それだけは許してはならない
これが何か、ユキは知っている。異空間に物資を保管する「ストレージ」の権能だ。
だが、自分はいつこれをゴトー先生から譲られたのだ?
そんな風に困惑するユキに、プリメラは近づいて手を取った。温もりが伝わってくる。
「にぃさま。さみしかった、ぼくずっとさみしかったんだ」
自分を見つめる眼差しには、愛しさが満ちている。
まるでこの日この時、気持ちを伝えるためだけに生まれてきたようだ。
「にぃさま。ユキにぃさま。ぼくのにぃさま。
……ありがとう、あの日、あの時……ぼくを助けてくれて、本当にありがとう」
その感謝の言葉を受けた途端……ユキの全身を激烈な衝撃が走る。
まるで全身の血管を無理やり拡張するような、強引な進化だった。
「う。うっ……?!」
思わず崩れ落ちそうになるユキを、彼女、プリメラが支える。
「なん……だ、これ、はっ……」
「勇者ゴトー様が二柱の創造神、『光と雨の女神』と『闇と海の女神』から与えられ、そしてにぃさまが譲り受けた神の権能、『義者の加護』だよ……心配はない、ユキにぃさま。それは人からの感謝の気持ちを『魂の階位』へと変換するものだ。そのうち体が慣れてくるさ」
それは正しかった。
発作が時間を置けば和らぐように、ユキの全身の違和感と激痛はゆっくりと静まっていく。
呼吸を繰り返し、落ち着きを取り戻せば自分の肉体がより良き方向へと強化されたとわかる。
ちらりと表示されたままのウィンドゥに目をやればその能力が倍加していた。
『魔力3200/3200』
「うええぇ……」
なんだこりゃ、とユキは呆れた声をあげた。この数値が正しければ倍以上も自分の魔力が増強されていることになる。いくら肉体によい作用だったとしても、これほど激烈な変化であれば激しい痛みぐらい味わうだろう。
だが悪くない。
これが、ユキに与えられたゴトー先生の誕生日プレゼントといわれても納得できる。
強力な魔力一人で生きていくうえで役に立つ。家を出た際にこの能力の高さは役に立つだろう。
「おほっ、こりゃスゲェ! なんだこりゃ!」
突如洞窟の中に無遠慮な声が響いた。
視線を向ければ、そこには見知った顔があった。
太い二の腕は固有スキル『豪腕』ゆえの逞しさを物語っている。
しかし腕力にめぐまれた者につきまとう暴力での解決に慣れた、むきだしの残虐さを漂わせていた。
「トラクス?! ……なんだ、人の後を付けていたのか?」
「おめーが一人で、こそこそ遠出だからよぉ……いい加減目障りなんだよお前。
……しかしスゲーなここ」
トラクスと……その仲間らしい男達が何人もいる。彼らは手にカンテラの証を翳し、そのあたりに散乱するものを見つけて感嘆の声をあげている。
確かに、凄い。
ユキは洞窟に入るまで気付かなかったが……あたりには騎士甲冑が幾つも散乱している。
だが、その価値は鎧にはない。
鎧の中に白骨死体はない。その内部はバネと鋼線、滑車で組み立てられた、自動人形と呼ばれる自律機械が納まっている。ここはまるで自動人形たちの墓場だ。
「へへ、へへへっ、おめぇがどこに出かけるか気になってつけてみりゃ、宝の山じゃねぇか! 破損しても自動人形は自動人形だ! かなりの金になる! ……案内ご苦労さーん、ここにあるのは全部もらうぜ……そっちの女もなぁ」
トラクスは侮辱の言葉を発そうとして……隣に立つプリメラの麗しさに改めて息を呑んだ。
少女のあどけなさと傾国の麗しさ。相反する美貌の少女が、親しげにユキの傍にいる様子にカッと下腹が熱くなる。
粗暴さを隠そうともせずに、後ろの男達に叫んだ。
「おい、おめぇら! あいつを痛めつけてやれ! ただし女は駄目だっ……捕まえて淫魔が人間様に奉仕する存在だと教えてやる。うひ、ひひ」
絶対にそれがろくなものでないと知らす声をあげ、トラクスは棍棒を握り締めた。
殺す気はない。ただしユキが命を落とす以外であれば徹底的に痛めつけるつもりであった。
ユキは冷静な無表情のまま激昂し、このかつての仲間に暴力をふるうつもりだったが……先にプリメラが舌鋒をふるった。
「さっきから人を、なに勝手に淫魔扱いしてるんだ。おまえ」
続けての言葉でプリメラは刺すような視線を向ける。
お尻から伸びるしっぽは彼女自身の腰に巻きついた。警戒と敵意のしぐさだ。
彼女の言葉は正しい。人間の精気を吸う彼女たちは『サキュバス(淫魔)』と混同されがちだが……正式な名称は『吸精鬼』だ。血を吸う吸血鬼たちと違い、精気のみを吸う大人しい種族だが……伝承にある淫魔と混同されている。
そうして彼女が、ぎゅー、とユキの腕に抱きついてみせればトラクスの顔が憎悪と嫉妬に歪んだ。
「ぶっ殺せぇー!」
命令をすれば男達が襲い掛かってくる。
その様子に、ユキはまずプリメラを背に庇った。
こんな数が接近してきたことを勘付けなかった自分に腹が立つ。
「にぃさま」
「君が何で俺をにぃさま呼ばわりするかは知らないが、良いから逃げろ!」
ユキはゴトー先生より譲られた腰の剣を構えた。
地道で時間が掛かるし体力も消耗するが、ユキは相手全員を相手にして倒しきる自負がある。自分を育てた養父、剣聖アーバインに薫陶を受けた彼は、無策での勝負であろうとも実力があった。
だが、彼女はまずい。
プリメラは美しい。美しい女の人は暴漢に捕まれば、とてもひどい目に合わされる。
それだけは許してはならない。
「ちがうよ、にぃさま――『糸』を伸ばして、ガレスに繋ぎたまえ!」
「ガレス?」
彼女が指差す先には……胸部装甲を開いたままの自動人形が横たわったままだった。
周囲に散乱する半壊した自動人形と違う。あれだけは何のダメージも受けていない。
「まさか……まだ生きてるのか?!」
あの自動人形の周りに積もった埃の厚さを見れば、一年二年どころではない。十数年規模で停止していたはず。
だが十数人の暴漢から彼女の身を確実に守るにはそれしかない。
ユキは指先より魔力糸を伸ばす。
細く、目には見えない魔力の糸は、しかしガレスと接触すると――まるで感覚が繋がっているように『理解』する。
起動に必要な魔力が足らない。人形の体内にある魔術機関のエネルギーは干上がるまでに消費され、今や指先一つさえ動かない。だからこそ、ユキ=ゴトーは糸を通して自分の魔力を注ぎ込む。
動け動け動け……! 全身から血液が染み出すような虚脱感に襲われるが、これが動かなければひどいことになる。
自分が殴られ、痛めつけられるのはいい。愛されないことには慣れてしまった。
だが。
――……君だけは、せめてきみだけは……おかあさんのもとに返してみせる――
言った覚えのない言葉が、心の中に響き渡る。
しかし自分を『にぃさま』と呼ぶこの子が、とてもひどいことになるのは絶対に許容できなかった。
なぜかは分からない。だが命に変えてもこの子は守らねばならないと、彼女の頬に触れ、頭を撫でた指先だけが覚えていた。