リスタートヒーロー!
とある賞に応募しましたが落ちました。でも大切な作品なので読んでほしいです。よろしくどうぞ。
僕はその時、確かにヒーローに見捨てられた。
誰も知らない僕だけの秘密基地。そこまで怪物がやってきた時、もう死ぬんだ、と絶望した。ヒーローは怪物に追いかけられてる僕を見て見ないふりして。「助けて!」なんて叫んでも何も届かなかった。運が悪い? いや、前々からヒーローは万能じゃないなんてことは知っている。市民を見捨てる、と言う噂は知っていたがまさかそれが本当だったとは。
その時、ヒーローに、世界に、絶望した。
憧れていたヒーローはいない。誰も助けてくれない。誰も、自分を見つけてくれない。
痛みを覚悟して目を瞑る。だが、いくら待っても痛みは訪れなかった。その代わりに浴びたのは生暖かい液体の飛沫。
『安心しろ少年っ! ヒーローが! 来たぞ!』
夜空にどんな時でも光る一番星のようにただひとり。その人は、全てに絶望しかけた僕に希望をくれた、たった一人の「ヒーロー」だった。
アブラゼミが元気よく鳴く夏の日。晴海翔吾は家から少し遠い、新オープンしたパチンコ店から出た瞬間、そう無意識に呟いた。
晴海は小説家志望の無職である。今年で二十五歳。三年前から、仕事はずっとしておらず、前職で得た莫大な貯金と退職金と、身内からの少しの借金で生きていた。その貯金も流石に三年も経つと無くなってくる。頼れる身内が居るのが救いだった。それと同時に、「どうして働かないの」と、周りからの目が痛くなっており「働く気は一応ある。ただ目標があるんだ」と言い訳するために小説を書いて新人賞に応募する日々を送っている。その小説が受賞するかは別の話だ。要は周りにアピールが出来ればいい。自分は夢を追いかけているだけだと。本当に持っていた。夢はだいぶ昔に散ってしまったが。
エアコンもない室内に扇風機の音とセミの鳴き声だけが響く。一瞬、眠気の誘惑に負けて、そのまま寝ようととしたが、冷蔵庫の中に何もない事を思い出す。そろそろ買い出しに行くべきか。
「ん……?」
嫌な予感がして、立ち上がってトイレを除く。
「ああ……、やっぱな……」
トイレットペーパーが残りひと巻き。これは今日中に買い物に行かなければならない案件だ。
「……いい加減買い物行かねえとな。しゃーない、行くか……」
新卒の頃から使っているボロの皮の財布をの中身を確認し、よれよれのTシャツを着てバス停まで歩く。夏の日差しが日焼け止めも塗っていない皮膚を焼く。バス停が家の前にあるのが唯一の救いだった。バスが来る時間はあと五分程度。バス停には既に先客がいるようだ。ああ、とこの時点でうんざりする。基本的にコミュニティバスは朝でも昼でも混んでいる。この地域はスーパーもないクソ田舎な割に老人が多いので、バスを使う人が多いのだ。
「あついねえ」
知らない老婦人に声をかけられる。
「……そうですね」
前職であれば、さわやかに世間話を続けただろう。だが、今の晴海はその理由がないので、適当にあしらう。老人は嫌いだった。
バスが到着する。ほぼ最初のバスの停留所だというのに、もうこの時点で小さなコミュニティバスは二席しか開いていない。先程の老婦人と自分で二席。この時点で嫌な予感がして肩が落ちた。後ろを見たくない為、最前の席に座る。件の老婦人は自分より後ろのどこかの席に座ったらしい。
バスが動き出す。そして、しばらく動いて次の停車駅にたどり着く。バスを待っている人がいたのだろう。窓から見た老婦人が「いかにも」な感じで嫌な予感がした。バスが停車する。老婦人がバスに乗る。やっぱり見間違いではなく杖を突いている。
(ああ……)
予想通り老婦人が「わざわざ入り口から遠い」晴海の席の前に立った。わかっている。老人というものはこういうものなのだ。こうやって無言の圧力をかけてくる。何故なら『若者は老人に席を譲るべき』という言葉があるからだ。その言葉を盾に、わざわざ先に乗っていた若者に圧力をかけるのだ。その若者が、どんな事情を抱えているかわからないのに。
「……あの」
晴海は老婦人に声をかけた。
「席、どうぞ……」
「あらまあ……、ありがとう」
内心でほくそ笑んでいるんだろうなと嫌な気分になった。染み付いた偽善者癖は何年経っても抜けないもので、これを外に出る度やってしまう。本当は座りたいのに。
(あー……、ヒーローやめてえ……)
晴海の前職は、『ヒーロー』だった。
平成五十年、地球は突然現れた『怪龍』と呼ばれる怪物に脅かされていた。人間を食料とする怪龍は人間の敵。それを駆除する為に人体強化を受けたのが『ヒーロー』である。昔から『ヒーロー』に憧れていた晴海は高校卒業後、すぐに強化手術を受けてヒーローになった。
憧れていた。ヒーローの現実すら知らずに。
ヒーローは誰にも感謝されない。そのくせ、住民を守り切れなかったら非難される。「どうして守ってくれなかった」「お前のせいで人が死んだ」そう言われる度に心がすり減っていった。勿論、晴海は市民を守るヒーローだ。いつでも市民に寄り添って対応していたが、「それ」はある日、突然やってきた。
「税金で食ってるヒーローの癖におっせえんだよ」
怪龍をいつものように倒して、守った市民に、いつものように嫌みを言われた時、ぽつりとそれは口からこぼれた。
「俺が目指してたヒーローって、こんなんだっけ……」
ああ、もう駄目だと。内心でその時悟ってしまった。
物語の中の立派なヒーローは、どこにもいない。
だから、物語の中だけにヒーローを作った。理想のヒーローは、自分の描く物語の中にしかいない。それでいい。自分の中だけに、俺のヒーローがいてくれればそれでいい。ズブの素人が描いた自伝小説だ。新人賞に受かるはずがなく、その小説はネットにアップした。職業ものなんて読む人も少ないし、人気もなかったけれど、それでも、最後まで晴海は自分の中のヒーロー像を作品に描くことで守り切った。
それだけでよかった。
『避難警報です。新堺市B区住民は直ちに避難してください。小型一体、大型二体の怪龍が出現しました。住民は——』
だから、もう後悔はしていない。
スーパーの帰り道だった。バスの停留所でバスを待っていた時、警報が鳴った。いつもの事だ。いつもと違うのは怪龍の小さな個体が目の前に現れた、という事。
「——ッ! お前ら近く家屋かシェルターに避難しろ!」
「キミは!?」
晴海はそれにすぐに返答出来なかった。今の自分はヒーローでも何でもない。市民を助ける必要性もない。だけど、晴海は自然と「それ」を口にしていた。
「……あ——、っ、ヒーローだ!」
住民を安心させるために自然についた嘘は、まだヒーローに未練があったのかと笑ってしまうものだった。人体強化はしているが、今は武器もない。怪龍を倒すことなんてできないだろう。それでも、囮になるくらいはできる。晴海が済むB区から、隣のC区にある「あそこ」まで追い込めばとりあえずB区民に被害は無くなるだろう。あとはC区の担当者に丸投げする。人を食って大型に成長すればヒーローたちもやる気を出すだろう。
「こっちだ!」
ヒーローには人体強化の際『匂い』が付けられている。曰く、怪龍にとってはご馳走のような匂いらしい。ヒーローはその匂いで怪龍を釣り、住民に被害が出ないよう囮までを引き受ける。一度改造手術をした晴海もその例に漏れない。何とかその小さな個体を近くの廃屋まで呼び込み、壁が背中を付いた。行き止まりだ。
「はは……、わかってたが、ヒーローなんて嘘ついた罰だな。こりゃ……」
人生こんなものだ。どうせ一度挫折したのだ。改めてヒーローとして死ねるならそれでいい。殉死、かっこいいじゃないか。あんな狭い部屋で熱中症になって死んだり、餓死するよりはよっぽど。
そう、覚悟を決めた時だった。
「安心してください! ヒーローが! 来ましたっ!」
晴海が背についた壁に、にじり寄るように迫ってきた怪龍が目の前で真っ二つに切られた。飛び散るいつか嗅ぎなれた体液に、落ちた肉の音。割いた先にいたのは、晴海より小さな茶髪の、幼さが抜けないまだ十代に見える少年だった。ただし、持っている武器にはヒーロー本部の印付き、スーツも同じく晴海が着ていたものと同じデザインだ。
「……なんで、こんなところにヒーローが」
晴海が呼び込んだ廃屋は、ヒーローでも知らなそうな人気のない場所にあるもの。とりあえず人がいるところから離れられれば、と逃げるものを追いかける怪龍の習性を利用して連れてきた場所だ。ここは当時この地区でヒーローをやっていた晴海くらいしか知らないと思っていた。まさか現役のヒーローが来るなんて。
「ヒーローの取りこぼしを拾うのが、サブの仕事ですから」
そんな役割あっただろうか。ヒーローは各市に何名か割り当てられそれぞれ業務にあたる。だがその全員がメインとして戦うので、サブなんて仕事はないはずだ。
「システムが変わったのか。小型専門のヒーローとか」
「僕は勝手にヒーローやってるだけなので、先輩を追いかけてきたのは独断行動ですよ」
はて、本部からの指示以外の事をする権限がヒーローにあっただろうか。そう考えていると、晴海の無言の中の意思をくみ取ったのか少年は答えた。
「特例ですよ。給料も何かあった時の保証も受けられない代わりに武器の所持及び活動を認められてる、まあ……端的に言えばエセヒーローです!」
そんな福利厚生が死んでるブラック企業みたいな、と思ったが、ヒーロー界はいつでも人手不足な業界だ。おもちゃ一つで化け物退治をしてくれるなら簡単に上は認めるだろう。全て自己責任だと認めたうえでの活動であるなら尚更だ。
「……そうなのか。報酬も出ないのに手間かけさせてすまん」
ここはB区ではなく、C区の範囲だ。本来B区のヒーローが処理をする場所ではない。その上、この廃墟はC区の人間ですら知らない穴場だ。助けは絶望的だと思っていた。
「それはこちらのセリフです。覚えてないかもしれませんけど、僕は貴方がまだヒーローやってた時にここで助けられたことがあるんですよ?」
「ああ……」
そんなこともあった気がする。まだヒーローを始めたての時、ここで誰かを助けた。
『怪我はないか?』
少年はヒーローに見捨てられたと泣いていた。広場で小型の怪龍に襲われている所を見て見ぬふりされたのだと。確かに小型の敵は討伐による金額の査定が低い。怪龍は人間を喰らうことで大きくなる生き物だ。敢えて人を食わすヒーローが居ると噂されるくらいに、小型の討伐は割に合わない。信じたくはないが、その少年はヒーローなんかではない『もどき』と出会ってしまったらしい。号泣しながら「助けてって言っても来てくれなかった、ヒーローなんか嫌い」と言う少年に、まだ若かった晴海は言ったことがある。
『ごめんな、ヒーローってさ、みんな丸々守ることなんてできないんだよ』
少年の頭を撫でて安心させるように、晴海は自分の理想を語った。
『だから、他のヒーローが取りこぼした人も俺が救うから。嫌いになんてならないでくれ』
今思えば、甘かった。ヒーローは完璧じゃない。自分は何も救ってなかった。
「貴方に憧れて、僕はヒーローになりました。なのに、いざ入ってみたら先輩いないんですもん。なんでヒーロー辞めちゃったんですか?」
そう問いかける彼に晴海は申し訳なくなる。この子の憧れたヒーローはもういない。
ここに居るのは、酒とギャンブルと怠惰に溺れた、ただの普通の一般人だ。
「……才能が無かっただけ。用が済んだならここにいる必要はないから俺は帰るよ」
「あっ! ちょっと!」
廃屋から出ると怪龍は倒されたのかアナウンスが街に響いていた。
『怪龍は排除されました。繰り返します。ヒーローによって怪龍は——』
「やっと接触の機会が掴めたんです! 逃がしませんよ!」
「お前の目的は何?」
少年はそう言いながら歩く晴海を小走りで追いかけてくる。
「僕は鈴谷叶と言います。僕の目的は、貴方にヒーローを再開してもらうことです!」
「はあ?」
叶はスマホを操作すると『小説家だぞう』というサイトを開いて晴海に見せた。そこには晴海が新人賞に応募して落ちて、仕方がないからと供養したヒーローが主役の小説が表示されている。
「な……、なんでそれを」
「ペンネームが本名のアナグラムですし、何よりこれに書いてあること、全部事実でしたから。あの時、僕と会ったことも書かれていたので確定だと」
ヒーローであることを諦めた時、人生は終わったと思っていたのでペンネームなんてそこまで考えてなかった。軽く考えていた自分をはったおしたい。
「これを読んで僕、絶対この人の後輩になるって、引っ越してまでここでヒーローやってたんです!」
キラキラとした目でそう言った叶は、昔の自分を見ているようでなんだかこそばゆい。こんな時期は昔にあった。今はもうこれっぽっちも残っていないが。晴海はため息を吐くとまだ現実を知らない無垢な少年の頭をめちゃくちゃにかき回した。
「悪いがヒーローは廃業だ」
「なんでですか!」
「俺の目指すヒーロー像が現実と解釈違いを起こした」
「なら、先輩の理想のヒーロー像ってなんですか?」
叶は首を傾げる。彼にはわからないだろう。将来、全てに絶望して晴海の様にヒーローを辞めるまで。ヒーローはそういう職業だ。絶望するまで辞められない。市民の為に戦い、市民の為に死ぬ。その覚悟が無くなった時が終わりだ。そんなヒーローは上からすると珍しくない、らしい。きっと、この叶少年もいつかはそうなる。
「そうだな。……手の届く範囲、全員を救いたかった。あんな場所にいた、俺を助けたお前みたいに」
叶はそれを否定するように首を振る。
「僕はヒーローのおこぼれを貰っているだけです。手の届く範囲なんて少なくて、片手で救えるだけでしか。あ、でも実績はあるんですよ! 見てみますか? 僕がどれだけ有能な『自称ヒーロー』か」
自信満々、とでもいう様に叶はそう言う。それは昔、鏡で見た若いころの自分の顔によく似ていた。
『避難警報です。新堺市B区住民は直ちに避難してください。大型怪龍一体、小型怪龍一体が出現しました。住民は——』
昼間と同じ警報が流れる。一日に何度も警報が鳴るのは珍しくない。市民たちは「またかよ」「めんどくせー」「まあヒーローがすぐになんとかしてくれるっしょ」と危機感のない状態でシェルターに引っ込んでいく。こんなものの為に自分は命を賭けてまで守ろうとしていたのだ。馬鹿馬鹿しい。
だけどもう、自分はヒーローにはならないから関係ない。
晴海も市民と同じくシェルターにこもるべきだろう。なんたって今の晴海は一般市民『サマ』だ。手術を受けて、怪龍から攻撃を受けても致命傷にはならないとは言え、武器が無いなら何もできない。一応武術の心得はあるので、追い払うくらいはできるかもしれないが、追い払ったところで怪龍は別の所で人間を襲うだけ。晴海はもう、ヒーローでは無いのだから大人しく一般市民サマの仮面をつけて逃げるべきだ。
それがどうして一日の内二回も怪龍に遭遇し、目の前で戦ってるヒーローから隠れるように草むらの中にいるのかわからない。
「なあ、どうして俺たち隠れてるんだ?」
「あー……、僕この市のヒーローから厄介に思われてて。見つかると怪龍と戦う以上の厄介になるというか。まあ、ポイント稼ぐための撒き餌を処理されたらキレますよねっていう」
つまりは、自分が抜けたこの数年で、この市のヒーローは腐り切ってしまったらしい。現役の頃、晴海は怪龍の討伐数はトップで他の追随を許さなかった。今まで出番が無かったヒーローなんて興味が無かったが、こうして市民の目になってみると頼りないことこの上ない。自分の利益の為なら市民も見捨てる。きっとそんなヒーローばかりだ。目の前の怪龍は大型。コイツ一体で十万いくらは稼げるだろう。最も、この大きさになるまで何人もの人が犠牲になっているはずだ。その中にこいつらが見捨てた人間はいったい幾ら含まれているのだろうか? あまり考えたくないが、怪龍は食った人間の数だけ大きくなるもの。真実を知った今はどうしても気になってしまう。
「あ、トドメさしましたね」
目の前の怪龍が大槍に貫かれる。はじめはぴくぴくと動いていたものの、心臓を的確に貫かれたのかやがて動きを止めた。
ヒーローの武器は怪龍の血を吸う。そして、その吸った量で国から報酬がもらえるようなシステムになっている。透明な大槍に緑の体液が吸われていく姿を見て、晴海は「十五万は固いな」と職業病の様に彼の武器を観察していた。武機種が大槍で大型を倒せるくらい強いヒーロー……、記憶はおぼろげだが、確か悪い奴では無かったはずだ。
「ん……?」
ふらふらと小型の怪龍が大槍のヒーローに近づいてくる。正確には大槍に刺さった怪龍を。親子なのだろうか。きゅいきゅいと鳴き声を上げながら近づいてくる小型を大槍は一瞥もしなかった。血を吸いきったのか小型の前に大型は投げ捨てられた。大槍はそのまま小型を残してその場をたつ。その姿は叶の言ったヒーロー像そのままだった。
「こういう時が僕の出番です。わかりました?」
そう言って草むらから出てきた叶が、親に呼び掛けるようにきゅいきゅい鳴く小型に近づく。そのまま叶は双剣の一本を小型に突き付けた。
「……ごめんね。怪龍に生まれた自分か、神様を恨んできてください」
小型は最期まで何かわからない様子だった。きっとまだ赤子だったのだろう。一閃で胴が裂けた小型はずるずると這いながら大型の死体に寄り添って息を絶えた。
「こんなふうにおこぼればっかりですが実績は取れてるんです。大型になんて勝てないので、そこは純正ヒーロー様に任せて、僕は小型ばっかり倒してますが」
「まあ、小型を倒したことで結果的にはその後の犠牲を救ってるんだから誇っていいだろ」
「尊敬する先輩に言われると照れますね。でも、そんなこと言われるほどじゃないです」
叶は怪龍たちの濁った瞳を隠すように、瞼をおろしてやっていた。
「先輩は、大型小型関係なく片っ端から倒してましたよね」
「……ああ」
だって、そこに市民の命を脅かす奴らがいたから。市民を守る為に馬鹿だった頃の晴海は何でもやった。腕が文字通りちぎれるくらい激しい戦闘もしたし、私生活だって良き市民の見本になるように努めてきた。なんてったってヒーローは顔が割れている。今は堕落した生活であの時とは雰囲気も見た目も変わってしまったが、自分は自他ともに認めるヒーローの見本だったと自負している。
「僕はそれが出来ません。小型しか倒せません。だから、貴方の様にみんなを助けることは出来ません。悔しいけど、貴方の理想のヒーローなんかじゃない」
「でも、確かに救われた人はいるだろう。俺だってそうだ」
「大型だったら僕は手を出せませんでした。見捨ててましたよ。本質的には他のヒーローと同じです。自分の範囲外は手を出さない」
人助けに大型や小型は関係ない、と晴海は思っている。本人は自分の至らなさを気にしているようだが、その叶に命を助けられた晴海にとっては叶は確かにヒーローだ。
「貴方の書いた小説、病室でずっと読んでました。それで、みんなを守れるヒーローになりたくて、手術を受けて、無理矢理ヒーローになりました。でも、現実はクソッタレですね。全部丸々守るなんてできないって、ヒーローやってた二年の内、一ヶ月も経たずにわかりました」
叶の武器は血を吸わない。完全なる善意で成り立っているヒーロー。そんなのは最初だけで、時間が経てば賞金稼ぎの様に濁った眼で怪龍を金の為に殺していくようになる。それを二年続けられるなんてそれだけでも立派だと思う。高すぎる理想に追いつけない姿は、ヒーロー時代の晴海の姿によく似ていた。
「俺だってきっとどこかで取りこぼしてたよ。気づいてないだけできっと誰かを殺してた」
無給なのによくやってるよ、と笑うと、叶は悔しそうに唇を結んだ。しばらくして解かれたところから紡がれた言葉は晴海には難しい話だった。
「あの、やっぱり諦められません。ヒーローになってくれませんか」
「引退した俺が、今更?」
「はい」
それは無理な話だ。晴海はもう、ヒーローになる為の資格も、決意もない。
「先輩が大型倒して、後は僕が片付ければ、みんなを守れると思うんです。そうしたらみんな幸せで、新堺市にとっても良いと思います」
「残念なお知らせだ。ヒーローは死んだ。小説、最後まで読んだか? 主人公は仲間を守るために殉死。投影先が死んだなら作者の俺だって死んでるわけだ。『晴海翔吾』は生きてても、『ヒーローの晴海翔吾』は主人公と共に死んだも同じ」
「でも貴方はあの時ヒーローだ、と言ってました」
「それは……」
昼の市民を誘導して囮になっていたのを見られていたのだろう。
確かに、晴海はあの時自分の事をヒーローだと言った。それは何故か。
「本当は、殺しきれてないんじゃないですか?『ヒーローだった自分』を」
「…………」
何も答えられなかった。自分でも、薄々そう思っていたから。確かにあの時、晴海は『ヒーローとして死ぬならそれでもいい』と思っていた。それは事実だ。
だけども、もう一度ヒーローをやれるか? と言われればそれはNOだ。国内トップレベルの実力を持っていた晴海が出戻るとなれば上は歓迎してくれるだろうし、手術で改造された身体はそのままだ。特別な手続きは不要。恐らく紙一枚でヒーロー認定されるだろう。
でも、晴海にはやる気という最大限に必要なアイテムを失ってしまった。
晴海が来た途端、危機感が無くなる市民に、助けてもらって当然というような態度。
それに気づいてしまってからは何もできなくなってしまった。
「ヒーローってさ」
晴海の口は自然に理想を口にしていた。自分がなれなかった最高のヒーロー像を。
「自己犠牲精神と頭おかしいくらいのエゴの上に成り立ってなきゃダメなんだよ。見返りは求めない。誰も恨まない。自分の理想の為、世界の為に殉死する覚悟がなきゃやっちゃいけないんだよ。俺にはどれも備わってなかった」
ヒーローをやっていて、どうしてこんなに痛い思いをしてこんな奴らを守らなきゃいけないんだろう、と折れた手足をぶら下げながら思った事がある。守っても守らなくても、外野は自由にヒーローを評価する。「今回はけが人が出た」「対応が遅い」「戦闘に華が無い」そんな心ない言葉を何年も浴びればどんなに補強した心でも折れることもある。
「みんなのためのヒーロー」に憧れて、そんなものはどこにも存在しないことを知った。
だってその「みんな」も敵だったのだから。自分の敵を助けるなんておかしいだろう?
そう考えたら、警報が鳴っても足が動かないようになってしまった。自分はヒーローに向いていないんだと理解してしまった。晴海には、ヒーローに必要なものが備わってなかった。
「お前みたいに、みんなを救おうなんてもう思えない」
「先輩は、それでいいんですか。諦めちゃって、いいんですか……?」
「……ああ」
本当は、まだ諦めきれていないのだと思う。自分の事だ。自分が一番わかっている。
ヒーローになりたい。昔見た戦隊ドラマみたいに誰かの助けになりたい。
でも、もう無理なのだ。守るべきものが見つからない。
「まあ、高校卒業してすぐヒーローになったから結構歴としては長くヒーローやってたし? 討伐数も考えればよくやった方だよ俺は」
「じゃあなんで就職しないんですか」
「なんでそこまで知ってんだ!?」
「小説読んでればわかります。この間の別の小説も、その前にアップした小説も読みました。普通の人はフルタイムで働きながら三ヵ月で四十万字も連続で書けません。あとツイッターも知ってるんで先輩の行動パターンも把握してます。ネットってやろうと思えばなんだってわかるんですよ。家とか」
「最近の若い子こわ……」
家まで特定してこの子は何をするつもりだったのだろう。
「全部ヒーロー物ですよね。入院中、全部読んだので知ってます」
「お、おう……」
小説を読まれることは趣味嗜好や自分の脳内を知られるのと等しい。ネット越しならば感想はいくつか貰っても、ありがたいなあ。で済むが、顔を見て読者と話すのは初めてで少し気恥ずかしい。
「先輩の書いた小説で、僕は覚悟を決めました。確かに、貴方の小説の通り市民はヒーローに対してあたりが強いし、ヒーローやってていい事なんてないです。特に僕なんかは無給のボランティアだしほぼ刺し違えで怪我だけ作って感謝なんかされずに終わりって事も多々あります」
「……ヒーローってのはそんな仕事だよ。やっぱりお前もやめた方がいい」
「でも!」
両手をきつく握った叶はキッと前を、晴海の方を向いて言った。
「それでも、貴方にとっては辛くても、先輩の見てきた、書いてきた世界丸ごと。あの廃屋で散らすはずだった僕の命を救ってくれた、先輩のいる世界が、僕は大好きなんです」
「だから戦うって? もうヒーローやりたくないって言う俺を巻き込んでまで?」
「はい」
彼の気持ちは十分伝わった。そして確信したことがある。
「お前を、助けなきゃよかったな」
「え……」
「先輩として言うべきことがある。お前に戦闘は向いてない。戦っているときに恐怖が見えてるし、そんなんじゃ大型どころか、下手したら小型の怪龍にも勝てない。このまま続けたらいつか取り返しのつかないことになると思う」
「でも、まだ完全に負けたことはありません!」
「小型を倒せるくらいで調子に乗るな。いつかはそうなるって話だ」
これは事実だ。先程の怪龍の親子の件もそうだが、この子は優しすぎる。どんなに敵に事情があろうとも何も感じず殺せる人間でなければ、ヒーローには向いていない。
「小説も消すよ。感想は嬉しかったけど、お前みたいな子が一人でも増えたらいけないから」
「ちょ……」
晴海は自分のアパートに戻る為に、叶を置いてその場を立ち去る。
街には怪龍が倒されたというアナウンスが響き渡るだけだった。
このクソみたいに安い六畳一間は無職にはぴったりだ。日中は日当たりがいいし、辺鄙な所に建っているので、静かだ。
「……よし、と」
七万で買った激安パソコンで『小説家だぞう』にアクセスし、全ての作品を非公開にする。
元々、感情の整理の為に書いていたエッセイのようなものだ。作品には未練も愛着もない。
「今日からちゃんと就職活動するか! いい機会だしな!」
一緒に転職サイトも覗いてみるが、就職はなかなか難しそうだ。ヒーローは昔、それこそ幼少期からの夢で、人生のほとんどをそれを前提として費やしてきた。だから学も無いし、自慢できることと言えば身体が丈夫な事だけだ。それにまだ身体強化解除の手術を受けていないから、「匂い」がある。そんな怪龍ホイホイの身体を持った高卒なんてどこも取ってくれないだろう。消去法で言うとどうしてもヒーロー界隈の仕事しかなさそうだし、それでいて再就職の前提である解除の手術には、まだ決心がつかなかった。笑ってしまう。頭ではもう無理だと理解しているのに、頭のどこかが、まだヒーローであることを諦めていない。
「はは……」
だってそんな、晴海が理想としているのは正に聖人君子だ。人間は必ず悪意を持つもの。物語のようなヒーローはいない。いや、違う。晴海の求める完璧なヒーローはこの世にいてはいけない。聖人君子になろうとして、自分の様に壊れてしまった人間をこれ以上増やしてはいけない。
あの叶という少年だってそうだ。きっとあの子は自分と同じく「ヒーロー」に絶望する。テレビ番組みたいなヒーローはいないと、気づいてしまう。だったら憧れである自分と関わってはいけない。子供の夢を壊すのはヒーローのやることではない。例えそれが本人を傷つける事だったとしても、夢は夢のままで終わらせてしまったほうがよっぽどいい。
「……ん?」
玄関のベルが鳴る。頼んでいた宅配業者だろうか? スーパーに行く為にバスを使うレベルの田舎だ。本や重たいものは、インターネットの通販で買っている。ウチには宅配ボックスなんてお洒落なものは無いし、そもそも代引きしか使えないから、きっといつか頼んだ何かだろう。
「はーい」
連続でチャイムを押され寝間着のまま玄関を開ける。
ドアスコープを覗かなかったのが敗因だった。
「おはようございます~!」
ドアを閉めようとすると、丁度ドアのつっかえになるようにローファーを部屋と外の間に挟まれる。お前は借金の取り立てか。
来客は紺色のブレザーを着た男子高校生だった。相手は昨日出会った自称ヒーロー、見ず知らずの人間では無い。若いな、とは思っていたがまさか現役高校生だとは思わなかった。
「SNSに身元が分かる写真とか上げない方がいいですよ。マップサイトとSNSがあれば部屋の特定だって簡単です」
「ストーカーか」
「失礼な。ヒーローです」
「ヒーローがネットストーカーってどうなんだよ」
「半年ROMれない世代の方が悪いんじゃないですか?」
どうやら部屋に入り込む気らしい。足だけでなく膝までドアに入り込んでいた。コイツは強盗か何かだろうか。だが、外は昨日に続き猛暑。せっかくここまで来てくれたのに何もしないのは、なけなしの偽善者主義に反する。
「……はあ、何で来たんかしらんけど。お茶飲んだらすぐ帰ってもらうからな」
「はい!」
玄関に迎え入れ、そこまでしてから未成年って家に入れて大丈夫だっけ……? と不安になってくる。
(……場所変えるか。なんか近くの喫茶店とか……、いや、バス使わなきゃ喫茶店もないんだよなあ)
そう考えながら寝床兼居間に向かうと、叶はチョコンと正座してドアの方を向いていた。
「……要件は? 事案になりそうだから麦茶飲んだら早く帰ってほしい」
「麦茶よりココアがいいです。つめたいの」
「そんなものは独身干物男性の家にない。ああ、酒ならあるぞ」
冗談交じりにそう言って、洗い物が面倒だと使うようになった紙コップ二つに麦茶を淹れてローテーブルに置く。叶は麦茶を一口飲むと本題だという様に姿勢を正して言った。
「改めてお願いしに来ました。僕とペアを組んでほしいんです。ヒーローとして」
やっぱりその話か。痛くなる頭をおさえながら晴海は答える。
「ヒーローはやらない」
「正規のヒーローとして戻らなくてもいいです。給料はこちらから出します」
こちらから。その単語を復唱してよくよく彼の姿を見てみると、叶の纏っている制服は学に興味がない晴海にも分かるくらいの都内にある名門私立高校、所謂金持ち校のものだった。親の金で俺を買収しようとしているつもりだろうが、生憎金で釣れるくらいの薄ぺらな感情でヒーローをやっていたわけではない。それは貯金が付きかけている今も変わらない。
「親の金でマウントを取るな」
「……じゃあ、なんならいいんですか」
「何をされても俺は動かねえよ」
「……」
叶は何か考え込む仕草をした後「わかりました」と、残りの麦茶を飲み干した。紙コップがテーブルに打ち付けられ、拳と共に音を立てる。
「僕も先輩がヒーローやるって言ってくれるまでここから動きません!」
「はあ!?」
叶はそこから動かないという強い意志を見せるかのように改めて姿勢を正した。
「やめてくれよ……、俺に期待しても無駄」
「体力も技術もブランクはあるとは思いますが、実力は申し分ないはずです。それにあれだけピンポイントで小型を誘導できるってことはまだ強化手術解除を受けてないでしょう? それってまだやっぱり未練があるって事じゃないですか?」
「ヒーローより探偵の方が向いてるな……」
流石名門校所属。そう呟くと叶は嫌そうな表情を見せた。
「家とヒーロー業は関係ありません」
「でもお前は親御さんにヒーロー業を手伝ってもらってるんだろう? ヒーローの手術受けて、俺ひとり養うくらいの金を用意してもらえるんだから」
「……」
図星だったのか、叶はいじけたように口を尖らせた。
「ヒーローになる手術を受けたのは、元々僕の病気の延命処置の為です。小さいころから身体が弱くて、高校の始めに合併症を患って、それを緩和させるには手術を受けるしかなくて……。でも、親に頼ったのはその時だけです! 今は自分で稼いでるんで」
「バイトか?」
「いえ、株です!」
叶はドヤ顔でそう言う。頭のいい子の考えることはわからない。でも、この子が学校関係なく変な子だっていうのはわかった。
「……お前、慢心がすごいというか……、調子に乗りがちというか、……友達いないだろ」
「なんでわかるんですか!?」
自ら、しかも華の高校生のうちにヒーローやってる奴なんてそうそういない。なぜならヒーロー活動はコスパが悪い。大型を倒せばかなりの金額が入ってきたりするが、その分危険が伴うし、二十四時間警戒しないといけない。夜中に担当地域の警報で出勤させられるなんてザラだし、身体に本当に負担がかかる。それに、大型を何体か倒せばおつりが来るのを引いても、手術の初期投資が高すぎる。晴海が高校の時なんてバイト代だけでは足りず、親に出資までさせてしまった。もう少し大人になると費用の為にキャッシングをする人もいるらしい。何がそこまでヒーロー志望者を動かすのかと言われれば、やはりその「かっこよさ」にあるだろう。
ヒーローはかっこいい。
朝のテレビ番組の刷り込みだ。ヒーロー=正義で、かっこいいもの。少年達は皆、ヒーローに憧れ、そして現実の厳しさに夢を諦める。諦められなかった人も、やがて自分の様に絶望して心が折れていくか、大槍の様に「作業」として怪龍を倒していくようになる。
折れた心はもう元のように戻らない。
「とにかく何があってもヒーロー復帰は無理! さー、帰った帰った」
「帰りません!」
てこでも動かないという様に正座している叶を、鞄と共に玄関まで引きずろうとしていると壁の薄い部屋に警報のアラートが響いた。
『避難警報です。新堺市B区住民は直ちに避難してください。大型怪龍二体、小型怪龍一体が出現しました。住民は——』
「……またかよ」
「さあ出番です!」
「担当ヒーローに任せろ。B区にはヒーロー五人位いるんだから」
「小型だったら誰も倒してくれませんよ」
その意見は確かに一理ある。B区とC区のちょうど中間にあるウチの地区担当全員が「そう」だとは思いたくないが、仮に肥えさせてから狩るようなのが半数を占めた場合、確実に被害は出る。
「……俺は戦わない。それでもいいなら外に出てやるが」
「お仕事見学ですね! 任せてください!」
ぽん、と胸をこぶしで叩く叶に不安がよぎる。この子にこの街を任せて大丈夫なんだろうか……。そんなことを考えながら二人急いで部屋から飛び出した。
「……本当にここのヒーローは腐ってるんだな」
ふよふよとまったり移動する小型怪龍はアナウンスから一時間も経っているのに、街の真ん中を泳いでいる。周りには戦ったような跡。どうやらこの小型も「わざと」見逃されたらしい。
「……僕でも倒せる小型ですよ? ちょっと武器貸すので戦ってみません?」
「断る」
「……はあ。悲しいです」
そう嘆いて叶は怪龍の近くまで走っていく。怪龍に背後からそのまま飛んでハイキックをかました。飛ばされて地面に落とされた怪龍は小さな叫び声を上げると体勢を整え、叶を威嚇する。叶は激高した、胴より長い怪龍の尾を身体に叩きつけられ壁に吹き飛ばされた。
「か……っ! いったあ……」
「!」
身体が自然と駆け寄ろうとして、止まる。
自分は見返りのない愛を市民に与えるのに嫌になってヒーローを辞めた。その考えは今も変わらない。もう自分はヒーローでは無いのだから、助ける必要はないはずだ。
それにあの少年は曲がりなりにもヒーローとして活動している。心配などしなくても小型位になら勝てるだろう。
「——ッ! この……!」
双剣を杖に立ち上がり叶は体勢を立て直す。敵の方にそのまま向かっていくと、二つの刃を敵の首へ振り下ろした。
「きゅ!」
しかしそれは致命傷にはならない。叶の刃は小型の首を少し掠っただけで、もう一撃も上手く交わされてしまう。
(なんかあれだな……)
はっきり言って戦闘センスが無い。よくこれで今までやってこれたな、と逆に感心するくらい戦闘に向いていない。二年ほどヒーローをやっていたと言っていただろうか。 毎回こんな調子なんだったら、相当運がいいか、完全に死神に嫌われている。
そんな分析を始めた晴海をよそに、叶は低レベル同士の争いを続けている。彼は両手の片方の剣を怪龍に投げつけ、近くの大木に敵の身体ごと突き刺した。怪龍の胴体は少しの抵抗ではびくともしない。それだけしっかり固定されたのだろう。じたばたする怪龍に叶は胴体に向けて二つに割くように一閃をお見舞いした。怪龍の上半身が地面に落ちる。木や地面には武器に吸われるはずの体液が飛び散り、そこに残ったのは剣とそれに固定された下半身だけだった。
「できました! どうですかどうですか!?」
褒めて褒めてとでも言うようなキラキラした表情でこちらを振り向く叶にどう言葉をかけていいかわからない。だけどこの子はそもそもヒーローに向いていないのだ。はっきりと感想を教えてあげたほうがいいかもしれない。
「卒業した方がいいと思うぜ、ヒーロー……」
「そもそも、僕は真っ向から戦うのが得意じゃないんです」
晴海からの寸評を聞いて、ぷくーっと頬を膨らませた叶は不服そうに言った。
「そう言えば最初は後ろからの不意打ち、二回目は赤ちゃん退治だったな」
そんなたちの悪い戦い方をせざるおえないという事は本当に戦闘に向いていないのを自覚しているのだろう。
「どうしてそこまでして、ヒーローなんかやりたいんだ?」
「……だって、先輩みたいに他の人の手からこぼれた人達を守ってくれる人なんて、もういませんから」
確かに、叶がいなければ新堺市の地域新聞には収まらないくらいの死者が並ぶだろう。でも、それ以前にこの子は優しい普通の高校生だ。そこまで頑張る必要はないと思う。そう言うと彼はふるふると首を横に振った。
「僕は、目の前でヒーローに見捨てられて……、その時解りました。ヒーローは全部丸ごと救えるわけじゃない。必ず『見つけられなかった人』が存在する。それが故意であれ、そうでなかったであれ」
叶は剣に付着した体液を振り落とす。
「だから、そんな人を助けるヒーローが必要なんです。ヒーローが見逃した人を助ける、ヒーローが」
「……随分崇高な思考をお持ちなようで」
「先輩を見て育てばそうなりますよ」
確かに、「晴海翔吾」はそういうヒーローだった。自分の手の届く範囲以上の物を全部守ろうと躍起する。そんなテレビの中からそのまま出てきたヒーローは三年前、理想と共に殉死した。
未練はあるけれど、ヒーローを辞めたことに後悔はしていない。
市民なんて、最初から助ける義理なんてなかった。守られるのが当たり前、そんな考えを持った人間にどうして命を捧げる必要がある?
「悪い人でも、弱者でも、生きてる価値のない人間でも、そこにいるなら助けたい。それって、変なことでしょうか?」
「……変じゃない」
昔の自分も、確かにそう思っていたから。その希望を砕く権利は晴海にはない。ヒーローが取りこぼした分も助ける。それは、とても素晴らしいことだ。
だけど、そんなたいそうな理由を持っていても、心が折れる時は折れる。
「ただ、もう俺には真似できない。それだけだ」
ポケットの中の煙草を取り出し、加えながらそう言う。煙草の煙が空に溶けた。ヒーローをやっていた頃はイメージから他人の前では吸わなかったが、一般市民である今は関係が無い。そんな晴海を見て、叶は眉を下げる。
「もう本当にやる気はないと?」
「……もう疲れたんだ。普通の市民に戻らせてくれ」
残った体液を拭った布をしまい、叶は腰に装着していた鞘にしまう。
「……諦めませんから」
叶はそう言うと広場から立ち去った。
「……」
ヒーローは、市民を守るべきものは、聖人君子でなければならない。
俺はもう市民を信じることができない。今、もしヒーローになったらきっと、あの大槍と同じように助ける対象を「選んでしまう」だろうから。だから。ヒーローにはなれない。
それから一ヶ月。家が割れているというのに訪問も、勧誘も特に何もなかった。前と同じように引きこもって、無駄な時間をむさぼるだけの日々。
完全に、いつも通りに戻った。
ネットして、レスバして、動画見て、ゲームして、煙草吸って、パチンコ行って、適当に食事をとって寝る。
完全にいつも通り。
警報が鳴っても自分には関係が無い。いつもと変わらず、部屋に引きこもる日々。それは悪い事ではない。自分の身は自分で守る。市民として大変いい心構えだ。
(だけど……)
『やっぱり僕とペアを組んでほしいんです。ヒーローとして』
スマートフォンをローテーブルの上に置き、身を布団に任せて、天井を眺める。
ヒーローとして復帰するのは簡単だ。晴海は強いし、大型の個体だって今の状態でも十分倒すことができるだろう。でも、今の精神状態で復帰なんてしたら、確実に市民を犠牲にする戦い方をする。
だって、晴海は市民が大嫌いなのだ。
守られて、感謝もしないで、愚痴や悪口ばかり言う、大多数の市民が大嫌いだ。そんな奴ら、死んだっていい。
もう、晴海はアイツらを守りたくない。
ゴロンと横を向き、特に意味もなく、完全な癖でローテーブルの上のスマートフォンを取る。今日は午後から雨が降るらしい。が、今日の夕食が無い。出前を頼む金もない。なんなら月初めの現時点で五万しか残っていない。これは増やしにに行かなければ。同時にどこに向ければいいかわからないイライラの発散も兼ねてくれればよかった。
いつもスーパーに行くときのよれよれのTシャツを身にまとい、財布だけ尻ポケットに入れ玄関を出る。傘は、持って行こうとしたけれどやめた。雲を見てしばらくは大丈夫だと踏んだからだ。なければパチンコ店の近くのドラッグストアで買えばいい。
玄関で靴を履いて、また気が付いてしまう。スニーカーがもうよれよれだ。
(ヒーロー辞めてから身なりを気にしなくなったからな)
そのおかげで引っ越しもせずこの地区にいられるわけだが。現役の頃の晴海はそれはもう完璧なヒーローだった。頭から足の先まで誰が見ても頼れる良い人。あとイケメン。助けた女の子にサインをねだられたのは一回や二回ではない。今はそのかけらもない小汚いただのオッサンだが。今の自分を慕ってくれるのはそれこそ叶くらいだ。
(たかが一回守ってもらったくらいでヒーローの真似までして追いかけてくるなんて、よっぽど『理想の市民』だよ。あの子は)
みんながみんなそうだったら、きっと晴海はヒーローを辞めなかった。でも、現実は非情だ。自分が守った沢山の人々の中で助けてもらった記憶を後生大事にしてくれる人なんてどれくらいいるのだろう。
(……っと、考えるのはやめ。なんかヤな気持ちになるし。今の俺は一般市民でーす)
ボロボロのスニーカーをつっかけて外に出る。最近は異常気象とかいうやつで、夏は暑いというレベルではない。今日も例外ではなく、引きこもり期間で完全に白くなった腕がじりじりと鉄板の上の肉の様に焼かれていく。バスは五分後。今日はいつもの老婦人に会わなかった。誰とも関わらないのは良い日だ。
とか思っていると、大体嫌なことが起きる。
晴海は途方に暮れたように、パチンコ屋の入り口で立ち尽くした。
(軍資金使い果たしたし……、今日は半額弁当だな。明日も半額弁当でいいわ。食えればいいだろ食えれば)
今日はあり得ないほどぼろ負けして、親から生活費として借金した五万円を一瞬で溶かした。しばらくは半額弁当、冷凍食品。塩のローテで繋ぐしかない。
晴海の住んでいる部屋からも、このパチンコ店からも、いつも使用しているスーパーまでは遠く、地域のコミュニティバスを使わなければならない。面倒だ、と思いながら汗を吸ったよれよれのTシャツをで汗をぬぐう。今日はマジで金がない。こういう時クレジットカードがあれば便利だが、生憎、現時点で無職であり、親からとは言え、借金までこさえている晴海はクレジットカードを作れないので、ストレス発散兼、食費を稼ぎに来たのだが、その食費は既に機械に吸われた。
「はあ……」
なんでだ。呪いか。ヒーロー辞めたペナルティなのかこれは。
片手には空になったボロ財布。そして片手には何もない。
そう、何もないのだ。こんな、超どしゃぶりの雨の中、パチンコ屋の前だというのに。
「五万スッた上に晴れてるのに雨ってバグってんじゃねーの、世界……」
予想とは早めに激しいスコールのような雨が降ってしまい、パチンコ屋と隣接しているドラッグストアに訪れた所、まさかの傘売り切れ。都内なら人が多い分まだ分かる。 だけど晴海の住むこの新堺市は怪龍が度々出現する超危険区域で、かつド田舎だ。ここに住んでるのなんて昔から住んでいるからと愛着から引っ越せない老害と、土地が安いからと怪龍の面倒さを知らないで家を建てるバカだけだ。だから人口は少ないし、傘なんて売り切れるはずがないのに。最近度々来る豪雨に発注が間に合ってなかったのかな……と、小売業で鬼バイトしていた頃の記憶がふと蘇る。ちなみに新堺市は都内に電車一本で行けるので、もし命の危険と隣り合わせで生きていく覚悟があるならおすすめだ。物価安いし。
屋根があるバス停まで行けなくなってしまった晴海は、屋根のあるドラッグストアの前で立ち往生する。頭上に屋根があるベンチも何故か濡れてるし、ドラッグストアを物色しているのも万引きGメンとかの監視対象になりそうだ。元ヒーローが万引き疑惑なんて冗談でも嫌だ。
「うーん……」
どうしたものかと頭を悩ませていると、目の前に黒塗りの高級車が止まった。
「あれ、先輩?」
開いた窓から首を出したのは、ストレスの原因。あの『自称ヒーロー』の叶少年だった。
「……ヒーローがパチ屋はないですよ。イメージ大事にしてくださいよ」
「俺はパチプロになるんだ、なんかパチプロの方が合ってる気がする」
「やめてください公務員だって休んでると叩かれる時代ですよ!?」
外車の後部座席に温情で家まで送ってもらえることになった晴海はやけになっていた。「傘が無いなら送っていく」という誘惑を断れなかったのは一向に雨が止む気配がないからだ。
「それよりも俺はお前が思ったよりもお坊ちゃんだったことの方が驚きだよ。何でもできるだろ。金目当てじゃないなら、ヒーローに固執する意味が解らん」
あのお坊ちゃん校に通っているのだからそれなりに金持ちなのは理解していたが、まさか外車で通学するレベルなのは知らなかった。でも、心当たりはある。転職サイトでよく見る鈴谷グループ、その次男が彼のようだ。という事が運転席の使用人らしき男と叶の会話から察することが出来た。随分とやばい男に狙われてるんだな……と寒気がする。彼の行動力と金があれば大体の事は解決できるだろう。現に自分は被害を受けているのだが。
「いくらお金があっても人は救えませんよ」
そう言って叶はため息を吐く。
「お金があっても僕の病気は治りませんし、怪龍に殺されかけている人を助けることも出来ません。でも、ヒーローは違います。病室で不安になっている人に希望を与えることも、死ぬ運命の人を無理矢理救うことも出来る」
全部、貴方が教えてくれたことです。そう言って叶はスマートフォンを取り出した。そこには「この作品は削除されました」の文字が映っている。
「入院中の僕の心の支えは、先輩に助けられた記憶と、小説だけでした。僕もそうなりたいんです。誰でも良いんです。誰かの光になりたい」
「最低なエゴイストの自覚は?」
「ありますよ。僕は他人の為にヒーローやってません。先輩と違って、自分の満足のためにヒーローやってます」
はっきりと答えた叶に、晴海はどう答えればいいかわからなかった。自分と似ていて、それでいて正反対の理由。自分のためのヒーロー? そんなの知らない。
その沈黙を破るように、いつもの警報が街に響く。
『避難警報です。新堺市A区住民は直ちに避難してください。大型怪龍一体が出現しました。住民は——』
「ごめん、行先変更。今すぐA地区に行って」
そう告げた叶に運転手が答える。彼は見事なハンドルさばきで晴海の自宅からA地区への道に切り替えた。
「戦うのか? この雨の中? 担当でもないのに」
「当然です。僕はヒーローですから」
到着したA区は、今まで見たことが無いくらい荒れていた。
「は……?」
担当であろうヒーローは、下半身から上が無いままコンクリートの上で転がっている。新堺区のヒーローはそこそこ強さには自信があるものばかりだ。それがこんな、無残に殺されるなんて。これは叶じゃ無理だ。ヒーローが一時間以内に倒せなかった場合、本部から熟練で腕の立つヒーローが派遣される。それを待つしかない。
「こ、こっちに来るな化け物……! おい、そこのヒーロー! た、たすけてくれ……」
ヒーローの傍には男が転がっている。怪龍は得物から目を離さずゆっくりと彼に近づく。
「いきます」
「待て待て待て、お前じゃ無理だ。ここは派遣を待とう」
「逃げ遅れた人はどうするんですか!」
「逃げ遅れたやつが悪い! 運が悪かったと諦めてもらえ!」
「——ッ!」
頬に衝撃が走った感覚がする。叩かれたのだと理解した時は、すでに叶の目には涙が溜まっていた。
「なんで貴方がそれを言うんですか! 逃げ遅れた僕に、『他のヒーローが取りこぼした人も俺が救うから』って先に言ったのは貴方でしょう!?」
叶は腰に付けたホルダーから双剣を抜き、晴海に背を向ける。
「見損ないました。アレは僕が倒します」
「ちょ……!」
あの子にあんな大型は無理だ。きっと全盛期の晴海だってアレは少し手こずる。その証明に、それなりに戦闘に慣れているはずのここのヒーローは既に引き裂かれて死んだ。戦闘センスが皆無な叶が太刀打ちできるわけがない。
「はあっ!」
まず叶が得意としているふいうちから。視界外からの攻撃は餌である上半身をしゃぶって、完全に油断していた大型に刺さる。だが、小型と違い身を守るための鱗が発達した大型には鱗に小さな切り傷をつけるだけで終わった。逆に、攻撃によって叶に気が付いた大型が優位を取る。振り向きざまに叩きつけた尾でコンクリートが割れる。当たっていたらひとたまりもなかっただろう。
ぎい、と怪龍が叶を視界に入れる。口の中から残っている肉片が落ちた。
「お、おせーよ! 税金泥棒!」
逃げ遅れたらしい市民はそう言って逃げていく。助けてくれた、自分より小さなヒーローに罵声を残して。
(わかんねえよ)
まだ高校生だろ? しかも、正式じゃないから報酬も、声援も感謝も無いんだろ?
そんなの、ヒーローやる意味あんのかよ。
報われないだろ。こんなに頑張って命かけてるのに、同業者からは目の敵にされて、得るものなんて何もなくて、市民を守るために一人で頑張って。
じゃあ、あの子は。叶の事は誰が守ってやるんだよ。
自然と拳に力が入る。目の前では怪龍のかぎ爪に圧倒されながら防御する事しか出来ない叶が苦戦を強いられている。致命傷に放っていないものの服に切り傷があることから無傷ではないらしい。まだ幼さの残る顔にも、見るだけで深いのがわかる赤い一線が残ってしまっている。叶の戦闘スタイルは主に視覚外からのふいうち。最初の一撃に全力をかけるわけだから、持久戦には向いていない。体力が尽きて直接攻撃を喰らうのも直ぐだろう。
(俺は、見てるだけでいいのか……?)
この世界に神様はいない。その上、ヒーローがテレビみたいにいきなり覚醒するなんて展開なんてことも起こらない。このままでは持っている手札が圧倒的に少ない叶は確実に死ぬ。それも、自分の目の前で。
市民が嫌いでヒーローを辞めた。でも、自分は大事なものを見失ってるんじゃないか。
『最低なエゴイストの自覚は?』
『ありますよ。僕は他人の為にヒーローやってません。自分の欲の為にヒーローやってるんです。先輩と違って、自分の満足のためにヒーローやってます』
(俺は何のためにヒーローになった?)
誰かに感謝されるためにやりたかったわけじゃない。テレビの中のヒーローみたいに、ひとりでもいい、誰かに、光を与えたかった。その誰かは、目の前にいる。
叶の双剣の一本が、怪龍の攻撃で宙を舞う。やがてそれは重力に伴って地に刺さった。
晴海が助けた小さな子供が、自分の拙い小説を読んでくれて、過去の自分の様になりたいと言ってくれた。
————それだけでいいじゃないか。
「————後輩! 頭下げとけっ!」
地面に突き刺さった双剣の一本を走りながら引き抜く。晴海はそのまま走り高跳びの要領で飛び立つと、落下と共に刃を怪龍の右目に向けて振り下ろした。
「——ギイッ!」
怪龍の顔面に縦の傷がつく。今までヒーロー二人を相手にして無傷だったくらいの個体だ。初めての衝撃にパニックになって呻いている。
「安心しろ。スカーフェイスの方が似合ってるぜ」
大型の弱点は鱗の付いていない前方向の腹部分と顔。特に目は聴覚と視力に頼って獲物を探す怪龍にとって大事な部分だ。耳に当たる部位は内部に隠れているらしいので、聴力を奪うことは出来ないが、視力なら簡単に奪うことができる。
「先輩……?」
幽霊でも見たかのように驚き、立ち尽くす叶に、晴海は言った。
「怪龍なんて生み出した地球のシステムだってクソッタレだし、どうにでもなれって思ってる。市民の事は嫌いなのは変わらない。全員死ねって今でも思うよ。なんだったら、コイツを野に放てば老害たちが駆逐されて過ごしやすい街になるなと思ってるまである。でも、お前はそんな奴らを救いたいんだろ?」
守られて当たり前とか言う市民がまかり通ってるこの世界に守るものはない。もし、正義のために人々を守るんだ! なんてほざくヒーローが居たら勝手にどうぞと。耳クソほじくりながら言ってしまうだろう。叶もそれに漏れない。晴海は市民に全く興味がないし、ヒーロー活動でも好きにしたらいい。
でも、そんな善意の塊みたいなヒーローは、だれが守るんだ?
ほかのヒーローの取りこぼしを救う、好きにしろ。正規のヒーローが大多数の市民を守って、その両手から出た取りこぼしを叶が救う。いいシステムだ。だけどこれじゃあ、叶は救われない。
「そしたら、正義の味方の背中を守る人間が必要だろ」
完全に殺意を向けた怪龍から叶を守るように、晴海は一歩前に出る。
「お前がヒーローの手から零れ落ちた奴らを救う為のヒーローになるなら、俺はお前だけを守るヒーローになる」
昔の自分の得意としていた大剣より半分も小さい得物を怪龍に向ける。
過去の自分には戻れない。身体に染みついた偽善者癖も治らない。だから一歩ではなく、半歩踏み出す。双剣を握った手は久しぶりの戦いだからか震えている。これから命のぶつかり合いが始まるのを身体が覚えているのだ。少しだけ怖い。数年ぶりの戦闘だ。だけど、ここで自分は向き合わなければならない。ずっと隠れていた、本当の自分と。
「責任取れよ、鈴谷叶。お前が剣を握っている限り、俺もヒーローであり続けるって言ってやるんだ」
みんなの正義の味方になる気はさらさらない。
この子だけを救えれば、それでいい。
「お前の背中に傷ひとつ付けさせないことをこの俺が約束する、光栄に思えよ? さ、まだ戦う意思があるなら剣を離すな」
随分現役時代より華奢になった剣先を怪龍に向ける。今の晴海にはこのくらいの大きさがちょうどいい。あれだけ大層な気概は要らない。守るべきなのはひとりだけなんだから。
「後輩! お得意の不意打ちでもいい! 視界を潰した右側か心臓がある腹を狙え! 囮はこっちが引き受ける!」
丁度、怪龍のターゲットは晴海に向いていることを、威嚇行動が示している。両目を潰せればいいが、それで混乱し、じたばたされても困る。怪龍の棘の付いた尾はリーチが長く、無茶苦茶に振り回されたら流石の晴海でも当たる確率が高くなるだろう。
なら、狙うのは一撃で済む心臓か、この武器に骨を砕くまでの耐久度があるのか不安だが、こちらも入れば一撃で済む脳か。
(現役時代の大剣ならリーチが長いから後者だった……、だけどこの長さじゃ懐にもぐりこむ前者以外、選択肢はないな)
叶くらいの身軽さがあれば別だろうが、晴海はヒットアンドアウェイのような戦闘スタイルは専門外だ。
覚悟を決めて地面を蹴る。視界の開けた左からくる敵に、怪龍も戦闘態勢に入る。大きな体躯からかぎ爪が振るわれるが、晴海にとってはまだ遅い。逆に手の腱となる部分をピンポイントで切り裂く。これで片手は封じた。同時に、怪龍の視界に入らない右から叶が飛び込んで来る。両手で握られた剣が狙うのは右側の頭蓋骨。自分が一旦諦めた方法、これが出来るのも叶の身軽さがなせる業だ。だが、やはり武器の強度の問題か頭蓋骨は割れなかったらしい。剣が頭上に刺さったまま、叶は地面に落ちかける。晴海は空から落ちてきた叶を受け止めると、苦しむ怪龍から遠くの場所に降ろした。
「やっぱりアレだな。世界も上もクソだ。正規じゃなきゃ、まともな武器をよこしもしない」
「すみません、もっと体重込めれば」
「だったとしても無理だ。あの大きさにもなると、一撃で攻撃が通るのは正規の大剣くらいだろうな。だけど朗報だ」
晴海は怪龍の傍にある、ヒーローの死体に目を向ける。彼、または彼女の獲物は大型のナイフだったらしい。これは良い足場になりそうだ。華奢な叶の体重では無理だったが、そこそこ体格のいい晴海ならばおそらくは。もしくは痛みや衝撃で一瞬こちらに気を向かせればいい。その瞬間に出来る隙で叶には間合いに入ってもらう。あの剣でも心臓には届くはずだ。
「後輩、これを返すからしばらくの間、まかせられるか」
「まさかアレ使うつもりですか!? リーチが短すぎます!」
「だとしても正規のヒーロー様の武器だ。それよりは硬い。多分だけど」
怪龍がこちらを見つけ、ゆっくりと近づいてくる。警戒しているようだ。
「死ぬなよ!」
「~~! わかりました!」
叶が怪龍の方へ向かう。怪龍が叶に興味を示している内に、晴海は怪龍の横を走った。
投げナイフの使い方をしていたのだろう。何本か散らばった内の一本を回収し——、他に手を伸ばした時、その声は響いた。
「先輩! 逃げてください!」
その瞬間、胴体に重い一撃が走った。
「い……っ!」
怪龍の一撃だろう。そういえば、自分が走っていったのは怪龍の「左側」だったなあと思い出す。だいぶ晴海にヘイトが溜まっているのだ。危険そうなものを先に排除しようとするのは人間と同じらしい。と、だいぶ遠くに飛ばされた晴海は痛む腹に目を細めた。多分肋骨何本か逝った。昔なら避けれただろう。良くも悪くも、晴海はここ数年、なんだかんだで一般市民だったらしい。
まずいことになった。あれだけ大見栄切っといて叶を守れないなんて。叶は怪龍の次のターゲットとして今、狙われ、攻撃を受け流すことしか出来ていない。あんなに大きく体を使えば体力に限界が来るのは近いだろう。
「……年上が頑張んなきゃ、だ、れが……、頑張るんだよって、話だよなあ!?」
ほぼ気合一つで立ち上がる。大丈夫、手の中にはギリギリ取れた一本の大型のナイフ。
足はまだ無事だ、走れる。
ナイフで狙うのは、ここから遠く離れた、鱗で覆われている怪龍の背だ。ナイフを足場にして頭上の双剣の一つを回収、もしくは痛みからの隙を作るしかない。非正規の武器で貫けなかった鱗も正規武器なら貫けるはずだ。
(そのまま心臓まで届けばいいんだけど、っ!)
走りながら思い切りナイフをぶん投げて、そこを足場にし頭蓋骨に刺さったままの双剣を抜く。
「ギギィッ!」
どうやらナイフは心臓には刺さってくれなかったらしい。が、回収する物は回収できたし、怪龍の気を引くことも出来た。怪龍は今、叶の方を見ていない。
「心臓いけるな!? 臍中央から二時の方角! 肩から推定逆三十度!」
「はいッ!」
晴海は囮として左側に走り込み、怪龍の視線を奪う。怪龍が左手で晴海に攻撃しようとした時だった。
「ぎ——、っ?」
すんでの所で、海龍の動きが止まる。怪龍の胸の中には柄まで刺さった双剣の一本と、それを握る叶の姿があった。
「——……やったな、後輩」
崩れ落ちる怪龍の死体に、初めての大型討伐に張りきった力が抜けたのか、叶が地面にへたりおちる。
「……先輩、ひとつ言っておきますが」
心労がかなりかかったのか、ぜえはあ言いながら叶は言った。
「逆三十度という言葉は存在しません……。それは百三十度です……」
雨はいつの間にか止み、空には虹が浮かぶ。
それは「彼のためのヒーロー」になった晴海、もしくは少しだけ成長した叶を祝福するようだった。
「いやあ、貴方が復帰してくれるなんて思ってもみなかったわ! これで新堺市は安泰ね!」
都内にある本司令部に、見知った研究員の嬉々とした声が響く。
晴海は不機嫌そうな顔で彼女に続いた。元々本部は好きではない。今日来た理由は、何を隠そう、新堺市のヒーローとして再登録の手続きをしに来たからだ。
「条件はちゃんと呑んでくれるんだろうな」
「勿論! ヒーローはいくら増えても助かるわ! それもプロがきちんと研修してくれる人材なら尚更!」
「いや研修じゃないけどな」
本当にこの業界はブラックである。これはヒーロー全員がそうだが、ライオンの親が子を崖に突き落とすように、この業界では習うより慣れろが普通だ。だから新人で使えない奴は大体死ぬ。ある意味弱肉強食なこの業界に師匠として戦い方を教えるなんて異例も異例。もしそれで使える人材が育つのなら、これからの体制を変える、というのが上からの言葉。晴海はその実験台一号らしい。全く、勝手なことだ。
「あっ、来たみたいよ!」
会議室の扉が開く。おずおずと出てきたのは、装備で言う防具にあたる、強化素材で出来た黒いスーツ。正式なヒーロー服を身に纏う叶の姿だった。顔の傷は癒えなかったらしく、白いテープで頬を隠されている。
「あ、の……。これちゃんと着れてるでしょうか」
「似合ってる似合ってる。これで安心だなー」
これは違和感から気づき、後でわかったことだが、叶は本部から武器は支給されていたものの、纏っていた服は何の強化も受けていない普通の服だった。それで今まで戦って大きな怪我が無かったのは奇跡か、ヒーローの癖に卑怯な戦闘方法が合っていたからかもしれない。
もっとも、今日、正式に特例な「ペア」としてヒーロー登録したからには、小型だけに使えるその戦法以外にも学んでいかなければならないわけだが。
「よし、じゃあ欠番埋めるどころか残りのヒーローの仕事食うくらいの勢いで二人とも頑張ってよ! 期待してるからね!」
そうテンションがおかしくなっている研究員は叶の両手を握りぶんぶんと振った。彼女は晴海の引退を一番嘆いて、心配してくれていた人間だ。気持ちは嬉しいが、叶が引いているから落ち着いてほしい。
「よかったな、思い通りになって」
本部の外に出てすぐ、晴海がスーツの胸ポケットから紙煙草を取り出し、百円ライターで火をつける。そうして煙を吐き出すと、横から手が伸びてきて、晴海の手から煙草を奪った。いつの間に用意していたのか携帯灰皿を使い叶は晴海の煙草をもみ消す。
「ヒーローは市民の見本です。勿論煙草も禁止。あんなボロアパートに住んでるのもダメです。パチンコもダメです。先輩には僕の家に住んでもらいますから」
「うわ、やる気だけはある。一番会社に居て困る奴だぞ」
「やる気は大事です! そうですよ、今日を持ってこの僕が……、正式なヒーロー……」
「学業優先だけどな」
駐車場に停められている、外車、叶が用意してくれた物の後部座席に乗り込む。
二人とも、やっと一息付けたところで緊張が抜けたのだろう。叶が長く息を吐きだした。
「……本当にいいのか? そんな頬の傷程度じゃすまなくなるぞ」
「いいですよ。責任取れって言ったでしょ? これくらいでいいなら安いもんです」
あの怪龍より似合ってます? と叶が笑う。晴海はそんな感じで一日中浮ついている叶にため息を吐いた。
そう、本日付けで鈴谷叶は「晴海翔吾のヒーロー復帰条件」かつ「ヒーローに対する育成実験の実験台」として、二人で一つの枠でヒーロー登録がされた。担当は多くの情報が必要な為、これもまた特例として、新堺区全て。でも、これからは正式に報酬が出るし、福利厚生も受けられる。まあ叶を推薦する条件として晴海もヒーローに、との条件を付けられたのは意外だったが、元々この子を守るつもりだったので、そこは妥協した。
「僕らが担当するんですから新堺市は世界一安全ですね!」
調子に乗ってそんなことを言う彼の頭をぽんぽんと軽く叩く。
「馬鹿。やることはいつもと変わんねえよ。変わったのは他のヒーローに遠慮しなくてよくなったことだ。今まで通り見つけ次第、怪龍を倒す。そんでお前は市民全員、取りこぼさずに守る」
昔の晴海の様に、とは言わない。完璧なヒーローなんていない。
「そんで俺は、躍起になって市民の為に戦うお前を守る。それだけの話だ」
まだ「市民の為のヒーローになる」つもりはない。きっとこれからも、自分は市民の為に刃を振るう事はないだろう。晴海が守るのは、ヒーローとして頑張るこの少年だけだ。
そして遠くない未来、多分、昔の自分の様に、誰からも感謝されず、この子の心が折れる時が来た時。その時、自分が支えられる存在であればいい。この子の心を守るヒーロー、それが今の自分の役割なのだから。
その時、ちゃんと言おう。
「……ま、これを言うのはまだまだ先になるな」
そう小さく呟いた晴海に叶が首を傾げる。
「先輩、なんか言いました?」
「何でもねえよ、後輩」
車は進む。社内のガラスに映った自分の顔が、叶と出会う前よりもずっと穏やかで呆れてしまう。もし、この子が自立して、全ての市民を守れるようになれば、その時は晴海自身が「いち市民として」彼に言おうと思うことがある。
『ヒーローが! 来ました!』
あの時、廃屋で自分を見つけてくれてありがとう。「ヒーローだった晴海翔吾」をずっと生かしてくれて、忘れないでくれてありがとう、と。
誰でもない彼が、どうしようもない位に、神様の手から一度零れ落ちた「ヒーローである晴海翔吾」を掬ってくれた。
彼が晴海にとって、唯一の、本当のヒーローだった。