経験値
リーネがこっちの世界に来てから二週間。もう女神を期待することはやめた。
もうリーネを向こうの世界に帰すことはできないのかもしれない。その場合は、リーネはこの家の居候を続けることになるけど…いつかはリーネも現代社会で働くことになるのかね。
「トーヤ、少しずつ漢字が書けるようになってきたよ!」
「そりゃ凄い」
リーネの日本語の勉強はずっと続いている。最近は平仮名やカタカナを書けるようになって、今は漢字の練習中だ。
一般的な外国人が日本語を覚えるのにどれくらい時間がかかったのかは不明だけど、二週間でここまで習得するというのは早いのではなかろうか。発音も流暢になって、ここ数日は異世界語を話すことはほぼない。
それに伴って俺の筆談メモもほとんど使わなくなった。リーネが理解できなかった言葉でも、その場で別の日本語で説明できるくらいになったので、母親や姉もリーネと普通の会話ができるのである。
それが少し寂しいような…だが、日本で生活するには必須なことだから仕方あるまい。
「トーヤ、出かけよ!」
「あぁ…いや、今日はちょっと」
今のリーネは俺の部屋の入り口に立って、既に出かける準備が整っている。姉から貰った小さいバッグを持って、涼し気な帽子を被っている。
だが、俺はそう易々と出かけることはできないのである。
リーネの世話をしていたので忘れていたが、今の俺は夏休み。つまり、夏休みの宿題が俺を待っているのだ。異世界で培った技術が使えないので、魔王よりも恐ろしいかもしれない。
なんせ、俺には数年のブランクがあるのだ。もう高校の数学とかすっかり忘れてしまって、今は教科書を見ながらなんとかやっている状況。
宿題はまだまだ残っているのに、夏休みが終わるまであと一週間しかないのだ。非常にまずい。
「宿題って大変だね」
「学生の敵だ」
「魔王ってこと?」
「そういうこと」
なぜか知らないが、リーネの中で敵=魔王という等式が成り立っているらしく、敵という単語を教えたときにすぐ魔王を挙げたのである。
敵であることには変わらないのだけど、一応君の親だからね。同情心の欠片もないけれど、リーネがすぐに敵を魔王と定めたことは不憫とも言えるかもしれない。
閑話休題
リーネは俺の宿題の状況を見て、何を思ったのか手提げバッグを床に置いて、俺の隣に座った。
「私も手伝う!」
「リーネが?何をするんだ?」
日本がある程度使えるようになったリーネだけど、それ以外のことに関しては何も教えていない。数学とかは以ての外だし、現代社会のことや科学のこともリーネは知らないはずだ。
だが、リーネはフンスと力んでから、俺の課題の一つを手に取った。数学か。
「んー…」
リーネはうんうん唸りながら問題を見ている。時折違うページを見たり、違う数学の課題を手に取ったりしている。
因みに、異世界は十進数ではない。昔存在したという偉大な魔法使いの操った究極魔法の数に倣って、十二進数を使っているのである。それぞれの数字を表す文字もこの世界とは違うので、リーネからすれば数学の課題は知らない文字だらけということになるのだが…
「こう!」
リーネが自信満々に何かを課題に書き込んだ。
字は下手だけど、ちゃんと答えの欄に記入されている。一応模範解答を確認してみると…合っている!?
「え、リーネ数学できるのか?」
「こっちの世界の数え方は覚えたからね!よく分からない記号があるけど、なんとなくこうかなって」
どうやら、リーネは他の問題に書いてあることや他のページに書いてあることを参考に、ルートや累乗の計算方法をなんとなくで身につけたらしい。
なんだその学生泣かせの学習能力。説明文もなしに問題だけ見て計算できるのは、それはもう天才の領域ではなかろうか。少なくとも、俺には問題だけ見て計算なんてことはできるとは思えない。
答えが合っていることに自信をつけたのか、どんどん問題を解いていくリーネ。たまに間違うこともあるけれど、それなりの正答率を叩きだしている。
「リーネって数学の才能があるんだなぁ」
「うーん、そういうわけじゃないと思う。私がトーヤたちと会った部屋に本が色々あって、その中に計算の本もあったんだ。こっちの世界の計算とはちょっと違うんだけど、それを使ってるんだよー」
たしかに、記号こそ違えど異世界にも足し算とかの概念はあるからな。どの記号がどういう意味を持っているのかを把握できれば、異世界で覚えた計算方法も使うことができるということだろう。
課題をする手は止めずに、気になったことをリーネに訊いた。
「部屋にはほかにどんな本があったんだ?」
「異世界言語の本とか、魔法の本とか、色々かな。別に私に与えられたものじゃなくて、元々あの部屋にあった本みたいなんだけど」
対するリーネも手を止めずに返答する。
リーネ曰く、リーネがいたあの部屋は元々倉庫的な扱いをされていたらしい。そのため、元々倉庫の中にあったものがそれなりに残っていたという。
リーネが部屋のことを思い出していたら、ふと、リーネの手が止まった。
「そういえば、トーヤたちが私を連れ出してくれたときに人形があったの覚えてる?」
「ああ、部屋を出るときにリーネが欲しがったやつだな」
なぜか魔物が持っていた熊の人形。それをリーネは大切に持っていたのだ。
「あれって、唯一私が貰ったものなんだ」
「そうなのか。確かに大切なものだが…もしかして、異世界に置いてきたか?」
「うん、常に持ち歩いているわけじゃないし、私もこっちの世界に来るつもりじゃなかったもん」
それはそうだ。小さい人形と言えど、常日頃人形を持ち歩いている人なんてそうそういない。
聖女さんのとこの、リーネの部屋に熊の人形は置いてあるらしい。特に変わりのない人形ではあるのだけど、リーネがそれが心残りになっているらしい。
「次の買い物のときに人形買う?」
「うーん…」
おや、あまり乗り気ではない模様。
「私、人形遊びしないし。あれは拠り所があれだけだったから…」
「じゃあ何か代わりのものを買うか」
「やったー!」
手を上げて喜んだあとに、また宿題の続きをするリーネ。
手伝いのお礼もあるから、少し奮発したものを買ってあげるとするか。
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