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勇者の孫の死んだふり大作戦

「ユキ! 裏切りの勇者ゴトーの孫のあんたが、家から出て生きていけると思ってるの?!」


 ユキ=ゴトーは自分の背中から投げかけられた声に、振り向いた。

 振り向けばそこには、義姉、マライア=テグニスの姿がある。ミルクティーのような色合いのツインテール、均整の取れた長身と整った顔立ちの義理の姉。

 自分達が住まう王都ランドバルの学園でも、次代の剣聖と目される姉は、愛用の十字槍を肩に抱え、強靭な煮皮鎧で身を包んでいる。

 兜は被っていない。蒸れるのが嫌だ、というわがままだが、彼女はそのわがままが許されるほどの実力者だ。


『裏切りの勇者』ゴトーの孫であり、最弱と言われる『糸使い』スキルの自分とは大違い。


 だがユキは姉マライアの眼差しを受けても、少しも動揺せず、こくり、と頷いた。

 彼の整った耳目に、引き締まった肉体。そして艶やかな黒い髪は、異世界より来訪した勇者の血筋を意味していた。

 ユキは笑った。


「姉さん、藁草のベッドは意外と良いぞ」

「はい?」

「マッハ、セイングレインド、ミケーラ、ハシル。皆美人さんで俺が近づいたら嬉しそうにしっぽを振って顔をこすり付けて甘えてくるのがとても可愛い。彼ら彼女らの部屋に日替わりでとめてもらうのさ」

「ふ……不潔!!」


 マライアはその整った柳眉を逆立てて怒鳴る。大事な弟が日替わりで男女の部屋に泊めてもらうなんて、そんなふしだらな! 胸の中に湧き上がる嫉妬に、はらわたがよじれるような気持ちになったが……ふと、ユキの上げた名にすべて聞き覚えがあると気付いた。


「……全部学園で飼ってる馬じゃないの!!」

「だから。馬房に泊めてもらうんだよ。みんなかわいい良い子ばかりだぜ?」


 普通はありえない。

 だが、裏切りの勇者ゴトーの孫がマライアのいるテグニスの家から出て生活しようとするなら、学生寮は手を回した貴族たちによって断わられるだろう。

 マライアは目を怒らせた。


「……そんなに、そんなにこの家が嫌なの? あたしたちは家族じゃないの?」

「かつては、そうだったと思うよ、姉さん」


 ユキは小さく嘆息をこぼす。

 異世界より訪れ、この世を良くするために尽力した勇者ゴトー。

 しかし彼に救われた人は多かったが、既得権益を侵害され恨みに思うものも多い。そしてこのテラン王国首都、ランドバルは勇者ゴトーの被害を受けたもの達の総本山といっていい。

 ユキの否定の言葉に舌打ちをするマライア。


「……ふんっ。ならいいわよ。でも忘れないでよ。ユキ。あんたのスキルは最弱と言われる『糸使い』。あたしはアーバイン爺様と同じ『武理体現』。あたしが学園でにらみを利かせているから、あんたに直接手を出す連中はいないんだから。あたしの元に帰って泣いて謝ったら許してあげる。学園の馬房住みなら毎日会えるし待ってるわよ」


 ユキは、喉奥から競りあがってくる罵声を堪えるのに一苦労した。

 ほんとうは学園などに行くつもりはなかった。勇者ゴトーに育てられ、異世界の知識に接して大きくなったユキは外の国に旅立ち、見聞を広めながら、祖父と同じ機構職人になるつもりだった。

 それを邪魔したのは、姉マライアだ。自分を虐待し、侮辱し、暴力をふるう貴族たちばかりがいる学園に縛り付けているのは他ならぬ彼女だ。

 昔のあなたは本当に優しい人だったのに。どうしてそんな風になってしまったんだ。


「俺の人生の順路を滅茶苦茶にしたあんたがそれを言うのか」

「は。はぁ?」

 

 ユキの怒りを真正面からは受け止め損ねたのか、マライアは戸惑ったように後ずさった。

 学園に入学させるように両親に手回ししたのは彼女だと、ユキはすでに知っている。


 怒りを覚えるより、悲しみが勝る。

 祖父である勇者ゴトーと共に旅をしてきて、初めて出来た姉、友達だと思っていたからこそ、自分を苦しめる彼女の行動が悲しかった。

 ユキは前に進む。さまざまな意味で。

 このまま口を開くと姉に対してとても酷いことばを使ってしまいそうだ。


「ユキ! ……なんでよ、何がいけないの?!」

「それが分からないことが、かな」


 さようなら、姉さん、たぶん好きだった。

 ユキの小さなささやきの声は風に溶けて消える。


 ここから新しい人生を始めるのだ。



 

「マライア姉さんが俺の傍にいるのをやめた途端にこれだ」


 ユキ=ゴトーがマライア=テグニスのいる家を離れ、学園内の馬房に住まいを移したことは生徒たちの何割かに、薄暗い喜びの笑みを浮かべさせた。

 なんといっても勇者ゴトーの孫など殴っても文句を言われない。良くやったと賞賛される。そして自分が正しいと信じて疑わないものほど他者に対して残酷になれるのだ。


 つまるところ、平和と平等をうたうこの学園はユキ=ゴトーにとっては敵地に等しかった。

 放課後、無理やりに参加させられた練習試合。広間で相手と向かい合う。


 足元は砂地。周囲は生徒達がぐるりと包囲している。

 手に持つ模擬剣の握りを確かめ、馴染ませるように二度三度振って感覚を確かめる。ユキは相手を見た。

 白兵戦の分野においては完全な格上。固有スキル『剣術』を有する貴族の青年。試合の名を借りた私刑リンチにかけるつもりなのだろう。

 溜息を吐いた。祖父、裏切りの勇者ゴトーの悪名は自分の人生を良くないものに捻じ曲げている。

 

「それでは、ユキ=ゴトー! 前へ」


 横には審判を勤める教師が穂先を布と綿でくるんだ棒を片手に命令する。

 周囲のざわめきが不愉快だった。


「……で、何秒でモナ=ミケールさんがアイツをぶちのめすと思う?」

「へ、剣術スキル持ちと勝負とか、勝ちは決まってるし賭け甲斐ねぇよなぁ」

「俺ぁ開始直後に賭けるか」

「俺も」「俺も」

「おいおい……賭けにならねぇよ、ひゃひゃひゃ」

「仕方ねぇだろ? 『糸使い』なんて最弱の固有スキルじゃ勝負にならねぇよ」


 まぁ、そうだろうな――真っ当に剣術での戦いでは勝ち目は薄い。

 ユキは一礼の後で剣を構え、相手と正対した。


「はじめっ!」


 普通の手段では勝機はない。

 試合開始の宣言と共に、ユキは踏み込みながらその手の模擬剣を相手に投げつける。


「はっ! 勝てないと踏んで勝負を投げるかぁ!」


 嘲笑を浮かべながら試合の相手、モナは投擲された剣を払いのけ――。

 だがまるで手品のように、ユキの手の中に返ってくる剣に目を剥いた。


「『糸使い』が弱いって言ったな」


 仕掛けは簡単。

 魔力でもって生み出される伸縮性に富む糸を、投擲した模擬剣に括りつけて即座に手元に戻しただけだ。

『剣術』の固有スキルを持っていようとも、慢心と傲慢で鈍った剣では守りは間に合わない。

 

「ごふっ?!」


 そのまま切っ先を男のみぞおちに捻り込んだ。

 開始直後に勝負がつくという下馬評をそっくりそのまま相手に送り返したユキは審判の勝負ありの声をせっつくように顔を向け……。


「ばかものっ!」

「ぐあっ?!」


 己の腹につきこまれた棒に突き飛ばされ、苦悶を浮かべて地面に転がった。


「騎士たるもの、己の剣を投げるとは美しくなぁーい! 貴様の負けだ、ユキ=ゴトー!」

「……馬鹿……かっ、お前。……そこで、反吐撒いて……倒れてる奴が勝ってるように……見えるのか?」

「口答えするなっ!」


 臓腑に響く激痛に悶えながらもユキは軽蔑と嘲笑を隠そうともしない。

 理不尽な暴力とこじつけの理屈に屈従し、負け犬になって慈悲を願う目とは断じて違う。手負いの獅子のようになおも闘志を手放さない。教師を睨む。明らかに不当な判定を下した教師はその目に怯み、さらなる暴力で黙らせようと棒を突き込んでくる。

 転がりながらそれを避け、ユキは跳ね起きつつ教師を睨んだ。

 反撃のための体力を養うには数秒ほど時間がいる。時間を稼ぐ為に言葉を使った。


「先生……あんたも裏切りの勇者ゴトーが憎いタチか」

「ふん、貴様の性根が腐っているから懲罰的指導に見えるだけよ、だがその反抗的な目つきも不遜な態度も、あの忌まわしくけがらわしい裏切りの勇者より引きついだんだろう!」

「いや、腐り具合ならあんたが上だ」


 まったく――……相手は教師なのだからこんな横槍を入れるわけがないと、常識的な判断を下した少し前の自分が恨めしい。



 殴られると分かっていれば、最初から痛覚などカットしていたものを。



 おかげで先ほどから復讐心が燃え上がっている。殴られてやり過ごそうなどという考えなど消し飛んでいた。


「お前等っ! クソ生意気で失礼な同級生に教育してやれ!」


 教師が叫べば、一歩離れた場所で見ていた同級生が薄ら笑いを浮かべながらユキを取り囲む。

 正義の名の下に、裏切りの勇者の孫を私刑にかける。


 いかに醜悪な振る舞いをしているのか、自分の正しさを信じて疑わない連中は気付きもしない。

 ユキは口内より擬装用の血糊を吐いて相手を睨んだ。ああ、やはり怒りの表情を浮かべるための顔面筋の制御は、遠隔操縦の負担になる。

 

「今度は乱戦の稽古か。いいぜ、審判じゃないなら……思いきりぶちのめしても文句はないよなぁ!!」

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