勇者と醤油ラーメン 前編
新作です。
ブクマが増えたら、続きを書きます。そんな感じでこの作品はのんびりやっていきます。
アレスは深い森の中を歩いていた。
「くそっ!なんでこんなところに飛ばされたんだ!!」
思わず毒づいてしまう。
先程まで、彼は彼のパーティと共に、モンスターと戦っていたはずだ。
巨大な蛇、雄牛の顔をした人型、果ては怪鳥。
様々なモンスターと戦い、そして今回手に入れようとしていたのは、闇を払う神秘のオーブ。
だが、戦いの途中、彼はモンスターの放った時空を捻じ曲げる魔法に飲み込まれ、そして飛ばされてしまったのだ。
(今、こうしている間にも仲間達は戦っているというのに!)
16歳になった日。アレスは勇者として神託で選ばれた。魔を祓い、民を救うものとして、その日より徹底的な訓練を受け、正義に燃える仲間たちと共に必死で戦ってきた。
だからであろう。責任感が非常に強く、仲間想いであったため、時間の進みとともに焦燥感だけが募っていく。
(まずはここが何処なのか……それを知らなければならない。あとは……)
そう。それが勇者の本音。心の底からの言葉。
追い詰められた時ほど思わず口にしてしまった一言。
だが、それは万人に与えられた……例え勇者といえど口にしても良い偉大な一言。
「腹減った……」
その時であった。
この世界の誰もが嗅いだことのない、それは甘美な。そして脳髄に強烈な一撃を加えるほどの魅惑的な香りが彼の元に届いたのであった。
◆
アレスはその匂いを嗅いだ瞬間……導かれるアンデッドのようにフラフラとその匂いの『元』に向かって歩き始めた。
勇者といえど人の子。そしてまだ10代の男子である。人生で最も食欲があるこの時期……それに打ち勝つことは不可能であろう。
(一体なんなのだ、この香りは……もしこれが魔王の罠だとしたら……どう抵抗すれば良いのだ…!!)
もし、これを口にしたら……そしてその場所に他の人間がいるなら。全ての人が同じ事を言ったであろう。
「そんな訳、あるかい!」
と。
しかし……この時の彼は大真面目にそう思っていたのだ。真面目な性格もさることながら……思考までもがおかしくなるほど空腹に苛まれていた……のかもしれない。
そしてフラフラと歩くアレスの視界に、その香りの元となっているであろう……一つの屋台が見えたのは、森を抜けた直後であった。
◆
不思議な屋台だった。
一見すると王都などでよく見られる、ごく普通の屋台である。だが、その中に置かれている道具は……見たことがない。
特に目を引くのは大きな鍋。その鍋の輝きを見るに、本来調理道具などには使われないのではないか?と思うほどの高価な金属が使われているように思える。
「不思議なものだ。あれだけの金属なら本来は武具や防具に使われてもおかしくはない」
魔獣との戦闘が当たり前になっているこの世界では金属は優先的に武器防具に使われる。そのため、鍋などの調理器具にはクズ鉄や銅といったものが使われる事が多い。
また、よくみると屋台自体も不思議な形をしている。
荷台のように移動をするための車輪が付いており、その車輪も特注製のようだ。木で作られた円盤を使っておらず、(これまた貴重な)金属で編み込まれた中心部を黒い弾力のある輪で囲ってある。
しかし……大切なのはそこではない。
惹きつけられるのはこの匂いだ……。
嗅いだ事のない匂い。こう……食欲をガツンと誘う、様々な食材の匂いが一つのハーモニーを奏でている。
アレスは屋台の前に並べられていた椅子の一つに腰をかけた。
「いらっしゃい」
無愛想そうな店主だ。短髪で精悍な顔つき。頭に手ぬぐいを巻いている。
身体付きは立派だが、魔力は全く感じることがない。また、その身のこなしを見るに恐らくは戦士などではなく一般人だ。だが……
(何かこう……思わず構えてしまうオーラがあるな……)
勇者として歴戦をくぐり抜けているアレスをして、思わず構えてしまうような……威厳のようなものを感じるのだ。
アレスの直感は先ほどから言っている。
『この男は只者ではない』と。
「店主……でよろしいですか?」
「はい、そうですが?」
腹にズンと響く、低く、威厳を感じる声色だ。だが、決して威圧的ではなく、むしろアルト歌手のように聞き惚れる声だ。
「なぜ、このような所で店を?」
そう、疑問に思うのはその屋台の場所。人の多い王都の大通りではなく。旅人や商人達が行き交う街と街を繋げる街道でもなく。冒険者達が住まう、ダンジョン近くの宿場町でもなく。
この魔獣が住んでいそうな森を出たばかりの。何もない……草原の真ん中に。
「このようなとこにいれば、魔物にやられてしまうのでは?」
「いや、場所を選ぶ事ができないんですよ。本当はこんな誰もいないところよりも、もっと人がいるところに行きたいんですけどね」
そう言って、店主は笑った。
「それに魔獣……でしたっけ?そういう輩には狙われないらしいんですよ。ある常連の爺さんからは、この店はなんかこっちの世界の神様に護られてるとかで、どうのこうの……」
アレスの問いに店主も少し困ったような顔をする。自分でもよく分かってないのかもしれない。
質問したアレスも予想外の返答に困惑した顔を見せる。
(……こっちの世界って……どういう事だ?)
不審がるアレスではあったが、とりあえず心を鎮めてこの屋台を確認する。
そして……気づくのだ。
人智を超えた、不可思議な力を。
(な……なんだ!?この力は!??)
それは神聖力とも魔力とも異なる……何か。そう、まさに『神から選ばれた力』とでも言うべき『神力』によってこの一面が覆われていることに。
勇者のように超一流の戦士だからこそ、感じることができるその大いなる力。だが、この店主には……いや、常人では全く理解はできないのかもしれない。
「ま、それは置いておいて……お客さん、せっかく来たんですから食べていきませんか?」
唐突にかけられた店主の声にアレスは我に帰った。
「あ……あぁ。そうします。ところでここは何の店ですか??」
アレスの問いに店主は短く答えた。
「ここはラーメン屋です」
◆
「ラーメン屋……?」
その聞き慣れない言葉にアレスは首を捻る。
「どうやらこの世界にはないらしいんですよね、ラーメン。まぁ、とりあえず食べてみれば分かります」
そう言って店主はニヤリと笑った。
「ま、お客さんは初めてなので……醤油ラーメンが良いですかね?」
「しょうゆ……?」
「あぁ、こちらの世界には醤油はないのか。まぁ一番オーソドックスな奴……とでも言っておきましょうか?」
「分かりました。それをお願いします」
アレスの返事に店主は一つ頷き、そして作業を始めた。
器にお湯を入れ、温める……と同時に、自分は箱から何かの塊を取り出し。そして湯の中に入れた。
(まるで剣術の型のようだ)
とその姿を魅入られるように見ていたアレスは思った。
流れるような動き。そして機械仕掛けのような作業。
今茹でているのはおそらくパスタのような食べ物だ。
そして、手前にある大きな鍋が……スープだろうか?
(なんか色々な具が入っているスープみたいだが……?)
具材は見えない。しかし、この屋台で一番大きく、深い鍋をさっきから店主は定期的にかき混ぜている。きっとあのスープがラーメンとやら……なのだろうか?全く想像がつかない。
するとおもむろに、店主は先ほど温めていたお椀を取り出し、そこに黒い液体を入れ始めた。他にもよくわからない白い液体を追加している。
そして先ほどの鍋からスープのみを取り出し、その器の中に入れる。
(なんだ?あの透き通ったスープは!?)
スープ自体は茶色い色をしている。しかし、器の底の方まで澄んでおり、薄らと油が浮いている。
そして……その香り。嗅いだ事のない、食欲を刺激される匂い。
店主は茹でていたパスタのような麺を取り出すと、しっかりとお湯を切る。そしてそれをスープの中に入れた。
(ラーメンとやらはスープに入ったパスタなのか!?)
初めて見る麺の料理。
この世界においてパスタの食べ方は至極簡単。茹でたパスタに塩をふり、それを食べる。正直、アレスはあまり好きな食べ物ではない。
だが、これはどうだ。
スープも麺も全てが芸術作品のようだ。
(あぁ、早く食べたい……)
勇者とはいえ、アレスとて未だ10代の若者。人生において最も食欲がある健全な男子だ。
しかし店主はすぐには出さない。
その上から緑色の輪のような野菜、黒い紙のようなもの、茶色い四角の野菜、そして肉片を乗せる。さらに……
「お客さん、初めてだから味玉をサービスしときます」
(味玉……??)
アレスの困惑をよそに、一言そう言うと店主はこれまた茶色く色付いた卵をお椀に入れた。
「はい、醤油ラーメン、お待ち」
そう、その声は。
勇者アレスが恐らくは今最も聞きたかったであろう、一言であったのだ。