理やり動力機構が今どうなっているかをこの目で確認しに行くことを決心したの。

警備は厳重とはいってももとはと言えば大半はハルカが使用法を確立したもの、腐っても私は研究者だったから、利点も欠点も知り尽くしてる。そのうえ倉庫からいくつか遺物を見繕っていた私にとって侵入は別に不可能じゃなかった。

そこで私は変わり果てた動力機構の姿を目の当たりにした。あんなのとても人間にできる所業じゃないって思ったよ。言葉では言い表せないほどの凄惨なその現場を見た私はもう意識なんてほとんどなかったけど、でも、少しでもこの状況を変えなきゃと思って。

でも、物音を聞き付けたのか、それとも虫の知らせか。

逃げ場のないその状況で私も面識のある一人の女性研究員が現れた。私はその時恐慌状態に陥った。

ハルカだよ。昔仲たがいしてから、とは言っても私が一方的に裂けてただけなんだけど。疎遠になって今までなかなか会ってなかったハルカ。

今でも覚えてる。私が物陰から走り寄ったとき、ハルカ。ぱっとこっちを振り返ったんだ。目が合って、それで。本当は押しのけてびっくりしている間に逃げようって、ただそれだけだったのに。打ち所が悪かったのかなぁ。

ガコッて音がして、後頭部を角に打った彼女の頭からすごい量の血が出てきて。

私の目の前でだんだんと弱弱しくなっていくハルカの腕が、体が。

なんで?ってこっちを見てくるハルカの目が。

―――私はその日、初めて人を殺した。

私はもう無我夢中で逃げた。本来の目的のはずの動力機構からも、今助けを呼べば、まだ助かるかもしれなかった彼女からも、別に楽しいこともあった彼女との思い出からも、人殺しと叫んでくる、昨日までの私からも、逃げたんだ。

私はそのあと、持ち出した今までの給料とかを使いながらいろんな場所を転々としていたんだけど、ある場所でオズに助けられてね。そこで私はオズと話したんだ。なんとしてでも、孤児狩りを止めよう、帝都動力機構を破壊して、二度と遺物が使えないようにしようって。

私の話はこれで終わり。

オズ、別に言ってもいいよね?

私たちは明後日、この国の中枢に忍び込んで、元凶の帝都動力機構をぶっ壊す。

もう、誰も泣かないように。もう、誰も苦しまないように。

私はあの日、一度逃げ出した動力機構のもとにもう一度行く。もう逃げないって決めたんだ。ハルカからも、動力機構からも。

彼女のこの世界に残した遺物を全部使えなくして、私の今まで積み上げてきた研究を全部無意味にして。

―――私は今までの自分を超える。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
読んでくださったそこの貴方!
ブクマ 評価 感想などをくれると嬉しいです
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ