痛覚カットをしきれない
「……というわけで、ミゲル教師は君が突如として暴れだし。審判役の教師と生徒12名を負傷させたと訴えておるのだが……」
「学園長。たった一人を十数名で囲んで逆に生徒に負けるような無能の恥さらしの教師とか首にしたらどうです?」
放課後、学園長室に呼び出されたユキは相手に対する軽蔑と嘲笑を隠そうともしなかった。
整った耳目に人に慣れない孤狼を思わせる鋭い眼差し。引き締まった筋肉はしなやかで、野生の肉食獣を思わせる。
そして何より、黒目黒髪。
異世界より召喚された勇者ゴトーと同じ色は、今日17の誕生日を迎える少年の出自を物語っていた。
「……その反抗的態度はどうにかならんかね?」
「では逆に問いますが。平和と平等を理念とするこのテラン王国の王立学園で。裏切りの勇者ゴトーの孫というだけで暴力と虐待を繰り返し、国家の理念に背いた生徒や教師になんら懲罰を加えない学園長殿の態度はどうにかなりませんかね?」
唇をひん曲げ、青痣の浮いた顔に隠し切れない軽蔑を浮かべてユキは答えた。
学園長は開き直って睨む。
「黙れ……」
「ああいえいえ。責めるつもりはございません」
ユキは笑った。
「この学園には高位貴族のご令息も多数在籍してなさる。寄付金もたっぷりだ。勇者ゴトーの孫ならいくら虐待してもどこからも文句はない。教育者としての魂を権力と金に売り渡そうとも、まぁ人間だし仕方ないかと思います。俺は心の中であなたの事を恥知らずと軽蔑するだけのこと」
「黙れ!!」
学園長が杖を振りかざす。教師が学生に懲罰に用いる『激痛』の魔術。
一度行使されれば七転八倒して苦しむ魔術だが、すでに痛覚をカットしているユキは涼しい顔をしている。
学園長は己の魔術行使にさえ、平気な顔を浮かべるユキに戦慄の呻き声をあげた。
「げ……げぇ……?!」
「あんたは教育者の自分に泥を塗ったって分かってるのか? 学園長。……もう退席するぜ」
まるで下らぬものを見るような眼差し。
存在そのものを軽蔑するユキに、学園長はカッと頭に血が昇る感覚を覚えた。
「待て!」
杖の先より激烈な電光を発する。明らかに懲罰の域を超えた殺傷レベルの魔術。
だが、まさに喉笛に刃を突きつけれられ、生殺与奪の全てを握られているにも関わらず……ユキは醒めた目で答えた。
「やめとけ、カス教師」
「な……な、なっ」
学園長は教育者として堕ちるところまで堕ちていると自覚するだけに、ユキの指摘はじつに刺さった。
だからこそ相手を暴力で従わせ、卑劣なプライドを守ろうとした学園長は、実戦から離れて久しい眠っていた本能が、自分の命の危機を訴えていると知る。
仕掛ければ、ユキ=ゴトーは死ぬ。
だが、同じく自分も死ぬ。
ユキは冷静な目で、答えた。
「俺としては、どっちでもいいんだ。あんたが雷を放って、諸共に死んでも」
「ひ。ひぃっ!」
老いた身であろうと命は惜しい。
学園長は恐怖に震えながら椅子に崩れ落ち。ユキは礼儀正しく頭を下げて学園長室を退室した。
ユキの寝床は、たくさんの馬がいる馬房だが、彼自身それを苦に思った事は一度もなかった。
もともと、馬は好きだ。勇者ゴトーの孫として虐待を受ける日々を過ごしているが、馬たちだけは人間のしがらみなど気にもせずによく顔をこすり付けて甘えてくるのが可愛らしい。
「マッハ、今日も綺麗な毛並みだな」
黒毛の馬、マッハがユキの前にひょこひょこ歩いてきて前足で地面を掻く。
のどかわいたー、の意志表示に頷くと、井戸より水を汲んできて前に差し出せば、さっそく呑み始めた。いい機会なのでブラッシングを始めることにする。
馬房を仮の住まいにした事は、自画自賛するほどの妙案であった。
生き物を相手にする馬飼いたちは、馬に懐かれ、熱心に世話をするユキに好意的だった。
それにユキは生徒達から目の仇にされている。
たぶん寮に入れば気は休まらなかっただろう。しかし夜寝る際は馬の傍で寝かせてもらえる。生徒達がユキに暴行を加えようとしても、その傍には馬。すなわち学園の資産だ。ものの弾みで馬に怪我でもさせればしゃれにならない請求が送られるから手出しができないのだ。もっとも『糸』を張り巡らせて奇襲には備えているが。
「おや、モテモテだな。セイングレインド、ハシル、こっちにおいで」
ユキに水を与えられ、毛づくろいしていると他の馬も『俺も俺も』『私も私も』とやってくる。
学園内で毒気めいた言葉を受け続けていると心がささくれ立ってくる。だが、そんな心もこうして動物と触れ合ってくると落ちつくのを感じた。
井戸に向かい、水を欲しがる子に水を与え、その後は体の中に染み付いた怒りや腹立ちを沈めるように、井戸水を頭からかぶる。もちろん『この肉体』は水などかぶる必要はないが……擬態のためには怪我をした人間の行動を真似る必要があった。
ふと、地面に張り巡らせた『地蜘蛛陣』に振動を検知した。誰かが近づいてくる。
傍の馬たちも耳をぴくぴくさせて水桶に突っ込んでいた顔を持ち上げた。
「ヴリス殿下」
「ユキ……大丈夫か?」
「ご心配をおかけしました」
ユキは相手に気づくと、恭しく膝を屈し頭を下げた。
金髪碧眼に整った耳目。現国王の次男であるヴリス=テラン王子。
ユキの養父アーバインは剣聖と名高く、高位貴族からも敬意をもって接される大人物だ。その縁でユキは昔、ヴリス殿下の遊び相手だった時期があった。
だが……貴族たちの私刑を黙認している時点で、ヴリスとの友情はユキの中から完全に消え去っていた。
「前のように気安くは……呼んでくれぬのだな」
「前のように気安くしたらあなたには呪詛と罵倒しか言いませんが、それでよろしいですか?」
言葉遣いこそ丁寧でも、ユキの声には冷ややかな憎悪が滲んでいる。
ヴリスはうつむいた。
彼は王族であり、発言には力がある。だが、彼が一声かけたところでユキへの暴力と蔑視は見えないところで再燃するだろう。
そして王族として『勇者ゴトー』の真実を教えられている。
だからこそ、『裏切りの勇者』と憎悪される勇者ゴトーの功績が賞賛に値するものだと知っているし、その真実が明るみに出た場合国内が大いに混乱すると予想もできた。
だからといって、許されるわけではないが。
「もう、俺には話しかけないでください、殿下」
「……それは」
「あなたが俺を助けたいというなら、『真実』を話してくださればいい。
そうすれば少しは状況が好転するだろう。だが『真実』を話せばテラン王国は混乱する。だからあなたは真実を話さない。
……責めはしません。あなたは王子として国家を優先させた」
ユキはかつての友人に視線を向けた。
「国家を優先させ、かつての友人を切り捨てた。
で、あれば、切り捨てられたかつての友人からは、もう友情など向けられぬものだとご理解ください」
「う……ああ。……ああ、そう……だな」
ユキ=ゴトーにとってはヴリル王子は、殴ったり罵倒したりしないだけまだマシな部類の相手だ。
だが積極的に助けてくれる人ではない。ヴリルは言葉を捜していう。
「だが、君はテグニスの家を出て、これから馬房に住むと聞いたぞ? マライアは彼女は君の養父、剣聖アーバイン卿の孫にして『武理体現』の固有スキルを持つ未来の剣聖だ。彼女なら君を守って……」
「殿下」
ユキの言葉には、これ以上喋るな、と恫喝するような激烈な憎悪が篭っていた。
「この学園で俺を一番苦しめているのが他ならぬ彼女です」
「え? だ、だが……君の」
「俺は本来なら機構職人として一人立ちするはずだった。この学園に来るように引っ張り込んだのはあの姉だ。
助けてくれないわけじゃない。ただし言葉を尽くして説得するのではなく手段は常に暴力で。結局その報復は俺に向く。
ならば自衛の手段を探ろうとすれば二言目には『ユキは弱いんだから』『ほら、あんたはあたしが守ったげないと?』『自分で強くなろうなんて生意気……』『あたしの強さが信用できないって?』と槍で殴りに来る」
嘆息をこぼす。
「この学園では虐待を受け続けるから、平民向きに転校したり、異国の魔族連合に留学しようと考えても、俺に執着するあの姉は『あんたはあたしの弟なんだから面倒見るの当たり前でしょーが!!』と来たもんだ」
「愛しては……いるだろうな」
「いいや、愛じゃない。あれは支配だ」
ユキはじろりとヴリル王子を見た。
「彼女なら俺を守って、と言いましたね、殿下……俺の迷惑なんか微塵も顧みず。まるでペットを抱き絞め殺すような身勝手な愛情を注ぐ、あんな姉でよけりゃ……あんたにやるよ」
その怒りの激しさゆえに、王族に対する敬語も忘れてユキは吐き捨てる。
ヴリル王子は悲しかった。国家と私人の板ばさみになり、昔の友人を助けれない王子の身分が厭わしかった。
「ユキ。逃げないのか……?」
ここにいても、傷つくだけだ。
それは王子が彼に対してできる、数少ない思いやりの言葉だったが、ユキは面白そうに笑った。
「殿下。少しお時間をいただけますか?」