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テルル(旧版)  作者: 丘源
5/10

四話

私はバロと呼ばれている、夢破れた只の犯罪者だ。

元はこんな生活を自分が送るなんて想像してもいなかった。

私は幼いころ、この国に流れてきた東邦人の一団の中のとある夫婦の間に生まれた。元居た国が北方から来た異民族に滅ぼされ、流れに流れてこの国までやってきたらしい。

私が物心ついたころにはもうこの国にいた。成人した私はこの国出身のとても美しく、気高い、私になんてもったいないような女性と結婚した。男の子が1人、女の子が1人いて、傍らにはこの世で最も美しい自分の妻がいて、仕事も順調。私の命程度では賄えないかもしれないが、命を懸けて言える。まさにあの時が私の人生におけるもっとも幸せな時だったのだ。

しかし、妻は別に流行り病などでもない、ただの風邪をこじらせて死んだ。毎年冬になると運の悪い数人が罹り、そのうちの何人かがその冬を越せなくなるただの風邪。妻は何も悪くなかった。しいて言えば運が悪かったのだ。

その後、逃げるように仕事に打ち込んでいた私のせいで、今度は息子とも仲が疎遠になってしまった。彼からしてみれば、母親が死んだのに父親を頼ることもできずに、つらい毎日だっただろう。

あとから職場の人間から聞いた話では、裏社会の悪い連中などに付き合って、随分とあれた生活を送っていたらしい。まあ、今となってみれば私がその裏社会の悪い連中の筆頭格なのだが。

しかし、それは私の人生のどん底ではなかったのだ。今あの時の私に会ったなら私は自分を殴り殺しているだろう。まだ、息子もかわいい盛りの娘もいる。何をしているんだ、と。

その後、妻が死んだことが引き金となったかのように私の人生は転落の一途をたどった。

妻が死んで1年。始めに職場が消失した。会計の男が賭博に金を使い込み、金庫の中身をもって雲隠れ。おまけと言わんばかりに逃げる前に火を放って高跳びした。商会は一晩で文字通り『焼失』した。

私の心の底で、ボコリとナニカが泡立つ音がした。

妻が死んで2年。次に息子が消えた。私が日雇い仕事から帰ってきたときに、扉の前で血まみれになった息子が倒れていたのだ。どうも私の職場の跡取りと仲が良かったらしく、金を盗んだ会計の男をたどっていたらしい。その結果男が熱を上げていた賭博の胴元に直接乗り込みに行き、金を盗んで命からがら逃げてきたのだとか。その金を元手にして商会は復活したものの、その胴元からの追手を撒くために息子は本格的に裏の世界に入り、その後今まで会いことはなかった。

『今までのことは感謝するよ』と、そう言い残して。

今では、死んでいるのか生きているのかすら、わからない。息子は失踪した。

心の端の、光の当たらない部分がジュクジュクと静かに膿み始めていた。

そして、妻が死んで4年。とどめをさす様に娘が消えた。誘拐されたと思い警邏隊に必死に頼み込んだ。なんとかして娘を見つけてくれ。せめて墓だけでも作りたい。私に出せるものはすべて出すから。そんな私の願いはものの見事に裏切られた。

犯人はその警邏隊を組織している国だった。

まだ9歳だった娘は、当時国が使い始めていた遺物を動かすためにその命をゴミのように焼べられたのだ。

妻が消え、息子が消え、娘まで消えた。みんな私を残して遠くに行ってしまった。

私は、世界に一人、残された。

私の心は。

ここで一度折れた。ひび割れて深淵に浸ってしまった。

そこからの日々を私は底なしの汚泥と暗闇の中にすべてつぎ込んできた。私にはどうも裏の世界での才があったらしい。仲間を集めようと思えばそこまで労せずに見つけられた。国に復讐するために立ち上げたレジスタンスは創立から5年足らずで軍の中枢施設への直接襲撃計画にまでこぎつけた。

孤児狩りの元凶。この国の現状を齎した帝都動力機構のありかを突き止め、その破壊目前までに迫ったのだ。

妻が死んで9年、我々の4年がかりの、幾つもの命と莫大な金が注ぎ込まれたその計画は、順調だった。

最深部の目前まですべての策が見事にはまり計画通りに、いや、計画以上の速度で歩を進め、最後の最後で頓挫したのだ。

妻が消え、息子が消え、娘が消えてから、6年。仲間まで消えた。

またもや、世界には私一人だけが残された。

そう思った時に私は自らの心の奥底にあるものに気付いた。

ドクリ、ドクリと脈動を繰り返すその暗灰色の塊は、耳障りなささやきを頻りによこしてくる。

仲間だったものが周囲に散乱する中、兵に地面に押さえつけられた私を馬鹿にするように貴族は笑った。

「殺されたくないなら君のネームバリュー貸してよ。ゴミをまとめて処分するには誘因するための広告塔がいた方がいい」

そう笑った宰相トルクに、私は自分自身までも奪われたのだ。

妻が死んで13年、私は国の傀儡となったレジスタンスの長として、今もまだ生にしがみついている。

志ある仲間たちを、私を信じてその命をささげてくれた同志たちをネズミ捕りに誘いながら。

私はまだ生きている。

私はまた、世界に一人。泥をすすり、仲間を売って、今もなお、生き永らえている。

次の処分は三日後だ、と私の監視をしているその男は心底冷めた目をして言った。

ギラリと銃口が光る。

「それと、あのガキは、俺がこの手を下す」

そう吐き捨てた男の顔には普段感情を出さない彼には珍しく、にじみ出てくるような怒気が浮かんでいた。



テルが地面に倒れる音がドサリとした。

倒れこんだテルの体を一瞥した男は、何事もなかったかのように歩いていく。

その男がテルの体から離れていき、少ししてから、手をついたテルが起き上がった。

「痛ったー。なんでこんな場所に窪みが・・・」

僕は地面に打ったせいでじんじんと痛む膝をこする。

いつもこうだ。何かほかのことに集中していると、つい足元に気を遣うのを忘れてしまう。ここ1年ほどは転んだ時に支えてくれてくれる手があったんだけど。

ふっと僕が暗闇に伸ばした手は虚しく空を切る。

■■はもう転ぶ僕を支えては―――。

僕は絶対零度の吹雪が荒びこんでくる心に蓋をする。

正面から、見ないように、見えないように。

もし、これ以上僕の心が凍えてしまったら、もし、これ以上正面からこのことと向き合ってしまったら、もう僕は立ち直れない気がするから。

転んで打った膝がじくりと痛んだ。

最近ふと目覚めた朝に、青白い朝日に照らされたスラムの瓦礫の数々が、妙に見慣れない物に見えるときに思う。

妙に目がさえて長い間星を眺めた夜に、一人夜空を眺めている自分という存在が、ひどくちっぽけなものに見えるときに思う。

僕は今までずっとこの組織でこうして暮らしてきていたんじゃないか。■■は僕が生み出した幻想なのではないか。そんな考えが頭を掠める。

でも、未だにうずく欠けた左耳が、これが現実だということを知っている。今でも覚えている腕の感触が、今でも熱く感じるあの柔らかい手が、夢なんかじゃないと叫んでいる。

僕の心は、■■が隣にいてくれたことを憶えている。

でも、それでも思ってしまう。考えてしまう。

この夜空にあの一番星は、まだ―――。

僕は、雲なんて一つもないのに、なかなか見つからないあの蒼い星を探して、夜半の町をいつまでも彷徨っていた。



夜の街は人がいない。特に治安のあまりよくないここあたりは、住人でも夜は滅多に外出しない。逆に、人通りの少ないところを歩きたい連中には人気なのだが、そのせいで余計に人通りが減り、と負のスパイラルが描かれている。

そんな通りを足早に歩いていたオズは楽し気に頭を揺らした。しゃらんと音が鳴る。

「へぇ、君が一人。ってことは状況から見てあのルルさんはほんとに特定個体だったのかねぇ。しかも場所的にテル君はレジスタンス入りっと。なるほどぉ?」

ザザっとノイズが走り、マントの内側に隠された無線機から音声が流れ出す。いらだった女の声は、早口にオズをねめつけた。

「あなたが前、個体を確保しておけばこんな状況にはならなかったの!?そこのところ分かってる?」

「はいはい。わかってますよぉ。とはいってもあの段階では君くらいしか彼女が特定個体だとはわからないでしょ。俺も面識があるわけではなかったし」

「それは、そうなんだけど・・・っていっても、ぅあーーーー!!!とにかく!計画はどうするの!このままだと人員も兵装も整い切らないうちに孤児と彼女のⅡ連波源が稼働し始めちゃう。そしたら突破はほぼほぼ不可能に・・・」

ふっと笑ってオズが言った。

「随分と慌ててるねぇ?」

「だって4年よ4年!私がこの世界に来てからの3分の1以上の時間費やした計画!そしてみんなの命が大量につぎ込まれた計画!これがぽしゃったら今度こそまずいのはあなただってわかってるでしょ!武装はどんどん拡充されてくし、こっちとあっちの差は広がるばっかで。その上特定個体まで取られちゃったの!これで焦らない方がおかしいって・・・」

「でもさ、向こうも色々画策してて、あの苛立たしいけど残念ながら頭の切れる年増ショタガキトルクも脳のキャパ結構食われてると思うんだよねぇ。すでに駐屯兵の交換配置は終わってて、ジャギーから連邦をつつかせてさ。そこで―――」

オズの計画を聞いた女は唸った。

「た、たしかに。それなら、まあ。ごくわずかにだけれど、あるわね。0%が2%になったってくらいでしかないけど、勝算が」

オズは昔を懐かしむように独り言ちる。

「まあ、どうせこれが最後だよ。これ以上体制が固まったらこの国の体制はひっくり返しようがなくなる」

暗闇に力ずよく踏み込んだオズの一歩がカーンと響く。フードに隠された赤髪が少しだけ外気に触れる。

「俺たちの最後の花火。どうせなら派手に咲かせたいじゃん?トルクのすました面をぶっ飛ばして、帝都動力機構もぶっ飛ばして、俺の立てたこの組織、アッシャーが、正義の味方として孤児狩りを止める。最高にワクワクするよね?」

そういってその細められた深紅の瞳を、銃口のようにギラリと光らせたオズワルド・アッシャーはプツリと無線を切った。



その日の任務は妙だった。

何かが決定的におかしいわけではないのに、五臓の裏を塗れた手でなぞられているような焦燥感と違和感が抜けない。

今思えばいくつかおかしな点はあったのだ。やけに拠点に人が少なかった、というより正確には見慣れた人が少なかった。見覚えのない人が大量にいて、最初に入ったときに一瞬入る場所を間違えたのかと不安になったほどだ。

任務を僕に告げたバロの様子もおかしかった。早くこの場から去りたい、と主張するような早口と、いつも以上に濃い隈。

その上目的地は見覚えのない場所だ。

いくらでも不審な個所はあった。でも、その時の僕はただ漫然と他人に責任を預けていたのだ。バロが言う通りに動いていれば、いずれは作戦が成功して、■■も助けられると。自分の思考を放棄して、ただ単にその現状に甘えていた。僕たちの準備が整うまで国が待っていてくれる保証もないのに。

僕は森の中を淡々と走っていく。インカムから支持を読み上げる無機質な声が流れてきた

『そのまま、川が見えるところまで抜けてください。そこまで行ったら一時その場で待機をお願いします』

「了解」

ふっと、暗い森から光の中に抜け出た。

川だ。軽い渓流ではなく、地面をがりがりと削っていくかなり勢いのある河。それが眼下十数メートルを流れている。川幅はなかなかにあり、向こう岸の岩壁の灰色が森の緑の中に一つ浮いたように映っていた。

急にインカムからの音声にガサッと雑音が入った

『し、失礼しましたもう一度・・・』

「え?」

『申し訳ありません。こちらの話です』

プツッと無線が一時的に遮断される。

僕がそわそわと手を握ったり開いたりしていると、今度は後ろで物音がした気がした。

ガサッ。

ぱっと振り返った僕の目には葉を擦れ合わせている草木と、そこを流れていく風の流れしか入ってこない。

気の、せいか?

ヅヅッと音声が乱れ、音声が再度繋がれた。

『ぁ、ぁ。ぁ、失礼しまし、た』

急に音声の主が男に変わった。妙な物音が入っていて聞こえにくい。なにか、ガサガサと書類か何かをいじくるような音と、マイクが何かに当たっているかのようなボボッという音。

「え、えっと担当の方変わりましたか?」

『はい。ッザ。今回の任務。ォ、オペレーション一時、こ―――交代させていただきます。つきましては・・・』

雑音がひどいな。そんなことを思いつつ、続けて言われた指令に僕は眉をひそめた。

「えっと、一歩右に、ですか?」

『は、はい。おねがし、し、します』

妙に男性の声が震えている。小さく、金属音がした気がした。

ビュゥーーと風が流れた。僕はその風に流されるように。

「えっと、こう、ですかね」

一歩右に踏み出した。

ドクリと、心臓の鼓動が聞こえた。

一瞬の静寂。

ガンッ!!!

インカムから爆音がした。あまりにも大きな音にぐらっと視界が揺れる。耳が母親を求める子供のように泣いている。

ビクッと肩を震わせた僕はインカムをとっさに外そうとして、急に肩を襲う激痛を感じる。

僕はその痛みにうめくでもなく、泣くでもなく、うずくまるでもなく、一度、思考を止めた。

は?え?

そんな疑問符が頭の中を埋め尽くしている。

地面が巨大な地滑りが起こったように揺れている気がする。森の木が妙に曲がりくねって見える。

近づいては遠ざかる森を呆然と見ていた僕の視界に異物が紛れ込んだ。

黒い兵装を纏ったその男は硝煙の香りをくゆらせながら、おぞましい恨みと怒りを漂わせながら、木陰から現れた。

こちらに向けられた銃の引き金には、何かでえぐられたような痛々しい傷跡が残されている指がかけられている。

男の目の傷が僕の頭のどこかをカリカリと引っ掻き回しているで、不快感がひどい。

どこからか聞こえてくる荒い呼吸。だんだんと互いの距離が狭まってくるような緊迫感。そして耳元でうるさいくらいに喚いている、甲高い笛の幻聴。

端に三日月を光らせ、ひどく冷めた目をして、満足げに煙を吐き出す暴力装置を振りかざしながらこちらに歩いてきたその男は。

まるでカードに誘う様に嘯いた。

「おーいテルちゃん?」

目元の傷に見覚えが、あった。

引き金に添えられた指のケガに、既視感があった。

「な、なんで・・・」

何よりも、その顔はつい先日見たもので。

つい、一月ほど前に、見たものだった。

「なぁ、遊ぼうぜぇ?」

それは、いつも拠点で酒浸りになっている男、プルクで。

そして―――。

「オルケミスで僕が植木鉢をぶつけた兵士が、なんでレジスタンスにいるんだ!?」

いとおしそうに自分の銃をなでてから、プルクは自身の頭を指さした。

「お前らにあの時くらった植木鉢のせいで急いで走ると視界がぐらぐらしちまうんだよ」

僕はほぼ本能のように後ろに下がろうとして、すとんと座り込んだ。

少しでもプルクから離れようとじりじりと後ろに下がる。

後ろに下げた手が一瞬地面に引っかかって急に感覚が消えた。ぼろっと滑り落ちた土の塊が回転しながら落下して急流に一瞬で攫われた。焦って地面に生えていた雑草をすがるように握りしめた。ぶちぶちぶちという音とともに心臓が凍結して、ぎりぎりで踏みとどまる。

ちらっと後ろを振り向くと、もう逃げる先はなかった。

「飛ばされた先にお前がのこのこ来た時の俺の気持ちがわかるか?さっさとくたばってたと思ってたお前が自分から手の届くところにわざわざ来てくれたんだ。最高だったぜぇ?」

ガンッと音が鳴って、僕のこわばった体にピッと赤い糸が張り付く。

「レジスタンスはなぁ?撒き餌なんだよ。ばらけたら面倒な犯行勢力をまとめて処分するための撒き餌」

漆黒の化け物からまた一筋、煙が吐き出される。

僕の固まった頬が赤くえぐられる。

「本当は明後日が一斉処分日だったんだが、お前は特別にプレミアムコースにご招待だ。遠慮しなくていいぜ?参加料は無料だ」

死にたくない。死にたくない!

揺れ出す意識の底に、いつかの■■の声が反響している。

『やっちゃえ!テル!!』

僕の目の前にいるのは、一度倒した相手だ。今はあの時とは違って■■は、いないけどもう一度あの時のように―――。

ガンッ!ガンッ!

僕をもてあそぶようにわざと外して弾が放たれる。

土塊を蹴り上げようとした足に一発。

小石を掴もうとした腕に一発。

べらべら話しながらも、的確に僕の動きを封じるように弾が飛んでくる。

こいつは油断しているように見えて全くスキがない。だらしなく顔を歪ませているようで、目の奥は微塵も笑っていない。

今、僕の目の前にいるのは油断も隙もないガチガチの兵士。僕と■■が必死に避けようとしていた正面戦闘だ。

前方のプルクと後方の急流にはさまれた僕は、もう、逃げることも、抗うこともできない。

プルクの姿が透明に歪んだ。

頬を伝う涙とともに、背中を濡らす汗とともに、僕のなけなしの勇気が流れ出ていく。

終わりだ。

こんなところで、僕は。

―――終わり。

「おっと、すまんすまん。参加料は無料じゃなかった。お前の命をもらわなきゃなぁ?」

プルクは僕に見せびらかすように弾を替える。わざとゆっくり弾が込められていく。

誘っているのだ、僕を。

一発、二発、三発―――。

でも、もう僕の体は少しも動いてはくれなかった。もう■■の声は聞こえてこない。

僕は、一人だ。



いつからだろう。

僕も昔は自分が世界の中心だと心の底から思っていた。きっと僕も物語の主人公のように活躍していろんな人を助けるのだと、そう無邪気にそう信じ込んでいた。でも、少し成長した僕は気付いてしまった。別に僕は特別な存在じゃなかったのだ。

兵が攻め込んできて騒がしくなる街。

泣き笑いのような表情で、最後に一つずつキスを落として僕を戸棚に閉じ込めた母親と父親の最後の姿。

暗いその空間で身を縮こませながら、叫び声を、悲鳴を、怒号を聞いているとき、僕は何もできなかった。

何度も脳裏では夢想した。ここでさっそうと棚から飛び出して、兵を機転を利かせた僕がやっつけて、それで―――。

でも、その時立てつけの悪かった戸棚の隙間から僕の目に飛び込んできた、兵士の形相が、倒れこんだ二人から流れ出てくる赤い命が。

僕にはどうすることもできずに、ただ漫然と震えながら隠れていただけだった。

結局のところ、僕は十把一絡げにもならないようなただの臆病者だったのだ。

この一年。僕はあの少女に、僕が幼いころ抱いていた主人公の輝きを見ていた。

ああ、今ならわかる。僕はどうしようもないほど、あの蒼い星に憧れていたんだ。

自分がもう忘れ去っていたはずの輝きを真の意味で宿したあの少女に。

救いがたいほど身勝手で、でもそれが僕の本当の気持ち。

少しでも、天空の君に近づきたかった。

もう一度、君の隣に立ちたかった。

そして。

僕が、僕こそが君をそこから連れ出してあげたかった。

どこか頼りない表情をする時の君を。アンバランスに強い言葉で必死に自分を守ろうとしている君を。自分を見つけられずに迷子のようになっている君を、暗闇から救い上げてあげたかった。

僕が、君を守りたかった。

でも、これでもう終わり。

「さて、もう全弾装填し終わったな」

これで、終わりなんだ。

僕は何にも慣れなくて、この世に何も残さずに砂塵となって今にも消えようとしている。

ああ、またあの日のように雨が降っているような気がする。

あの時と同じで、もう僕の先に道がない。

これ以上どこにも行けない。

誰とも会えない。離せない。笑いあえない、怒れない。泣けない。慰めあえない。

「これで、お前の面を見るのも最後だ」

嗚呼。

ルルに、君に、もう会えない。

もう一度君に会いたい。

もう一度君の声が聞きたい。

たった一度でいいから。もう一度僕に笑いかけてほしい。

「あばよ」

僕は目を見開いて、足と手で体を押す様に思いっきり地面を蹴った。

プルクから、自分の命を守りたいという一心で。

僕が、誰にもすがることなく、自分一人で自分の身を守るんだという一心で。

ぐわんと視界が回り、蒼穹の鮮やかな色が目にまぶしい。内臓に浮遊感を感じる。すぐに岩肌がしたから滑り込むように青空に入り込んでくる。

その青と灰色の壁を覆い隠す様に、僕は自分の額の前に手をかざした。

轟音がした。

手でみえないはずの額のど真ん中めがけて凝縮された殺意が、針の穴を通すように迫ってくる。

あの時と違って隣にルルはいないけど。

あの時と違って蒼い糸は銃弾をとどめてはくれなかったけど。

でも、僕は自分で―――。

ギュイルッと音がして右手のひらに熱い塊がねじ込まれて、寸刻もたたずに貫通した。

ギュギャッと音がして左手のひらを鋼が通り抜けた。

轟音がして、僕の意識に蒼いスパークが走る。

視界ががくがく揺れて、すさまじい音がして。そして、電源を落とすように唐突にすべての音が消えた。



青白く照らされた白の床にダークブラウンの靴の底が反射した。

「どうだい調子は?そろそろここにも慣れてきたころだろう」

透明な障壁越しに見たその顔はトルクだ。

周囲の空間と私の体の境界があいまいになっている。時間の感覚がぼやっとしている。

あれからどれくらいたっただろうか。

私は口元からぽろぽろと立ち登っていく泡をぼんやりと見つめながら思った。

脳裏に浮かぶのはたった一つ。

遠くに離れていくテルの背中。

もう、私はテルにとって必要ないという、残酷でいて否定しがたいひややかな事実。

その背に手を伸ばそうと思っても、私の体は思った通りには動いてくれない。

ひどく、体がだるい。

また一つ、意識が抜け落ちるように鼓動がどくりと鳴って、体から蒼い光が漏れ出て、少し周囲を循環した後にまた体に戻る。

私の体はゲル状の物体に包まれていた。

なぜ、まだ私が窒息せずに生きていられるのかも、なんでこんなにも体のだるさが止まらないのかも、わからない。

でも、そんなことはもうどうでもよかった。

テルは私のもとから消えてしまったのだ。もう私の手なんて必要なくなって、一人で歩いて行ってしまったのだ。

私は力なく手を握りこもうとする。

あの時、私が手を出してしまったことをテルは怒ってはいないだろうか。

私は、いつからテルにとって必要なくなっていたのだろうか。一週間前、一か月前、いや、もっと前から。私はただのお節介焼なだけでじゃまな女だったのかもしれない。

そんなことを未だに気にしている自分が情けなくて。

自分のことも、テルのこともまるで分らなかった。

ぼこり。

水音が大きくなった。

私はまた潜行していく。深く、どこまでも深く。誰にも会わないように。あの、蒼い星から逃げるように。

テルの名前のもとになったあの蒼い星の光が届かない、暗闇の底に。

どこまでも私は逃げていく。



計器を見ていた研究員とトルクが話し始めた。

「寝たか」

「はい。今日は珍しく意識レベルが高かったですね。普段は2,3日に一度起きたら珍しいほどなのですが」

「ふうん」

トルクは興味があるのかないのかわからないようなトーンで相槌を打つ。

「で、最適効率でコレからエネルギーを抽出するための手法とやらは確立できたんだよねぇ?あと2か月もせずに計画が始まるんだ。主砲が君のせいで動かなくても万が一にも計画は失敗しないように組んではあるけどさ?億が一失敗したときさ。君、どうするの?」

そういってトルクは研究員の男の首筋につつーっと指を滑らせた。

「ひっ」

口から漏れ出そうな悲鳴を必死に押し殺そうとしている研究員は、震える手で近くの机の上からファイルを持ち上げた。

「こ、こちらにあります・・・」

「ふうん。で、つまりどういうこと?これ全部僕に嫁ってわけじゃないでしょ?僕忙しいんだけど」

「現在の進捗度はは、8割です。もう少しで!あとほんの少しで完成するものと思われますので・・・」

トルクはすっと目を細めた。

「で、結局間に合うの?間に合わないの?」

「ま、間に合います!間に合わせます!」

「へえ?あーあ。こんなに時間とらせんなよ。もうこんな時間だ」

そういったトルクはこれ見よがしに、取り出した懐中時計を見せびらかした。

「も、申し訳」

「じゃーね」

そういってさっさと踵を返したトルクは振り向きもせずに部屋から出て行った。

凍り付いたように立ち尽くしていた研究員は、トルクが見えなくなると同時に地面に崩れ落ちた。

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