交渉
廃村にはあまり使えるものは残っていなかったが、しっかりとした建物があるというだけで安心して眠ることができた。
もちろんここらへんにも魔物が出るので、見張りをする必要はあったけれど。
井戸や畑の状態を見るに、魔物の襲撃で逃げたというよりも、この村に住むのが難しくなって去っていったというように思える。魔物が襲撃しているのなら、ここまで家の形は残っていない。
確かに壁や屋根に穴が開いているが、これらは経年劣化によるものだろう。そもそも物資に欠くこの地域は、頑丈な家を建てることも難しい。
「ここで待ってればいいんだよね?」
「女神の話ならそのはずだ」
一夜を過ごして、朝。
村に着いたからといってごはんが豪華になるわけでもなく、普通の動物の肉で作ったスープを飲んで駄弁る。
女神曰く、魔王の領域から離れることができればそれでいいらしいので、これ以上旅をする必要はないのだ。どれくらいで神の使いが来るのか分からないが、そう時間はかからないだろう。
「…トーヤ、聞いていい?」
「どうした?」
固い石に囲まれた兵舎の中で、リーネが深刻そうな顔をして尋ねてきた。
いつもの純粋無垢な雰囲気とは全然違うので、俺も少し姿勢を整える。
「私は、ここに残らないといけないの?」
「それは…」
そうだ。とは、泣きそうな顔で言うリーネに、直接告げることはできなかった。
正直言って、リーネがこちらに残った方がいいという女神の意見には賛成だ。リーネの送り返し方などに不満はあるし、俺が巻き込まれるような方法なのも不満ではあるものの、送り返すこと自体は元々望むところではあったのだ。
リーネはこっちの世界の住人であるし、魔力だって持っている。魔王の娘ということを加味せずとも、こちらの世界で生きている方が圧倒的に生きやすいのは確実なのだ。
「トーヤは?トーヤは、どう思うの?」
「俺は…」
縋るような顔をするリーネに、俺の考えを突き付けるのは危ないと本能が叫ぶ。
もしここで選択を誤れば、二度と取り返せないことになってしまうと、勇者の勘が告げている。
俺がなんと言うべきか悩んでいると、リーネが呟いた。
「…スズが言ってたよ。ヘタレだって」
「ぐっ…」
リーネに変な言葉を教えた姉には帰ったあとに折檻するとして、リーネは泣きそうな顔をしながら、少しだけ微笑んだ。
「やっぱりトーヤは優しいね」
そう言うと、リーネは立ち上がって建物の外に向かって歩き始めた。
妙な心のざわめきを感じて立ち上がって後を追おうとするが、とても体が重くて立ち上がれない。まるで重力が何倍にもなっているかのようだ。
「私は…」
「リーネ!」
リーネが見せた表情は、俺が一番嫌いな表情で…リーネを追わなければ。
「…ばいば、きゃっ」
「おっと、急に外に出てくるたあ危ないだろう?」
リーネが何かにぶつかって尻もちをついた。それと同時に俺を拘束していた重力の結界が解ける。
入口のところを見ると、誰かが立っていた。魔物ではない…のだが、明らかな実力の差。例え勇者全盛期の頃の俺でも、瞬殺されてしまうだろうことが予想されるほどの存在感。
そして、それ以上の魔力。魔法使いさんやリーネを優に超えるほどの魔力は、周囲に潜んでいたであろう魔物すらも遠ざける。
「だ、誰だっ…」
「あれ、聞いてない?勇者くんを迎えに来たんだが」
強者の雰囲気を醸し出しながら、とてもフランクな喋り方をする男性。
どうやら、女神が言っていた使いというのがこの人らしい。言われてみれば、確かに神の使いと言われたほうが信じられるような力だ。
「じゃあ、あんたが俺を地球に?」
「そうだ。泣きながら懇願してきたこの世界の神気取りの女神に免じてな」
女神が泣きながら懇願って…一体何があったというんだ。それに、言葉の節々に女神への棘を感じるし、もしかしてこの人、女神嫌いか?
「んでー…一応名前を聞いておきたいのだけど」
「統也だ」
「リーネです!」
さっきまでの神妙な雰囲気はどこへやら、リーネは元気な挨拶をした。
「ふむふむ…んー」
男性は何か考え込むような素振りを見せると、何かを展開した。書いてある内容は分からないけれど、何かしらの操作盤ような見た目だ。
俺も知らない言語で書かれているので、多分この世界の誰も読めないような言語で書かれているのだろう。
「魔力的には…別に問題ないか…そもあいつのミスを俺が尻ぬぐいしてやる理由もないし…」
何かブツブツ呟いている男性。
しばらく操作盤を色々したあとに、こちらを向きなおした男性は、信じられない言葉を吐いた。
「んじゃあ、地球に帰るのは二人ってことでいいな?」
「は?」
「え!?」
二人って…俺とリーネということだろうか。
それは嬉しいことだけど、だが、それが許されるのだろうか。リーネがこちらの世界にいた方がいいのは明白で、地球に帰るのは俺だけだと思っていたのだけど。
「む?リーネは別に地球に戻りたくはないと」
「違うっ!私は、あなたに私も地球に帰してって言うつもりだったから」
「なんだそうか。なら別に問題ないな」
リーネはリーネで問題が起きそうなことを言うつもりだったのだと思うと同時に、問題がないと言い切る男性を信じることができない。
ならば、なぜ女神はこちらの世界にリーネを強制送還したのだろうか。問題がなければ、地球でそのまま過ごしていいと言ってくれるだけでよかったのに。
「ふむ、信じられないようだから説明してやろう。そもそも時空間転移って神々の間ではそれなりに禁忌なわけで、勇者を呼ぶのはギリギリ許されているみたいな風潮なんだけど、リーネを転移させるために勝手に禁忌を犯したここの女神は普通に犯罪者なわけだ。まあ女神は俺があとでお仕置きするのでいいんだが、そんな犯罪者が犯した罪で世界が変わっちまうのはよくないわけだ。ならば、罪を犯す前の状態、つまり、リーネも地球にいる状態にすべてを戻しちまったほうが神々的には安心っていうわけで、時間とか状態も元に戻しとくから安心してくれていいぞってのを伝えておく。ドゥーユーアンダスターン?」
突然早口長文で伝えられて、正直な話あまり理解はできなかったけれど、取り敢えず最後の英語はむかついたことは理解した。
「要約すれば、禁忌による世界改変は全部なかったことにしたいから、俺はリーネを地球に戻したい」
「要約ありがとう」
最初からそう言え。
「だが、本当にいいのか?リーネがあっちの世界にいるのは、それこそ禁忌なんじゃないのか?」
「ああ?お前、既に地球には別世界からの住人が何人もいるのに何言ってんだ。正直この世界の魔王の娘程度普通よ」
えぇ…いつの間に地球はファンタジーに侵食されたというのだろうか。リーネを隠すためにこそこそやっていた練習とか何の意味があったんだ。
「ただまあ人間に有害な魔力が出てるのは正しいので、練習は続けるように。まあもうちょい成長すれば魔力の器が大きくなって大丈夫になると思うが」
「あ、了解」
どうやら練習には意味があったようだ。地球に戻ったら、またリーネを山へと連れて行って練習しなければいけないな。
「事後処理は気にしなくていい。お前らは普通に生活すること」
「は、はぁ…」
「ほら、ラノベとかで日本に異世界のやつが来ても普通に生活してるだろ?あれって俺みたいなやつが事後処理してるからできることなんだぞ」
まじかよ…てかラノベの世界って本当に実在するのかよ。今日で一番の衝撃だわ。
「ほい、帰りたいならその魔方陣に乗れ」
いつの間にか、部屋の中央に魔方陣が出現していた。今まで見てきたどの魔方陣よりも魔力を感じることができる。
ちょっとの魔方陣に見えるけれど、莫大な魔力が込められているのを肌で感じる。
俺が魔方陣に乗ると、リーネが抱き着いてきた。さながら、俺が地球に帰還するときのあの瞬間のようで…
「えへへ、もっと一緒にいられるね!」
「…そうだな」
俺はリーネの頭をなでる。
その瞬間、魔方陣は強く輝き俺の目を焼いた。さっきまで入口にいたはずの男性は、いつの間にかいなくなっていた。
「つうわけで、お前の尻ぬぐいはしないから」
「そんなっ!あなたならやってくれると!」
「…反省の色が見れないし、しばらく人の身に落とすか」
「そ、それは神殺しの…や、やめっ」
二人が地球に帰ったあとの神域で一幕です。どうやら、その日から聖女さんは神託を受けられなくなったらしいですよ